第十話 負けを認めるな
八雲は夜遅く、漆戸から呼び出され、天谷市の神宮邸に訪れていた。外から見ても、屋敷の中は寝静まっている様子だった。玄関から入ると、漆戸が出迎えに来ていた。
「夜分遅くにお呼びして申し訳ございません」
漆戸は深々と頭を下げていた。
「お前が俺を呼び出すというのは珍しいな。……ゆみか?」
「はい。姫様には今日のことは忘れ、寝ていただくようにお話をしましたが、聞き入れて貰えず。私が部屋に入ることも嫌がるのです」
「昼間のことか……」
「姫様なりに責任を感じているのです。切り替えるのも必要だとお話しましたが……」
「よっぽど、堪えたんだな。俺は悪くないと思ったんだがな」
「私もそう思います。得られるものはあったと思いますが、姫様は気づいていないご様子です」
「必死だったんだな……」
漆戸は頷く。
「分かった。俺が行くよ。親父はもう居ないんだろ?」
「でなければ、お呼び致しません」
「ありがとう、九郎」
八雲は由美子の部屋のドアの前に立ち、ノックをする。
「誰!?」
「俺だ。ゆみ、入るぞ」
「入らないでよ! 今、それどころじゃないの!」
八雲は由美子の言葉を無視してドアを開け、入る。入った瞬間にクッションが八雲に飛んできて、顔面に当たる。八雲は倒れてしまった。部屋の外から漆戸が見ており、八雲の情けない姿にため息を吐く。
「入らないでって言ったでしょう!」
八雲は顔にあるクッションを取り、身体を起こす。
「そんなこと言われてもな……」
「どうせ、爺やの差し金でしょう!? 私は明日のためにやるべきことをやっているの!」
「俺だって、九郎だって分かってるよ」
八雲は立ち上がり、気が立っている由美子を宥めようとする。
「だからって、夜通しで考えるのか? それは逆に足を引っ張るだけだぞ。今日、できなかったことは忘れる。明日のためにできることは寝ることだ」
「私は兄さんみたいに能天気にはなれないわよ!」
由美子の言葉が八雲の胸に突き刺さり、八雲は胸を抑える。
「ゆみちゃん、能天気はないんじゃないか……」
「うるさい、うるさい、うるさーい! 私にはチームを勝たせなきゃいけないの! 今できることをやらなければ、今日以上に後悔するわ!」
「どうして、ゆみだけが背負う必要がある。賀茂達がそう言ったのか?」
「言わないわよ! 言うわけないでしょう! ……でも……私はチームを勝たせる責任がある……」
由美子の目から涙が流れる。
八雲はクッションを持ちながら、整えられたベットに座る。
「なら、なんでそんなに勝ちにこだわる。それはゆみだけの思いじゃないのか?」
由美子は八雲を睨んだ。
「兄さんに分からないわよ!」
「そうだな。俺は家を捨てた。ゆみが抱えているもの全部が嫌になって、捨てたんだ」
由美子は悔しそうな顔をした。
「これでいいか? これでゆみは満足か?」
八雲は由美子を鋭い目つきで見ていた。由美子はその目を見て、手に力が入り、持っていた紙がクシャッとなる。
「でも、それは本当にチームのためか? 違うだろう? 自分のためだ。今日の悔しさは何だ? 自分が上手くいかなかったから俺に――」
「違う!」
「じゃあ、何だ? ゆみは何のためにやってるんだ?」
「私は! ……チームのためよ……」
「チームはゆみの目的のためのものか? そりゃ、お前らは今更全員で仲良くする気なんてねえだろうし、ゆみの言う事を聞いてくれるのは賀茂と真堂くらいだ。チームのことを真剣に考えていたのはゆみと賀茂と真堂くらいだろうよ」
「違う! 他にも居る!」
「そいつらは今日負けて、ゆみのことを責めたか?」
「そんなことするわけないじゃない!」
