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【なろう版】魔国の勇者  作者: マルコ
魔王降臨祭

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31/102

人間だからといって

 湯上りの余熱が、まだ身体の奥にじんわりと残っている。


 グリムボーン家の別邸、応接客間の一角――

 湯あがりの時間を過ごすために設けられたその部屋には、やわらかな絨毯と、茶器の香りが満ちていた。


 一人の少女が、紅茶を片手にふわりと脚を組んでいた。

 黒髪は軽く乾かされ、肩に沿って流れている。

 瞳はどこか気だるげで、湯気に緩んだ空気のまま、香り高い液体を一口含んだ。


 その隣では――


「……っ」


 ミリナが、ぎこちなく姿勢を正して立っていた。


 身に纏っているのは、グリムボーン家の侍女用に用意された、一着のメイド服。

 布地こそ質素だが清潔感があり、着慣れていない少女の身体にはやや大きめだった。

 胸元には白い襟、裾はふくらはぎまで伸び、足元は支給されたばかりの簡素なサンダル。


 膝の上で手を組み、所在なげに隣の少女を横目で見つめては、すぐに視線を落とす。

 緊張が肌を伝って滲み出ているようだった。


 一方、リオスはふたりの様子を眺めながら、ふと首を傾げた。


「……ねえ、姉上。そういえばさ」

「ん?」


 壁際のソファで、紅茶に口をつけていたリュシアが応じる。


「そっちの子って……僕、名前、まだ聞いてなかったかも」

「え?」


 リュシアは一瞬、目をぱちりと瞬かせ――それからくすりと笑った。


「……あら、そういえばそうだったかしら。完全に馴染んでたから、うっかりしてたわね」

「うむ、名乗っておらなんだな。すまぬ、そなたの名も確認しておらぬ」


 少女が、こともなげにそう言い、湯上りの余韻をまとったままリオスを見やった。


「改めて、そなた、名は何と申す?」

「リオス。えっと、姉上――リュシアの弟です」


 そう答えると、隣の椅子に控えていたシエラが、静かに立ち上がった。

 背筋を伸ばし、スカートの裾をつまみ、淑やかに一礼する。


「わたくしはシエラ=ルキフェル。リオス様の婚約者ですわ」


 その声音はやや緊張を帯びながらも、言葉選びには品があった。

 ルーシーの視線が、すっとシエラへと移る。


「ふむ。そなたも、名と所作に違わぬ育ちをしておるな。よい」

「も、勿体ないお言葉ですわ……」


 頬を染めてうつむくシエラに、リュシアが軽く肩を叩いた。


 ちらりとリオスへ視線を送ったルーシーが、意味ありげに口元を緩めた。


「そなたも、粗雑には見えぬな。リュシアの弟にしては、思ったより――」


 そこで一度、言葉を切り、紅茶の湯気の向こうで微笑を深める。


「……ま、悪くはなかろう」


 からかうようなその言い回しに、リュシアがぴくりと眉を動かした。


「……どういう意味よ、それ?」


 紅茶のカップを持ったまま、じとりとした視線をルーシーに向ける。

 だが当の本人はどこ吹く風、平然と茶を啜りながら言った。


「説明してやってもよいが――詳細に語るぞ?」

「……っ!」


 リュシアが一瞬たじろぎ、気まずそうに視線を逸らす。


「……いいわ、べつに。聞いてないし」


 そのやり取りに、リオスは思わず小さく苦笑した。

 姉が他人に押されて黙る姿は、滅多に見られるものではなかった。


「えっと……じゃあ、改めて……あなたは?」

「ルーシー=ヴァルカン。幼年学校に通っておる。リュシアと同じ学年じゃ」


 そう言って紅茶を置いたルーシーは、ゆっくりとリオスの方へと視線を向けた。

 真紅の瞳が、湯気の余韻を纏うように、じっと少年を射抜く。


「しかもね」


 その横から、リュシアが補足するように声を重ねた。


「彼女、今年の生徒会役員なのよ。わたしと同じで」

「へえ、生徒会……」


 リオスは小さく頷きかけて――ふと、首を傾げた。


「って、そういえば……姉上が生徒会に入ったって話は聞いてたけど、実際には何をするんだっけ?」

「興味ある?」


 リュシアが、少しだけ口元をゆがめて微笑んだ。

 湯上りのやわらかな髪が、肩からふわりと落ちる。


「わたしと彼女、どちらもクラス代表なの。つまり、生徒会の中でも一番“面倒を押しつけられる”立場ってわけ」


 言葉こそ軽く笑っているが、その声音にはほんの少しだけ、疲れと本音が滲んでいた。

 けれど、その自嘲混じりの表情の奥には――どこか、やりがいや誇りを感じているような気配もあった。

 

