13話 三章 妻として頑張ります
「旦那様から新婚プランナーのご契約を頂きまして、このたび、正式にアドバイザーを務めさせて頂くことになりました。どうぞ、よろしくお願い致しますわ」
正午過ぎに訪ねてきたアグネシアが、改めて挨拶するように名刺を手渡すと、にっこりと笑ってそう告げた。
先日、新婚プランナーを正式にアドバイザーとして置くことを、ティナはアランと二人で話し合って決めた。本物の夫婦になろうと目標を立てた中で、相談できる専門家がいることは心強いようにも思えたし、ティナとしても思うところがあったからだ。
ティナはそわそわとして、挨拶を終えた彼女をチラリと見つめ返した。すると、いつでもどうぞというように、アグネシアが頼もしい笑顔を浮かべてきた。
「奥様、大きなことから些細な悩みまで、このアグネシアにどーんとご相談くださいませ。わたくし、子はおりませんけれど、結婚して十年は経っておりますの。勿論、夫婦仲は円満ですわ。ですから、なんでも任せてくださいな」
「……えっと、実は、その……妻として、頑張りたいなと思いまして」
ロバートが扉側に待機している中、ティナはスカートの上に重ねた手を見下ろした。それから、きゅっと唇を引き結んで、年上の彼女に相談するように本心からの言葉を続けた。
「でも、何から頑張ればいいのか、分からないんです」
ぽそりと、ここ数日頭にこびりついて離れなかった想いを告白した。アランが口にしていたように、焦らずゆっくり夫婦になっていければいいと思う。けれど一歩ずつとはいえ、何をどうしたらいいのか分からないことに先日気付いたのだ。
どうすれば、『本物の夫婦』というものになっていけるのだろう?
このまま何もしないでいたら、自分はその一歩も踏み出せていないのではないかという不安ばかりが強まった。何か行動を起こしたいとも思うのに、そもそもどうすれば夫婦として近づける一歩になるのかも、分からない。
ここ数日の想いを考えながら、ティナはしばし沈黙の返答を聞いていた。やはり難しい相談だったかしらと思って、スカートの上に両手をきゅっとして、恐る恐る視線を戻してみた。
すると、そこには口に手をあてて、ぷるぷると震えているアグネシアがいた。横目に彼女を見やる執事ロバートの眼差しは、客人に向けて良いものではないくらいに冷めている。
「良いですわ、実によろしいですわよその初々しさッ。既にご夫婦なのに、まるで付き合ったばかりの恋人同士のような初心な感じがたまりませんわ!」
それ、合ってます。
恋人のような関係がスタートしたのは、一週間くらい前です。
ティナがそう心の中で答える中、勝手に一人で悶えていたアグネシアが、大きく胸を張ってこう口にした。
「こちらから押すと喜ばれますわ」
「押す……?」
「普段旦那様がリードされているのでしたら、今度は奥様の方から行動を起こして、何かしてさしあげるのです。奥様のような純情そうな女性が積極的に『押せ』ば効果は絶大ッ、むしろ、わたくしが『その現場』を見たくてたまらな――」
熱が入って鼻息が荒くなったアグネシアが、両手を怪しく動かして身を乗り出しかけた時、ロバートが「ごほんッ」と強い咳払いをした。それを聞いた彼女が、我に返ったかのように言葉を切ると、そそくさとソファに尻を戻した。
またしても、心配になって廊下から覗きこんでいたメイドのメアリー達が「大丈夫かしら……?」と呟いた。そこに巻き込まれていた若いコックが、彼女たちが持っていたはずのシーツを抱えながら「あの人こそ、奥様を押し倒しそう」とぼそりと言った。
ティナは、自分の方から行動する、という助言について真面目に考えていた。とはいえ、一体何をどう行動するのか分からなくて、ひたすらじっくり考え耽っている。
その様子を、アグネシアも真剣に目に焼き付けていた。はぁっと熱い吐息をこぼしながら頬に手をあてると、「純情系黒髪で可愛らしい、大変ド好みな表情ですわ」とうっとり口にしたところで、ふと、ピンときた様子で瞳を爛々と輝かせた。
「奥様ッ、やはりここは、まずあの夜着で迫――」
「奥様に妙なことを吹き込むのはおやめくださいませ、フォーマル様」
言わせてなるものか、とロバートが強めに口を挟んだ。
