第八話 朝曇 身を焦がし 下心を知る 陽射しかな 其の十四
客間の扉の前、忠陽は呼吸を整える。相手がどんな術師かは分からない。だけど、今この家で対抗できるのは自分ひとり。そう自分言い聞かせ、扉のノブに手を掛ける。その手は震えていた。だが、忠陽は勇気を振り絞り、客間の扉を開く。
そこには宴会の時に会った細長い襟足を結っている和服の男が客間に飾られている絵画を見ていた。
忠陽は男の名前を声に出さず、呼ぶ。
六道絢……。
絢は忠陽に気づき、その薄笑いにも似たような笑みを向ける。忠陽が自分に警戒していることを知っていても、その笑みを解くことはない。
忠陽は自身の呪力を高めた。
「そないに戦う意志を見せて貰っても、僕は君と戦うために来たんやないで」
「だったら、なんでフミさん幻術を使ったんです?」
「ほないら聞くけど、僕が君に会いに来たといったら会ってくれたか?」
「いいえ。貴方に会いません」
「だから、僕は強引にでも君に会いに来た。この前は姫に邪魔されたやろう? なんで、あの術のことを気づいたのか、少し不思議思うてな、君のこと色々と調べせてもろうたわ。その結果、君にはもう一度直接会うた方がええと思うてん」
「対象を催眠状態に陥れるやつですか? 伏見先生から聞きました胡蝶の夢って言うんですよね」
「何や、辰兄、バラしおったんや。この前、京に来ているのは気配で感じ取ったけど、僕にも顔出さんで帰るなんて、酷い人と思わん?」
「全然。先生は言霊や暗示を僕らに対して悪用しない」
「辰兄も丸くなったな。子供の頃、僕は辰兄によう泣かされとったわ」
「それが本当だったとしても、貴方が泣くような人ではないことは分かる」
「君も中々酷い人やな……。悪いけど、座らせてもらうわ」
絢は来客用のソファーに堂々と座る。忠陽は答えず、警戒しながらも、相対した。
「さて、君は自分から話しそうにないから、僕から用件を言うわ」
絢はその笑みを崩さずさらりと言う。
「結論から言うと、君は僕らの門下に入りなさい」
「門下?」
「そう。内弟子になるんや」
「なぜですか?」
「そうやな。一つは君が神無に気に入られたから。これには僕ら全員が驚いてる。没落一方だった賀茂に神無ほどの人間が興味を示すことはないと思うとったから。鬼才と言われた君のお祖父様は、僕らの中でも要注意人物だったけど、十年前に亡くなられた。その跡を継いだ君のお父様は呪術の才能がなかったからね……。悪く思わないでくれ、客観的な評価だ。二つに、調べた中で、君の有り様に僕らが興味を持ったからや。君の呪い、僕が見た中でも面白い。それを観察しておきたいと思った。ああ、これは僕個人の意見や。安心してええで。君の呪いを利用するつもりはない」
絢は笑ってみせたが、忠陽は無表情だった。
「三つ目に、君の使用人、真堂鞘夏や」
「鞘夏さんがどうして?」
絢は頬を綻ばせる。それに気づいた忠陽はしまったと思った。
「彼女、天谷で妖魔に襲われたみたいやね。神宮がそれを隠蔽しようとしっとたけど、僕らにはそれすら分かる。お互いにそういうことをやり慣れているからな。時間が掛かったのは辰兄の入れ知恵があったからや。でも、それで分かったんやだけど……。兎に角、妖魔に襲われる体質の人間の保護をするのは、僕らの役目や。彼女は僕らで見させてもらう……と、言っても君らは聞かないやろう? だから、妥協案として君が僕らの内弟子になればいい」
「どこが妥協案なんですか? それはあなた達が一方的に僕らから自由を奪うことでしょう?」
「そうかな? これは君たちのために言ってるんやけどね」
「どういうことですか?」
「真堂鞘夏、彼女は君の呪い一つや。恐らく神無は真堂鞘夏を見ていないのだろう。君の呪いのことを理解できても、その本質まで見抜くことはできない。だって、君たちは二人で一つだ」
「それは、伏見先生からも言われています」
「今の辰兄には君らの呪いを解き明かすことはできへん。自分で自分に呪いを掛けている人に……」
忠陽は絢の言っている意味が分からなかった。
「君と彼女。それが呪い構成や。だが、何をしているかまでは僕にも分からへん。それが見たいんや、僕は……」
「なんですか、それは……。貴方のためであって、僕らのためじゃない」
「君たちが何をして呪い合うのか、それを見なければ解呪はできへん。君は解呪するために辰兄に力を借りているんやろう? でも、もう一度言っておくよ。今の辰兄には、それは不可能や。だから、僕が、君らの呪いを解呪するのを手伝う。これは君のためになる」
