新型通信機と戦利品
村長宅にある通信室。
舞い上がる埃の匂いは、以前と変わらない。
だが、その部屋を満たす空気の質は、劇的に変化していた。
部屋の中央を占拠していた、あの無骨な鉄塊――旧式の通信機は姿を消している。
代わりに、部屋の隅にある古びた木製の机の上に、それは鎮座していた。
「……これが、新型」
村長が短く息を吐き出す。
磨き上げられた筐体。
大きさは旧式とは異なり、ひとりでも抱えられるほどのコンパクトさだ。
大きさだけなら、グリムボーン王都別邸で所有している物の方が小さいが、こちらは魔力が少なくとも使えるという。
「ほな、村長さん、動かしてみてぇな」
「わ、わしがですか!?」
ドランが軽い口調で放った言葉に、村長が素っ頓狂な声を上げた。
目を白黒させ、助けを求めるようにリオスを見る。
ドランは商売人特有の、愛想の良い笑みを浮かべた。
「せや。この新型の売りは『誰でも使える』ことや。魔力持ちの兵隊さんやなくて、普通の人が使えてこそ、値打ちがある」
ドランが顔を近づける。
「ちなみに村長さん、若い頃に魔術部隊におったとか、隠れた才能があるとか……そういうオチはあらへんよな?」
「と、とんでもない!」
村長は首を激しく横へ振った。
「わしはずっとこの村で畑を耕してきた、ただの農家です。魔術なんて、とてもとても……」
「よし、それがええ」
ドランがポンと手を叩く。
その音が、埃っぽい室内に乾いた反響を残した。
「アンタが使えれば、この通信機は『本物』や。ほら、そこの水晶に手を乗せて、念じるだけでええ」
促され、村長が恐る恐る手を伸ばす。
指先が小刻みに震えている。
節くれだった農夫の手が、磨き上げられた筐体に触れた。
村長の喉が、ごくりと鳴る。
実は、旧型で助けを呼ぼうともしたのだ。
しかし、魂まで持っていかれるような脱力感に襲われ、断念した経緯がある。
だが、この新型は指先から、熱が吸い上げられるだけだ。
ヒュン、と空気が振動する。
澄んだ鈴の音のような起動音が響き、水晶から光の粒子が噴き上がった。
部屋の薄暗がりが、一瞬で青白く染まる。
「お、おお……!」
光の粒子は空中で収束し、不規則なノイズを走らせることなく、鮮明な像を結んでいく。
そこには、グリムボーン本邸の通信室が映し出されていた。
通信担当の兵士が、驚愕に見開いた目でこちらを見ている。
『――感度良好。映像、音声ともにクリアです。そちらは?』
兵士の声が、すぐ耳元で囁かれたかのように鼓膜を震わせた。
旧型のようなざらつきは皆無だ。
村長は膝が折れそうになりながらも、頬を紅潮させて身を乗り出した。
「き、聞こえる……! それに、まるでそこに人がおるみたいじゃ……!」
目の前に浮かぶ立体映像。
手を伸ばせば触れられそうなほどの存在感に、村長は言葉を失っている。
リオスが一歩、前へ出た。
「通信待機ご苦労様。……母上への報告があるんだ。繋いでくれるかな」
『はっ! リ、リオス様!』
映像の中の兵士が、慌てて背筋を伸ばし、敬礼する。
『メルヴィラ様ですね。直ちに――』
兵士が振り返り、誰かを呼ぼうとした、その時だった。
『――その必要はないわ』
兵士が弾かれたように道を空ける。
その背後から、ゆったりとした足取りで、彼女が現れた。
黒いドレスの裾が波打ち、映像の外へとはみ出すほどの圧迫感を放つ。
銀の髪、漆黒の肌。
赤い瞳に、貴族としての矜持と知性を湛えた美女。
メルヴィラ=グリムボーン。
彼女は優雅に椅子に腰を下ろすと、ガラス一枚隔てた距離にいるかのように、リオスの目を覗き込んだ。
『……随分と、鮮明に見えること』
薄い唇の両端が、愉悦を含んで持ち上がる。
その視線が、映像越しにこちらの肌を刺した。
首筋の産毛が逆立つ。
ノイズのない映像は、彼女の纏う威圧的な空気までも、余すところなく伝えていた。
メルヴィラの赤い瞳が、ゆっくりと動く。
リオスたち、グリード、村長やドラン。
そして、後ろに控えるウェルティアとティナへと視線を滑らせた。
『見知らぬ顔も混じっているようだけれど……その辺りの説明も含めてのことかしら?』
重い声。
ウェルティアの肩が、びくりと跳ねた。
リオスは踵を床に縫い付け、その瞳を正面から見据える。
「はい。順を追って報告します」
リオスは簡潔に言葉を紡ぐ。
「当領地に、国外から侵入したと思われる魔族が出現しました。知性のない、はぐれ魔族です。
畑を荒らし、村人に被害を出していましたが、先ほど討伐を完了しました」
『知性のない魔族……』
メルヴィラが顎に指を当てる。
「はい。それと、賊のアジトとなっていた洞窟にて、危険な植物を発見しました。
自生した催淫花の群生地です。放置すれば他に種が広がる危険性があるため、至急、処分の必要があります」
報告を聞き終えたメルヴィラは、ふぅ、と小さく息を吐いた。
その表情に、安堵の色が浮かぶ。
『ご苦労だったわね、リオス。……悪くない戦果よ』
