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 無事にメルが見つかったところで、さっそくルーク・コルネオンの治療に取り掛かろうという事になったのだが。まさか腐っても元王族相手に治療など勝手に行う事も出来ず、エリスたちは国王陛下の許可を得ることになった。その使者として白羽の矢が立った(押し付けられた)のは、ラース侯爵だった。当主なのだから、当然ではあるが。

 

 ルークが記憶を失っている事は、国王以下の重鎮たち数名と捜査の関係者の中のごく一部にしか知られていない極秘事項である。それなのに、国王はひょっこりと執務室に訪ねてきたラース侯爵から、ルークの記憶障害の治療法について許可を求められ、溜息しか出なかった。


「……はぁぁ。ラース侯爵よ。ルークの記憶障害は、どこから知ったのだ」


「ははは。勿論、ウチの子()からの情報ですよ。今回の事件では完全に遅れを取りましたから、『挽回するぞー』って張り切っていますよ」


 悪びれる様子もなく答えるラース侯爵に、国王は頭を抱えた。挽回の仕方が王宮から情報を抜く事だなんて、殺伐とし過ぎている。分かっていたつもりだが、この一族の考え方は想定を軽々と超えてしまう。


「それで、本当にルークの記憶は戻るのか」


「そうですねぇ。あのメル嬢の魔法薬なら可能性は高いかと。私の冷え性もメル嬢の魔法薬で一発で直りましたから、腕前については保証しますよ」


 こんな福福しい身体つきなのに冷え性なのかと、国王はどうでもいい事に感心した。体温が高そうなのに。それよりも、メル嬢の腕前については、ラース侯爵家の当主が認めるほどのものだということだ。治癒の可能性は十分にあるのだろう。

 ルークの記憶障害については、王宮の侍医も匙を投げるものだった。一般的に、治癒魔術は頭の治療には向いていないのだ。魔法薬は医師や治癒魔術の補助的役割を果たすものだという認識だったが、記憶障害にも有効だとは初耳だった。


「ラース侯爵よ。其方らは、今回のことについてどう考えている。……エリス嬢は怒っているか? 気に入りの執事を無実の罪で捕らえられて」

 

「そうですねぇ。怒ってはいましたよ。周到に物証まで準備されていたのですから。まぁ、あれほど物証が揃えられていたら、王家としてもハルを捕らえないわけにはいかないでしょう。仕方ない事だと、エリスも分かっていますよ」


 ラース侯爵ののほほんとした返しに、国王はホッと安堵した。前回、隣国ジラーズ王国の王太子がやらかした時のエリスの恐ろしい報復を目の当たりにしているだけに、あの天災ともいえる怒りの矛先が自分たち(ロメオ王国)に向いたら国が壊滅するかもしれないと、本気で心配していたのだ。


「まあ。その分、真犯人には容赦しないでしょうけど。その時は間違っても犯人を庇ったりなさらないようにお願いします」


「も、勿論だ。相手は国を覆そうとした憎き国賊。我らの敵は同じだ。庇いだてなどするものか!」


 勢い込む国王に、ラース侯爵は笑顔のまま訊ねる。


「犯人が、コルネオン公爵でも?」


「……っ! 二言はない。我が国に仇為すならば、我が弟でも国法に則り、裁くまで」


 ぐっと痛みを堪える様な顔で、国王は絞り出すように言った。


「ふふふ。私、陛下のそういう真面目な所は尊敬しておりますよ」


「お前、その物言いも不敬だからな?」


 まるで幼子を褒める様なラース侯爵の口ぶりに、国王は胡乱な目を向ける。


「まぁねぇ。私の感触としては、コルネオン公爵は嵌められただけだと思いますよ? あの方、もし王位を狙うとしたら、真正面からぶち当たって玉砕するタイプでしょう? こんな陰湿で腹黒いやり方、性格的に無理でしょうよ」


 ラース侯爵の軽い口調に、国王はコクコクと頷いて同意する。


「其方もそう思うか! そうさな、ルークならば王位が欲しければ余に決闘を申し込むと思うのだ。アレは曲がったことは大嫌いな性根だ! 我が妃もレイア嬢もいる様な場を狙うなどありえん!」


