75.現代知識チートの実現には一流の親方が必要だ。
朝、店を開けると同時にマリオンがやってきた。
どうやら今日は魔法使いとしての仕事がないので、暇を潰したいらしい。
仕方ないので、私はマリオンを店のテーブル席に着かせてお茶を出してあげた。うちは喫茶店じゃなくて雑貨屋なんだけどね。
そして私は、ハタキを手に取って商品棚の掃除を始める。お茶を飲んでいる人がいるのに埃を立てるのはあれだが、私はマリオンをお客様対応する気はないよ。
一通りの棚にハタキをかけて、ホウキで床を掃いていく。
「あー、掃除機が欲しいなぁ……」
ホウキとチリトリで屋内掃除って、小中学校時代に学校の掃除で使って以来だよ。
ホワイトホエール号のアイテムショップにも、掃除ロボットとか掃除機とか売ってなかったしなぁ。
「そうじきって、天上界の道具かしら?」
おっと、マリオンが食いついたぞ。まあ、私も寂しい独り言を言ったわけじゃなくて、マリオンに話題を振るために口にしたんだけど。
「掃除をするための機械だね」
私は、身振り手振りを交えながら掃除機の説明をしていく。
「空気を吸い込む機械に長い筒をつけて、その筒の先からゴミを吸い取っていくの。で、機械に吸い込まれたゴミをフィルターでこしとって、機械の中にゴミが溜まるってわけ」
「へえ、なかなか理に適っているじゃない」
「ホウキじゃ掃除しにくいカーペットも、吸い込む方式なら綺麗にゴミを取れるんだよ」
「それ、貴族の屋敷に売れるわよ」
「まあ、当然売れるよね。天上界じゃあ、一家に一台必ずあったくらいだから」
「なるほどなるほど。後でカレン達のところに教えにいくわ」
マリオンは、いつも着ているローブのポケットからメモ紙を取り出し、そこにペンで文字を書き込み始めた。
おや、そのペンは……。
「もしかして、鉛筆完成した?」
「ああ、これ? まだ試作段階よ」
ふーむ。黒い芯を木の板で挟んでいるのか。地球の鉛筆のように持ちやすい六角形とはいかないみたいだけど、ちゃんと書けてるっぽいね。
まあ、消しゴムがないから、鉛筆を開発しても強みは半減だけど。昔の地球みたいに、パンでこすって消すというのもなぁ……。
「これはまだいいでしょ。それよりも、発明品もいいけど、何か食に関した面白い知識ってないの? 飽食の学派に報告したいから」
ちゃっかりしてるなぁ、この魔法使い!
まあ、私も知識を披露することに否やはない。
「そうだねぇ。天上界の知識じゃないけど、いくつか魔法に関して思っていることがあるんだ」
「天上界の知識が欲しかったのだけれど……まあいいわ。言ってみて」
「治療の魔法って、あるよね?」
マリオンは、鍛冶屋さんちの子供が産まれる際に呼ばれていたから、その類の魔法を使えるはずだ。多分だけど。
「そうね。あるわね。私も当然使えるわ」
「その魔法の仕組みが、人間の持つ治癒能力の促進ではなくて、魔力から失われた血肉を作り出すという仕組みなら……血肉を直接肉体に補給する食事代わりの魔法も作り出せるのでは?」
「それは……できるでしょうね。でも、そんな魔法、なんの役に立つの?」
「食事を満足に取れない状況下で生き延びるための、サバイバル魔法だね。従軍する魔法使いが使えたら、頼もしそう」
「さすがに軍人全員に魔法をかけるのは現実的じゃないわね。でも、病人に使うとか、他の使い道はありそうね。飽食の学派の若手に使うシチュエーションを議論させて、魔法開発するか検討させてみるのも面白そうだわ。既存の魔法の再構築で、簡単に編み出せそうな魔法だしね」
おや、意外と好感触。
それなら、治療の魔法の応用案だ。
「治療の魔法が肉体を再生できるなら……家畜から死なない程度に肉を切り取って、魔法で再生するなんてこともできないかな。家畜を殺す事なく高級肉を量産できるよ」
私がそう言うと、マリオンはドン引きといった表情になって言う。
「残酷すぎるわ……よくそんなこと考えつくわね」
「あれ? 駄目だった?」
「そんなことするくらいなら、≪バロメッツ≫の魔法をより高度にする方に心血を注ぐわよ……」
あー、あの肉の花を咲かせる魔法ね。確かにあの魔法があれば、家畜なんか飼わなくて済む。植物から肉が咲く様子は見た目が悪くて食欲も湧かないけれど、そもそも屠殺して解体している最中の家畜だって見た目は悪い。精肉にしてしまえば、≪バロメッツ≫の肉だって畜肉だって、見た目を気にせず美味しく食べられるのは同じなのだ。
私がそんなことを考えていると、マリオンが言う。
「それよりも、農業に関していい案ないの? 私、辺境伯閣下に留学させてもらった恩を返したいのだけれど、辺境伯領には穀倉地帯があるから、農業分野で役に立ちたいのよね」
「うーん、私、農業は専門外なんだよねぇ。精々、農業に使う機械の大雑把な種類が解る程度で」
「そっちは双子の兄妹の方の担当ね。魔法で何かないの?」
「そもそも、この世界の農業用魔法ってどんなのがあるのさ」
「そうねー。土ゴーレムで畑起こしをしたり、日照りの時に水魔法を散布したり、雷魔法で麦の生育を促進したりね」
雷魔法? どういうことだろう。電気を作物に流したら成長するのか?
