第十一話 始まりは敗北から
一
天谷市の外れにある学戦試験場は昼間であろうとも廃墟都市と呼べる。
剥き出しのコンクリートは潮風に当たり、塩害によって白くなっている。そのコンクリートの壁は学生たちの抗争で抉れていた。抉れた箇所から覗かせる鉄筋はすでに茶色となっており、この建物の風化を感じさせた。もし、この場所に人がいれば、白と茶色は目立つことはない。無機質なコンクリートであっても人の温もりが感じられる場所になっているはずだ。
長い一筋の黒い線が、その塩害の証である白を削り取る。黒い線は持ち主の元へと帰り、短い短鞭へと変化した。
氷見朝子は息を整えるために、深い呼吸をする。空気を吸うときに潮の香りが入ってきた。体は汗と潮風でベトベトのように感じ、不快である。それに和をかけるのが目の前の存在だ。
神宮由美子。この呪術研究都市で一番のお嬢様、いやお姫様と言える存在。単純に自分の家名に驕る存在であれば、朝子はなんとも思わない。神宮由美子は品行方正、才色兼備、どこをとっても非の打ち所がなく、また、そうであるための努力を惜しまない。今も朝子の前で余裕な顔をしている。
その少しも弱みを見せない所が朝子を苛立たせる。今も顔ひとつ変えず、息を切らすことなく戦っている由美子と自分を比較し、朝子は何故と疑問を頂いていた。由美子に一撃を与えるどころか、近づくのも難しい。二年生である魯虎鷹と二人がかりというのにまったく攻撃が通らない。
朝子は蛇のような軌跡を描きながら走り出す。これは朝子が意図的に行ったものではなく、そうせざるを得ない状況に追い込まれていたからだ。
朝子がその素早い動きで、由美子に近付こうとするも、由美子が弓を引いた瞬間、任意の場所から矢が現れ、朝子に襲いかかる。その出現場所を特定するのは難しく、魯でさえ、初めて見たとき対応しきれず、呪具の保護機能が発動した。矢は単純な弾道もあれば誘導をするものもある。朝子はそれを避けながら、由美子との距離を縮めなければいけない。近づいたと思えば、短距離の魔術。それを突破しても、由美子との格闘戦が待っている。
このお姫様、得意なのは遠距離による攻撃なのだが、格闘戦はその次ぐらいに教育されており、ただの呪術師と思って戦えば痛い目を見る。最初は朝子を含め、五人がかりで戦っていたというのに今は朝子と魯だけである。
半月。学戦トーナメントからたった半月でここまで差が開くものなのか。朝子は鉄鞭と、一条財閥の試作の警棒を強く握りしめる。
朝子とて何もしていないわけではない。佐伯総将の紹介で、皇国陸軍が一般人にも開いている道場に通いだしていた。そこは当然、佐伯流刀剣術の道場であり、朝子は門弟だと認めないが、実質的に門弟となっている状態だった。最愛の人との時間を削ってまでも力を求めたというのに、目の間にいる女はそれを軽く超えていく。
「氷見さん……」
「分かってるわよ!!」
その返事で、誰でも朝子の苛立ちがはっきり分かる。
朝子たちの目的は由美子の足止めだった。由美子を倒すことは入っていない。この作戦の立案者である魯の考えである。
「今の神宮さんを倒すのは無理でしょう」
事前の作戦方針で魯は断言した。周藤たち三年生はその作戦に否定的な者はいなかった。むしろ、周藤たち三年生は二年生である魯の作戦に賛同していた。これは周藤と黄倉が次代のためにと寝回していたこともある。魯は次期生徒会長としては当確状態であり、この学戦も次の体制への引き続きであった。
本来なら魯は前線に立つべきではないのだが、学戦で翼志館高校に勝つためには由美子をどうにかしなければいけない。そのために、魯は敢えて周藤の隣ではなく、朝子の側でサポートする方を選んだ。
魯の得意とする武器は短刀、その両手使い。朝子と同じく呪術の素養はなく、身体向上しか使えない。魯の最大武器はその戦闘思考である。相手に対して優位な状況を作ることを得意とし、学戦リーグでも竹中に対して常に優位を取っていた。
