第八話 朝曇 身を焦がし 下心を知る 陽射しかな 其の七
用意された個室に鞘夏が運び込まれた後、忠陽はその個室に入ろうとしたが、由美子に追い出されてしまった。
「何やってんのよ! ここから男子禁制よ!」
「どうしてさ!?」
「なんでって……それくらい察しなさいよ!」
由美子は顔を赤くして、怒鳴った。
「賀茂殿……」
漆戸が忠陽にこれからの処置を耳打ちした。忠陽は由美子が言わんとしていることが分かり、顔が赤くなる。
「……分かったよ。お願いします」
由美子はここまで付き添ってくれた男従業員に女性の従業員を回すように伝え、中に入っていた。
数分後、会館付き医師だろう人間が個室の中へ入り、数十分して出てきて、忠陽に報告した。
「熱中症です。点滴を三本ほど入れた後は、ご自宅にお帰りになった方がいい。運良く、命に別状はありませんが、熱中症はその後に体調を崩しやすくなる。お気をつけください」
忠陽は医師に礼を言った。
「点滴が終わるまでは、あと一時間ぐらいある。あなたも少しお休みになってください」
そういうと医師は個室の中へ入っていた。
「漆戸さん、ありがとうございます」
「いえ、すぐに気づかず、誠に申し訳ない」
「それは僕の役目です」
「賀茂殿も医師の言うとおり休まれたほうがいい」
「ありがとうございます。お言葉に甘えてそうさせて頂きます」
忠陽はその場を離れて、エントランスホールへと向かった。
エントランスホールで従業員に飲み物を受け取り、忠陽は近くにあった長椅子に座る。
座った瞬間に下着が背中に張り付くのを感じ、もう一度立ち上がり、従業員にタオルを貰えるか頼んでみると、快く引き受けた。また、長椅子に座り、飲み物に口をつけると、従業員がタオルを持ってきてくれた。
忠陽はお礼を言い、トイレを探していると、従業員が優しく場所を教えてくれた。忠陽は従業員の案内通りにトイレを見つけ、洗面台で顔を洗う。鏡に映った自分を見て、自責の念を抱く。
どうして気づいてやれなかったんだ。
自分の顔を睨みつけ、そう野次るも、何も返ってこない。
忠陽は顔を拭き、体の汗を拭い、トイレを後にする。
忠陽は再び長椅子に座り、静かに冷風を感じていた。その風は心地よく、心を少し穏やかにした。
杖をついた黒い羽織を着た和装の老人がゆっくりと忠陽の眼の前を通り過ぎ、忠陽とは反対の端に座った。老人は杖を額につけ、俯いた。
忠陽は老人を横目で見る。老人は疲れているのだろうか、微動だにしない。
「少年、儂に何か用か?」
老人は顔上げ、忠陽を見え据えて言った。忠陽は渋い声に背筋を伸ばす。
「あ、いえ、先程まで暑かったので、体調を崩されたのではないかと思いまして……」
「ああ、そうか。心配させてすまないな。歳をとると思うように体が動かなくてな。それにしても暑いのう。ここの主催者は何を考えておるのだ」
忠陽は苦笑いした。
「のう、そう思わぬか? お前も」
「そ、そうですね」
「実は、二年前に空調設備の大規模改修を行っているのだ。前は古くて、よくパタパタと人が倒れておったからのう。文句を言って直させたのだが、全然改善しておらん」
「はあ……」
「今日も女性が一人倒れたと聞く。ここの主催者の管理不行きとは思わぬか、少年?」
同調しないといけないのだろうと思い、忠陽は返事だけはした。
「それに五年前にこのエントランスから見える景色を変えおった。入り口から綺麗な景色を見えるようにと、そこをガラス張りにし、儂の好きだった造園を壊しおって……」
忠陽は今でも凄い造園だと思っていた。
「最近の若いもんはこれだから――」
老人は途中で言葉を詰まらせた。
「いや、時は移ろいゆくものか……」
忠陽は老人の突然の変わりように戸惑う。
「少年、ついて来い」
「え?」
「何をしておる。儂について来い」
忠陽は言われるがままに老人についていくと、老人は中庭に通じるドアを開け、勝手に中へ入っていった。
「あの、勝手に入ると……」
「よいよい。儂は常習犯じゃ。気にするな」
中庭に入るとやはり造園の芸術性は一級品であることが、暗がりでライトアップされた姿でも分かる。
その中庭に目もくれず、老人は滝の上に続く階段を登る。忠陽は、疑問に思うも後を追った。
奥には素朴に小さな池と岩清水だった。岩清水には苔が生えており、その苔をつたい池に流れる。下にある滝とは違い、チョロチョロ流れるこの小さな流れがこの暑い夜でも涼を感じる。