「雷魔法って、どういう理屈?」
「雷が麦畑の近くで落ちると、茎や葉の生育がよくなるって昔から農家の間に伝わっているのよ。理屈は知らない。もしかしたら迷信かもしれないわね」
「へー、そうなんだ」
私が感心していると、不意にイヴの声が店内に響いた。
『マスター。雷を表す『稲妻』という言葉が日本語にありますよね。あれは、雷の光が稲に当たると、稲が子を宿すと考えられたからです』
「あー、確かに、聞いたことあるかも。イヴは理屈、解る?」
『雷の空中放電により空気中の窒素が固形化されて土壌に混じり、肥料になるためですね』
「窒素かー! なるほどー。確かに、窒素肥料は茎と葉の生育をよくするって、ネットで見た覚えあるよ」
私がイヴの言葉に感心していると、マリオンが不思議そうな顔をして言った。
「ちっそって何?」
「空気に含まれている成分で、化合物に固定すると肥料になるものだよ。畑の土壌回復のために豆類を育てるのは、豆類が窒素を固定して根にたくわえるからだよ。ってこれ、前にジョゼットにも説明したな」
「姉さんに? 姉さんは、それらしいこと何も言っていなかったけれど」
「うろ覚えの知識を披露するなって怒られた」
「あはは、確かにいかにもうろ覚えって感じね、今のなぎっちゃ。でも、私は間違ってさえいなければ、うろ覚えでも構わないわよ」
間違っていないかは……イヴ頼みだな。でも、地球にいたころにパソコンで調べた履歴がないと、イヴも地球の知識を披露できないんだよね。農業関連はほぼノータッチだったっていうし……。
「そのちっそという空気を安定して固定できればいいのだけれどね。雷魔法より手軽なやつ」
マリオンがそう言った瞬間、私の頭の中で、何かが閃いた。
「あるじゃん! ハーバー・ボッシュ法! イヴ、ハーバー・ボッシュ法の閲覧履歴ある?」
『ありますね。百科事典のページと、簡単な解説ページを見た履歴が残っています』
うんうん、小説を読んでいるときにハーバー・ボッシュ法のことが出てきて、調べた記憶がおぼろげにあるよ。
「はーばーぼっしゅほーね。何か知識があるのね?」
「うん、ハーバー・ボッシュ法は、空気の窒素を化合物に固定する手法の一つだよ。歴史的な大発明なんだ。詳しくは、イヴお願い」
『そうですね。鉄を触媒にして、燃える気体である水素と空気中に大量に含まれる窒素を反応させ、アンモニアと呼ばれる物質を作り出す方法です。反応には、高温と高圧力が必要なため、要求される工業力は相当なものです』
イヴの説明を受け、マリオンが力強く言う。
「工業力なら、魔法都市はどこにも負けないわよ!」
『どうでしょうか。ここよりはるかに文明が発展した天上界でも、約百年前に考え出されたばかりの最新技術です。この世界の工業の最先端を行く魔法都市でも、実現は困難を極めるかと』
イヴの言い方に、マリオンはムッとする。どうどう、怒らない怒らない。
『そして、懸念が一つ。ハーバー・ボッシュ法ですが、平時には窒素肥料の大量生産をしますが、戦時には火薬の大量生産へとつながります』
「げっ、そりゃ駄目だ。駄目駄目。火薬の大量生産なんかしたら、戦争が激化してひどいことになるよ。この話題終了ー」
私は手を横に振りながら、話の中断を宣告する。
だが、マリオンはどうにも話を止める気がないようだった。
「戦争で死ぬ人数と、食糧の大量生産で増える人口はどちらが多いのかしら?」
「そりゃあ、圧倒的に食糧の方だろうけどねぇ」