「ありがとうございます」
『催淫花については、専門の処理部隊を派遣しましょう。
素人が下手に手を出して、二次被害を出されても困るもの』
メルヴィラはそこで言葉を切り、再び視線を後ろの姉妹へと向けた。
『――で? そこの人間たちは?』
問いが、刃物のようにリオスへ突きつけられる。
ここからが、本題だ。
事前に、練り上げた筋書き。
それを、演じなければならない。
リオスは一度だけ瞬きをして、呼吸を整える。
そして、背後に控える少女たちを振り返ることなく、言い放った。
「……僕の、戦利品です」
『戦利品?』
メルヴィラが、怪訝そうに眉を寄せる。
「はい。賊に囚われていた娘が……非常に僕の好みでして」
リオスは、視線だけでティナを示した。
「彼女です。ユスティナと言います」
メルヴィラの赤い瞳が、映像越しにティナを射抜く。
品定めをするような、冷たい視線。
ティナは動けぬ身体で椅子に座ったまま、その眼光を受け止めた。
『……ふうん。人間、か』
「はい。僕と同じ、人間です」
リオスは言葉を継ぐ。
「彼女を、僕の側室……あるいは、愛玩奴隷として手元に置きたいと考えています。
その世話役として、村をひとつ作ってしまおうかと」
リオスは、できるだけ尊大に、そして少しばかりの背徳を含んだ笑みを口元に刻む。
肋骨の内側で、心臓が早鐘を打っている。
手のひらに、じっとりと嫌な汗が滲む。
沈黙。
通信機越しの静寂が、鼓膜を圧迫するほど長く感じられた。
数秒の後――。
『……ふふっ』
メルヴィラの喉から、艶のある笑い声が漏れた。
『あら、あら……。あの堅物だったリオスが、そんな男の子みたいなことを言うようになるなんてね』
彼女は頬に手を当て、楽しげに映像の向こうで微笑んだ。
『どうせ、その娘の境遇をセラと重ねたのでしょうけど、いいわ。認めましょう』
張り詰めていた空気が、ふっと緩む。
『領主たるもの、多少のワガママや、好みの女を囲う甲斐性くらいはあって然るべきよ。
それに、ただ慈悲で助けるよりも、よほど領主らしい理由だわ』
メルヴィラは、納得したように頷いた。
『――ただし』
安堵の空気が広がりかけた室内を、メルヴィラの一言が切り裂いた。
艶やかな声色は変わらない。
だが、そこに含まれる温度だけが、急降下していた。
『今回は認めるけれど、勘違いしてはダメよ、リオス』
映像の中の美女が、扇子のように手をひらりと振る。
『可哀想な娘なんて、この世界には掃いて捨てるほどいるわ。
賊に穢され、親を殺され、行き場を失った女……
そんなもの、石を投げれば当たるほどにね』
逃れようのない事実が、感情の乗らない声で告げられる。
『そのたびに囲っていては、破滅するわよ?』
「……はい」
リオスは短く応じ、頭を垂れた。
反論の余地はない。
金銭的な意味でも、個々を全てケアすることも、できはしないだろう。
『慈悲をかけるなとは言わないわ。けれど、次はもっとうまくやりなさい』
メルヴィラの赤い瞳が、諭すように細められる。
『セラや、その娘の村に受け入れさせるなり、既存の枠組みを使うこと。
――領主としての線引きを、忘れないことね』
「肝に銘じます」
リオスは深く頭を下げた。
背中を伝う汗が、シャツに張り付き、体温を奪っていく。
全てを見透かされている気分だ。
今回の救済は、あくまで特別なのだと、骨の髄まで理解させられる。
『よろしい』
メルヴィラが満足げに頷いた。
その瞬間、彼女の纏う空気が、ガラリと変わった。
母親の顔から、当主の顔へ。
『では、色恋の話はここまで。……現実的な話をしましょうか』
現実という言葉が、重たい石のように響く。
『村を一つ興す。口で言うのは容易いけれど、タダではないわ』
メルヴィラが指を1本立てる。
『未開の土地を開墾する人件費』
2本目の指が立つ。
『家を建てるための木材、石材』
次々に指が立ってゆく。
『井戸を掘る費用。それに、農具や種籾。冬を越すための食料備蓄。
それらを揃えるのに、どれほどの金貨が必要か……
まさか、計算していないわけではないでしょうね?』
映像越しに突きつけられる、鋭い問い。
ウェルティアの喉が、短く音を立てて引き攣った。
魔国の相場は分からないが、かなりの金額になることは確実だ。
人件費や木材などは流民たちでどうにかするにしても、最大の懸念は食料だ。
リオスは顔を上げた。
メルヴィラの放つ圧力に、一歩も引かずに答える。
「人手については、彼ら自身を使います。
生きる場所を得るためなら、彼らは死に物狂いで働くでしょう。
人件費は、実質タダです」
『……合理的ね。それで?』
「ですが、冬を越すための食料。それに、荒地を耕す農具や、井戸を掘るための資材は、どうしても購入が必要です」
リオスは、試算した数字を、メルヴィラに伝わりやすい言葉へと変換する。
「それらを、最低限で見積もっても……」
一呼吸、置く。
「この村が納める、およそ5年分の税収が吹き飛びます」




