86.毎日美味しい物を食べてぐっすり眠れば、だいたい幸せ。
「なぜこんなに漬物が余っているのじゃ!」
「んー、村の人に馴染みがない味だったみたいだね」
「そんな……付近の村々では大評判だったのじゃぞ?」
「あー、この村の人たちって傭兵団出身で、このあたりの出身じゃないから……」
「なんじゃと? それは盲点……」
「まあ、村の外で評判なら、そっちに売ってきてよ。私は契約した期間のみしか、棚を貸さないよ」
「ぐぬぬ……」
とある日の昼下がり、雑貨屋にヘスティアが委託品の売り上げを確認しにやってきていた。
冬の間に保存食を委託されていたので、これの売上を彼女に渡した。ただ、中には売れ残っている不人気商品もあった。料理神の料理とは言え、人の好みは千差万別。乳酸発酵させた漬物なんてものは、その最たる物だった。
私は、ヘスティアに漬物を引き取ってもらうべく、冷蔵食品棚から小ぶりな陶器の壺を下ろしていく。この食品棚は冬の間にタナー兄妹とガラス職人さん達に作ってもらった物だ。
カウンターへ並べられていく壺をヘスティアは、恨めしそうな目で見ていたが、無視無視。
と、そんなことをしていると、不意に店のドアベルが鳴り、お客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませー。って、神官さんじゃん」
「どうも、なぎっちゃ様。こちらにヘスティア様が……おお、いらっしゃいましたな」
やってきたのは、店の隣にあるバックス神殿の神官さんだ。
後ろに、見覚えのない旅装の中年男性を連れている。
「ヘスティア様、巡礼神官が訪ねてまいりましたよ」
神官さんがそう言うと、ヘスティアが「おお!」と声を上げる。
すると、神官さんの後ろにいた男性が、手でなんかの印を切ってからヘスティアに向けて言葉を放つ。
「お久しぶりでございます、我が神よ」
「久しぶりとな? おぬし、私と会ったことがあるのか。ふーむ、その顔は……」
「三十二年前に、ヘスティア神殿でお目にかかったことが一度」
「おお、そんなに前か。道理で、パッと思い浮かばなかったわけじゃな。うはは、すまぬすまぬ」
「ヘスティア様は、旅の御方。我々信徒のことはお気になさらず、自由に過ごしてくださるのが一番です」
「そうかそうか」
何やら盛り上がっている男性とヘスティア。ふーむ、料理神としてのヘスティアの信徒ってとこかな?
私はやりとりを横目で見つつ、棚からカウンターに漬物の壺を移動させていく。
「なぎっちゃ。おい、なぎっちゃ! 我が信徒を紹介するから、漬物を下ろすのを止めるのじゃ」
「えー、新商品置きたいから、邪魔だし……」
「ムキー! 私の漬物を邪魔物扱いするではない!」
全く、しょうがないなぁ。私は作業を中断して、ヘスティアの方へと向き直る。
「うむ。なぎっちゃよ。こちらは、我がヘスティア神殿の巡礼神官なのじゃ」
ヘスティアが男性をそう紹介すると、男性は私に向けて印を切った。
「魔法神なぎっちゃ様ですね。ご高名は、かねがねうかがっております」
男性のその言葉に、私は首をかしげて問う。
「ご高名って、私のこと、外でそんなに広まっているの?」
「ああ、いえ、マルドゥーク様の里で評判になっていたもので……」
男性がそう言うと、横からヘスティアが補足を入れる。
「私の神殿は、豊穣神の里にあるのじゃ」
「なるほど。マルドゥークのところなら何度か行っているし、そりゃ私の噂も立つよね」
私のその言葉に、男性は「左様でございます」と丁寧な返答をした。
ふーむ、しかし、巡礼神官ね。……巡礼?