「それほどのものなのね。なら、そのはーばーぼっしゅほーを私達、飽食の学派が管理すれば問題ないわね。そして、魔法の神なぎっちゃの名においてはーばーぼっしゅほーの使用を制限する、と各国の神殿に宣言してしまえばいいのよ」
む。むむむ。でも、なあ。私のもたらした知識で、人が大量に死ぬというのは……。
『マスター。いずれはこの世界でも発明されうる技術です。先んじて管理運営できるのは有効ではないかと。さらに言いますと、二十世紀の発明ですので、実用化には高度な工業力が求められ、開発に成功しても当面の間は魔法都市以外での実現は難しいかと』
うーん……。
「お願い、なぎっちゃ。豊穣神様の力でも、この世界の人々全てには食糧が行き渡っていないのよ。有益な肥料が作れる技術、私達に任せてほしいの」
マリオンが頼み込んできて、私はひたすらに頭を悩ませる。
「むうー! 分かった、本気の本気で厳重に技術を管理するなら、使ってよし!」
「やった! それじゃあ、イヴさん、概要を教えて」
『かしこまりました。では、紙をテーブルの上に広げてください。転写します』
「了解。なぎっちゃ、店の紙、買うから勝手に出すわよー」
はー、やれやれ。こりゃあ、将来的に私の神殿が建つことになったら、危険な地球の知識を管理させることになるかもしれない。
もしかしたら、これまでポロポロと日常的に口からこぼしていた地球知識にも、兵器転用が可能な代物があったかもしれないし。
自前の神殿建立、ちょっと冗談ではなくなってきたぞー?
「これは……私の手持ちの機材での研究は、絶対に無理ね。ちっそとは何か、から始める必要がありそう。魔法都市の研究室に任せるしかないわ」
おっと、マリオンがイヴから資料を受け取ったようだ。店売りの紙へ、イヴのステルスドローンによって文字がプリントされている。内容は……私が見ても解らないやつだな、これ。
その紙を手に持ちながら、マリオンが私に向けて言う。
「なぎっちゃ、魔法都市に転移ってできる?」
「ん? イヴに座標出してもらえば、できるね」
「私と一緒に魔法都市へ来てくれない? 私から直接教授に研究を委託するから、説明要員としてイヴを派遣してほしいわ」
「……今から?」
「今からよ。どうせ客なんてそんなに来ないんだし、店を閉めて行きましょう」
ええー。また急だなぁ。
まあでも、冬の間は客足が途切れているのは事実だ。
「仕方ない、魔法都市へ観光旅行するつもりで行ってみますか」
『では、転移座標を出します。城塞都市ではないため入市手続きは要りません』
イヴがそう言って、魔法都市の立体地図を表示した。なるほど、都市の周りが壁に囲まれていないタイプの都市か。市街地を拡張し放題だね。
「跳ぶなら、オリビア魔法学院の前がいいわね。ここ、ここよ」
マリオンが、立体地図の一画を指す。
広い敷地が取られた、古風な建物の前である。
『では、オリビア魔法学院の近くの転移座標を出します。マスター、向こうはなかなかの光景ですよ』
「へー、そうなんだ。すごい校舎なのかな」
「そうねー。歴史ある建物だから、見応えはあると思うわよ」
そんな言葉を交わしながら、私は店を閉めてから≪ディメンジョンゲート≫を開く。向こうの国の言語は大丈夫かな? 大丈夫? 脳にインプット済み? そりゃあよかった。
というわけで、私達はゲートをくぐり、野外に出た。
天候は晴れで、太陽の位置は時差によるものか中天を指していた。そして、私達の目の前には、驚くべき光景が広がっていた。
「なんだこりゃ……」
私は思わずそんな言葉を漏らしてしまう。
なんと、私達の前には立体地図で見た立派な学院の建物はなく、崩れ落ちた門と瓦礫の山が転がっていた。




