第十話 人にして人にあらざるもの
由美子は遠くに居る強敵に対して、何かを思うことはなかった。この一射で戦いを終わらせる。そのためにはできることをやる。ただ、今の今までこれから使う術が成功した試しがない。
由美子は目を閉じ、心の海を泳ぎ始める。
由美子は父である功岐からは奥義と呼ばれるもの以外の神宮の術を一通り指南されている。その中で出来なかったのはこの術だけだった。この術は神宮の奥義である久遠へとつながる。
神宮には代々伝えられている教えが存在する。
無から有を。有から無を。
神宮の術の根本にあるのはその教えであり、由美子が呪力で弓と矢を作り出せることや、浄化の力はその一端にしか過ぎない。
由美子は甘えるように神無にその術のコツを聞いたことがある。神無は由美子をはぐらかすように由美子の頭を撫でる。
「ゆみ、すべてはお前たちの教えだ。無から有を。有から無を」
神無は別の一族の人間である。その人間が自分よりも神宮の教えを知っていることに由美子は腹を立て、頬を膨らませていた。それが神無との最後の会話だった。その事を由美子は深く後悔していた。それ以来、稽古事も勉強も自分のためではなく、ただ必要なものをこなすだけもの成り果て、あの夜までただ漫然と過ごしていた。
一つの弦の音だ。その音で、由美子はまだ日が昇っていないのに目覚めた。極楽浄土とも思え、絢爛豊かな景色を映し出し、それがどこまでも響き渡る。由美子はその音を本能で感じ取り、最愛の人が生きていることを知り、涙が溢れ出た。
その音色が聞きたくて、由美子はそれ以降、漫然とした日々を終わらせ、本当の稽古を始めた。その気持ちを察したのは他ならぬ執事の漆戸九郎だった。漆戸は弓稽古のときだけは姿を見せなかったが、最近、小言を言いにやってくる。
「まだまだですな。それでは遠く及ばない。姫様は神宮の教えを理解していない」
神無が死んだと漆戸から告げられた次の日、弓稽古で同じようなことを言われ、大喧嘩をしたことがあった。それ以来、漆戸は弓稽古のときは寄り付かなくなったというのに最近は随分と口を出してくるようになっている。
「神宮の術は無から有を生む術。その音色では何も生み出せませんなぁ」
神宮の血を持たぬ者からの言葉は、傍若無人かのように思え、怒りをフツフツと湧いてくるが、不思議とこの翁の言葉は正しく、神宮の者よりも神宮を理解しているように思えた。
「姫様、それではいつまで経っても久遠は撃てませぬ。それよりもまずは極光を一度なりとも成功させませ。光を超えた先に無窮の彼方が見えてきます。貴方が見えている世界はそんなに小さきものでしょうか」
光を超える? 荒唐無稽な話だ。それにそれをどうやって行えるというのだ。由美子はいつもながら腹ただしいと思っていた。
「そのご様子ではまだまだこの爺やにも及びませぬな。あなた方は人にして人あらざるもの。この世の摂理に従うのであれば極光は撃てませぬ」
人を辞める。また人を食ったように言う。邪魔をするなら帰ってほしい。そう思っていた。
合宿の時、橘樹はつまんなそうに由美子の射形を見ていた。
「なによ、その顔を」
由美子は思わず、樹に言い放つ。
「だってさー、ゆみちゃんの弓、あ、なんかギャクみたいで、これは面白い!」
「バカにしてるの?」
「まあそうなんだけどさ、単純に見ててもつまんないんだよね」
由美子は飛びかかると、この女の思う壺だと思い、堪えた。
「極光だったっけ? どんな術かは知らないけど、今のゆみちゃんじゃ出来っこないよ」
「なんでそんなことが言えるのよ!?」
「だって、ゆみちゃん、そのイメージがまるで無いじゃん。難しく考えすぎなんだよ。あの紫電って術よりも強いんでしょう? だったら、まずゆみちゃんが人間を辞めるぐらいしないと」
由美子は漆戸と同じ事を言っていることに気づき、樹に問う。
「どうして人間を辞める必要があるのよ?」
「あれ? あたし、おかしいこと言ったかな? ってか、大体の呪術師は人間であることを辞めないと上には行けないでしょう。器はあたしたちの牢獄でもあり、枷なんだ。呪術師はその枷を外して、より高みを目指す……じゃなかったっけ?」
由美子は樹から顔を背けた。樹は笑いながら、由美子に近づき、体を触ろうとする。由美子はその手を払い除けた。
「ちぇー。色々と教えてるのにサービスしてくれないんだ?」
「サービス以上の何かを取られるような気がして嫌よ」
「なら、お姉さん、もうちょっとサービスしてあげる」
樹は猫が甘えるように由美子に近づき、言い放つ。
「ねえ、なんでそんなに人の皮を被ろうとしているのさ」
耳に聞こえるその低い声は由美子の心を揺さぶり、身の毛がよだつほどだった。樹の顔は悪魔のように見え、由美子の反応を見ている。そのことに気づいた由美子は樹を払い除け、距離を取る。樹はその反応を見て、笑っていた。
「ゆみちゃん、いいね。……でも、ゆんの方が面白かったよ」
「なんで、あの女が出てくるのよ!」
「ゆんはね、私は化物になれるかな? って聞き返して来たよ」
その事実に由美子は驚愕する。あの女は自分が化物になったとしても構わないと思っている。その根底にあるのは暁神無への執着心だろう。
「ゆみちゃんはどうする? それでも人として生きていきたいの?」
