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【なろう版】魔国の勇者  作者: マルコ
幼年学校1年 :流民と盗賊団

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慈悲と毒

 窓から差し込む午後の陽光。


 木の床を、白く焼き付けるように照らし出している。


 宙を舞う埃。

 それさえも、姉妹の再会を祝福する金粉のように見えた。


 部屋に響くのは、押し殺した嗚咽と、衣擦れの音だけ。


 だが、いつまでもその熱に浸っているわけにはいかない。


 ウェルティアは、名残惜しさを断ち切るように腕をほどいた。


 (……泣くのは、あとでいい)


 今は、果たすべき義理がある。

 騎士としての矜持。

 それが、彼女の背筋を一本の鋼のように正した。


 立ち上がり、足音を立てずに身体の向きを変える。


 その視線の先。

 音もなく佇む黒髪の少年――リオスがいた。


 ウェルティアは、迷いなくその場に膝を折る。


 腰に帯びていた剣を、鞘ごと取り外した。


 使い込まれ、無数の傷が刻まれた革の鞘。

 彼女が騎士として生きてきた証。

 魂そのものだ。


 それを両手で捧げ持ち、頭を深く垂れた。


「――リオス様」


 震えのない、硬質な声が喉から放たれる。


「貴方は、約束を守ってくださった」


 顔を上げる。

 深いモスグリーンの瞳で、少年を射抜く。

 主君を見定めた、騎士の瞳だ。


「私の唯一の希望。

 私の命である妹を……地獄の底から救い出してくださいました」


 言葉にするだけで、胸の奥が焼けるように熱くなる。


 感謝という二文字では軽すぎる。

 この恩義に報いるには、己のすべてを差し出す以外にない。


「先日の宣言通り……この剣と、ウェルティア=クリエンテスの命。

 今この瞬間より、すべて貴方に捧げます」


 捧げられた剣の金具が、陽光を受けて鈍い光を放った。


「私の生涯は、貴方の盾となり、剣となるためにあります。

 ……どうか、お納めください」


 室内の空気が、糸のように張り詰める。


 シエラも、リュシアも。

 身じろぎもせず、その光景を見守っている。


 リオスは、差し出された剣を見下ろした。


 ゆっくりと手を伸ばす。

 その鞘に触れる。

 革の冷たさと、そこに残るウェルティアの体温。


 (……重い)


 ずしりと、手首に負荷がかかる。


 物理的な質量ではない。

 一人の人間の人生を背負う、責任の重さだ。


 フィノアと過ごした歳月が生む安堵感とは違う。

 唐突で、未加工の責任。


 だが、リオスは顎を引いた。

 その手を包み込むようにして、剣を押し戻す。


「……受け取ったよ。ウェルティアさん――いや、ウェルティア」


 少年の声が、誓約の儀を締めくくる。


「その忠誠、僕が預かる。……だから、剣は持っていて。

 君には、これからも守ってもらわないといけない人たちがいる」


 ウェルティアの瞳が潤んだ。

 深く、頭を下げる。


「……はッ!」


 短い一言。

 そこに、万感の想いが込められていた。


 リオスは口角を少し緩め、彼女に立つように促す。

 そして、部屋の空気を切り替えるように、努めて日常のトーンで問いかけた。


「それで……ウェルティア」

「はい」

「連れてきた流民の人たち……これから、どうするか決まった?」


 ウェルティアは立ち上がり、一度ティナの方を振り返る。

 再び、リオスに向き直った。


「リオス様」


 喉が渇き、張り付く。

 唾を飲み込む音さえ、今の静寂の中では雷鳴のように響く気がした。


 それでも、言葉を絞り出す。

 逃げるわけにはいかない。


「……皆、流浪の果てにたどり着いたこの地を、安住の場所と定めたいと……そう、願っております」


 震えそうになる声を、腹に力を入れて抑え込む。


「もう、歩けない者もおります。飢えと疲労で、限界なのです」


 それは、指導者としての懇願だった。


 だが、ただ「救ってくれ」とすがりつくほど、ウェルティアは厚顔無恥ではない。

 リオスは言った。『対価』が必要だと。

 当然だ。

 何もなく受け入れられるはずもない。


 ウェルティアは視線を伏せる。

 握りしめた拳に、爪が食い込む。


「とはいえ……リオス様の仰った『対価』として差し出せるものが、今の我々には何一つございません」


 事実だ。


「逃げる折に、財産と呼べるものは捨てざるを得ませんでした」


 顔を上げることさえできない。

 騎士としての誇りを保とうとすればするほど、現状の貧しさが浮き彫りになる。


「戦力として仕えるにしても……先ほどの戦いを拝見しました。

 我々の剣など、貴軍の足元にも及びません」


 魔族の精鋭たち。

 民兵がなんとかしのいでいたゴブリンたちを、瞬く間に殲滅したのだ。

 力の差は歴然としている。


 そこに、飢饉で痩せ細り、錆びた剣を持った人間が混ざったところで、足手まといにしかならない。


「情報を提供しようにも、我らは辺境を逃げ回っていただけの田舎者……

 魔国の要人であらせられるリオス様のお役に立つような機密など、持ち合わせておりません」


 ない。

 ない。

 ない。


 思考するほどに、自分たちの無価値さを痛感する。


「……もし、我ら自身を……奴隷として差し出すにしても」


 その単語を口にした瞬間。

 背後のベッドで、シーツが擦れる音がした気がした。


 だが、振り返らない。


「……若く、労働や、あるいは夜の相手として価値のある者は……限られております……」


 声が尻すぼみになる。


 誰を売る?