「料理神の神官が、巡礼って何やるの?」
私のその疑問に、男性は笑顔になって早口で答え始める。
「それは当然、ヘスティア様の足跡を辿る旅でございます。我らが神が各地にて広めた料理を学び、さらに我らが神が学んだ各地の料理も学ぶのでございますよ。そして、神殿に帰還したのち、料理本やレシピ集に編纂して各地の信者たちへ我らが神の叡智を広めるのです」
「お、おおー、なるほど」
ヘスティア神殿のレシピ集かぁ。聞き覚えのあるワードだぞ。うん、確か……。
「そうだ。ヴィシュワカルマ神の奥さんが、ヘスティア神殿のレシピ本を熱心に集めているって言っていたね。こうやって発行されているものなんだねぇ」
「おお、魔法都市におわす名高き魔道具神の奥方様が……。光栄ですなぁ」
私の言葉を聞いて、本当に嬉しそうに男性が言った。
「うむ。あのおなごは、よき料理人だったのじゃ」
ヘスティアも、昨年冬の餅つきを思い出しているのか、うんうんとうなずいている。
と、そこでヘスティアが何かを思いついた感じで、両手を胸の前で合わせて、急に笑顔になって私に言った。
「そうじゃ、なぎっちゃ。おぬしから学んだ料理をこやつにも教えてやりたい。協力せよ」
「協力? 今さら私が必要なことなんて……食材集めとか?」
「うむ! これから港に行くのじゃ!」
「また急に……なんの料理を作ろうってのさ」
「それはもちろん、寿司じゃ!」
あ、あれかぁー!
生魚を使うけど、大丈夫だろうか……。
「刺身がすでに広まっているから、寄生虫の知識は十分にある。心配は無用じゃ!」
そういえばそうだったね!
仕方ない。店を閉めて、新鮮な生魚の調達に行きますか!
◆◇◆◇◆
仕入れが終わって、村へと戻ってきた。
私とヘスティア、そして巡礼神官さんは、村の神殿の食堂に行き、寿司の調理を始めた。
「ふむ、刺身を酢飯に載せるだけの料理ではないのですね」
「うむ、口当たりのよさを特別に考えてやる必要があるのじゃ。なかなか奥が深いぞ」
「そうだね。本来は天上界の料理なんだけど、寿司は基本的にそれを専門にしている職人さんが握るものだったよ」
「天上界の料理……! なるほど、これはすぐに神殿へ知識を持ち帰る必要がありますね……」
ヘスティアと一緒に、巡礼神官さんも寿司を握る。私はその横で解説役だ。私、料理スキル自体はカンストしているけど、ゲームシステムに頼らないと寿司なんて握れそうにないからね!
「しかし、ヘスティアの足跡を追う旅って、今後は大変になるかもしれないよ?」
「ええ、それは私も危惧しております」
「なんじゃ? 何かあるのかの?」
「そりゃ、あれだよ。私がヘスティアにあげた召喚獣。あれで空を飛んで旅ができるから、巡礼神官さんはヘスティアの旅のペースになかなか追いつけなくなるよ」
「ああっ! それがあったか! むう、急ぐ旅ではないので、ひとところに滞在する日数を増やすかのう」
「ところで我が神、一つお訪ねしたいのですが……この村への滞在はいつまででしょうか?」
「そうじゃのう。なぎっちゃがたまにしか新作料理を教えてくれないので、あと何年滞在することになるか……」
「私は気が向いたときにしか新作は作るつもりないよ。レシピ通りの食材を探すの、地味にめんどいんだよ」
「レシピがあるならば、私が書き写しておきますが……」
「ダメじゃダメじゃ。そやつの言うレシピは、紙の本ではなく、神の権能じゃ。盗み見たくてもできぬ」
「盗み見るとか言わないの」
と、そんな会話をしているうちに、寿司は一通り完成した。
