94.商売のイロハを知らずに商人をやっている私。
夏の大市を数日後に控え、村が騒がしくなっている。去年の私は夏の大市に出す露店のまとめ役を任されていたため、この時期は忙しかった。しかし、今年の私は町との連絡役だけ任されて、村での仕事を割り与えられていない。
そのため、基本的に暇だ。店に訪れるお客さんもそんなに多くない。時間があまっているため、せっかくなので商品の仕入れに出ることにした。
今回の目的地は、地方都市ベシッカ。辺境伯から頼まれたラームヤームのデザイン案を伝えに行くのだ。
そう、実はまだ、ハドソン工房にラームヤームの発注をかけていない。
というのも、本来ならば都市ベシッカからここの辺境伯領に行くには、それなりの日数を経る必要がある。
そして、ベシッカの人達には転移魔法のことは話していない。なので、これくらい間を空けて訪れるくらいで、ちょうどいいのだ。
馬屋から一号と二号を出して、出発の準備を整える。
一号と二号は、今日も毛艶がよく元気だ。
「しかし、なかなか妊娠しないなー。二号が不満かー?」
一号の首を撫でてやりながら、私は一号に話しかける。すると、一号は機嫌よさそうにいなないた。
仔馬が産まれたら、村に寄付する予定なんだけどね。馬の発情期は春から夏の終わりにかけて来るらしいが、メスの一号はなかなか妊娠の兆候を見せない。オスの二号との仲は悪くないようなんだけどなぁ。
ま、若い馬だし、気長に見ていこう。
というわけで、二頭を馬車に繋ぎ、御者台に乗りこむ。そして、いつものように≪ディメンジョンゲート≫の魔法を唱えた。
一号と二号は慣れたもので、開いたゲートに向けて真っ直ぐに歩き出す。
そして、馬車はベシッカの郊外の道に出た。
「うっわ。暑っ!」
季節はすでに夏。しかも、ベシッカは開拓村よりずっと南。天気は快晴で、とても暑かった。
いやあ、こうして移動してみると、村はずいぶんと北にあることが肌で理解できるね。
今日の私の格好は、半袖の上等な服だ。服飾が盛んな町で仕立ててもらった外行きの服というか、商人としてそれなりの立場で見られるための商売用の服。その中の、夏服だ。
ただし、夏服なので涼しい、とは簡単にはならない。なんだかゴテゴテしているし、下はロングスカートだ。生脚を出してもはしたなく見られない場所は、ベシッカよりももっと南方になる。そのため、ここでミニスカートを履くわけにはいかないんだよね。
今の私は十五歳くらいの若い見た目で固定。だから、夏にミニスカートを履けるなら履きたいんだけどなぁ。
そんなことを考えつつ、あっついあっつい言いながら、都市の門をくぐり、手工芸ギルドの会館を訪ねる。
会館には、商人らしき人が多数訪れていた。商売繁盛なようでなによりだ。
そして、ギルドの担当員の人に、ハドソン工房へ貴族向けのラームヤームを発注したい旨を話すと、相手は私の顔を知っていたのかギルド長を呼びにすっ飛んでいった。
ううむ、ギルド長は今回必要ないんだけど、よっぽど大口の取引相手としての印象が強かったのかな。
「これはこれは、なぎっちゃ殿でしたな。毎度ごひいきにありがとうございます」
揉み手をしそうなくらいの勢いで、ギルド長がニコニコ笑顔で私に言う。
それから私はギルド長に案内されて応接室に入り、着席する。すぐさまお茶が出され、茶菓子まで用意された。
「貴族向けのラームヤームとのことでしたが、例の辺境伯閣下ですかな?」
ギルド長がそう言うので、私はうなずいて答える。
「この前の品は、全部納品してきたよ。それで、閣下からラームヤームのデザイン案を受け取ってあるよ」
私は持ってきていたカバンの中から、辺境伯に渡された封筒をテーブルの上に置いてみせた。
「なるほど。では、そちらはハドソン工房に直接お渡しください」
「あれ? ギルドは通さないの?」
「取引はギルドを通していただきますが、デザインの話は、直接工房長にお伝えいただこうと考えております」
ふーん。こういうのって、工房と顧客を直接会わせないのが普通だと思っていたよ。なにせ、工房と顔つなぎができちゃったら、間にギルドをはさまないで取引できちゃうからね。
それとも、ギルドは業者ではなくて、あくまで職人を助ける組合でしかないから、中間マージンを取って荒稼ぎする場所じゃないのかな。
うーん、そのあたりのルールはよく分からないね。
「それにしても、早いお着きでしたな。半年は後になると思っておりましたが」
ああ、地理的な距離を思うと、それくらいの期間で考えていてもおかしくはないか。
でも、今回は辺境伯と夏の大市で会うと約束したからね。
「辺境伯閣下が強くお望みなので」
