偽りの放蕩
「リュシア姉様のおっしゃることはもっともですわ。
『人道的』な理由や、『わずばかりの情報』では、家臣たちは納得しません。
不満が出るでしょう」
シエラはそこで言葉を切り、眼下のウェルティアを見据えた。
細められた紫の瞳が、薄暗がりの中で濡れた光を放つ。
「けれど……魔族というのは、単純な生き物でもありますの。
損得勘定よりも、もっと優先される『理屈』がある」
「……理屈?」
ウェルティアの喉から、空気の漏れるような音がした。
シエラは、舞台上の役者のように人差し指を立ててみせる。
「簡単な条件で普通に保護すれば、他の流民も『自分たちも助けてくれ』と群がってきます。
それは領地経営において最大のリスク。
ですが……もし、こう公表したらどうでしょう?」
彼女は、劇薬とも呼べる提案を、さも名案のように口にした。
「『リオス様が賊の討伐で見初めた娘を囲うため、その世話役として一族ごと囲い込んだ』……と」
ウェルティアの呼吸が止まる。
「は……?」
「つまり、個人的な『色恋沙汰』にしてしまうのです。
単に『女を差し出した』なら、他の流民も続いてしまいますが、『たまたま目についた女を囲った』なら、再現性はありません」
シエラは淀みなく続ける。
「メルヴィラに対しても同じです。
『慈悲で助けた』と言えば弱腰と叱責されますが……。
『欲望のために女を囲った』と言えば、魔族の論理としては通りが良い」
シエラは、リオスの周囲を円を描くように歩き始めた。ヒールの音が一定のリズムで床を叩く。
「甘い理由で流民を引き入れれば、叱責どころか、呆れられて見捨てられますわ」
リオスの背筋を、不快な湿り気が伝い落ちた。
否定できない。
メルヴィラであれば、無能な息子を切り捨てることに躊躇はないだろう。
追い出されることはないだろうが、期待は消滅する。
だから、リュシアも口をだしたのだ。
シエラは足を止め、硬直するウェルティアの背後に立った。
その肩に、重さを感じさせないほど軽やかに手を置く。
「けれど……理由は、捏造してしまえばいいのです」
そのまま一度だけ、視線を横へ投げた。
少し先にいるティナと目が合い、ティナが小さく顎を引く。
「『現地で拾った女の体が、どうしても忘れられなかった』」
ウェルティアの肩がびくりと跳ねた。
血液が一度に頭部へ駆け上がり、頬が熱を持つ。
だが、シエラは構わずに続ける。
「『だから一族ごと手元に置いて――しゃぶり尽くすことにした』」
ウェルティアの喉が鳴った。
シエラは顔を上げ、リオスに向かって口角を深く釣り上げた。
「……これなら、救済ではなくなる。
英雄色を好む。一転して『暴君の気まぐれ』に変わりますもの」
その内容はあまりに衝撃的すぎた。
「そ、それは……つまり……その……愛人として……?」
ウェルティアの声が上擦る。
「名目上は、そうなりますわね。
リオス様には、『この歳で女を囲ったロクデナシ』という汚名を被っていただくことになりますが」
シエラが、悪戯を企む子供のような眼差しをリオスへ向ける。
リオスは一瞬目を見開いたが、すぐにその意図を察し、口元を歪めて笑った。
「……参ったな。とんだ放蕩息子になっちゃうけど」
彼は肩をすくめたが、その眼は揺らぐことなく開かれていた。
女を囲ったり、その女に村ひとつを与える程度は、誰でもやる。
セラも、バルトロメイから与えられた自分の村を持っている。
だが、幼年学校からやるのは、流石に眉をひそめられる。
「でも、君たちを守れるなら、悪くない取引だ。
僕は『女に狂った馬鹿』を演じるよ。……それで、みんなが助かるなら」
その言葉の重みに、ウェルティアは呼吸するのを忘れた。
だが――。
「……待ちなさい、リオス」
鋭い声が、場の空気を裂いた。
リュシアだった。
彼女は腕組みをしたまま、金の瞳を細めてシエラを射抜いている。
「その理屈でいけば、シエラ。
あなたの立場はどうなるの?」
リオスの肩が、ぴくりと跳ねた。
リュシアは続ける。