「なら、なんで今日負けたことの責めをゆみが背負う必要がある?」
由美子は鼻をすすりながら、八雲を見ていた。
「合宿で言われた良子さんの言葉が気になっているのか?」
由美子は首を縦に振る。
「ゆみ、こっちに来い」
八雲は自分の隣を叩く。由美子は不満そうにしながら、そこに座った。
「いいか、俺はクソジジイが嫌いだ。嫌いだが、あのジジイの言っていることにはたまにまともな事がある。あいつは俺にこう言った。お前は顔に出過ぎる。勝負事で負けたとしても厚顔無恥を装えってな。確かに神宮という名を汚さずにいることは大事だ。ジジイには散々、負けたら恥だと言われてきた。だけどよ、負けることはいくらでもある。神宮だってそうさ。そんなとき、オヤジやジジイは負けても負けを認めない。むしろ、済ました顔で居るんだ。最近、その理由が分かってきたような気がする」
「……どうして?」
由美子は鼻をすすりながら聞いた。
「完全に負けてないからさ。生きていれば、なんとでもなる。完全に負けていなければ、次、戦いを挑んで、勝てばいい。ジジイもオヤジもそうやって、二回目や三回目で相手を完膚なきまで潰すか、屈伏させてきた。俺達が勝てなかったのは暁だけだ。だから、ジジイもオヤジも、暁を嫌ってるんだよ」
「……でも……今日は今日だけだよ……」
「本当に今日だけか? 明日も明後日もあるんだろう? ゆみたちが優勝すれば結局勝ったのは、ゆみたちだろう?」
由美子は頷く。
「それにゆみはあの生徒会長に負けてない。ログを見てみろよ。あの生徒会長の動揺っぷり。ざまあみろって思わず言ってやったぜ」
「それは兄さんが私贔屓だから……」
「当たり前だろう。可愛い妹を四人で寄って集って攻めるんだ。怒らない兄がいると思うか?」
「もう兄さんったら……」
由美子から笑みが溢れていた。
「ゆみが気づいていないから言うけど、ゆみはあの生徒会長の陣を一人で破ったんだ。神宮の教えを覚えているか?」
「無から有を。有から無を」
「そうだ。ゆみなら、俺にできなかったことをできるようになる。今日、ゆみは無から有を作ったんだ。でなければ、概念呪術を破ることはできない。次は必ず極光を撃てる」
由美子は俯く。
「なんだよ。俺の言葉が信じられないのか? ゆみには嘘ついたことないだろう」
「ある。いつも、兄さんは嘘ついて、私を困らせてる」
八雲は思い当たるフシがある顔していた。
「だから……私の髪を解いてよ」
「仕方ないな。いつまで経っても、ゆみは俺のかわいい妹だよ。櫛は?」
由美子は無言で櫛を八雲に渡し、背中を向ける。
八雲は微笑みながら、由美子の髪を解いていく。
「懐かしいな。本邸でよくお前の髪を解いてたな。そうしないと、ゆみは全然寝てくれないんだもん」
「私の髪はいつも綺麗じゃないといけないの。兄さんみたいにボサボサ頭じゃお母様に怒られるんだもん」
「九郎はこういうのが下手くそだし、侍女どもはお前に怒られるのが怖くてやらないし」
「だって、あの人達、適当にやるのよ。兄さんみたいに優しくないし」
「そうか? おれも適当にやってるんだけどな……」
由美子は意地悪な笑みを浮かべていた。
「ねえ、兄さん。明日は宮袋くん入れるつもりなの」
「そうなのか? いいじゃないか」
「どこかのお節介な人と、優しい兄さんが、みっちり扱いてくれたみたいだからね。私、期待しているのよ」
「なんだよ。ちゃんと調べてるんじゃねえか」
「風の噂よ。風のウ、ワ、サ」
「あとはね、氷見さんと賀茂くんと私で、他の三人と戦うの。でも、重要なのはあのカッコつけの周藤さんをどう倒すかなの」
