第八話 朝曇 身を焦がし 下心を知る 陽射しかな 其の五
四
社交界が盛んな時期は、春と秋。人間が過ごしやすい次期である。夏の時期は京、特有の盆地気候により公家や財界人の多くは避暑地で過ごしている。
一条家は先代の当主、一条彌一郎が海運業にて規模を大きくし、そこから幅広く事業を展開した大和の四大財閥の一つである。その力は国内のみならず、海外でも影響力は強い。
その一条がこの暑い時期に宴会を開くというのであれば、何かあると、悠々自適に過ごしていた公家たちでも一条家の宴会には出席せざるをえない。
京の町並みは建物を高さが低いことでも有名である。特に皇王のお住いであらせられる御所の周辺は二階建てがない。それから十キロ範囲内は高くて二階建てだった。
宴会場の山海菱は、一条が運営する高級会館であり、政治や国際的な式典で使われている場所だった。
夜というのに、柔らかい橙の電灯色が塀の外からも見え、その作りが大和特有の漆黒の瓦に、漆喰壁を使った古風な造りというのが分かる。噂ではあるが、ここに来る他国の要人は中の造園を見て、感動し、写真を撮ろうとするも、止められ、それをもう一度見たいがために訪れると言われている。それほど国際的にも有名な建物である。
山海菱の入口には門があり、その門がカラカラと自動で開く。そこから車で乗り入れできる玄関口に進む。忠陽たちを乗せた車は玄関口に横付けした。車が横付けすると、従業員が車の扉を開け、忠陽たちは降車する。
従業員に案内されるままに、玄関口の扉を跨いだ。
そこには絢爛豪華な世界があった。
まず、入り口から見えたのは巨大なシャンデリ。二階まで吹き抜けになった天井に設置され、その存在感は何よりも目が引いた。橙色の明かりが宝石となって輝き、人々を照らしていた。それだけでも異世界に来たように思えた。
次に目につくのは正面なガラスから見える中庭だった。造園は広々としており、その中に際立つ木の造形と滝と池があった。あたかも、それがガラス越しのキャンバスであるかのように見え、美しい。さらに入り口から見えるこの左右の階段に挟まれると一種の芸術かのように見える。
「忠陽様……」
鞘夏の言葉で我を取り戻し、入り口から動き、会場である黎明の間に向かう。会場の前の受付を終わらせ、会場に入ると、また会場の広さに驚く。
この館は凹型になっており、その東館の一階が黎明の間となっている。黎明の間の奥に行くまでは距離にして五十メートルぐらいはあった。奥には日の出の幕が掲げられており、遠くからでもその凄さが分かる。けして派手ではないが、その色合いの使い方は今にも夜が明けるかのように燃ゆる空を描いていた。
宴会は立食パーティーであり、テーブルがいくつも設けられている。食べ物と飲み物はビュフェ形式であった。並ぶ食べ物はどれも豪華で、一生のうちに何度も食べられないものばかりに見える。
目に映るもの、只々、忠陽は圧倒された。
忠陽はフラフラと会場を歩く。この会場の中では自分の居場所というのが存在しない。居場所を求め、彷徨う姿を心配そうに鞘夏は見つめていた。
そんな忠陽の後ろから近づき、女性が肩を叩く。
忠陽は振り返ると、綺麗な赤のドレス、髪が整えられ、少し巻上げた格好、両手には赤い手袋、首には真珠のネックレスをつけた女性がお淑やかに立っていた。
「ごきげんよう。賀茂君」
「あの、どちら様ですか?」
「なによ、それ!? 本気で言ってる?」
女性の後ろから枯れた笑い声が聞こえた。その端正な老人の顔を見て、忠陽は誰だかに気づいた。
「じ、じ、神宮さん!?」
忠陽の大声は広間の注目を一瞬集めたが、何もなかったように談笑を再開していた。
由美子はため息をつく。
「あのね、ここは学校じゃないのよ?」
「わ、分かってるけど……」
「あまり、大声は出さない方がよろしいですぞ。賀茂様」
「すいません……」
「まっ、驚いてくれたのは嬉しいわ」
イジワルな笑い方を見て、本当に由美子なのだと理解した。
「挨拶はないの?」
忠陽は慌てて、畏まり、片足を一歩引いて、体に手を当てて、礼をした。
「本日はお日柄も良く――」
忠陽の一言目で、由美子は忠陽に顔を見せず、手で顔を隠しながら微笑した。
「なんだよ……」
「ごめんなさいね。それどこで教えてもらったの?」
「マナー本であったんだよ……」
「それ、捨てたほうがいいわよ」
忠陽は頭を掻こうとしたとき、鞘夏から咳払いで注意された。
それを見て、由美子はまた口も隠しながら笑う。
「この場合は礼でいいのよ。海外ではさっきのやり方でいいかもしれないけど」
「そうなんだ……」
「挨拶はこんばんはでもいいわ。貴方の場合は殆ど、初めましてかしら」
「ありがとう、神宮さん」
「さて、挨拶回りに行こうかしら。準備はいい?」
忠陽は自分の蝶ネクタイの位置を整え、服装にシワがないかを確かめる。
「うん、大丈夫」
「良かったわ」
忠陽は由美子の後に続いて、歩いた。
歩いて十数歩で、すぐに由美子に挨拶をする者が現れる。
「これはこれは、由美子様。ごきげんよう」
相手は由美子に礼をする。
「ごきげんよう。柳原様」