「リオスが『色を好む』放蕩息子となれば……。
その婚約者であるあなたは、『色狂いの婚約者に文句ひとつ言えない、飾りの女』。
あるいは、『下世話な性癖を黙認する、同類のふしだらな女』」
冷ややかな指摘が、喉元に突きつけられる。
「ルキフェル家の令嬢として、その汚名は致命的じゃないのかしら?」
その言葉に、リオスが弾かれたように顔を上げた。
(……そうだ。僕だけじゃない)
自分の評判が落ちるのは構わない。
けれど、シエラは違う。
彼女には彼女の、家の誇りがあるはずだ。
リオスは慌ててシエラの方を向いた。
「シエラ、姉上の言う通りだ。
君まで巻き込むわけには……
それに、姉上だって……」
「私は良いのよ。
リオスが何と呼ばれようと、私がリオスの価値を分かっていればいい。
それに、グリムボーンはその程度で揺らぐ家ではないわ」
リュシアが堂々と言い放つ。
シエラも、我が意を得たりと続いた。
「わたくしも同じですわ。周りの声など関係ないのです。
それに、お言葉ですが、ルキフェル家も、妾の子が放蕩息子に嫁ぐからといって、どうなるものでもありません」
こちらも堂々と、一片の迷いも疑いもなく言葉を紡いだ。
「ふたりとも……」
リオスが申し訳なさげに拳を握る。
そんなリオスに、シエラはなじるような調子で言った。
「あら、フィノにはあんな啖呵を切ったのに、わたくしたちには言ってくれませんの?」
その言葉に、リオスははっと顔を上げた。
――そう。
堕ちた評判など、それを覆す成果で覆せばいいのだ。
「将来は大魔将になって、必ずふたりの名誉を回復してみせる!」
リオスの宣言に、二人の少女――リュシアとシエラは、不敵な笑みを浮かべて頷いた。
その光景を、ウェルティアは呆然と見つめていた。
汚名を被ることを、彼らは笑い飛ばしてみせたのだ。
自分自身の名誉を泥に捨ててでも、民を救おうとする覚悟。
そして、それを支える絶対的な絆。
それは、ウェルティアの理想とする姿そのものだった。
「――愛人の役は、私がやります」
ベッドの上から、ティナの声が響く。
「ティナ!?」
ウェルティアが振り返ると、妹は頬を朱に染めながらも、瞬き一つせずリオスを見ていた。
「リオス様のお役に立てるなら……いえ、光栄です。
私のようなものでよければ、喜んで『お気に入りの玩具』を演じきります」
「え、あ、いや、玩具ってそこまでは……」
リオスがたじろぐが、ティナの瞳は本気だった。
いや、そこには演技を超えた、熱と湿度が混じっている。
「……ウェルティアさん」
シエラが、再びウェルティアを見る。
「必要な対価とは、金銭ではありません。
リオス様に汚名を着せることへの同意。
そして……貴女たちが誇り高い騎士ではなく、『放蕩息子の愛人の付属物』という蔑みを、甘んじて受け入れる覚悟です」
シエラは逃げ場のない事実を突きつける。
「騎士としてのプライドは、捨てていただきます。
……出来ますか?」
ウェルティアは、拳を握りしめた。
爪が皮膚を裂き、赤い珠が滲む。
騎士の誇り。家柄。潔白。
それら全てを、この場の全員が「命」のために捨てようとしている。
恩人であるリオスさえも、泥を被ろうとしているのだ。
自分が、守られるだけの自分が、何を躊躇う必要がある?
――ああ、そうだ。
ウェルティアの中で、何かが音を立てて砕け散った。
彼女は、床板に額を押し付けた。
痛みを感じるほど深く、重い、服従の姿勢。
「……謹んで、お受けいたします」
声が震える。屈辱ではない。
己の無力さと、彼らの覚悟への畏敬で、腹の底が震えていた。
「私たちの名誉も、誇りも、全て捧げます。
……どうか、愚かな私たちを、貴方様の共犯者にしてください」
顔を上げると、リオスが優しく、力強く頷いた。
「契約成立だね」
その言葉は、まるで舞台の幕を開ける合図のように響く。
「では、役者の準備は整いましたわね」
シエラが、唇を濡らして微笑む。
「小母様へ……最高のご報告をしましょうか」




