この涙は、罠の味
――人間領のとある小国、交易都市リヴァルテの外れ。
夕闇が迫る頃、石畳の細道に面した古びた宿の一室。
商人の男は、机の上の帳簿から目を上げた。
「……で? 売りたい“品”ってのは?」
部屋の隅に立つ少女が、深く頭を下げる。
「はい。父が仕入れた魔獣避け罠です。
数は二百。正規品で、箱も未開封だと聞いております」
男の眉がぴくりと動いた。
「魔獣避け罠、ね……」
椅子の背にもたれながら、煙管をくゆらせる。
「……最近じゃあ禁制品扱いする国も増えてきてる。あまり堂々と取り扱える代物じゃねえ」
「承知しています。でも、まだ流通している国もあると聞きました。だから、せめて……どこかに、納めていただければと」
少女は布をぎゅっと握りしめたまま、言葉を継ぐ。
「父は……商い一本で生きてきた人で。人の言葉を信じすぎるところがありました。
『今が買い時だ』と持ちかけられ、大金をはたいて罠を仕入れて……でも、届く頃にはすでに、禁制の噂が立ち始めていて……」
「それで、お前が代わりに?」
男が目を細めて問いかける。
少女は一度だけ小さく頷いた。
「家の帳簿も、倉も、父の身体も限界です。けれど、私なら……“多少の無理”をしても、話を聞いてもらえるかもしれないって……」
言葉の“無理”の部分に、微かな熱が滲む。
伏し目がちに、恥を忍ぶような声――だが、そこには確かに覚悟の色があった。
商人の視線が、少女の身体を舐めるように上下する。
くたびれた旅装の下、華奢な肩から伸びる白い首筋。
胸元の布の膨らみは小さいながらも、柔らかそうで、年頃の張りが感じられる。
腰は細く、指でつまめそうなほど。だが、尻まわりには程よい肉がついているのが、立ち姿からも分かる。
男の喉がごくりと鳴った。
貧乏暮らしにしては肌の手入れが良すぎる――
そう思いつつも、そのちぐはぐさすら、彼にとってはアクセントに過ぎなかった。
「……なるほどな。そりゃあ確かに、こんな娘が夜に訪ねてくりゃ、話ぐらいは聞くってもんだ」
彼は煙管を灰皿に落とし、椅子をゆっくりと引いた。
「二百本。正規品なら、悪くねぇ。受け取ったら、支払いもする。……ただし、それまでにちょっとした挨拶ぐらいはしてもらうが」
少女は静かに目を伏せ、腰紐に手を添える。
「……わかっております。それで済むのなら、いくらでも……」
その声音はかすかに震えながらも、拒絶の色はなかった。
男の視線がいやらしく光を帯び、喉がごくりと鳴る。
少女の震える指先が慎重に結び目を解き――それを外すと、たっぷりとした布地が緩み、肩口からするりと滑り落ちていく。
彼女は一瞬、胸元を腕で隠しかけた。羞恥が、迷いとなって指先に現れる。
しかし、それでも手を止めることなく、彼女は小さく息を吸い――
下衣の結び目に手を移し、静かに解いた。
商人の視線が、舐め回すように這っていく。
この娘が、自らを売ってまで、家を支えようとしている――
その“物語”が、なおさらそそる。
部屋に、熱が満ちていく。
そして、男の影がゆっくりと近づいていく中――
少女の瞳の奥で、獣のような光が、一瞬だけきらりと揺れた。
◇
グレイス地方の山間にある、旧貴族の別邸。
今やリリシアの館として使われるその屋敷には、夜ごと香のような熱が漂う。
天蓋付きの寝台では、リリシアがひとりの褐色のエルフ娘を抱き寄せ、柔らかな髪に頬を寄せていた。
「……リリシア様ぁ……っ」
くすぐるような吐息が混じる中、寝台の端に控えていた女が一歩進み出る。
艶やかな肢体を包むのは、透けるような薄衣だけ。
だが、サキュバスにとってはそれが礼装に等しい。
「……ご報告いたします。商人への接触は予定通り終了。
こちらで用意した“身の上話”を信じ込んでおり、罠の買い取りに前向きです。現時点で疑念の様子は見受けられません」
リリシアはエルフの肩に口づけを落としながら、面白そうに瞳を細めた。
「ふふっ、男なんてちょろいものね。
少し不幸話を混ぜれば、“哀れな娘”に情けをかけたつもりになって、気持ちよく騙されてくれる」
「……加えて、肉体的な“対価”があることで、取引への警戒も緩んでいます。
見返りを得た男は、得た情報の裏を取ろうとしない。いつもの傾向です」
「ええ、知ってる。だからこそ、私たちがいるのよね」
リリシアはくすりと笑い、抱いていたエルフの顎を取って唇を奪う。
しばしの口づけの後、ようやく目を戻して――
「……よくやったわ。ご褒美に――この子で遊んでみる?」
ふと、リリシアの視線が部下に向けられる。
サキュバスの女は一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに微笑を返した。
「光栄です、リリシア様。では、ありがたく……」
柔らかく寝台に膝をつき、そっと手を伸ばす。
「……ふふ、肌が滑らか。気持ちよく仕込めそうですね」
「甘やかすだけじゃ駄目よ。しっかり教えてあげて。魔王軍の魅了術は、本番でも通用しないと意味がないんだから」
「承知しております」
淫靡、かつ冷徹な魔族たちの実務は、今夜も着実に進行していた。




