二日目の教室
登校2日目の朝。
昨日より少しだけ早く校舎に着いたリオスは、静かな廊下を歩きながら、ゆっくりと息を吐いた。
(……今日は、どんな空気になってるんだろ)
昨日の決闘――そして、シエラやリュシアの発言で、自分が貴族の出だということは周知の事実になった。
あの瞬間から、クラスのみんなとの距離感はどう変わるのか――考えないふりはしていたが、やはり気になっていた。
8組の教室に入ると、すぐに明るい声が飛んできた。
「リオスくーんっ! おっはよーっ!」
「ふふっ、今日もキマってるじゃない?」
ルゥナとサララが、昨日と何ひとつ変わらないテンションで近づいてくる。
ぴたりと腕にくっついてくるその様子に、思わず苦笑が漏れた。
「おはよう、二人とも」
ふと教室の奥へ目をやると――ネリアとリコリスがこちらを見ていた。
昨日までと同じように。だけど、どこか、ほんの少しだけ表情が硬い。
ネリアがためらいがちに立ち上がり、歩み寄ってくる。
「……おはよう、リオス……くん」
“様”ではなかった。それだけで、リオスの胸の奥が少しだけ軽くなった。
「おはよう、ネリア」
続いてリコリスも、おずおずとだが笑みを浮かべて挨拶してきた。
「お、おはよう……です」
ほんの一拍の迷いと、照れ。
でも――それでも、言葉を交わしてくれる。
(……貴族って知られたあとでも、こうやって話しかけてくれるんだな)
それは、当たり前ではない。それだけに、素直に嬉しかった。
「ふふっ、貴族様相手に緊張するのも今日までかしらね?」
サララがからかうように言うと、ネリアは思わず頬を膨らませた。
「ううん……なんかもう、貴族っていうより、変な意味で目が離せないっていうか……」
「そうそう……なんか、演劇の主人公みたいっていうか……」
リコリスも、昨日の言葉を繰り返すように口にする。視線はリオスに向けられていた。
「主人公て……そんな毎日クライマックスみたいな生き方できるかいな」
そこへ、ヴィーゼルがのんびりと教室に入ってきた。手にはまだ半分かじったパンがある。
「でもまぁ、気取らんと一緒におれるってのは、ええことやと思うで。貴族とか平民とか関係なしに、やな」
「うん。今のクラスの中では……“仲間”って感じ」
ネリアの声に、リオスは小さく驚き、そして微笑んだ。
「ありがと。……そう言ってくれると、嬉しいよ」
その言葉に、ネリアとリコリスは顔を見合わせ、ふっと笑みを交わした。
教室の窓から、朝の光が差し込んでくる。
特別な一日が始まった昨日とは違う、けれど――
この場所が少しずつ、自分の居場所になっていく気がした。
◇
初めての授業が始まった。
朝の鐘が鳴り終わると、教室に静けさが満ちる。廊下から足音が近づき、やがて教室の扉が音を立てて開かれた。
最初の授業は――魔術理論。
教壇に現れたのは、銀灰色の髪をきちんと結い上げた幻妖族の女性教師。
整った顔立ちに、冷ややかな知性を宿した眼差し。年齢は若く見えるが、その立ち居振る舞いは、まるで鍛えられた剣のような鋭さを感じさせた。
「――本日より、魔術理論を担当するセリーナ=アルテイルよ。よろしくお願いするわ」
淡々とした自己紹介に、生徒たちは一斉に頭を下げた。
「では、まず訊くわね。“魔術”とは何か――そう問われたら、君たちはどう答える?」
いきなりの質問に、教室がざわつく。数人が手を挙げ、順番に答えていく。
「炎を出す術……です」
「えっと、戦うための……魔力を使う技術?」
「呪文の力、だと思います」
「――なるほどね」
セリーナは、ひとつひとつの答えに小さく頷きながら、黒板にさらさらと文字を書きつけた。
――魔術とは、“意志”を“形”に変える技術である。
「これが、現在の魔術学会で用いられている定義です」
振り返った彼女は、教室を見渡しながら続ける。
「君たちはこれから、“魔力”という目に見えないものを扱うことになります。
戦いにおいても、日常においても。
でも、その前に――理解しておいてほしいことがあるの」
チョークを置いたセリーナは、一拍の間を置いてから静かに言った。
「魔力というものは、思念や感情、そして空気や匂いといった環境そのものに影響を受け、また影響を与えます。
だから“魔術”とは、単なる物理現象ではなく――“人の在り方”そのものに深く関わる技術なのです」
生徒たちの表情が、少し硬くなる。
彼女はその空気を読み取ってから、やわらかな口調で続けた。
「たとえば、“風”の魔術を学ぶとして。
ただ風を起こすだけなら、物理学や魔道具を用いた方が効率はいい。
でも、魔術が起こす風には“感情”が混ざる。
どんな匂いを運び、誰の心を震わせるのか――それを理解できる者こそ、本当の魔術士よ」
教室が、静まり返った。
誰もが息を飲み、その言葉の意味を噛みしめようとしていた。
(……意志を、形に)
