67.酒で失敗を繰り返して人は少しずつ駄目な大人として成長していく。
楽しかった祭りが終わった翌日。私は、朝から辺境伯の相手をしていた。
「あああああ……ベヒモス様に失礼をしてしまった……ドラードン領は終わりだぁ……」
どうやら辺境伯は酒に酔いやすくても、記憶は飛ばないタチらしい。なので、昨日、酔った勢いで神様の肩を抱いて、大騒ぎしていたことをしっかり覚えていたようだ。
しかしだ。相手はあの村の男衆としょっちゅう酒盛りをして、バカ騒ぎをしているというベヒモスだ。心配することでもないとは思う。そう言ってはみるのだが……。
「少しずつ仲を深めた者と、会ったばかりの貴族とでは、また事情が変わってくると思うのだが……?」
「大丈夫大丈夫。私だって、辺境伯と会ったばかりなのにこのノリでしょ?」
「ぐ、いや、しかし、相手は一国を守護する立場。それに対し俺は異国の辺境伯で、外交的に失礼があってはいかんのだ……」
はあー、ぐだぐだ言うなぁ。
おーけー、おけー、私からこの言葉を引き出したいんだろう。
「昨日のことでヤモリくん……ベヒモスから何か言われたら、私が取り成してあげるから」
私がそう言うと、辺境伯は喜色を顔に浮かべた。
うーん、これがどこまでが本気で、どこまでが貴族としての演技なのかが判んないな……。まあ、辺境伯だって、私のことも怒らせたらヤバいとは自覚しているだろうけど。
「ありがたい! そのときは、本当に頼む!」
「まあ、私も、ベヒモスに一言告げることで、何か損をするわけじゃないからね。構わないよ」
いい歳して酒で失敗したおっさんのアフターフォローとか、やりたくないけど。
そんな思いを込めて辺境伯を見ると、彼はホッと息をついてから言った。
「助かる。その代わりと言ってはなんだが、黒板と白墨と言ったか。あれの生産には十分手を尽くさせてもらう」
「ちゃんと黒板のことも覚えていたんだ」
「ああ、記憶だけはしっかりあるからな……マリオンのところにも今、部下を送って詳しい話を聞かせてもらっているところだ」
それはそれは。仕事が早いことで。
「それで、あれは天上界の道具らしいな」
「そうだね。天上界の学校には必ずと言っていいほど設置されていた道具だよ」
「天上界は、やはりあのような便利な道具にあふれていたのか?」
「そうだねー。この国と比べたら、五百年くらいは文明が先に進んでいたんじゃないかな」
「五百年か。意外と差はないのだな」
「いや、向こうはその五百年の間に大きな技術革命が起きて、すんごいことになっていたんだよ。天上界に魔法や魔石はないけど、超高度な魔道具みたいな道具が、一般市民の家庭に大量に設置されていたんだ」
「……それはものすごいな。魔法や魔石がないということは、それを真似すれば魔石を大量確保しなくても我々も恩恵に与れるということか」
「そだね。辺境伯は、豊穣神の神器から取り出される農作物が、ここ近年、急激にクオリティが上がっているって知ってる? あれは、品種改良を短期間で行なえるほど、天上界の農業技術が高まったからだよ」
私がそう言うと、辺境伯は「ううむ」とうなって考え込んだ。
そして、銀色の口ひげを触りながら、言う。
「俺はただの貴族で、店主殿は神だ。だから、本来なら恐れ多くて言えぬことだが……黒板のような天上界の知識をこれからも我らに分け与えていただきたいものだ」
その辺境伯の言葉に、私は苦笑してしまう。
私だって、いわゆる現代知識チートは披露できるなら、していきたいんだよね。しかしだ。
「私の専門は、高度な演算装置がないと意味がない分野だから、それ以外の知識は貧弱なんだよね。だから、専門外の曖昧な記憶で、ふわふわしたことしか言えないんだよねぇ」
「そうか……」
「でも、魔法使いのマリオンと魔道具職人兄妹っていう、頭が良い三人がいれば、私のふわふわ知識を現実化してもらえるかもね」
