53.犬派か猫派かと聞かれたら、私は兎派と答える。
夏の暑さもすっかり身を潜め、そろそろ秋を感じ始めたある日のこと。
雑貨屋で店番をしながら外で仕入れた本を読んでいると、思わぬ来客があった。
それは、酒の神バックス。
ヘスティアがこの村にやってきたとき以来だから、久しぶりの訪問だ。
「やっほー、なぎっちゃ。開店おめでとう」
「やあ、バックス。遊びにきたの?」
「今日は、以前作ったラズベリーワインの試飲に来たよ! いやー、この日が楽しみでさー」
「ああ、もうそんな時期かぁ」
「というわけで、今夜は神殿に泊まっていくよ」
「神殿、ヘスティアだけじゃなくてベヒモスも滞在しているから、部屋空いているかは判らないよ」
「そういえば、そういう報告来ていたね。僕の神殿なのに、僕が泊まれないっておかしくない?」
「まあまあ、村長さんの家なら空いているだろうから……」
その後、バックスは店内を見て回り、いくつかの商品を購入していった。
「うわー、この布団、ふかふかー。ねえ、ベッドは売っていないの?」
「木工職人さんの仕事を奪うことになるからベッドは並べてないけど、商品自体はあるよ。買っていく?」
「搬送もお願いできる?」
「了解。『ふかふかベッド』が持つ威力に、おののくがよいわ」
「あはは、そんなに」
そんな会話を交わしていた最中のこと。ふと、視界に違和感を覚えた。
なんというか、歪んでいる?
めまいの感覚はないので、私の目がおかしくなっているわけではないと思う。
不思議に思っていると、歪みはどんどん大きくなり、やがてはっきりと空間自体がおかしくなっていると認識できるようになった。
そして、その歪みの中から、一人の少女が飛びだしてきた。
「ごきげんよう、なぎっちゃ。遊びにきてしまいました」
「えっ、ヘル?」
引きこもり歴六百年の神様、ヘルが、なぜか私の店にやってきていた。
「使用人さん達に、外へ出ること禁止されているんじゃなかった?」
私がそう言うとヘルは「てへっ」とおどけて言った。
「なぎっちゃに会いたいと思ったら我慢できなくて……つい飛び出してきてしまいましたわ」
「それ、使用人さん達めっちゃ心配してない?」
「書き置きは残しましたわ」
うーん、まあ、移動用の神器はヘルが持っているだろうし、使用人さん達も大人しく屋敷で帰りを待つだろう。
そんなことを考えていると、バックスが驚いたような表情でこちらを見て、口を開いた。
「ヘル、生きていたんだね」
「あら、私を知るあなたは、どなたでしょうか? うーん……見覚えのある顔」
「あー、会わなくなって数百年は経っているから、忘れられてもしょうがないか。バックスだよ。ほら、君の国に酒を卸していた、南の隣国の主神だよ」
「ああ、バックス! お久しぶりですの! そういえば、なぎっちゃはバックスの国に住んでいるのでしたわね」
知り合いに会えたことが嬉しいのか、ヘルが笑顔でバックスと会話を始める。
そうかぁ。バックス、二千年以上生きているから、ヘルとも知り合いなんだね。
そして、魔の領域全域が、かつてヘルの国だったってことは、そこと接しているバックスの国は、ヘルの国とお隣さん同士だったってことだ。
「六百年ぶりかな?」
「ヴァルハラが滅んで以来ですから、そのくらいですわね」
そんなスケールが大きい会話を繰り広げられているのを見ながら、今日は神殿で晩餐会かな、などとヘスティアの料理に思いをはせるのであった。
◆◇◆◇◆
ヘルはヘスティアとも知り合いだった。
ヘスティアは「渾身の料理で歓迎するのじゃ!」と張り切り、私に食材を要求し始めた。
私も料理をいただくつもりだし、食材はただで提供してもいいだろう。
そんなこんなで、ヘスティアと何を作るのか、詳細を詰めていたときのこと。
イヴが突然、通信を入れてきた。
『マスター。緊急事態です。村に高速で近づいてくる飛行物体が二つ』
「ん? なんだろ」
『片方は神器マンジェト。もう片方は、空飛ぶ要塞です』
