47.平和でなにごとも起きないのが一番だ。
夏もそろそろ終わりに近づいてきたころ、私は雑貨屋でのんびりと店番をしていた。
開店当初は村中から客が押し寄せたこの店だが、一週間も経つと客の来店はすっかり落ち着いた。
まあ、村はそこまで人口が多いわけじゃないからね。一通りの生活雑貨を買ったあとは、毎日来るような場所でもない。ちなみに、食品は調味料しか並べていない。言われたら、倉庫から魔竜の肉を出すけどね。
そんな雑貨屋で午後の時間を過ごしていたが、客が来ないので魔の領域に狩りでも行こうかと思い始めた、そんなときのこと。ドアベルが鳴り、客が店に入ってきた。
「お邪魔します……」
「いらっしゃーせー」
挨拶を口にしながら店の入口を見ると、そこに居たのは神殿の見習いくんだった。
神官さんの姿は見えない。一人で買い出しに来たのだろうか。
「あの……商品を物々交換でもらいたいのですが……」
「お、いいよー。査定は私とイヴの独自基準になるけどね」
「事前に話していた品なので、大丈夫だと思うのですが……」
おや、事前に何か予約していたかな? ちょっと思い出せないな。
「これを神器由来の強くなる魔道具と、交換してほしいのですが」
見習いくんがそう言って、肩掛けカバンから取り出したのは、赤い液体の入ったガラス瓶。
「完成したラズベリーワインです」
「あー、あー、そういえば、そういう話していたね!」
二ヶ月ほど前のこと。村の女衆で里山に木苺を摘みに行ったことがあった。
ブルーベリーはジャムにして、ラズベリーは遊びにきた酒神のバックスと一緒にベリーワインにしたんだけど、確かそのとき見習いくんの姿もあった。
そして、ベリーワインを作って経験値チケットと交換すると言っていたことを思いだした。
「うん、約束の品だね」
私は瓶を受け取り、その色合いを確かめた。うーん、いい赤さだ。
「お酒にはなっていますが、飲むならもう何ヶ月か熟成した方が美味しいですよ」
「そっか。大切に取っておくね」
私はそう言いながら、倉庫画面を開き『経験値10000チケット』を取り出した。
「はい。今この場で使ってね」
「ありがとうございます……!」
経験値チケットを渡すと、見習いくんは聖なるポーズでチケットを天に掲げ、それから使用画面を呼び出した。
「こっちが『はい』、こっちが『いいえ』ね」
「これが天上界の文字……!」
見習いくんにチケットの使用方法を教え、レベルアップを見守る。
小さな天使が舞うエフェクトに包まれ、見習いくんが『Lv.8』の超人となった。
「これで僕も、魔獣の森で狩りができる……!」
「あれ、見習いくん、戦士になりたかったの?」
「ああいえ、自分で魔獣を狩って、なぎっちゃ様に素材を売ってお金を貯めたくて」
「んー、神殿生活ってお金必要だったかな。寄付でまかなわれているよね」
「生活雑貨は寄進していただいていますが、さすがにこの店に売っている布団のような高級品はないもので……」
「あー、ホワイトホエール号のショップ産の布団ね。あれ、寝心地いいよねぇ」
「ヘスティア様が、とてもよく眠れるとおっしゃっていて、僕も使いたいなぁ、と……」
「見習いくんは商家の出だっけ。そりゃあ、良いベッドじゃないと満足できないよね」
「お恥ずかしい限りですが、その通りです……」
そんなこんなで、見習いくんは店内に展示してある『ふわふわ布団』を確認してから、店を去っていった。
うん、商売は順調だね。ラズベリーワインは、住居の方で大切に取っておくことにしよう。アイテム欄や倉庫の中は、時間が経過しないので寝かせられないからね。
私は席を外して住居に向かい、キッチンの棚にワインの瓶をしまう。地下のワイン室なんて贅沢な場所はないから、日光の当たらないここが最適だろう。
ホクホクとした顔で棚を見つめていると、遠くからドアベルが鳴る音が聞こえた。
おっと、お客さんだ。私は小走りで店舗へと戻った。
「いらっしゃーい。お、村長さんじゃん」
「おう、なぎっちゃ。村の外からお届け物だ」
「私に? 送ってくるような相手いたかなぁ」
私はカウンターに戻り、村長さんと対面する。
「それがな、辺境伯様からの手紙だ」
「は? なんで? 面識ないよ?」
「だよなぁ。でも、来ちまったものは仕方ねえ。この場で読んでくれ」
「んー、なんだろうねぇ」
私は村長さんから手紙を受け取った。手紙は紙の封筒で、紋章が描かれた封蝋がされている。
封蝋とは、封筒の開口部を閉じて固定するための蝋のことをいう。
「これって、どうやって開けるの?」
「蝋をペーパーナイフで砕いてもいいが、普通に封筒の端を切ってもいいぞ」
「糊付けはされていないんだよね?」
「そりゃ、蝋が糊の役割をしているからな」
「日本にいたときは、手元にハサミがないと、糊付けされていた部分を剥がしていたなぁ。封筒がぐしゃぐしゃになるんだよね」
「なぎっちゃ、結構ガサツだよな……」
仕事が忙しいと、年々ズボラになっていくんだよ。
さて、私はカウンターの引き出しからペーパーナイフを取り出す。そして、封筒の隙間に差し込んで、封蝋を丁寧に剥がした。うーん、私、すごく中世っぽいことしている!