「クラス代表……って、やっぱりクラス全体のまとめ役?」

「そう。出席確認から始まって、生活指導の補助、あと行事の準備とか……なんというか、雑用がまとめて詰まったポジション」


 リュシアはため息をつき、紅茶をもう一口すすった。


「ほんとは、もっと鍛錬に時間を割きたいのに。書類仕事と会議ばっかりで、剣を振る暇もないのよ……」


 愚痴をこぼす姉を見て、リオスは思わず苦笑いを漏らした。


(姉上、やろうと思えば何でもできるんだけど……)


 戦うことにかけては疑いなく一流。

 そして文官のような業務も、要領よくこなせるだけの才はある――


 ただひとつ、書類仕事だけは本当に嫌いなのだ。

 机に向かって細かい文字を並べる姿は、いつもどこか不機嫌で、早く剣を握りたくて仕方がないという空気が滲み出ていた。


(父上は文武両道で、母上(メルヴィラ)も文のことではむしろ父上より厳しいのに……その辺りは、あんまり似てないな)


「でも、クラス代表なんて……すごいです」


 ぽつりと、シエラが素直な声を漏らした。


「そのうえ、会議や書類のことだけじゃなくて……治癒魔法まで使えるようになってるなんて、すごすぎますわ」

「……そういえば姉上、あのとき……いつの間に、そんなの使えるようになってたの?」


 リオスの疑問に、リュシアは紅茶のカップを置き、わずかに目を伏せた。

 そして――どこか気まずそうに、口元に手を添える。


「……ほんの、つい最近よ」


 少し照れくさそうに笑いながら、リュシアはリオスの視線を受け止める。


「必要に迫られて……って感じかしら。習得したのは、ほんとに最近。あんまり得意ってほどでもないし、まだ練習中よ」


 その様子は、いつもの堂々たる姉とは少し違っていて――

 リオスは姉の謙虚な姿勢に、新鮮な敬意を抱いていた。


「すごいなあ……幼年学校の授業って、そんなことまで教えてくれるの?」


 目を輝かせて尋ねたリオスに――その横から、紅茶を啜っていたルーシーが口を挟む。


「それは、高等学校で習う内容じゃ。しかも、後半の課程でな」

「えっ、そうなの?」

「リュシアは、授業とは無関係に覚えただけじゃ。幼年学校では、治癒魔法までは教えられぬ」

「え、じゃあ……どうして?」


 首をかしげるリオスに、リュシアが肩をすくめて答えた。


「最初はね……決闘で相手に怪我をさせすぎちゃって。治療師の人たちに『もうちょっと手加減して』って、半分泣きながら言われたの」

「……はあ?」

「だって向こうから挑んでくるんだもの。断ったら『逃げた』って言われるし、手を抜いたら『見下された』って文句言われるし……」


 リュシアは紅茶のカップを傾けながら、面倒くさそうに言葉を継いだ。


「最終的に、『自分で治して』って結論になったのよ」


 その説明に、ルーシーが頷きながら補足を加える。


「上級生でも、平気で叩き伏せておるからな。もはや、決闘相手が気の毒じゃ」

「……え、上級生って、二年とか三年とか……?」

「うむ。骨の一本や二本、日常茶飯事よ」


 そのやりとりを聞いていたリオスは、唖然とした表情でぽつりと呟いた。


「……都会の魔族って、やっぱり軟弱なの? さっきの子たちも、その……」


 「弱すぎた」とまでは言わなかったが――


 その言い淀みに、ルーシーがジト目を向けながら口を開く。


「そなた、自分が“人間”だからといって、自分の実力を過小評価しておらんか?」


 ルーシーの鋭い問いかけに、リオスは少し目を伏せて答える。


「……うん、まあ。新兵とか、鍛錬場にいる普通の人たち相手なら、勝てる。そういう意味じゃ、自分でもそこそこ強い方だとは思う」


 言いながらも、その表情はどこか曇っていた。


「でも、中堅以上の兵には、まず勝てないし……姉上にも、シエラにも、まともに勝てた記憶なんてほとんどないんだ」


 苦笑まじりに肩をすくめる。


「だから、僕が強いって言われると、ちょっと違和感があるというか……」


 それは謙遜というより、自分を相対的に見た正直な実感。

 彼の育った環境が、いかに規格外の強者に囲まれていたかを物語っていた。


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