「うへ、本当に何事?」
とりあえず私は、神殿を出て外を確認しにいくことにした。その後ろをバックスとヘル、そしてヘスティアがついてくる。
広場に出ると、南西の方角からマンジェトが飛んでくるのが見えた。
そして、村に近づくと、いつもの郊外ではなく、村の広場の上でマンジェトは停止した。
さらに、マンジェトから人が一人飛び降りてくる。マルドゥークだ。
マルドゥークは見事な着地を決めると、周囲を見渡し、こちらを見つけた。
勢いよく駆けてきたマルドゥークは、いつもの穏やかな口調とは違う剣幕で言葉を放った。
「やはりいましたか、ヘルちゃん! ヘルヘイムに避難してください!」
「えっ?」
話を振られるとは思っていなかったのか、ヘルがぽかんとしている。
「あなたを狙って、天空城が近づいてきています。邪神の軍勢が攻めてきますよ!」
「えっ、えっ、私が狙われているんですの?」
「そうですよ、あなたは邪神に狙われているのです。正確には、あなたの持つ神器が」
「ええーっ、それって、私を屋敷から出さないための、あの子達のでまかせじゃなかったんですの!?」
ヘルは困惑するようにキョロキョロと周囲を見回す。
そして、私の姿を見つけると、近づいてきて私の袖をぎゅっとにぎった。
「な、何がなんだか解らないですわ……」
私も解らん!
とりあえず、ヘルの代わりに、私はマルドゥークに尋ねる。
「何がどうなっているのか、一から説明をお願い」
「一からですか……仕方ありません、簡潔に話します」
マルドゥークは、咳払いを一つして、語り始める。
ヘルを狙っているのは、邪神と呼ばれる神の一人オニャンコポン。
オニャンコポンは、かつて存在した国の主神だったらしい。
かつてのオニャンコポンは民に好かれた優しい神で、天空城の神器を有しており、神器を用いて国中を巡っていた。
しかし、あるとき、流行り病と戦争が重なり、国は滅亡した。
それ以来、オニャンコポンは狂ってしまい、国民を復活させる死者蘇生のすべを探して、世界を破壊して回る邪神となった。
オニャンコポンが邪神になった後、マルドゥークは天空城の神器に『バベル』と名付けた。いつの日か崩れ去ることを願って。
しかし、今日まで天空城は崩壊することはなかった。
天空城の中には、かつての国民を不完全な神器で蘇生させたアンデッド達と、無数の武装ゴーレムがひしめいている。
その軍勢が、ヘルを狙って、今まさにこの村に近づいてきている、と。
「なるほどなるほど」
いろいろ言いたいことはある。
オニャンコポンって、日本語的にすごく力が抜ける名前だな、とか。
アンデッドはこの世界において、おとぎ話の存在だったんじゃないのか、とか。
それよりも、重要なことは……。
「オニャンコポンの目的は、ヘルのヴァルキュリア?」
私はマルドゥークにそう尋ねる。
ヴァルキュリアは、死者を復活させ永遠に生きる戦士にする神器だね。
「そうです。オニャンコポンはヴァルキュリアを手に入れるため、ヘルちゃんを探して世界中を天空城で巡っています。それが一転、魔の領域を目指し始めたので、ヘルちゃんがヘルヘイムを出たのではと思ったのです」
「ヴァルキュリアは、死後時間が経ちすぎると、効果を発揮しないのですけれど……」
ヘルが、困ったようにそう言った。
そんなヘルに、私は言葉を投げかける。
「向こうさんは、それを自分で試すまでは止まらないだろうね。いや、試しても止まらないかな」
「朽ちた死者の完全な蘇生など、神器では力不足。天上界の神の御業でもないと不可能なのではないかと、私は思うのですが……」
マルドゥークがそう言うと、皆の視線が私の方へと集中した。
いや、期待されても困るよ!
「死者蘇生の魔法は使えるけど、死後一時間以内じゃないと無理!」
MMORPGの仕様です!
「なぎっちゃにも、不可能なことがあるんだね」
バックスが、広場にいたペガススの背を撫でながらそんなことを言いだした。
私、全知全能の神様とかじゃないからね!