「何故、伏見先生では不可能なんですか?」
「さっきも言ったはずや。あの人は自分で自分に呪いを掛けてる。それに気づかいない人間がどうして呪いを解くことができるんや?」
「先生にそう言えば――」
「言っても無駄だや。あの手のものは自分でなんとかするしかない。他人になんと言われても、どうすることもできない。静流叔母さんだってそれが分かってるから教師なんかさせてるんじゃないかな……」
忠陽は考える。彼が言っていることは今のままでもできることだ。例え、伏見が呪いを解くことができなくても、今の目の前にいる男より遥かに信頼できる。
「貴方の内弟子になるメリットがありません。それに鞘夏さんが妖魔に襲われたのは体質ではなく、神無さんの破魔の力よる妖魔の活性化が直接的な原因です。だから、貴方には鞘夏さんを渡さない」
「四つ目……」
そのねっとりとした言葉は蛇のように背中に纏わりつき、忠陽の背筋に鳥肌が立たせる。
「君は、いずれ、真堂鞘夏を殺すことになる」
「ふざけるな!」
忠陽は大声を上げて、立ち上がっていた。息を荒げ、そして、相手を殺すつもりで睨みつけていた。
絢はそれを涼風のように受け流している。
「ふざけてない。呪いは、所詮、呪い。良いものはない。相手を不幸にするのが呪いや。呪いを掛けられたものはその身を削り、心をすり減らし、そして落ちていく。これに例外はない。自分が掛けた呪いによって君が死ぬと分かった時に、彼女はどうするのやろう?」
忠陽はそれを思った時、怒りが増す。
「君はどうするんや? 自分の呪いで彼女を殺すことになったら……」
忠陽は思わず、絢の和服の胸ぐらの裾を掴んでいた。
「現実は不愉快や。だが、それがこの世界で生きるということだ。神宮のような正義を振りかざしても、助かるものは助からない。君が彼女を死なせたくないのなら、僕らの門下に入りなさい。それが一番のメリットだ」
絢の顔から笑みは消えていた。忠陽はその顔を見て、それが本心で言っていることを悟る。その言葉を疑いたい。自分がなにかの暗示や言霊、幻術にかけられているかもしれないと疑いたいが、どうしても、それがないことが分かる。
忠陽は絢の和服から手を放す。
絢は身を整え、再度笑みを浮かべる。
「答えはどうや?」
「そんなの決まっている。僕は貴方が嫌いだ」
「そうか。そんなら、決心が着いたら、僕のとこに来なさい。でも、時間がどんだけの残されているか分からへん。君が、迷っている内にそうなってしまうかもしれへん。もしくは、僕でも解呪ができへんかもしれんようなる。できるだけ、速いほうがええと思うで……」
忠陽は立ち上がり、扉を開ける。絢は無言で客間を出た。
忠陽が玄関前で案内すると、そこには麻美とフミが待っていた。
「ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。この館の主は不在の故、私、賀茂麻美がご挨拶を申し上げます」
「初めまして、奥様。六道絢と申します」
「こちこそ。貴方様は確か……六道の直系の方ですよね?」
「そのような直系などと。僕はただの六道に名を連ねるものですよ」
「左様ですか。貴家とは縁がなく、あまり存じなくて申し訳ございません。忠陽さんとお友達だったのですか?」
「はい。一条の宴会で」
麻美は忠陽を見る。
「そう。でも、忠陽さんはそういう顔ではありませんが……」
「先程、少し喧嘩をしまして……。よく言うでしょう? 喧嘩するほど仲がいいって」
「忠陽さんは怒ったとしても、自分のことで声を荒げる事は滅多にしないわ」
絢は笑って誤魔化していた。
「それに、フミにも色々とされたみたいですが、それはあまりよろしくないと思うの」
麻美がやんわりと言っていても、言いたいことの中身はそのままだということを絢は熟知していた。
「申し訳ないです。忠陽くんとは宴会でも喧嘩をしていまして。でも、どうしても誤解を解きたくて、つい」
「ついでも、やっていいことと悪いことがありますわよ」
麻美の目は笑っていた。
「はい。以後気をつけるように致します」
「それで、誤解は解けたのかしら?」
「いえ、まだ……。なので、今日はこれで……」
「そうでしょうね。忠陽さん、それで良いわ」
絢の顔が歪む。
「あ、そうそう。六道様にお渡ししたものがありまして、ちょっと玄関の扉の前で立ってて頂けませんか?」
絢は言われた通りしようとしたが、急に足を止めた。