「そうか……!」
しょんぼりしてから私の言葉で一転、嬉しそうな顔になる辺境伯。
そんな彼に、私は言う。
「まあ、何か作れそうなものを思いついたら、マリオンに相談するよ」
すると、辺境伯は口ひげをたくわえた口角をそれはもう嬉しそうに上げた。
◆◇◆◇◆
広場の前で、辺境伯の従者達が出発準備を整えている。
祭りで騒いだ翌日に村を出るとはあわただしいものだが、これでも数日間村に滞在しているので、辺境伯もいいかげん自分の屋敷に戻らないといけないのだろう。
広場には村人達が集まってきており、辺境伯を見送るためにそれなりに綺麗な服装をして辺境伯と護衛達を遠巻きにしていた。
そして、村長さんが馬車の前で辺境伯に別れの挨拶をしており、辺境伯は村長さんの口上を受けて、肩を叩いて村長さんを激励していた。
なんでも、村にはいろいろな方が居て大変だろうが、そなたなら任せられる、と。
うん、丸投げだね。
「閣下。出発準備、整いましてございます」
従僕の一人が、辺境伯に向けて言った。
「うむ。ではな。くれぐれも頼んだぞ」
辺境伯は村長さんに念を押すようにそう言って、それから私の方へと向く。
「なぎっちゃ殿、いずれまた会おう」
「うん、来年の夏の大市に来ていたら、会いに行くよ。そうだ、帰り道も長いんだろうし、転移魔法で送ろうか?」
私がそう提案するが、辺境伯は驚きの表情を浮かべた後に、首を横に振った。
「いや、帰り道で村々を視察していくので、不要だ。すでに、麦の脱穀まで終わっている頃だろうからな。今年の麦の出来を見るのにちょうどよいのだ」
「なるほどね。じゃあ、道中気を付けてね」
「なに、一番危険なのは、魔の領域に近いこの村を出るときだ。道中はのんびり行くさ」
そう言ってから、辺境伯は馬にまたがる。
そして、辺境伯達の馬と幌馬車は、綺麗に隊列を組んで村の広場から南に進んでいった。
「はー、なんとかなったな!」
馬が見えなくなって、村長さんがくそでか音声でそんなことをぼやいた。
村長さんはずっと辺境伯の歓待をしていたみたいだからね。相当気を揉んでいたんだろう。
「あとは、なぎっちゃ。頼んだぜ」
「ん? 何が?」
「そりゃあ、神殿のあの方だよ」
「あー、バックスね。了解了解。転移魔法で王都に帰すよ」
私は村長さんにそう言って、広場に面した神殿に向かい中へと入る。
礼拝堂にはいない、と。
私は礼拝堂の掃除をしていた見習いくんに、バックスの居場所を聞く。
すると、食堂にいると教えてくれたので、一人で食堂へと向かう。
「バックスー! 王都に帰るよー!」
そう言いながら私が食堂に入ると、バックスはまだ午前だというのに酒を飲んでいた。
「おー、なぎっちゃ。僕はまだしばらくここにいるよ」
「なに言ってるのさ。主神としての仕事があるんでしょ」
「いやー、でもね、酒の神として、世界の酒はもっと味わっていかないと」
「は? 世界の酒? 祭りはもう終わったでしょうに」
「祭りで酒が余ったみたいだからね。村長に言ってこっちに持ってきてもらったんだ」
「神様が、捧げられてもいない下々の酒を奪うんじゃないよ!」
この駄目神、村の資産である酒をなんだと思っているんだ。
放って置いたら村長さんの倉庫から酒がなくなりそうだぞ。
私は、ケラケラと笑っているバックスの肩をつかんで、言う。
「はい、じゃあ王都に帰りましょうねー。≪ディメンジョンゲート≫」
「えっ、ちょっと待って。本当に帰るの!? まだ酒が!」
「知らない知らなーい」
「やだー! 働きたくなーい!」
うっさいわ。村々を巡って、麦の収穫をその目で確認しようとしている辺境伯を少しは見習えや!
そうして私はだだをこねるバックスを王都の神殿に戻し、神官の人達に感謝されながら村へと戻った。
これで楽しかった祭りは完全に終わり。また普通の日常へと私は戻るのだった。




