厨房での対面
少し落ち着きを取り戻した空気の中、ネリアはふと首を傾げた。
「……そういえば、リオスくんって……なんでここにいるの?」
その問いに、リオスは「え?」と目をぱちくりさせた。
だが、リオスが何か言うより先に、シーツの中からルゥナが口を開いた。
「たしか、ビルグさんに用があって来たんだって、聞いたよ?」
「ビルグさんに?」
ルゥナの問い返しに、リオスはこくりと頷いた。
そして、ようやく本題へと口を開く。
「うん、たしかに……僕はビルグさんに用があって、ここに来たんだ。
実はね、今ちょっと、生徒会の仕事で――食堂の責任者を任せられる人を探してて……」
「……ああ」
ネリアがぽつりと声を漏らした。
サララも、わずかに表情を引き締める。
学内で話題になった、食堂での不正発覚事件。
いくつかの不正が暴かれ、関係者の多数が処分を受けた件は、生徒たちの間でも広く知られていた。
「で、調べてたら……ビルグさんが、前の責任者だったって聞いて」
リオスの言葉に、ネリアたちは自然とうなずいた。
「だから、一度ちゃんと話を聞きたくて。
本当なら学院に呼ぶべきなんだけど、それはさすがに急だから、僕が来たんだ。
で、来てみたら……ネリアさんが倒れてて……。
それで……勝手に手を貸しちゃって、ごめんね」
最後だけ、申し訳なさそうに声が小さくなった。
ネリアはそれを聞いて、ふっと頬を緩める。
優しくて、どこか頼りなく見えるけれど――
誰よりも、自分のやるべきことをわかっている。
「……そういえば、そろそろ厨房、落ち着いてる頃じゃない?」
布団の中で身を起こしかけながら、ルゥナがぽつりとつぶやいた。
その顔にはまだ疲労の色が残っているが、頭はしっかりと冴えているらしい。
「ビルグさん、きっともう手が空いてるわ。行くなら、今じゃない?」
「……でも、ルゥナが案内できる状態じゃないでしょ?」
サララがからかうように言うと、ルゥナはふんっと鼻を鳴らしてみせた。
「そういうわけで。ネリア、お願い」
「え、わたし……?」
「リオスくんを厨房まで案内してあげて。恩人なんだしさ?
ね? 暴走してたとこ、ちゃんと止めてくれたんだから」
「う……っ……!」
ネリアの顔が一気に真っ赤になる。
だが、言い返すことはできなかった。
あのとき、自分の身体を救ってくれたのは確かに目の前の少年なのだ。
「……わかった。行こう、リオスくん」
「うん!」
立ち上がったネリアは、まだ少し身体の重さを感じつつも、足を踏み出した。
扉の取っ手に手をかけ、そっと開けた、そのときだった。
「……っ!?」
目の前に立つ影に、思わず息を呑む。
――そこにいたのは、淡い翡翠色の髪と、まっすぐな眼差しを湛えた美貌のエルフ。
まるで霧の中に立つ幻のように、静かな気品を漂わせて立っていた。
扉の前で待機していたのはフィノアだった。
「ああ、そういえば、紹介まだだったね」
リオスが軽く首をかしげてから、指先でエルフを示す。
「こちら、フィノア。僕の従者だよ。
フィノ、こちら、クラスメイトのネリアさん」
「お初にお目にかかります。フィノアと申します」
エルフの美女は、片手を胸に当て、礼儀正しく一礼した。
その所作は簡潔ながらも優雅で、まるで儀礼訓練を受けた騎士のようだった。
だが、そのまま続いた言葉に、ネリアは一瞬まばたきする。
「――リオス様。先ほどのお嬢さんも、紹介していただいておりませんが」
淡々とした声にとがめる色はない。
だが、主への信頼と、正確な職務意識が感じ取れた。
(……注意できる関係なんだ。ちゃんと……信頼されてる)
その関係性に対する感心と――
同時に、リオスの「紹介を忘れていた」という抜け感に、思わず肩の力が抜ける。
(なんか……貴族って、完璧ってわけじゃないんだな)
真面目そうでしっかりしているようで、でもちょっとずれていて。
年相応の“らしさ”を垣間見た気がして――ネリアは、ほんの少しだけ笑ってしまいそうになるのを、慌ててこらえた。
感情の落ち着きどころを見失ったまま、ネリアはフィノアへ向き直り、ぎこちなく頭を下げた。
「ネ、ネリアです。あの、よろしく……」
ぎこちなく頭を下げるネリアの隣で、リオスはちらりと部屋の中へ視線を向けた。
ベッドの上のルゥナとサララは、未だにぐったりしたまま動ける気配がない。
「部屋に、まだふたりいるんだけど……紹介は、また今度でいいよね?」
そう言って、リオスは何気ない足取りで廊下へと歩き出した。
「中でいろいろ、あったようですからね」
フィノアが、まるで淡雪のような声でぽつりとつぶやきながら、後に続く。
(ま、まさか……中の声、聞かれてた……!?)