その魯が由美子に対して優位を取れず、五人掛かりでも倒せない理由は、単に由美子との力の差がありすぎるからだ。そういう相手には対して、同等の人物がいれば魯の思考を活かせるが、そうでなければ用意に倒されてしまう。そうは言っても、体術は炎の体育教師である宗丈尚の熱血指導もあり、忠陽よりも戦える。
魯は神宮由美子を直接見ていて良かったと思うも、そろそろこの拠点の防衛を維持することが難しいと考えていた。ただ、作戦上、既定路線である。神宮由美子をこの場に足止めすることで、残り二拠点は周藤たちが勝ち切るまでの時間稼ぎが楽になっている。
本拠地は黄倉が守っているため、例え宮袋大地が攻めたとしても用意には陥落しない。周藤と甘利、亜門は攻撃部隊の隊長として各拠点を攻めており、周藤は十分前に一つの拠点を攻めて落としたと報告があった。今は二つ目の、絹張が守っている拠点に攻めかかっていると聞く。母里と高橋が、自分が守っていた防衛拠点を捨てて、絹張に合流したと報告があったが、甘利と亜門が合流すれば翼志館よりも先に最後の拠点を攻め落とせるだろう。
魯の中ではひとつだけ、気掛かりがあった。それは竹中だ。防衛拠点の配置から今回指揮しているのは竹中ではないことは明らかだ。自分たちと同じく、次代に引き継ぐための戦い。だが、このお些末な戦い方は魯を落胆させるものであった。
絹張紫苑、君では無理なのか。
魯の意識は戦いの外にあり、それが見透かされたように由美子からの矢が降り注ぐ。避けられるものは避け、難しいものは撃ち落とす。
魯は、自分なら神宮由美子を防衛部隊に入れると、自分に訴える。だが、敵はそれをしないという容易に予測できた。絹張の戦術には神宮由美子を取り込むという考えがないからだ。それは学戦リーグの表彰式前ではっきりと分かった。自分が提案した次期生徒会長就任の手助け。彼女がそれを受けいれないと分かっていたが、そのとき発した言葉は竹中という存在への執着だった。絹張の行動原理は竹中のためにある。だから、それ以上に目立つ存在、特に神宮由美子への対抗意識が強い。絹張が竹中の理想をなぞるためには、この戦いで影響力のある神宮由美子を活躍させるわけにはいかないのだろう。
それを強く思わせるのが、賀茂忠陽の存在だ。もし、竹中が考えた作戦なら賀茂忠陽と真堂鞘夏は神宮由美子と同じ部隊に入れる。連携がどうとかではなく、それだけで敵の士気を削げるからだ。学戦リーグ優勝チームの三人。見ただけで、人々は警戒心を上げるとともに勝てるのかという疑問が残る。その疑問は恐怖心へと変わり、戦う意思を挫く。
魯の考えがそこに行き着いた時、学戦の終了を告げるサイレンが鳴り響く。
由美子はそれを聞いて、すぐに武器をおろした。
彼女はこのことに気づいているのだろうか。朝子に近づく由美子を見て、魯はそう思った。
「お疲れ様」
由美子は疲れた様子もなく、朝子に握手を求める。朝子は肩を上下に動かしながら、その手をはたき落とした。
「痛い! 何するのよ!?」
「何って、敵なのよ? なんで握手する必要があるのよ!」
朝子の返答に由美子は口を尖らせる。
「なによ、その顔?」
「別に!」
魯は自然と笑みが溢れる。その笑みは二人から自然と視線を集める。
「なによ!?」
朝子の矛先が自身に向いたと魯は悟った。
「氷見さん、学戦は終わったんだ。今は、友人として互いの健闘を称えるべきじゃないか?」
「健闘ね……」
朝子は魯を睨む。それを無視して、魯は由美子に握手を求める。
「さすがは神宮。僕ら、二人では手も足も出ない。物足りなかったんじゃあないかな?」
朝子はそっぽを向いた。
由美子は魯から差し出された手を握った。
「いえ、私は今やれることをやりました」
「なら、僕らはなんで立っているのかな? 君が本気を出せば、僕らを倒せたはずだ」
「嫌味な奴……」
朝子は魯たちに聞こえるように言う。由美子と魯は互いに苦笑いした。
「氷見さんは、友人が馬鹿にされて、ご機嫌斜めのようだ」
「なんでそうなるのよ!」