「なんで封筒一つ開けるだけで、そんな感動してんだ?」
「だって、封蝋だよ、封蝋! わっかんないかなぁ」
「わっかんねぇなぁ」
そんな会話を交わしつつ、私は中から便せんを取りだした。
綺麗な字で書かれた手紙だ。私は村長さんが見守る中で、それをじっくりと黙読し始めた。
ふーむ、これはこれは。
「内容は詳しく聞かんが、手紙の返事は必要そうか?」
「いや、そういうのはないねぇ。時節の挨拶が長々とあって、そのあとに魔法神が領内に滞在していることを歓迎する文面が書かれているね。んで、最後に、魔法神なぎっちゃの庇護下に寄子の娘であるソフィア・フンフランシー・ララ・ドギュールがいることを辺境伯の名において保証する、とあるね」
寄子っていうのは、主従関係の従者側のことを指す言葉だね。貴族間で寄親と寄子の関係を作って、派閥を形成しているんだろう。
「ああ、ソフィアについてか」
「ソフィアちゃんについて釘を刺しに行ったのはヘスティアなのに、私の方に手紙が来るんだね」
夏の大市で、ヘスティアが代官屋敷に招かれたことがあった。そのとき、ヘスティアは辺境伯とも会っているはずだ。
「ヘスティア様は放浪神だからな。ずっとソフィアのそばにいるわけじゃないから、なぎっちゃの方に手紙が来たんだろう」
「私って、辺境伯に認識されていたんだねぇ」
夏の大市で何もなかったから、知られていないのかと思った。
「俺が大市のときに報告したからな。辺境伯様は俺の寄親だから、秘密にするわけにはいかねえ」
「まあ、私も秘密にしてほしいとは言ってないしね。そこは今後もオープンでいいよ」
「了解。手紙に、俺になにかさせろとか書かれていたか?」
「いや、何も」
「じゃあ返事は何も書かないでよさそうだな」
「そだね。でも、この村で、外に手紙を出すときってどうするの?」
「村の衆が町へ買い出しに行くとき、ついでに運んでもらっていたんだが、今はお前さんがいるからなぁ。大規模な買い出しは、もうしなくなるだろうから、手紙をまとめてから少人数を町へ送ることになるだろうな」
「転移魔法が必要なら言ってね。格安で送るよ」
「ありがてえ……」
辺境伯が魔法神と恐れ、たてまつる存在も、村ではただの商人なのである。
「それじゃあ、用事が終わったから帰るぜ。手紙を運んできた使者をもてなさなきゃならねえからな」
「ん、何か食材必要?」
「ヘスティア様が、何やら歓迎の料理を作るって盛り上がっていたから、後でなぎっちゃの方にも来るかもなぁ……」
「了解。野菜を整理しておくよ」
そうして、村長さんは退店していった。
その後、客は追加で来ることもなく、店じまいの時間に。
住居に移動してのんびりしていたらヘスティアがやってきたので、適当に夏野菜の残りと肉類を売って、その日の来客は終わった。
今日も一日、平和に過ごせた。
なんとなく始めた商人だけど、結構楽しいね。顔見知り相手の商売は、私に向いているのかもしれないなぁ。
コンピュータに関わる仕事をするのも、嫌いじゃなかったけどね。




