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 ロメオ王国の国王、王妃、並びに王太子を狙った恐ろしい事件の影響は大きかった。

 王家は事件を必ず解決すると宣言し、王宮内の精鋭たちが集結しその対処に当たった。もちろん、魔法省の実質的なトップであるエリフィスも、その精鋭の中に組み込まれ、今まで以上に忙しくなり、なかなかラース侯爵家に訪れる事が出来ずにいた。

 

 詳しい情報は何も流れてこないまま、時間だけが経つ。それは、嵐の前の静けさに過ぎなかった。

 

 眼光の鋭い黒髪の男を先頭に、数名の騎士たちが、ラース侯爵家に押しかけた。全員が武装し、剣呑な雰囲気を漂わせている。

 門番が慌てて制止するが、騎士たちは書状を掲げ、厳しい声で告げる。


「これは国王の命である。詮議のため中に入れていただく」


 書状にはロメオ王国王の御璽が捺されており、ラース侯爵家内の捜索を命じるものだった。門番を振り切り、硬質な足音がラース侯爵家の敷地内に響く。筆頭執事たるシュウは、僅かに眉を顰めたが、国王の御璽の捺された下命を無視することも出来ず、従順に邸内に騎士たちを招き入れた。


 騎士たちは何の躊躇もなく当主の執務室に押し入った。そこに、目的の人物がいるのを、知っているかのようだった。


「エリス様!」


 ハルがエリスを背に庇い、遅れて部屋に入って来たシュウ、ダフ、ラブも主人を庇う様に騎士たちに相対した。それに煩わしそうに手を振って、黒髪の男は真っ直ぐにハルの元に向かう。


「勝手にお邪魔した無礼はお許しください、ご令嬢」


 少しも謝るような口調ではなかったが、黒髪の男は使用人たちに庇われ、震えているエリスに声を掛けた。


「……な、何事でしょうか、騎士様。今、当主である父は王宮に出仕していて、留守でございます」


 小さくか細い声でそうエリスが告げると、黒髪の男はさして興味がなさそうに頷いた。


「存じておりますとも。ラース侯爵には、私どもが侯爵邸内に入りますことを知らせております。我らはラース侯爵家ではなく、この男に用があるのです」


 黒髪の男がそう言って腕を掴んだ相手は、ハルだった。


「何の御用でしょう、フィン・グラーデス」

 

「ハル・イジー。国家反逆罪の疑いで捕縛する。大人しく付いてこい」


 黒髪の騎士、フィンの口から出た言葉に、エリスたちは息を呑んだ。

 フィンはハルの両腕を、後ろ手に素早く拘束した。


「この縄は、魔法省が開発した魔力縄だ。いくらお前が優れた魔術師とはいえ、この縄で捕らえられれば、赤子の様に無力になる。怪我をしたくなければ大人しくしていろ」


 魔力縄に容赦くなく縛られ、成す術もなくハルは地面に膝を付いた。


「ハルっ! 騎士様、ハルが国家反逆などと、何かの間違いです。ハルがそんな大それたことをするはずがございません!」


 エリスがフラフラと倒れそうになるのをダフとラブに支えてもらいながら、必死でそう訴えるが、フィンは固い声で切り捨てた。


「ご令嬢。この男は貴女が思うほど善良な男ではありません。こいつは……。こいつは、許しがたい事に、恐れ多くもルーク・コルネオン公爵を甘言で誑かし、犯罪の片棒を担がせた恐ろしき男です!」


 フィンが憎々し気にハルを睨みつけ、その頬を殴りつけた。


「……やめてっ!」


 悲鳴を上げ、ハルを庇うために飛び出そうとするエリスを、シュウやダフやラブが必死で押さえる。殴りつけられたハルは勢いを殺せず床に無様に転がり、それに追い打ちをかけるようにフィンが蹴りつけた。


