第十話 和尚の説法
大地が目覚めたのは病院の一室だった。消毒液が臭いが鼻につく。片目が見えない状況で、辺りを見回すと、白い月明かりが窓から入ってきているが部屋の中は青暗い。
手を動かすとなにかに当たり、見てみると、ベットの横で母である千鶴子が寝ていた。
「母ちゃん……」
乱れた髪でパートの制服のまま寝ている母親は、子どもに呼ばれ、意識を取り戻す。目をこすりながら大地の顔を見ると、顔は喜びに溢れていた。
「大地!」
千鶴子が大地に抱きつくと、大地は痛みで声を上げる。
「ごめんなさい、大地……」
「いいよ。でも、なんでこんな所に居るんだよ」
「伏見先生が連絡くれて」
「グラサン先生が?」
「もう! 喧嘩ばっかりして!」
千鶴子は怒っていたが、それでも笑みは絶やしていなかった。
「でも、不良から小学生を守ったって聞いたわよ。やっぱりすごいわね、大地」
大地は目を見開く。そんなことはしていない。ただ、自分が強くなるために喧嘩をふかっ掛けてだけだ。
「母ちゃん……」
「いいわよ。謝らなくても。でも、お母さん、心配したわ」
違うと言いたい。だが、母親の前で本当の事が言い出せない自分が居た。それは母親の涙が流れるの見てしまったからだ。
「女のお医者さんが、明日なら退院していいって言ってたわ。それに顔の腫れも、傷も痕が残らないそうよ。良かったわね、大地」
「そうだな」
「はーー。お母さん、安心したわ」
「悪いな」
「なら、もうちょっと考えなさい」
千鶴子は大地の手を力一杯握る。その手は暖かった。
「先生を呼んでくるから、ちょっと待ってなさい」
千鶴子は立ち上がろうと手を離すも、大地はその手を握り返した。
「どうしたの? 大地……」
「母ちゃん、いいよ。グラサン先生呼んでも碌なことないから」
「こら! 助けて頂いたのにそんな言い方はないでしょう!?」
「そうだけどさ……」
部屋の引き戸が開けられると、クタクタと笑いながらサングラスと片腕がないが青暗い部屋に入ってきた。
「そうやで。僕も必死になってここまで連れて来たのに」
「伏見先生……本当に申し訳ございません」
千鶴子は立ち上がり、頭を下げていた。
「いやいや、いいですよ。僕と宮袋くんの仲やし」
大地は見返りが気になっていた。
「お母さん、それよりもあの守銭奴の女医者を呼んできてもらえませんか?」
「え、はい……」
「ナースステーションに行けば呼んで貰えると思いますので、よろしくお願いします」
千鶴子は不安そうな顔を浮かべながら、部屋から出ていった。伏見はそれを作った笑顔で見送る。
「で、見返りは何をしてほしんだ? 大人しく学戦リーグに出ろってか?」
「そんなグダらないことを言わへん。それに治療費は八雲に付けたからな」
「八雲さんに?」
「君をタコ殴りにするのは構へんけど、法外な治療を取られるのは嫌やかなあ。僕の財布も無尽蔵やない」
「あんたの仕業だったのか……」
「あれは君が作戦行動中にひょっこりその領域に入ったせいや。今、八雲は始末書とにらめっこやな」
「作戦? 八雲さんたちが来たのは要人の警護じゃなかったのか?」
「本音と建前や。大人の世界はそんな簡単なものやない」
「この学戦リーグもそのためのものかよ……」
大地は舌打ちをする。
「それは違う。軍部がこの大会を利用しただけや。一地方の学校行事にこんな人が来るわけ無いやろ」
「あんたの知っている奴らは汚え大人ばかりだな」
「君は勘違いしてる。そうしなければ生きていきけない世の中やっちゅうことや。君は山の木がどうやって成長するか知ってるか?」
「山の木? あの木材とかになるやつか?」
「ああ、そうや。あの木や」
「そんなの知るわけ無いだろ」