魯はまた朝子を無視して、由美子に尋ねた。
「ところで、神宮。君は本当に生徒会長選挙には出ないの?」
由美子は少し考えた素振りをしながら、答えた。
「私が出たら困るんじゃないんですか?」
魯は質問の意図に由美子が気づいていると悟った。それは当然のことだ。由美子には賀茂忠陽がいる。当然、昨日のことは知っているのだろう。
魯はその問いにいつもの通りの表情で返した。
「君が生徒会長であれば、今日負けたのは僕らの方だっただろう」
「それは分かりません。もし、私が作戦を立てたとしても、今の私では魯さんに作戦負けたんではないでしょうか」
由美子のその顔は大人びていた。
魯は、朝子たちに見せる顔とは全く違うものだと思った。
その表情をよく知っている。彼女はその歳で多くの大人たちにどれほど本音を隠したのだろうか。それが悲しいほどに綺麗な顔だと魯は思えた。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。ただ、今回の戦いの感じでは、次期生徒会長として僕は胃が痛くなるほど、君の対策に奔走しなければならないね」
「そうですか。そう仰って頂けるだけで光栄です」
「ここは副会長に頑張ってもらうしかないね。実は誰かはもう決めているんだ」
「どなたですか?」
「氷見さんだ」
「はぁぁぁぁぁ?」
朝子は感情が顕になっており、体を震わせながら、魯を問い詰める。
「亜門は!?」
「彼は体育委員長だよ」
「なんでよ、あいつが副会長でしょう?」
「違うよ。副会長は君だ」
朝子の狼狽っぷりに、由美子は口を手で覆いながら笑う。それも束の間、由美子は真面目な顔をして、魯に話しかける。
「魯会長、折いってご相談が……」
朝子は舌打ちをしながら、引き下がった。
「神宮会長、何かな?」
「私は生徒会長ではありません。これは個人的なお願いです」
魯は鼻で深呼吸をする。由美子はそれを見て、口を開く。
「海風高校についてお願いしたいことがあります」
魯は由美子が話したいことが、領地割譲の件だと察した。
「まだ、海風高校と決まったわけじゃないよ」
由美子の真剣な目を見て、魯は仕方ないと諦めた。
--------------------------------------------------------------------------------------
由美子が翼志館高校の本拠地に戻ると、生徒たちは撤収作業をしていた。
「お疲れ様、由美子くん」
ニコニコとした表情で由美子を労うのは翼志館高校生徒会長、竹中亮だった。
由美子はメガネの奥にある笑顔を見ると、無条件で眉間にシワを寄せてしまった。
「どうだったかい? 何か得られるものはあったかい?」
「何も!」
「その様子だと、魯くんに足止めされたようだね」
「ええ、会長のご想像通りに!」
由美子は思わず声を上げ、竹中の前を通り過ぎた。竹中は苦笑いになった。
「ところで、由美子くん。海風高校の引き継ぎは君に任せるよ」
竹中からそう言われ、由美子は足を止める。
「別の方でもいいのでは?」
「その方が君もやりやすいだろう。魯くんに会ったということは、君のことだ、ある程度は話をしているのだろう?」
由美子は平生を装うとするも、顔が崩れていた。
竹中は知らぬふりをしながら、戻ってきた忠陽に近づき、労いの言葉をかける。
忠陽は困った顔しながら、由美子を見るも、由美子の表情で何かあった事を悟り、自分でなんとかするしかないと腹を決める。
「あー、由美子くん。人材の件は引き続き頼むよ。君は分かってくれていると思うが、今回の敗北で我々は戦力の増強が必要だ」
由美子は竹中から視線を反らす。
「なに。君たちは学戦リーグに優勝した人間だ。君たちが人材を探しているとなれば寄って集るというものだ」
竹中は楽しそうにしていた。
絹張は二人と接する竹中の姿を、拳を握り、奥歯に力をいれ、悔しさを噛み締めているかのよう見ていた。
高評価、ブックマーク、感想もよろしくね。