「ご令嬢。ラース侯爵家のご当主となられる貴女に、こんな薄汚い犯罪者は似合いません。もっといい相手をお探しになられたほうがいい」


 フィンの部下たちが、乱暴にハルを抱え、立ち上がらせた。ハルの口元から血が零れるのを見て、エリスは悲鳴を上げてフラフラと崩れ落ちた。


「……何か、弁明はあるか? ハル・イジー」


 髪を掴み、フィンはハルの顔を強引に上げさせた。ハルはフィンを睨みつける。


「……だから貴方は三流騎士どまりなのですよ。コルネオン公爵の側近から外れるわけだ」


 その瞬間、フィンの表情ががらりと変わり、力任せにハルを何度も殴りつけた。


「楽に死ねると思うな、ハル・イジー」


 拳を血に染め、酷薄な笑みを浮かべ、フィンはハルに囁いた。


「お前がしでかした事を、その身で贖ってもらうぞ」


 その日、ロメオ王国内で狩猟大会の犯人が逮捕されたと、大々的に報じられたのだった。


◇◇◇


 ラース侯爵家の当主の執務室。

 王宮より急ぎ帰宅したラース侯爵とエリス、シュウと双子たち。

 そして、びくびくと挙動不審に身体を揺らしながら立ち尽くす数名の男女。皆、どこにでもいるような凡庸な顔立ちで、街ですれ違っても数刻で忘れてしまいそうなほど印象が薄い。

 だがこれが、王家の影をも凌ぐ実力を持つ、ラース侯爵家の影たちなのだ。ラース侯爵家の英才教育を詰め込まれ、主に忠実で、冷酷無慈悲。どんな敵も恐れず着実に任務をこなす精鋭集団。それが。


「どういうことかしら?」


 可愛らしく小首を傾げるエリスの前で、ラース侯爵家の影たちは蛇に睨まれたカエルの如く動けずにいた。


「……此度の事は、私めに責を」


 怯え、震える影たちとは対照的に、シュウは姿勢を乱さずエリスの視線を受け止める。


「シュウ。わたくし、責任の話をしているのではないの。どうしてこうなるまで、我が家の影たちは、わたくしに何も知らせてくれなかったのかしらと理由を聞いているの」

 

 にこにこと笑みを浮かべているエリスの怒りを感じて、シュウの背中に冷たいモノが流れる。

 目の前にいるのは幼い頃から成長を見守って来た、可愛いお嬢様ではない。

 圧倒的な強さと優秀さ、そして貴族らしい残酷さを持つ、ラース侯爵家の次期当主だ。


 シュウが察している通り、エリスは大層、腹を立てていた。

 それは、無作法に屋敷に騎士たちが侵入したからでも、可愛がっている専属執事が連行されたからでもない。そんなもの、エリスが否と言えば、いくらでも実力でねじ伏せる事が出来るからだ。


 ただ、王家ごときに遅れをとったことだけは許せなかった。

 エリフィスが王宮に出仕して以来、王宮関連については、彼がもたらす情報に頼り過ぎていたのもその原因の一つだろう。ラース侯爵家を継ぐ身でありながらありえない失態だと、エリスは自分自身をも恥じていた。


「まぁまぁ、いいじゃないか、ミスは誰にでもあるし、過ぎた事を責めてもどうしようもないしねぇ。それよりシュウ、ハルが捕らえられた理由は分かったのかな?」

 

 どこまでものほほんと、ラース侯爵は穏やかに問う。すでに半分以上隠居気分のラース侯爵はどこか他人事のようで、好奇心で顔を輝かせている。


 シュウは気を引き締め、報告を始める。手元にあるのは、ハルが捕らえらえれ、ラース侯爵が帰宅するまでの短い間に、配下の影たちが集めてきた情報だ。これ以上の遅れを取れば、ラース侯爵家の影の存在意義が問われると、誰もが死に物狂いでかき集めてきた。

 

「狩猟大会で王族を狙った襲撃は、天幕の床に仕掛けられた魔術陣が原因でした。魔力が満たされると、攻撃魔術を放つ仕掛けになっていたようです。王族の皆様は守護の魔術陣が込められた装身具に守られておりましたので、事なきをえましたが、婚約者候補であったレイア嬢にはまだ装身具は許されていなかったようです」