老人はその池の前にある木製の長椅子に座り、忠陽に隣に座るように指示する。
忠陽は長椅子座り、老人と同じように岩清水を見ていた。
暑い夜、燕尾服を着ていると、例え眼の前に涼を取れる場所があったとしても、気持ち良いものではなかった。
「どうじゃ?」
忠陽は別のことを考えていたため、口籠る。
「暑いか?」
「はい……」
「それはやむ無し。だが、見るのじゃ」
「はい」
老人は素直すぎる返事を高らかに笑っていた。
「ここはのう、客人であろうと無闇に入れぬ場所でな。一人だけだったかのう、二階から見えたこの場所を是非みたいという外国人がおって、その男の並々ならぬ熱意で見せたことがある。お前は二人目となるか」
「どうして、無闇に入れないんですか?」
「この造園は我が友の為に造ったものだからだ。……もっとも、その友はついぞ見ることはなかったがの」
忠陽は老人を見る。その横顔は淋しそうなものだった。
「その息子をここへ何度か招いたが、興味を示さなかった。その孫は見る必要はないと言われる始末……」
忠陽は言葉が出てこなかった。
「まあ、その息子には、ここは貴方と父の庭だと言われてたがな……」
忠陽はもう一度その庭を見ていた。
「何か、見えたか?」
「……いえ。どうして僕をここに?」
忠陽は老人に問いかけた。
「なに、儂がお前に興味を持ったからだ」
「興味?」
「正確に言えば、その友の孫がな」
「孫?」
忠陽は、誰かと想像してみた。知り合った中では一番思い浮かぶのは由美子である。
「儂は、若い頃にこの国の闇に出会った。命を奪われる寸でで儂の命乞いを聞き、笑っておった。面白い、ならばその夢を成し遂げてみろと。ただの法螺吹きが、いつしか、儂の本当の夢となり、我が友の夢の一つにもなっていた」
老人は小さな庭を見回す。
「ここは、儂とその友が夢を語るときの場所に、似せて造った。その場所は、今や無くなってしまった……」
「そう、なんですか……」
忠陽は俯く。
「少し興味を持ったか?」
「はい」
「そうか。それだけでも見せたかいがあった」
老人は立ち上がる。
「神無は、元気にしておったか?」
忠陽は老人を凝視する。
老人は不敵に笑った。
「神宮の孫娘と勘違いしていたか?」
「は、はい」
老人は再び笑った。
「奴め、人の倉庫を壊しおって、未だに何も言ってこぬ。そういう所が祖父と父親と変わらん」
「神無さんとは知り合いなのですか?」
「暁とはこの国の闇じゃ。昔は、手段を選ばぬ商売をしていれば、いずれは聞き及んでいた」
老人の眼力は先程の好々爺ではく、鋭利な刃物同然だった。
「貴方は……」
「お祖父様〜。お祖父様〜!」
老人はその声に反応する。
「儂はここじゃ」
薄暗い階段の所から咲耶が顔を覗かせた。
忠陽はそれを見て、立ち上がる。
「やっぱり、こんな所に居て。皆様がお待ちかねです……って、賀茂君? どうしてここに?」
「なに、儂が若い子と話をしてみたかったのだ」
「そ、そうなの……」
「お前は、せっかちすぎる。こういう時は待たせて置けばよいのだ。いいか、それも策の一つだ」
「分かっています。でも、お祖父様が居なくなると、他の者が不安がります」
「まったくこの国の商人は育っておらぬな……」
老人はゆっくりと建物へ向かった。
「お祖父様みたいな人間はこの世に一人で充分です」
「何を抜かすか。このような腹芸など、死線と比べれば遊びに過ぎぬわ」
咲耶は老人の小言を聞き流しながら、手を取りながら階段を降り、建物へ入っていった。忠陽は二人の後に続いた。
中に入ると、老人は忠陽へと向き直った。
「今日は楽しかったぞ。また、話でもしようぞ」
「いえ、本日は、お招き頂き、ありがとうございます」
忠陽は深く頭を下げた。
「よい、そのような挨拶など。儂は社交界など好かん。子供は子供らしくしておれ」
忠陽は苦笑いした。
「そうじゃ。もし、天谷で拠点が必要になるなら、儂か、辰巳に言うが良い。隠れ蓑ぐらい用意してやる」
「お祖父様!」
咲耶は静止するも、老人に黙っておれと返されてしまった。
「よいか、あやつに気に入られたということはそれだけの価値がある。それはお主とって良いことでもあり、悪いことである。それを夢夢忘れるな。儂とて、タダで動くわけではない」
「はい……。分かりました」
「素直な子じゃ。我が孫娘とは大違いじゃのう」
「お祖父様……」
「さて、賀茂忠陽よ。これでお別れじゃあ。次会うときまで息災でな」