由美子も返礼をする。
「いやいや、会うたびにお美しくなられておられる。今度会うときは心臓がやられないように気をつけないと」
「ありがとうございます、柳原様。私などはまだまだ子供です。柳原様の心を射止めるにはまだまだお力が足りないと思います」
「何を仰られますか。貴方はこの会場で一番輝かれております」
「まあ」
二人は顔を見合わせ、笑っていた。
普段の勝ち気な由美子を知っている忠陽は、由美子のその物腰の柔らかさに驚いていた。
「柳原様、彼は私の学友の賀茂殿です」
由美子はさり気なく、忠陽を紹介した。
「は、初めまして、柳原様。賀茂忠陽と申します。以後、お見知りおきを」
忠陽は柳原に礼をした。
「いや、こちらこそ初めまして、賀茂殿」
柳原が返礼をする。
「お父上とは何度かお会いさせて頂いております。このような凛々しいご子息が居たとは存じ上げませんでした」
由美子はふふと笑った。
「彼は社交界に参加するのは今日が初めてらしてよ」
「そうですか。初めてということは何かと大変でしょうに」
「本日は、父の名代としてお伺いさせて頂きました。今後ともよしなに」
「なるほど。大変なお役目だ。頑張ってくだされ」
「ありがとうございます」
忠陽は落ち着きながら礼をする。
「ははは。私の方からも忠臣殿には素晴らしいご子息だとお伝えしておきます。ところで、由美子様。お父上は、本日はご出席はでいらっしゃいますか?」
「はい。父は、いつもの幕の近くに居られます。是非、ご挨拶頂きたく存じます」
「ありがとうございます。早速、ご挨拶を。これにて失礼致します」
柳原は礼をすると、悠然とその場から立ち去った。由美子は笑顔で返礼をし、見送った。
柳原が遠くに離れると、忠陽は深い息を吐く。
「気を抜かない」
由美子は忠陽を見ず、笑顔のまま、冷静に言った。
「ご、ごめん」
「謝らない。姿勢を崩さない」
忠陽は姿勢を正した。
「ここからはもうさっきとは違うわ。貴方の行動一つ一つが自分の家に返ってくる。それに、私への態度で貴方がどういう人間かを見られるの。注意しなさい」
由美子は平然とした顔で、忠陽に忠告する。
忠陽は後ろを向く。そこには数歩離れた場所で忠陽たちに従うように、漆戸と鞘夏が毅然と立っていた。
忠陽は目を瞑り、気持ちを入れ替え、目を開けた。
「わかった」
由美子は忠陽を見ると、そこには男らしい人物がいた。それに由美子は見惚れていた。
「どうかしたの?」
「えっ? 別に……」
由美子は顔を背け、歩き出した。
由美子と会場を歩くと、すぐに人に呼びかけられる。他愛のない会話をし、忠陽を紹介し、忠陽が挨拶をして、その場から離れる。それを何度も繰り返した。ただ、会場の奥へ歩いているのにすぐに止められるのはやはり神宮という名の力であった。それに相応した由美子の対応を、忠陽は心の中で称賛する。
高々十五年生きた同い年の人物なのに、相手に綺麗な言葉で返し、楽しませる姿には舌を巻く。現に忠陽は由美子の庇護のもと、試行錯誤をしながら話をするしかできなかった。変な質問に対しては由美子が話を反らし、対応が分からない場合には由美子が間違った対応をして見せて、笑いをさそう機転には恐れ入る。
それだけ、彼女が生きてきた十五年は学校で見せるものとは違い、厳しいものなのだと忠陽は知った。
幕の近くまで来たときには、もう一時間を過ぎようとしていた。忠陽はこの会場の熱気に当てられいるのか、背中のシャツが肌に張り付くのが分かる。周りを見ても、肌に汗が見える者もいるが、熱いという顔を出さずに、笑顔で話をしている。
空調効いていないわけではない。たまに感じる冷気に背中がひんやりとするが、それよりもここに居る人間の何かがそうさせているのではないかと感じた。
「お父様」
日の出の幕の近くにいる綺麗な佇まいの男に由美子は声を掛ける。男は今まで話していた方々に軽い挨拶をして、由美子のもとに近づく。
「由美子、いつもより遅かったではないか。どうかしたのか?」
「彼を案内していたの」
「彼?」
忠陽は一歩前と出て、挨拶をした。
「初めまして。賀茂忠陽と申します。由美子さんには学校ではいつもお世話になっております」
「賀茂……。そうか、君が忠臣の」
「はい」
「私は神宮功岐だ。今後とも、このきかん坊のことを頼むよ」
功岐は忠陽に手を差し出す。忠陽は握手をしっかりと交わした。
「お父様」
由美子の顔は少し歪んでいた。
「いえ、学校ではいつも私の方が助けられています」
「そう言って貰えると嬉しいよ。この前も娘が急に押し掛けたみたいで申し訳ない。だが、麻美さんにはしっかりと牽制を食らったようだが……」
忠陽は作り笑いをした。
「その件に関しては、申し訳ございません。母があんなことをするだなんて思わなかったので……」
「謝る必要はない。君の母上とは知らない間柄ではない。我が妻も君の母上が息災で何よりだと喜んでいた。それに、その件については我が娘が誤解を生むようなことをして申し訳ない」
功岐は由美子を見る。由美子は顔を背ける。その様子を功岐と忠陽は見て、笑った。