「どう倒すんだ?」
「弓は使えない。だから、賀茂くんに手伝ってもらう。賀茂くん、今日は頼りがいのある人だったな……」
八雲は櫛を止める。
「おい、ゆみ、それはどういう意味だ?」
「兄さん、櫛止まってる……」
八雲は渋々、櫛を動かし始めた。
「氷見さんはね、今日、後二日ぐらいは味方になってあげるって言ったの……」
「氷見らしいな」
「嬉しかった……。味方だって言ってくれたこと……」
「良かったな」
「でも、気にいらない……。後二日って何よ……。ずっとでもいいじゃない…………」
「そこかよ」
「だから、私も氷見さんを信じてる……。彼女なら、黄倉さんを倒してくれるって……」
「そうだな」
「鞘夏はね……。私が気付かないことも色々とやってくれるの……。携帯の使い方かだったり、一緒に写真をとってもくれるの……。今度、一緒にチーズケーキ食べに行くんだ……」
「へー、真堂がか?」
「兄さん、鞘夏が好きなの……」
「何言ってんだお前は」
「鞘夏はね、私の親友よ…………あと、葉も……」
「葉って誰だ?」
「チーズケーキ…………食べたい…………」
八雲は櫛を解くのを止めると、由美子は八雲に背中を預けるように目を瞑っていた。
「にいさんも……いこう……」
「ああ、約束する」
「ほんとだよ……」
それから由美子はすやすやと眠っていた。八雲はベットに寝せて、タオルケットを被せる。そのままそおっと部屋から出ていった。
部屋の前には九郎が待っていた。
「ありがとうございます。武様」
「いいよ。可愛い妹のためだ」
九郎は少し寂しい顔をしていた。
「どうしたんだよ。そんな顔して。お前らしくもない」
「いえ。不肖な兄上に力をお借りするとは私もまだまだだなと思いましてね」
「不肖って、お前なあ。……お前は充分やってるよ」
「ときどき、姫様を今の檻から解き放ちたいと思うようなっている。そのとき、あなたが恨めしくもある」
「ああ、そうかい」
八雲は顔が歪む。
「私にもう少し昔の力を取り戻せるなら、その檻を壊し、あなたのもとで生活をさせるでしょう」
「おい、そんなこと言っていいのか? 仮にも執事長だった男が。それにジジイの耳に入ると大変だぞ」
「私は我が娘がこの家を出奔したときに、その立場をすべて返上しました。それに今のあやつの言葉に耳を貸すつもりはない。今はただ、姫様のためにこの家にいるだけです」
「そうか。お前が居るのはゆみのためか。そこには俺のためというのはないのか?」
「有りませんな。一欠片も」
八雲は笑う。
「もし、檻を壊したいなら、声をかけろよ。手伝ってやるし、住む場所ぐらい用意する」
「あいにく、我が姫様はその重責からも逃げず、立ち向かう方です。それに似合った教育も受けております故、多少のことでは乗り越えられるでしょう」
「お前な……」
「ですが、まだ子ども。甘えたくなるときはございます。そのときは甘えられる人間を呼ぶことにしております。今度は賀茂殿をお呼びするとしますかな」
「おい、なんでアイツなんだ?」
「それは姫様にお聞きになるのがよろしかろうと。最近、賀茂殿と一緒にチーズケーキを食べられましてな。この爺やも後で食べましたが、美味しゅうございました」
漆戸は笑いながら、廊下を歩いていった。
「おい、この老いぼれ! その店を教えろ!」
「それは、私に勝ってから仰ってくださいな」
その鋭い殺気で八雲は反射的に仰け反る。
「まだまだ、武様には負けませぬぞ」
高笑いをする漆戸に対して、八雲は悔しそうな顔をしていた。
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