考えに耽っていたティナは、そこでようやく彼らの様子に気付いた。目を向けてみると、何故かロバートとアグネシアが、顰め面で互いの顔を見つめ合っていた。一体彼らは何をしているんだろうと思って、首を傾げてしまう。
その時、アグネシアが何やら思い付いた表情をした。眉間の皺をふっと消すと、執事ロバートに「一つよろしいでしょうか?」と確認する。
「ご結婚されたばかりで、旦那様も社交は控えていると伺っておりますけれど、近々王宮で行われる夜会については、何か聞いていらっしゃいます?」
「――ああ、なるほど。そういえば、ソレであれば確かに良いかもしれませんね。近々お披露目をとは考えていらっしゃるようですが、いくつかの招待状についても返事待ちの中、そちらについては、何やらご検討中のご様子でもありました」
考えを察して、ロバートが「確かに悪くない案だ」と独り言を呟いた。
それを聞いたアグネシアは、今度は邪魔されないだろうという活き活きとした表情をした。廊下から見守っているメイド達とコックが、ちょっと警戒してしまうくらいの上機嫌な、に~っこりとした笑顔をティナに戻して、こう続ける。
「奥様、いずれは旦那様と、パーティーにご出席になられるかと思います。そこで、ダンスの練習をしてみるのはいかがでしょうか? 実はわたくし、ダンスの講師の免許も取得しておりますの。女の子と踊るためだけに全男性パートを攻略し――おっほん。お店の三階に専用の教室もございまして、ダンス教室では個人レッスンも承っておりますのよ」
途中で、頼れる専門家兼『年上のお姉さん』の笑みに戻して、アグネシアが自信たっぷりに語った。ダンスは王宮でよく踊られているものの他、専門部門の全てを網羅しており、名のある貴族の令嬢たちの指導も行っているのだという。
個人レッスンも大人気で、デビュタントの令嬢たちを集めての出張練習会もやっているらしい。その話を聞いていると、普段の彼女がどれだけ活動的な女性であるのかも分かって、色々出来る人なんだなぁと、ティナは彼女を頼もしく見つめていた。
その傍ら、使用人たちは『アグネシアのダンス能力』について、『奥様』とかなり温度差のある評価をしていた。
言葉の端々から下心が見える気がするな、とロバートが小さく口にした。
わざわざ男性パートを極めたのか、とメイド達とコックが呟く。
そんな中、ティナはアグネシアに促されて、アランと踊る姿を想像していた。ドレスでのダンスというと、なんだかとても恋人らしいイメージもあって、彼とそんな風に踊れたら素敵だろうなと感じた。今から自分に出来る『妻としての頑張りの一歩』でもあるのなら、ますます挑戦してみたくなる。
「ダンスは経験がないですけれど、その……妻として頑張りたいわ」
妻として、と改めて口にしてみると、どうしてか恥ずかしさが込み上げてきた。実のところ、ただアランと二人で素敵に踊って過ごしてみたいというのが一番の理由であることを、見透かされているのではないかとも思ってしまう。
顔に熱が集まるのを感じて、ティナは考えていた台詞も忘れてしまい俯いた。スカートの上にある自分の手を見つめたまま、数秒ほど口の開閉を繰り返した後で、ようやく小さくなっていた声を絞り出せた。
「あの、アグネシアさん、どうかダンスを教えてください……」
ちゃんとお願いしなければならないと分かっていたのに、視線が上げられなくてごにょごにょと答えた。彼と踊ることへの期待感は大きくなるばかりで、今からでも身に付くかしら、彼と踊れるようになるかしら……と、つい心の声もこぼしてしまっていた。
そんなティナの様子を見て、アグネシアが「ドストライクッ」と叫びかけた口を、咄嗟に自分の両手で塞いだ。瞬きもせず目に焼き付けるように凝視しながら、少しでも長く観察するという使命感を漂わせて、ぶるぶると震えつつ静かに悶絶する。
廊下から窺っていた若いコックが、「ははぁ、なるほど」とのんびり言った。
「ウチの奥様は、ほんと大変愛らしいですねぇ。旦那様が夢中なのも分かる気がするなぁ――というか、あの新婚プランナーさん、指の隙間から鼻血こぼれてない?」
「…………メアリー、奥様が気付いていないうちに、フォーマル様にタオルを」
そう指示した執事ロバートは、ダンスについては名案だが講師がちょっと嫌だな……とこっそり呟いて、頭が痛いと言わんばかりに額を押さえたのだった。