「それはそれは。ハドソン工房にも、早く仕上げるよう励んでもらう必要がありそうですなぁ」
辺境伯が望んだからダッシュで往復したと勘違いされていそうだけど、その勘違いを正す理由もないのでスルーした。あ、でも一つだけ言わなきゃね。
「仕事は速さよりも、正確さを重視するよう言ってね。閣下は、最上の品をお望みだよ」
「肝に銘じておきます」
「さて、じゃあ予算の話をしようか」
そう切り出すと、ギルド長は「少々お待ちを」と私を止めた。
「ハドソン工房の工房長をこちらに呼んでおります。予算は、工房長を交えてからにいたしましょう」
おおっと、辺境伯があれだけ特別視していた、工房の代表を呼びつけているのかぁ。それだけ、辺境伯というネームバリューは大きいんだね。もしかしたら、バックスの国って、この地方でも影響力を持っているのかもしれない。
それから私は、ギルド長によるためになる商売トークを聞いてしばらく待っていると、応接室に一人の職人がやってきた。
六十歳くらいのおじいちゃんだ。彼が、ハドソン工房の工房長だろう。
「お招きにあずかりましたよ」
そう言って工房長は礼をしてから、ギルド長にうながされて着席した。
頑固オヤジみたいな人を勝手に想像していたけど、物腰の柔らかそうな職人さんだなぁ。
それから私達はギルド長の仲立ちで挨拶を交わし、早速、ラームヤームの発注の話に移った。
「こちらが、辺境伯閣下が自らお描きになった、デザイン案だよ」
私はそう言って、封筒を工房長に渡す。
工房長はそれを両手で受け取り、ギルド長から渡されたペーパーナイフで優雅に封蝋を外して中身を取り出す。
そして、辺境伯が書いたデザイン提案書をしばらくじっと読みこんだ。
一通り目を通し終えてから、工房長は紙をテーブルの上に置き、私に向けてどこか晴れない表情で言った。
「残念ながら、私では最良の仕事をすることは不可能でしょう」
すると、隣に座っていたギルド長がギョッとした顔で隣に振り返る。
「おい、どういうことだ」
「足りないのです」
「足りないだと……?」
「ええ、巨人に対する知識が、私には足りない」
ギルド長に問われ、本当に残念そうな顔で工房長は言った。
ふむ、なるほどね。このあたりに巨人の出現地はないのだろう。もしあったとしても、職人である工房長が巨人を目にする機会もないはず。だから、ラームヤームの巨人の駒を上手く作ることはできそうにないと、彼はそう言っているのだろう。
でもね。
「その程度のことは、想定の範囲内だよ」
私はそう言って、カバンの中から追加で紙束を取り出した。
「それは……?」
「今年の春に起きた、辺境伯軍と巨人との戦争の様子」
私がそう言って紙束を工房長に渡すと、工房長はそこに描かれていた内容を見て、度肝を抜かれたような表情を浮かべた。
「これは……」
「なんと精密な絵なのだ……!」
工房長の隣に座るギルド長も、紙を覗き込んで驚いている。
うん、まあ、驚くのも解る。それ、イヴが撮影した写真だからね。この人達にとっては、精密で写実的な絵に見えるだろう。
もちろん、この世界にはまだ写真技術が存在していない。だから、私が「これは絵ではない」と説明しても伝わらないだろう。なので、辺境伯が抱える絵師が描いた絵ということにしておく。
「これは、戦場の様子がありありと思い浮かぶようですな……」
「ううむ、これほどの絵をこんな紙に描くとは……勿体ない! もっと大きなキャンバスに描けば、どれほどの値が付いたものか!」
おおっと、ギルド長が変な所に着目してしまった。でも、私は知らんぷりを決める。私がやったことじゃないから知らないよー。
「む? この絵はどういう状況なのでしょうか」
工房長が絵の一枚に注目したので、私は戦場を思い出して、解説を入れてあげる。
「おや? もしや、商人殿は戦場にいたのですか?」
「うん、参戦していたよ。行軍からずっとね」
私が工房長の質問に答えると、ギルド長がマジかこいつみたいな顔で見てきた。
あはは、私の見た目はか弱い少女だからね。まあ、そこは少しだけネタばらしをしておこうか。
「私、魔法を使えるので。巨人も倒してきたよ」
「魔法使い! 魔法都市の出身でいらしたとは……」
ギルド長が心底驚いたという様子で、後ろにのけぞった。
そして、体勢を戻して深呼吸すると、おずおずと尋ねてくる。
「もしや、魔道具や魔石を商品として取り扱えますかな?」
「うん、私が住んでいる村には魔道具職人もいるし、魔獣も狩っているから魔石も融通できるよ。伝手があるから、魔道具だって魔法都市に発注できるし」
「なんと! ならばご相談したいことが――」