 誰を犠牲にする?

 仲間たちの顔が、脳裏をよぎる。


 その選択の重圧が、ウェルティアの思考を黒く塗りつぶしていく。


 恩義により、リオスに忠誠を誓いはしたが、それすらどれほどの価値があるのか。

 あるいは、ただ忠誠を押し付けただけではないか。


「そんなに、自分たちを卑下しなくていいよ」


 少年の掌から伝わる体温。

 その温もりが、張り詰めていたウェルティアの神経を優しく解きほぐす。


「君たちの事情は、僕も分かってるつもりだ。

 ……今日明日の命をつなぐだけで精一杯だった人たちに、正規軍と同じ働きを求めたりはしない」

「リオス、様……」


 慈悲だ。

 その言葉は、甘い毒のようにウェルティアの胸に染み渡る。


「ウェルティアたちは、故郷からあの場所まで移動してきたんだ。

 なら、森の奥の地形とか、魔物の分布とか……そういう情報を教えてくれるだけでも――」


 それは、明らかな温情だった。

 対価とは名ばかりの、慈悲深い救済措置。


 甘え過ぎだ。

 リオスの不利益になる。


 ウェルティアの、頭の冷静な部分では、そんな警鐘が鳴り響く。

 だが、あまりに甘美なその蜜に、つい、手を伸ばしそうになる。


「――ダメよ、リオス」


 冷ややかな声。

 温かい空気を、一刀両断にした。


 リュシアだ。


 彼女は金色の瞳を細め、リオスを射抜くように見据えていた。


「その程度の情報で、流民を受け入れる……?

 そんな情報だと、流民が押し寄せることになる。

 もし、あちらはよくて、こちらはダメ。

 などという事をすれば、暴動になる」


 淡々と、事実を告げる。


「何より、そんな報告では、メルヴィラ(母上)は納得しないわ」


 リオスの表情が固まる。

 リュシアは、感情を排した声で続けた。


「領地経営は慈善事業じゃないの。他の家臣の手前、明確な『利益』が必要よ。

 地図の情報程度なら、ひとりやふたりはともかく、あの規模の集団を受け入れるなんて、割に合わなさすぎる」

「あ……」


 リオスが、ばつが悪そうに頭を掻いた。


「たしかに……。母上なら『慈悲で領地は守れない』って言いそうだ」


 リュシアは、グリムボーンの後継者だ。

 そのための教育もされている。


 にわか領主のリオスとでは、心構えが違う。


 それは、ウェルティアも同じだ。

 フォールム神聖王国では、男系の継承ではあるが、血筋も重要視される。

 故に、将来夫となる者を補佐するために、ウェルティアも相応の教育を受けて来た。


 リオスの慈悲は甘美だが、後々必ず毒となる。

 自分たちだけが破滅するなら、それも甘んじて受け入れる。

 だが、その毒はむしろリオスに及ぶ。


 民を導く指導者であれば、自分たちの民を優先するべきだ。

 リオスの優しさにつけ込むべきだ。


 自らの騎士の誓いなど、誇りなど捨ててしまえ。


 (――できない!)


 だが、ウェルティアにはその選択はできなかった。

 民への裏切りであろうと、人として、騎士として。


 恩義や忠誠とは関係なく、この優しい少年の足枷になることなどできない。


 (……どうすればいい?)


 ウェルティアの思考が、暗い底へ沈んでいく。


 金はない。

 情報も価値が足りない。

 身体すら、その対価に足りないだろう。


「……申し訳、ありません」


 ウェルティアは、唇を噛み切るほど強く閉じた。


 自分の無力が、恩人を困らせ、民を殺す。

 その絶望が、首を絞め上げる。


「――ご安心なさい」


 凛とした声が、沈黙を破った。


 シエラが、一歩前へ出る。


 その視線が、ベッドの上のティナへ向けられた。

 ティナもまた、シエラを見つめ返した。


 二人の視線が交錯する。


 ティナは無言で、顎を引いて頷いた。

 ほんの一瞬。


「リオス様。……対価のことは、わたくしに案があります」


 シエラがリオスへ向き直る。


「え? シエラが?」


 リオスが目を見開く。


 シエラは、呆然とするウェルティアの肩に手を置いた。

 唇の端を吊り上げ、笑みを深める。


「……最善の方法を、ご提案しますわ」


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