その言葉は、リオスの胸に引っかかる感触を残していた。
家庭教育では出会わなかった切り口。だが、それが鮮やかに彼の世界を塗り替えていく。
「これから学ぶのは、“力の制御”ではない。“世界との対話の方法”よ」
授業の冒頭――それは、知識の詰め込みではなく、“学ぶという行為”そのものへの招待状だった。
◇
二時間目は――魔族史。
教壇に現れたのは、毛並みの整った黒豹の獣人教師だった。
しなやかな尾を揺らしながら、穏やかな笑みを口元に浮かべている。
「やあ、初めまして。私はダルモン。魔族史と、ちょっとした実地演習も担当する予定だ」
落ち着いた声に、生徒たちの緊張がほんの少しほどける。
「さて――君たちに、ひとつ問いを出そう。“魔族”とは、何か?」
また問いかけ。
だが、生徒たちは先ほどの授業を思い出したのか、今度はすぐに口を開こうとはしなかった。
「うーん……魔力を使える種族、ですか?」
「それだと、人間も当てはまるんじゃない?」
「何か身体の特徴を持ってる者?」
「魔神ヴァルゼルグに生み出された種族でしょ?」
いくつかの答えが出そろったところで、ダルモンは頷いた。
「皆、なかなか良い着眼点だ。
だが、今日ここで一番伝えたいのは――“魔族”という言葉が、実は“人間が作った枠組み”だったという事実だ」
ざわっ、と教室内が軽くざわめいた。
「この呼び名は、古代の人間たちが、“自分たちと違う”と感じた存在に付けたラベルだった。
つまり、“魔族”という言葉は、元を辿れば――他者によって定義された概念なんだよ」
その言葉に、リオスは思わず身を乗り出す。
「でも、それを受け入れ、育て直したのが我々魔族自身だ。
“差異”を誇りに変え、“異端”を文化とした。その積み重ねが、いまの魔国を形作っている」
重く、けれど優しく響く言葉だった。
「君たちは、“魔族”という枠組みの中に生きている。――中には人間の子もいるようだけど、君たちの“環境”は間違いなく魔族側にある。
そして大事なのは、そこに何を見出すかを――君たち自身が、これから決めていくということだ」
教室には静けさが戻っていた。
誰もが、その言葉の余韻を追うように、じっと耳を澄ましている。
リオスは、授業の終わりとともに筆記具を置いた。
(……やっぱり、家で勉強するのとは違う)
わずか二教科。
それだけで――この幼年学校という場の意味を、初めて、心の底から実感していた。
◇
午前の授業が終わると、教室にはふっと力の抜けたような空気が広がった。
生徒たちは肩を回したり、隣の席と話し出したり、それぞれのスタイルで休憩を楽しみ始めている。
リオスは席から立ち上がり、近くにいた仲間たちに声をかけた。
「ねえ、よかったら――みんなで、食堂に行かない?」
その一言に、いちばんに反応したのは、やっぱりルゥナだった。
「行く行くっ! お腹ぺこぺこ~!」
勢いよく両手を上げる彼女に、隣のサララもやれやれといった顔で微笑む。
「ふふっ、いいわね。昨日はお昼までだったから……食堂で食べるの、今日が初めてになるものね」
その言葉に、ネリアとリコリスが顔を見合わせる。
どこかためらいがちだったが、リオスと目が合うと、どちらからともなく小さくうなずいた。
「わ、わたしも……行く」
「うん……せっかくだし……」
控えめな声だったが、その中には確かな意志が感じられた。
誘われたことを、嬉しく思っているような――そんな表情が、ふたりの頬に浮かんでいる。
そこへ、ゆるりとヴィーゼルが近づいてきた。
「じゃ、行くなら西棟の生徒食堂やな。昨日も説明あったやろ、うちらのクラスが使うのはあそこや」
手に持ったパンをくるくる回しながら、ヴィーゼルはリオスに目を向ける。
「お貴族さまの舌に合うかどうかは知らんけど……ええんか?」
リオスはその問いに、口元に笑みを浮かべて頷いた。
「うん。昨日は結局、昼をとらずに帰ったからね。今日が初めてなんだ。だったら、自分の舌で確かめてみたい」
それは、味だけの話じゃない。
“みんなと同じ場所で、同じ時間を過ごす”――
それが今のリオスにとって、何よりも大切に思えた。
リュシアにも、シエラにも、今朝伝えてある。
「今日は、クラスメイトと食堂で昼食をとる」と。
ふたりとも、特に何も言わなかった。ただ、リュシアがほんの少し――
ほんの少しだけ、嬉しそうに微笑んでくれた。それだけで、十分だった。
「よし、ほな決まりやな! 混む前に行くで~!」
ヴィーゼルの軽快な声に合わせて、ルゥナとサララが弾むように立ち上がる。
ネリアとリコリスも、それぞれに控えめな足取りでその後に続いた。
リオスは、自然とその輪の中に身を置いて歩き出す。
昨日は決闘。
視線と注目の渦にいた。
今日は――ただの昼休みだ。
だけど、その“ただの時間”が、なんだか特別に思えた。