それで、食堂に持っていって、晩ご飯としていただくことにした。いつの間にか神官さんと見習いくん、そしてベヒモスもやってきていて、出てきた生魚の料理を怪訝そうな目で見ている。
「ヘスティア、今までこの神殿で寿司を出したことないの? 冬の間、何度か港町まで送迎したよね」
そう、冬の暇なときに、ヘスティアを港町へ転移魔法で連れて行ったことがある。
泊まりがけで寿司の練習をしたいとのことだったが、お土産に寿司を持ち帰っていなかったのかな? 確かに、それらしい物は持ち帰っていなかった記憶があるけど……。
「うむ、生魚じゃからな。持ち帰りは念のため、しておらん」
「なるほど。冷蔵運搬技術が発達しない限り、寿司は港町限定の料理になりそうだねぇ」
「冷蔵運搬技術とな?」
「この神殿にも魔道具の冷蔵庫があるでしょ? あれを馬車に備え付けて、遠くまで新鮮なまま魚を運ぶの」
「それは大発明じゃな!」
私が冷蔵運搬車の草案をヘスティアに投げると、彼女は感心し、巡礼神官さんと何やら魔法都市への発注がどうとか話し始めた。
私はそれを無視して、寿司に手を付ける。
うん、美味しい。醤油もヘスティアが醸造したという品だけど、これも良い味しているじゃない。
と、私が躊躇なく食べたことで、ベヒモス達も恐る恐る寿司を食べ始めた。
すると、彼らにも寿司は受け入れられたようで、にんまりと笑顔を浮かべている様子が見て取れた。
ヘスティアと巡礼神官さんも、慌てて寿司を食べ始め、みんなの笑顔にあふれた夕食の席になった。
◆◇◆◇◆
寿司を食べてから数日が経ち、付きっきりでヘスティアから料理を学んでいた巡礼神官さんが、ヘスティア神殿へ帰還することになった。
ただちに神殿に寿司のレシピを持ち帰って、信徒達を港町に派遣したいとのこと。
朝早くの出発だが、見送りに来た人はチラホラいて、巡礼神官さんは馬の手綱をつかみながら、皆へと挨拶していった。
そして、ヘスティアが遅れて見送りにやってきて、巡礼神官さんに一つの荷物を渡した。
「この周囲の村々で好まれておる漬物じゃ。私の特製じゃぞ? 旅の間に食べるなり、立ち寄った村で振る舞うなり、好きにするがよい」
「これは、我が神が手ずから作った料理を下賜いただくとは……ありがたく頂戴します」
ヘ、ヘスティア……売れ残りの漬物を押しつけよった!
まあ、この村で不人気というだけで、美味しくないわけではないので問題はないんだろうけど。
「我が神も、たまには神殿へ顔を見せてくださると、信徒達が喜びます」
「なんじゃ? 昨年寄ったじゃろ? なら、あと二十年は大丈夫なのじゃ」
「マルドゥーク様も心配しますので……」
「マルなんぞ、五十年に一度顔を合わせるので十分なのじゃ」
ヘスティア、マルドゥークのこと大切にしてあげて……。
と、私がそんなことを思っている間に、巡礼神官さんは馬上で印を切ってから、村を去っていった。
「うむ、一仕事したのじゃ」
それぞれの家に帰っていく村人を見送りながら、私はそんなヘスティアの一言を聞く。
それに対する、私のコメントはと言うと。
「神って適当にやっていても務まるんだね」
「適当とはなんじゃ! 私はこうして旅をして、人々に料理文化を広めているのじゃぞ!」
「仕事として旅をするなら、神殿にも帰ってあげなよ」
「神殿は息が詰まるから嫌じゃ」
「この一五〇〇歳児は、まったく……」
私は本当に適当すぎる料理神の様子を見て、自分も神として普通にやっていけそうだな、なんて思うのであった。
いずれ、私も神殿を持つことになるんだろうな。今はまだ、ただの雑貨屋の店主のままでいるけどね。