その瞬間、扉が吹き飛び、扉が絢を掠めながら、壁に突き刺さった。扉が飛んでくるのと同時に一人の女性が現れた。
「麻美! どこに居るの!?」
「お母様! ちょっと何をしているの!?」
「寿子様、落ち着いてください!」
蹴破った扉から由美子と漆戸が寿子を止めるように現れ、腕を掴む。
忠陽もフミもその状況に驚愕した。
「放しなさい! 麻美! 返事をなさい!」
「はい。ここに居ますよ。寿子、そんなに暴れなくても電話で言ったように大丈夫ですから」
由美子と漆戸の腕を振り払い、麻美の元へと行く。
「本当に大丈夫なのね?」
「ええ、大丈夫よ。来てくれてありがとう」
「で、敵はどこなの?」
絢は声を出して笑っていた。
「敵なんてどこにも居ませんよ」
寿子はその姿を見ると、睨みつける。
「六道の……。どうして、アンタがここに居るの!?」
「どうしてって、今日は賀茂君とお話をさせて貰いにですよ」
寿子は絢に食って掛かった。
「賀茂君? 亭主は万年留守よ!」
「いや、賀茂卿ではなく、息子さんの方です。まずは、落ち着かれた方がよろしいですよ。危うく僕は貴方には蹴り殺されそうになったんですから」
「蹴り殺す? そんなんであんたたちが死ぬなら、うちの夫も苦労なんてしないわよ!」
「それは貴方の性格に心を痛めてるのでは?」
今にも飛びかかりそうな寿子を再び漆戸と由美子が抑えようとした。
「お母様、落ち着いてください。お気持ちは分かりますが、ここは我が家ではありません」
「そんなのは関係ない! この性悪男を仕留めるわよ」
「寿子様、目的が変わっております。どうか落ち着いてください」
放しなさいと大声をあげて、あの手この手で引き剥がそうとする寿子。
忠陽はその暴れっぷりを見ていると、由美子の前で母が語った話が嘘では無いことも理解した。
「寿子……」
「何よ!」
寿子が麻美の方を振り返ると、寿子は何故か怯え始めた。
忠陽も母から初めて感じる異様な雰囲気に背筋が寒くなった。
「六道様はもうお帰りよ。邪魔はしないでほしいの……」
「でも!」
「でもじゃない」
「だけど!」
「だけどじゃない」
「……分かったわよ……」
寿子の怒りは次第に薄れていった。
「奥様、これはおおきに。それでは僕は帰らせてもらいます」
「あっ、ちょっとお待ちなって。フミ……」
「あっ、はい、奥様。ただいま!」
フミは麻美に近寄り、なにか茶色い小瓶渡す。
「これはつまらない物ですが、どうぞお受け取りください」
麻美はその小瓶を絢に差し出した。
「なんです、これ?」
「塩です」
「塩?」
「はい。よく魔除け払いに聞くと聞いています。お必要だと思いまして」
絢は笑った。
「オモロイですね。こんなの一度も貰うたことはありません。ほな、遠慮なく貰います」
「ふん。ざまあみなさい」
「寿子、お口チャック」
絢は小瓶を受け取ると、懐にしまい、壊れた扉からでようとしたが、足を止めた。
「そうそう、奥様。この扉の弁償は神宮にお願いします」
「元よりそのつもりなので、悪しからず」
「それは良かった」
絢は薄笑いを浮かべながら、家をあとにする。
絢が居なくなると、忠陽、由美子、漆戸、フミの四人が一斉にため息をついた。
「あら、皆さん、どうなされたの?」
冷静な麻美にフミは焦りをぶつけていた。
「奥様、私は生きた心地がいたしませんでした!」
「何を言ってるの? 生きてるじゃない」
麻美はニッコリと笑う。フミは大きなため息をついた。
「由美子さん、お忙しい中、お騒がせして申し訳ございません。我が夫に代わり感謝申し上げます」
丁寧に頭を下げた。
「忠陽さん、大役ご苦労さまです。疲れたでしょう。そんな時に申し訳ないんどけど、由美子さんと漆戸様を居間に案内してください」
「あ、うん。分かったよ」
忠陽は由美子と漆戸を居間に行くように案内する。
「フミ、お茶と茶菓子をお出しして」
「はい、かしこまりました、奥様」
フミは台所へと向かった。
「寿子……」
麻美は笑みを浮かべ、寿子に近づいた。
寿子は麻美が笑っていることに少し身構えてしまった。
「な、なによ。あの扉はろ、ろ、六道が悪いだから。私は悪くないわよ……」
麻美は寿子に抱きつき、顔を埋める。
「ありがとう。寿子……」
「…………」
寿子は無言で麻美の頭を撫でた。
「本当に来てくれて、ありがとう……」
「慣れないことをするものではないわ」
「私なりに頑張ったつもりよ……」
「もう、強がりは止しなさい。私を頼ってもいいのよ」
「ええ、扉の件はお願いね」
「そういうことじゃない」