ネリアの背中を冷や汗がつたった。
それぞれの部屋は、防音対策はかなりしっかりしている。
サキュバスとして、多少の声が外に漏れることは日常茶飯事――それを見越しての設備だ。
だが目の前のエルフ。
長く尖った耳が、ネリアの心に疑念を突きつけてくる。
(エルフって、耳いいんでしょ……? っていうか、絶対聞こえてたでしょ……!?)
しかし、フィノアの表情はまるで凪の湖面のように静かで、何も語らない。
その沈黙が、逆に怖い。
気まずさで足が止まっていたその時――
「ネリアさん、厨房まで案内お願いしてもいい?」
リオスが振り返り、ふわりと笑って声をかけてきた。
「あ……うん、わかった。こっち」
強引に思考を切り替え、ネリアは先頭に立つ。
廊下の角を曲がりながら、自分の顔がまだ火照っているのを感じて、そっとため息をついた。
(お願いだから、フィノアさん、何も言わないで……)
そんな祈りを胸に、ネリアは厨房への道を案内しはじめた。
ネリアの背筋に冷たい汗が伝う。
あの、獣みたいなうめき声や、サララたちの会話、ぜんぶ……?
だが、フィノアは微動だにせず、ただ静かに頷くだけだった。
こうして――
3人は、静まり返った廊下を、厨房へと歩き始めた。
◇
階段を降りて、石造りの廊下を進む。
リオス、ネリア、フィノアの3人は、やがて厨房前の広間にたどり着いた。
その扉の前には、腕まくりをしたエプロン姿のサキュバスが一人、籠いっぱいの野菜を抱えて立っていた。
「あの……すみません。ビルグさん、いらっしゃいますか?」
ネリアが声をかけると、彼女はぱちくりと瞬きし、すぐに笑みを浮かべた。
「ああ、ビルグさんなら今、奥で鍋洗ってるわ。呼んでくるね」
そう言って扉の奥に消えていく。
しばらくして、ゴツゴツと床を踏みしめる足音とともに、ひとりの男が現れた。
――小太りで、頭をつるりと剃り上げた人間の男。
厚手のエプロンに鍋掴みを手にしているが、その目はどこか鋭さを宿している。
「おう、なんだぁ? 誰かと思やぁ……ネリアじゃねぇか」
「あ、ビルグさん。お客さんが来てるの」
ネリアが脇へよけると、背後にいたリオスが一歩前へ出た。
その小柄な姿は、厨房の空気の中ではやや異質だったが、態度は凛としていた。
「不躾ながら、本日、推参仕りました。
リオス=グリムボーンと申します。
生徒会の役員として、本日はお願いがあって参りました」
そう言って、リオスは深々と頭を下げた。
見事な礼儀に、ビルグの眉がわずかに上がる。
「……ほぉ? 挨拶はえれぇ立派じゃねぇか。で、坊主、俺に何の用だ?」
「実は……今、学校の生徒会で、食堂の人事を見直すことになっていまして――
その過程で、過去の帳簿を調べたら、あなたのお名前を見つけたんです」
「……ほう」
ビルグが短く唸る。
「それで、いろいろ調べていくうちに……あなたが、不当な処分を受けたのではないかという話になり……
ちゃんとお話を伺いたいと思って、こうして推参いたしました」
リオスは一歩踏み出し、真っ直ぐに言葉を重ねた。
「――僕としては、責任者として戻ってほしいと考えています」
その視線には、一点の曇りもなかった。
幼さの残る顔立ちとは裏腹に、その瞳には責任と誠意が宿っている。
ビルグは、しばらくその眼差しを黙って見つめていた。
やがて、ふぅっと鼻を鳴らす。
「へぇ……こちとらてっきり、遊びに来た坊ちゃんかと思ったが……
なかなかどうして、筋が通ってやがる」
そう言って、腕を組み、ニッと片口を吊り上げた。
だが、次の瞬間――
「……だが、戻るってのは……できねぇ相談だ」
静かに、しかしはっきりと告げられた言葉に、空気が一気に重くなる。
「……え……?」
リオスの小さな声が、静まり返った厨房に溶けていった。