由美子は忠陽から言われた神無の言葉を思い出す。
「呪術は人を殺す道具でしかない。そして、人を不幸にする。だが、人を幸せにすることもできる。お前は何のために呪術を使う」
その言葉への答えは正直未だに見つからない。だが、ひとつだけ言えるのは、ここまで来れたのは鞘夏、氷見さん、宮袋くん、藤先生、葉さん、典子さん、そして賀茂くん。この仲間が居たからここまで来れた。私はその人達のためなら、人間でいることを辞められる。
由美子はその目を見開き、敵を見た。敵はこちらをずっと見ている。その視線を逸らすことなく、攻撃を待っている。ただ、その男からは自分が放った攻撃を跳ね返されるイメージはなく、なすすべもなく、極光の余波を受け、吹き飛ぶ姿しか想像ができなかった。
由美子は微笑む。
これが、兄さんたちが見えている世界。
そこには由美子が想像した世界しか見えない。人が持っているマナ、建物に存在するマナ、この世のマナがすべて知覚できる。幻覚かと思える世界は光が揺蕩う無窮の世界だった。
由美子はその光が自分の放つ呪力の音色で動かせると感覚で理解した。故に、ただ弦のみを引く。光は集まり、矢を作り出す。それがなんども由美子が想像するように真の顔の側面を通り抜け、その後ろの建物を壊し続け、地平線に消えていく。何度も行なっても変わらない事実。由美子の呪力に反応するかのようにマナがその事実を書き込んでいく。
「氷見さん、いつでもいいわ」
由美子の声を聞き、朝子は走り出す。警棒に溜め込んだ呪力は溢れ出ており、放出されるのを待っているかのようだった。
「くらえぇぇぇぇぇっっ!!!」
朝子は警棒を振り下ろし、光り輝く呪力を真にぶつけた。
「天野川流、奥伝。乾為天」
真は朝子の呪力を吸い取り、その力を自分のものにしようとしたとき、その中に舌なめずりをする蛇が見えた。その蛇は真に纏わりつこうとしたが、真は自らの闘気を利用して、その不純物を弾き飛ばし、かき消した。蛇は女の声を上げて消えていった。
「これで最後よ! 極光!!!」
由美子の弦の音が鳴った。その音を間近で聞いていた朝子や藤、遠山、浩平たちは口を揃えて言っていた。あの音は勇ましいが、人の心を穏やかにするものだった。
真は由美子から何かが放たれたのを気づき、攻撃を放つ。
「天野川流、極伝。梵天!」
その技は真を中心に闘気が溢れ出し、天へと上っていった。周囲五メートル範囲は闘気の吹き出しによって、瞬時に建物を破壊され、天井にあった雲さえも散らされていた。
朝子の呪具は瞬時に危険だと判断し、呪防壁を展開したが、その威力があまりにも強く、数秒後には呪防壁を破壊し、朝子を吹き飛ばしていた。朝子の呪具は呪防壁の展開と破損を繰り返しながら、梵天の範囲を超えると、朝子が建物に叩きつけられる前に最後の力を振り絞り、呪防壁を展開させ、朝子を守った。建物中にめり込むと、その役目を終えたかのように呪具が煙を上げて破損する。
梵天が終息していくと、その中心には真が立っていた。
「武選手、神宮選手の攻撃を受けきった???」
観戦会場の誰もが息を呑んでいた。
真が一歩も動かないことに会場の誰もが疑問に思い、ざわざわと声がし始めた瞬間、八雲が口を開く。
「その術を防ぎたいのなら、撃たせないことをおすすめするぜ」
真はなにかに打たれたかのように口の隙間から吐血し、次の瞬間には体ごと吹き飛び、真を守るように呪防壁が展開する。真はそのまま建物にめり込んだ。
その結果に観戦会場にいる翼志館の生徒たちは歓喜の声をあげる。
「か、か、か、勝ったのは、チーーーーーム!! 五芒星! 第一回学戦リーグの優勝は一年生だけで構成された超新星チーム! 五芒星だぁぁぁぁぁ!」
藤と葉は喜びの声を上げ、抱き合っていた。それに乗っかるように典子が抱きつく。
「やった! やった! やったよ!」
藤は嬉しくて涙が溢れ出ていた。
鞘夏はモニターで由美子を見つめながら、スカートの裾を強く握った。
「真堂、真堂! 由美子やったよーー!」
葉は鞘夏に駆け寄り、鞘夏の手を取った。
「は、はい……」
「なんだよ、こういうときは喜べよ!」
「は、はい!」
鞘夏も葉の嬉しそうな顔につられて、自分の顔が綻んだ。
「由美子ぉぉぉ、朝子ぉぉぉ、おめでどゔぉー」
葉は通信で最後には感極まったのか、泣き始めていた。
「あ、ありがとう、葉さん。それよりも、氷見さん、大丈夫?」
「だ……じょじょ……ぶ……わけ……でしょう?」
「あれ、朝子がバグってる。藤ちゃん、どうしよう!!!」
葉は藤に泣きついた。
由美子は朝子の元へ駆けつけようとしたが、その場で膝がくずれてしまった。それから極度の頭痛と力が抜けていくのが分かった。
「まずい……これが反動……」
由美子はその場から動けなくなった。
「ゆみさん? 大丈夫ですか? ゆみさん!?」
「うん、大丈夫よ。鞘夏。私、今動けないみたい。氷見さんのことお願い……」
「分かりました。今、大会委員が動いているみたいです。ゆみさんのところにも、もう時期、人が行きます!」
「ありがとう、鞘夏……」
由美子は鞘夏にお礼を言うとその場に崩れ、瞼がゆっくりと落ちていった。
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