老人が朗らかに笑い、階段を登り二階へと上がっていった。
「ごめんなさいね、賀茂君。私のお祖父様は変わったお人だから……。でも、お祖父様があんな事言うなんて珍しいわ。何かあったの?」
「いえ、共通の知り合いが居たみたいで……」
「知り合い?」
咲耶は少し考えていたが、咲耶を呼ぶ老人の声がした。
「はい、ただいま! ごめんなさいね。今は立て込んでて。また、今度じっくり話しましょう」
「はい」
「賀茂君。言い寄ってくる人間には細心の注意を払いなさい。もし、困ったことがあったら、必ずゆみちゃんに相談すること。それじゃあ」
咲耶は慌てながら話し、忠陽がお礼を言う間もなく、階段を駆け上がっていった。
すると、エントランスは急に静まり返った。
忠陽は再び長椅子に座ろうとしたと、忠陽を呼ぶ声が聞こえる。
「いたいた! 賀茂君、鞘夏さんの意識が戻ったわ」
「そうか、良かった……」
「点滴がまだ終わってないからもう少し時間がかかるけど、終わったら家まで送ってあげましょうか?」
「ありがとう。でも、ここまで送迎してくれた運転手さんからは、帰るときは電話をするようにと言われてるから大丈夫だよ」
「そう、分かったわ。点滴が終わったら呼ぶから先に運転手にでも連絡しておいてね。あと三十分ぐらいだと思うから」
「ありがとう」
由美子は笑みを浮かべ、個室へと戻っていた。
忠陽は再びエントランスへと行き、長椅子に座った。目を瞑り、天井を見上げ、深い息を吐きながら、脱力した。
「深い吐息やね」
忠陽は体に鳥肌が立ち、反射的に隣を見る。座る前までは確かに居なかった存在がそこにはいた。
細目の和服姿の男。男なのにその結っている長い襟髪を見ると女性のようにも見えた。礼装とは違い、神事などで使われる格衣に似ていた。その佇まいがどこか浮世離れしている。
男の笑みを浮かべ、忠陽に顔を近づける。
忠陽の体が硬直して動けなかった。だが、その男の不敵な笑みの浮かべ方は見覚えがあった。
「な、な、何ですか?」
「いや、君を見とるんや」
忠陽はその強引さを好きになれなかった。
細目の男は忠陽を無言のまま舐め回すように見る。
「止めてくれませんか?」
「これは失敬」
男は顔を引っ込めた。
忠陽は長椅子の端まで距離を取る。本当は長椅子から離れたかったが、この男の呪力なのか、何かが忠陽の体に絡みつき、思うように動けなかった。
「ど、どちら様ですか?」
「これまた失敬。僕は、笠松蛍と申します」
「嘘、ですよね?」
「なんや、もうバレてもうたか……。なんで、わかったんや?」
「なんとく……」
「そんなことはないやろう。初対面の人間が僕の嘘を見破るには、言葉に乗る呪力を見えんと出来へん。できるのは、君も嘘つきやからや」
細目の男の片目が開く。その目に忠陽は怯える。伏見とは違い、心の中に扉を開けるのではなく、一筋の隙間からと入り込んでくるようだった。
「僕が聞いていた話の人物とは、変わってるようや。より呪術師らしい。ほんまは、君の呪いについて興味があってんけど、君の在り方のほうが面白なっとる」
忠陽は呪いという言葉で、さらに警戒した。
男は忠陽から視線を外し、扇子を取り出し広げた。扇子で口元を隠しながら話し始めた。
「そう警戒せへんでもええやん。僕は、君の味方や……」
「味方……?」
「そう、味方……。神無が君のことよろしゅうゆうとったで……」
忠陽は男の目を見るも、それが本当かは分からない。
「嘘、ですよね」
「正解や」
「どうして、試すような真似をするんですか?」
「試しておらへん……。呪術師とはそういう生き物や」
「僕にはよく分かりません。でも、あなたが危ない人だということは分かります」
「危ない?」
男は急に笑いだした。扇子を閉じ、口を見せる。
「僕よりか神無の方がよっぽど危ない人物や。君は僕の方が危ないと思うてんの?」
「神無さんは嘘をつかない」
男は忠陽を見る。
「それは違うな。神無は君に嘘をつく必要がない。それが君と神無の力の差や」
忠陽はそのことは本当だと思った。だが、それに少しだけ感情が動いてしまった。
「じゃあ、僕と貴方の力は同じくらいなんですね……」
男は声を出して笑う。
「君、オモロイこと言うな。こいつは一本取られたわ」
男は再び、扇子を広げ、口元を隠し、話し始める。
「やけど、君はまだ嘘つきに成っただけで、本当の呪術を使えてへん」
「本当の呪術?」
「呪術の始まりは嘘や。嘘から始まり、真実を歪ませ、虚構を作る」