「まぁ。公爵というお立場なのですから、もう少し警戒心を持っていただかないと。腹黒い者どもにいい様に食い荒らされれば、国が荒れる事になりますよ?」


 兄バカを炸裂させている国王に、ラース侯爵はのほほんと苦言を呈した。国が荒れたとしても、自分たちに影響がなければ特に気にはしないのだが。


「う……。そうだな。その辺は、今回の件が片付いた後は、ルークを再教育をしよう」


「ついでに王太子殿下も教育なさいませ。陛下ぐらい腹芸が出来るようになっていただかないと、我らも今回の様に厄介事に巻き込まれては困ります」


「う、うむ」


 次期王太子妃であるレイアはエリスの友人だ。今後はその関係性を利用して、ラース侯爵家が助けてくれるかもしれないと期待していた国王だったが、先んじてラース侯爵に釘を刺された。


「それで、犯人の目星はついているのか?」


「ええー? 私ですか? そりゃあ、知ってますけど。犯人探しとか証拠固めとか面倒な事は若い者に任せているんで」


 面倒臭そうにそう言うラース侯爵に、国王は目の玉をひん剥いて怒鳴った。


「はぁ? 知っているならなぜ報告しないんだ!」


「だって、証拠もなく犯人ですなんて言えないじゃないですか。誹謗中傷ですよ?」


 至極当然の顔で答えるラース侯爵に、国王は苛立たし気に髪の毛を掻きむしった。


「ど、どうして犯人が分かったのだ」


「ああ。犯人にはあの犯行直前に偶然会ったんですよ。狩猟大会が始まる前なのに、妙に魔力が減っているなぁって不思議だったんですよ。そしたらあの爆発でしょ? 現場の魔術陣の魔力と同じものでしたし。いやー、あの犯人、目の前で素知らぬふりをして観客の避難誘導をしているから、芝居が上手ですよねぇ。あれなら役者としても活躍できるんじゃないかなぁ」


 楽し気なラース侯爵に、国王の額に青筋が浮かぶ。


「……そんな怪しい人物がいたというのに、捜査をする近衛にも伝えなかったのか?」


「だから、物証はないんですって。身体の魔力量が測れるなんて、普通の人には出来ないでしょ? だから証言もし辛くて。いずれはウチの子()やエリスたちが物証を揃えて犯人を捕らえるでしょうし、言う必要はないかなぁと」


 眉間にクッキリと出来た皺を揉み解しながら、国王が固い声で告げる。


「ラース侯爵。余ならば其方らの異常性は承知している。物証の如何は問わぬ。とりあえず、その者の名前を申してみよ」


「ええー。陛下は推理小説の犯人を最初に知りたいと思うタイプですか? 謎解きの過程を楽しまれては?」


「……っ、さっさと言わんかーっ!」


 かくして色々とあったが、ルークの治療に付いて無事、国王の許可が出たのである。


◇◇◇


 ルークコルネオンの治療は、ラース侯爵邸で行われた。

 治療の為とはいえ、正式にルークを貴族牢から出すとなれば色々と煩雑な手続きが必要となるが、ラース侯爵家がそんな面倒な手間を掛けるはずも無く。転移魔術でこっそりルークをラース侯爵邸に運び、そこでメルの診察を受ける事になった。ちなみに、ルークが留守の間の貴族牢の見張り(誤魔化し)は、苦労人の牢番ガスが勤めている。『慣れているだろう』と、ハルが無茶振りをした結果である。


 ラース侯爵家には、ラース侯爵を始めとするいつもの面々に加え、治療を担当するメル、そしてルークの妻であるセイディ・コルネオンの姿があった。

 今回、セイディがこの場に招かれたのは、メルの提案があったからだ。魔法薬を使う前に、ルークの記憶回復の契機になりそうなことは全て試してみるべきだと。そのため、ルークの愛妻であるセイディとの対面となったのだが。