「あら……。王太子の婚約者候補としてあれほど国内外に広めておいて、未だに守護の魔術陣を身に付けさせていなかったの?」

  

 ブレイン王太子が学園内の討伐実習で危険な目に遭ったのを機に、ロメオ国王が()()()に命じて密かに作られた守護の魔術陣。物理攻撃、魔術攻撃を防ぐ効果があるため、門外不出の王家の秘術として、限られた者たちだけに与えられることになったのだが。


「王家は、わたくしの友人を蔑ろにしているという事かしら……?」


 まだ報告の序盤なのに、どんどん急降下するエリスの機嫌に、シュウは再び背中を冷やす。

 もちろん、守護の魔術陣は魔法省が作ったというのは表向きの話で、真の作成者はエリスだ。面倒なこと(王族の守護)を命じておいて、それを王太子の婚約者候補(エリスの大事な友人)に出し惜しみするとはどういうことかと、エリスは言いたいのだろう。


 娘の機嫌が悪いのに一早く気付いたラース侯爵は、笑顔のままさり気なく一歩下がり、ダフとラブもそれに倣って半歩下がった。


「……その天幕の下に仕掛けられていた攻撃の魔術陣には、かなり大きな魔石が使用されていたため、騎士団は魔石の販売ルートから実行犯を割り出したようです」


「へぇ。あの剣を奮うしか能のない騎士団が、よくもまぁそんな捜査ができたものだねぇ」


 ラース侯爵が楽し気に口を挟む。確かに、魔物や敵兵相手の戦闘では無敵を誇るロメオ王国騎士団は、どちらかというと脳筋の集団だ。地味で細かな捜査には向いていない者が多い。


「騎士団の中でも近衛の、調査部門の者たちが突き止めたようです」


 近衛部隊は王族の護衛にあたる騎士の中でも特に優秀な者だけがが選ばれるというのが建前だが、どちらかというと、上層部は家格の高い子息たちの名誉職と化している。もちろん、家格が高いだけのぼんくらだけでは王族の護衛などという重要な仕事が回るはずも無いので、それを支える部下たちは、身分は低いが真に実力のある者たちが集められている。


「フィン・グラーデス?」


 近衛騎士の制服を身に纏った、ハルを捕らえた男。


「はい。王弟殿下がご卒業と同時に王籍を離れられた際、フィン・グラーデスは側近を辞しています。グラーデス伯爵家は生粋の王家派。王弟とはいえ、王家を離れられた方の側近を続けることは出来ません。元より、コルネオン公爵には学生時代までの約束で側近を務めていたようです。卒業後は騎士団に籍を置き、みるみると頭角を現して伯爵家でありながら近衛騎士団の所属となりました」


「そう、優秀なのね」


 エリスは冷たい笑みを浮かべる。その表情は、優秀などと少しも思ってもいなそうだった。


「それで、その近衛の調査部門は、魔術陣作成の犯人を捕らえたの?」


「いえ。捕縛の最中、犯人が危険な魔術陣を行使しようとしたため、やむを得ず斬り殺したようです」


 犯人を追い詰める途中で気づかれ、街中で危険な魔術を展開したらしい。捕縛の人員では魔術陣を押さえる事が出来ず、術者を討つしかなかったようだ。 


「それで。犯人は死亡したのに、どうしてハルが捕らえられることになったのかね?」


 ラース侯爵がそう問えば、シュウの顔が苦虫でも噛み潰したような渋いものになる。


「……犯人の自宅を捜索したところ、ある人物直筆の依頼書があったようです。また、その人物の腹心から、実際の襲撃について、事細かく指示書があったとか」


「まどろっこしいねぇ。もったいぶらずに報告しておくれ」


 ラース侯爵がワクワクした顔で急かすと、シュウは深いため息を吐いた。


「襲撃を依頼したのは行方不明になっているコルネオン公爵。そして、その腹心の部下が愚息です。王宮では、コルネオン公爵の行方不明も、これを狙っての偽装でないかと疑っているようです」



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