男の目は笑う。
「君が見ている僕が、いつ本物やと思ったんや?」
後ろから突然、忠陽の左肩の首筋を、扇子で軽く叩かれた。忠陽のその感触にハッとなり、後ろを振り返ると、そこには先程まで正面に居たと男が立っていた。
「そして嘘は、所詮嘘でしかない」
その言葉は先程まで話していた長椅子の端の方向から聞こえる。忠陽はその方向に向くと、口元を扇子で隠す男が元のまま座っていた。忠陽は再び、後ろを振り返るも、そこには誰も居ない。忠陽は正面にいる男を凝視する。
「嘘の味を知ったからといって、呪術が使えるようなったわけじゃない」
男は扇子をパチンと閉じると、扇子はストンと椅子に落ちた。忠陽はその動きに目を奪われたが、すぐに正面を見ると、男の姿はまたも消えていた。忠陽は立ち上がり、周りを見回すも誰も居ない。
忠陽は自分の拳に力が入る。それは紛れもなく現実である。夢のような虚構ではない。
「さて……賀茂忠陽君。君は自身に呪いを掛ける味を知った。いや、君は元から知っていたのかもしれへん……。それで君は、何をするんや?」
空間が徐々に黒くなり、歪み始めた。それと同時に忠陽の目は虚ろになる。
「ぼ、ぼくは……」
黒くなった世界で忠陽が見たのは、老人が棒で少女を叩いていた姿だった。
「ぼ、く、は……」
忠陽は自分の手を見る。少女と同じ小さな子どもの体型に変わっていることが分かる。少女が忠陽の手を取り、呼びかける。
「ハル君」
忠陽はその手を取り、涙が流れ始めた。
「ハル君」
忠陽は少女の手を近づけ、何度も謝り続ける。少女は優しい笑顔で許してくれているようだった。
と、思いきや少女が忠陽の体を急に揺さぶった。
「ハル君、ハル君、ハル君!」
黒い世界が揺さぶられ、次第に黒から白い色に世界が変わっていき、そして燃えるようなシャンデリアの灯に変わっていく。
「賀茂君!」
我に返ると、忠陽は天井を見上げていた。
「しっかりしなさい!」
由美子は忠陽の頬を引っ叩いていた。
「痛っ!」
忠陽は思わず叫び、由美子を見た。
「やっと、正気になった……」
由美子は大きな息を吐き、安堵した様子だった。
「だからって、引っ叩かなくてもいいじゃないか!」
「もう、心配したんだからね!」
忠陽は由美子の急に沸騰した怒りに圧倒され、次に出た言葉が謝罪の言葉だった。
「鞘夏が貴方に何か異変を感じて、私が来てみれば、ぼぉーっと立ってるんだもん。貴方まで熱中症になったかと思ったじゃない!」
「鞘夏さんが?」
「そうよ。急に貴方の元へ行こうとするんだもん。私が代わりに行くって宥めるのが大変だったんだから」
「ごめん。いや、ありがとう、だね……」
「もういいわよ。……で、何があったのよ?」
「いや、変な男の人と話してたら、よく分からない事になって……」
「どういうことよ?」
「僕もよく分からないんだ……」
「まあいいわ。それより鞘夏が心配してるから、顔を見せて上げた」
忠陽は由美子に言われるがままに、個室に向かった。
その最中、先程の男にあったことを振り返っていた。
そう、あれは一種の幻術みたいなもの。
忠陽は自身が化かされていたというのに、あそこまで自身の心の中に入ってくる呪術に興味を持っていた。伏見が使う言霊の一種なのかもしれない。その呪術に対しての興味が家に帰っても消えなかった。
社交界と聞くとねっとりとした気分の嫌な世界であると勝手に思っています。
賀詞交歓会というのが社会にて出てあると思いますが、結局のところ、相手の情報や顔を見ることが目的であり、賀詞というのは名目に過ぎません。
本当にあけましておめでとうなんて言うために来ているのであれば、上司からお前は何しに行ったんだと言われてしまうかもしれません。
客との会話でも何気ない一言から、推理ゲームのように現状と未来予測、そして外面としてはこうだが、本音の部分が見え隠れするものです。
所謂、日本の独自の文化である「本音と建前」というやつですな。
この本音と建前ってユーモアに似ているではないかと思いました。
だから、私は本音と建前を使う人間に対して笑うようにしました。
そうすると、ある人は言います。私は真剣に話しているのに何で笑うんだと。
私はこう返しました。済まない、君のユーモアが面白くて。
銀魂サウンドトラックVol.1
Audio Highs
「俺も、もうジャンプ卒業しなきゃいけねぇ歳だよなぁ」を聞きながら