「待ってください。ギルド長、今は巨人のことを聞かなければ」
「むっ、しかしだな。木工用の魔道具があれば……」
「後にしてください」
と、何やら二人でもめた後、まずは工房長の用事を優先することになった。
それから私は、この間の戦の話を最初から話し始めた。
巨人の来襲。逃げてきたエルフ。村長の宣言。辺境伯の決断。集まる兵士と騎士達。行軍、接敵。そして、巨人との戦い。
三日にわたる巨人の群れとの戦いを経て、最後に神が神器を確保するところまで話すと、工房長は紙束を手に感動に打ち震えていた。
「いい話を聞けました」
工房長は、そう言ってから長い息を吐いた。
「終わりましたな? では私から。魔道具の発注について――」
そうして、予定していなかった商談も入り、お茶のおかわりを何杯もいただきながら、話をまとめていった。
まずは簡単な物からといくつかの魔道具の発注がなされ、魔道具職人兄妹とヴィシュワカルマ神の工房のどちらに話を持っていこうか考えながら、前金を確かに受け取る。
「うん、それじゃあ、そろそろおいとまするよ。急いで辺境伯に納品日を伝えないとね」
私はそう言って、カバンに魔道具の前金をしまう。
すると、工房長がそれを押しとどめるように言った。
「少々お待ちを。どうやら、馬車の荷に余裕があるそうで。空荷で町を出るのもなんでしょう。当工房の品を買っていきませんか?」
ちゃっかりしているね! 確かに馬車はここのギルドに預けているし、馬の世話も任せてある。
でも、いつの間に馬車の状況なんて聞いていたんだろう。ずっと私と一緒にこの部屋にいたよね。この部屋に呼ばれる前に確認していたのかな? 熟練の商売人って、すごいなぁ。でも、その要求は通らないんだ。
「申し訳ないけど、それは無理かな。この後、馬車には化粧品と雑貨を積む予定なんだ」
「それは残念。手広いのですね」
「元々、この町には化粧品の買いつけに来ていたんだよ。工芸品を積んだのは、化粧品を運ぶついでに余った馬車のスペースを埋めただけなんだ。でも、まさかおまけでしかなかった工芸品が、辺境伯の目につくとは思わなかったよ」
私のあけすけな言葉に、工房長は苦笑い。一方、ギルド長は笑顔で言葉を返してくる。
「商運がおありなのですね」
「どうだろうね。運の良さは気にしたことはなかったかな」
ゲームステータス上の運は『Lv.101』なので高いけどね。
それから私は、ギルド会館を退出して、馬車でいつもの化粧品を扱う商会へと向かった。
普段よりも上等な服を着ていたからか、商会長に「よくお似合いです」なんて言われたが、その後、個人的に使用する化粧品を勧められた。
「新商品の白粉などはいかがですかな?」
「それ、鉛とか入っていないよね」
「ははは、鉛白の化粧品への使用は、二百年も前に禁じられていますよ」
「そっかぁ。じゃあ、それをいただこうかな。私個人用じゃなくて、商品として箱単位で」
「毎度ありがとうございます」
鉛に毒性があることは現代の地球では常識だが、鉛を使用した白粉によって健康を害するシチュエーションは地球のファンタジー小説でよく見た。
この世界ではもう鉛の毒性が発見されているんだねぇ。バックス神殿はアルコールの子供への悪影響を発見しているし、割と化学は進んでいるのかもしれないね。こりゃ、ハーバー・ボッシュ法の研究も意外と進むかも。
「ところで、やはり石鹸に混ぜる香料の進言はできないので?」
商会長が、私の顔色をうかがうようにそう尋ねてきた。
うーん、この言葉、何度も聞いたなぁ。でも、ごめんね。
「うん、生産ラインがガチガチだから、私には余計な手出しはできないね」
なにせ、ここに卸している薬用石鹸は、ホワイトホエール号のアイテムショップで買っているから。あの水準の石鹸がこの世界で作られるには、それこそ化学が進むのを待つしかないだろうね。
「それは本当に残念ですなぁ……辺境伯閣下と馴染みのあなたなら、融通も利くかと思ったのですが」
「あれ? よく知っているね、閣下のこと」
「商売上、女性客から噂話をよく聞くのですよ」
「ふーん、手工芸ギルド会館の案内員さんあたりかな?」
「情報源まではご勘弁を。それで、辺境伯閣下のご家族様に、提案したい化粧品がございまして……」
そこに繋げるの!?
いやー、なんというか、本物の商人って本当に商魂たくましいね。
その後、私は化粧品をたっぷりと買わされて、馬車に箱を詰め込んで地方都市ベシッカを後にした。
辺境伯の奥さんとは会ったことないけど、ベシッカの化粧品って要るかなぁ。一応、イヴの調査では近隣国でも有名らしいけどさ。
ま、細かいことは、夏の大市で辺境伯と会ってみてから考えようか。