「ハル・イジー。私のものになれ」


 ハルに熱心に言い寄るルークを目の当たりにして、セイディはふらりと崩れ落ちる。

 ルークはセイディを見ても何も思い出さなかったのに、寵愛するハルを見た途端のこの言葉だ。衝撃が強かったのだろう。


「ルーク様……。よくぞご無事で……! ああ、でもやっぱり、イジー様の事を……」


 セイディは、溢れ出た涙を扇子で隠したが、その宝石の様に美しい雫が白い頬を滑るのを、その場の誰もが認めほうっと溜息を吐く。妖艶な美女の泣き顔という物は、かくも美しいものか。


「セイディ様、少し休みましょうか」


 エリスはセイディを労わりながら、ソファに寄添って座る。力なくエリスに縋るセイディは、以前に会った時よりもほっそりとしていた。コルネオン公爵家より付き添ってきた老年の侍女からは、心労のせいで殆ど食事を取れないと話していた。


「うげー。覚えいるのは、ハル兄ぃだけか。よっぽど執心なんだなぁ」


「あんなにお綺麗な奥様を差し置いて、よりにもよってハル兄様だなんて、どこがいいのかさっぱり理解できないわね」


 双子が素直な感想をペロッと吐き出している後ろで、彼らの兄は殺気立っていたが、知らぬは仏というものだ。


「ラース嬢。……ありがとうございます。ルーク様の御無事を確認できただけで、私、嬉しゅうございます」


 涙ながらにそんな健気な発言をするセイディは、まるで繊細なガラス細工の様で、その場の全員の同情を集めた。勿論、元凶であるこの人物の同情も。


「美しいご令嬢。何をそれほど泣かれている。貴女の涙はまるで女神が生み出した真珠の様だ」


「ル、ルーク様……!」


 そっとセイディの傍らに跪いて、ルークはセイディの涙をハンカチで優しく拭う。戸惑うセイディは顔を赤らめ俯いてしまうが、その照れた様子も色っぽい。そんなセイディに、ルークは柔らかく問う。


「何が貴女をそれほど悲しませているのだ。貴女が泣くと、胸が痛む。どうか涙の理由を私に聞かせて貰えないか?」


『お前のせいだよ! 』とその場にいるセイディ以外の全員が心の中で突っ込む。

 しかし、ルークは皆の胡乱な視線など気にも留めず、セイディに寄添い優しく宥める。その姿はどうみても恋人同士だ。知らない人間同士の距離感ではない。


「まぁ。記憶は無くても無意識に奥様を口説いていらっしゃるのかしら」


 慌てるセイディと、ぐいぐいと距離を詰めるルークをエリスは楽し気に眺める。


「逆にあそこまでやっていてどうして記憶がないのでしょうねぇ」


 仏頂面のハルが呆れた様に溢す。未だにセイディにはルークの浮気相手の様に扱われ、不愉快なのだ。


「やっぱり不思議だわ。あれほどコルネオン公爵に思われていて、どうしてセイディ様はお気持ちを疑われるのかしら。影たちの調査の結果でも、コルネオン公爵には他に愛人などいなかったわ」


 エリスの疑問に、ハルはこれまでのルークの女性に対する態度を思い出す。学生時代から、王弟という立場と麗しい容姿、優秀さも相まって、ルークは大層モテた。その気になれば、どれほど高位の令嬢だろうと選びたい放題だったであろう。だがルークは女遊びをする事は無く、当時は婚約者であったセイディ以外の女性に興味を持つことはなかった。周囲の女性にも()()()をさせることなどないよう、十分に距離を取り、学生同士として模範的な付き合いしかしていなかったと思う。


 ルークはセイディとの結婚を国同士の政略に基づくものだと正しく理解し、セイディには誠実に接していた。政略ではあったが、交流を続ける間に愛を育み、国内でも有名な睦まじい夫婦となったのだが。


「一体だれが、セイディ様に()()()()を吹き込んだのかしらね?」


 エリスが不思議そうに、首を傾げた。

 

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