「木が成長するには光と水と二酸化炭素が必要や。これは小学生で習う光合成やな」
大地はしかめっ面になる。
「水は根から吸い上げる。二酸化炭素は空気中に存在する。やけど、光だけは手に入らない場合がある」
「どうしてだよ?」
「山に行くと、光が遮られるやろ。太陽の光は木と木の隙間から木漏れ日となって見える。つまり、光は他の木によって遮られるんや」
「それがどうしたんだよ?」
「木はな、光を得るためにまっすぐ伸びんようになるんや。光を求めて、斜めに生えたり、横に生えたするや。それがいつの間にか歪な形になる。人間も同じや。そうなりたくてなったわけじゃない人間がいるちゅうことや」
「それが生きるためだってことか? じゃあ、あんたのやり方はそういうことなのか?」
「僕は生まれながらにしてこの性格や」
大地は鼻であしらう。
「君の母親は、ええ母親な……」
大地はそっぽを向く。
「大切にしたいのなら、大人しゅうしとき。それが大切なものを守る一つの方法や。敵が相手を言い成りするときに取る方法は相手の大切なものを手に入れることや」
「はあ? なんでそんな事言うんだよ!? てめえ、まさか!」
「僕がやるなら、黙ってやるわ。でも、この島に潜むものはそうやるやろうな」
「俺が強ければ、そんなことにはならなねえ!」
「それは無理や。あの女の息子に半殺しにされるくらい弱いのにどうやって戦うんや。もし、君が強かったとしても僕なら君の心を攻める。心の痛みは身体の痛みよりも消えはしない」
伏見はクタクタと笑いながら病室を出ていった。
大地が退院したのは次の日の朝だった。千鶴子と一緒に家に帰ると、千鶴子は昼ご飯を作り、程なくしてパートの仕事へと出かけていった。
千鶴子と大地は今の家、天谷市第三公営住宅に二人だけで住んでいる。父とは別居中である。
父親と千鶴子は仲が悪いというわけではない。父親は海運運行会社の船員であり、世界中を飛び回り、家に戻って来るのは年に三ヶ月程度である。転勤も多く、幼少期の大地は父親の都合で各地を転々としていた。この天谷へ来て、大地は転勤を強く嫌がったことから親同士で話し合い、大地と千鶴子は二人だけこの島に残ることにした。
生活費は父親からの仕送りで一定の収入があるものの、生活を分けるということは家計に負担となっていた。千鶴子はその負担を減らすために昼と夜にパートを入れるようになった。大地は小学生の頃、その事が嫌いで、母親と何度も喧嘩をしたが、中学校になるとそれは無くなっていた。ひとつは自分の中で興味が松島や玉嗣たちのような強いやつと喧嘩をすることに移ったからだ。ふたつは、高畑三十郎の存在であった。
大地はいつものように赤いTシャツ、ボンタンのズボンを着て、御堂の縁側に寝そべっていた。底から見る景色は青空と造営された木々が悩みを洗い流してくれるようでもあった。大地にとって心の居場所はここにあったのだ。
三十郎は大地の姿を見て、大声を上げ、頭を小突いてやろうとしたが、大地の頭と左目が包帯に巻かれた状態を見て、それをするのを止め、隣りに座った。
大地は三十郎に気づくも、一瞥し、またいつもの景色を見た。
「派手にヤラれたな。典子がその姿を見ると、卒倒するぞ」
「なら、ミイラになったって、脅かしてやる」
「やめとけ。典子を泣かせると後が大変だ」
大地は笑う。
「そうだな……。このまま半殺しにされるかもしれない」
「泣きながら、お前をポカポカ叩くんだ」
三十郎の言葉に反応して、大地は立ち上がり、典子の真似をする。
「もう! どうしていつもこんなことをするの! 私、命が縮むかと思ったじゃない!」
大地と三十郎は見合って、笑いあった。
大地が座ると、三十郎は静かに口を開く。
「その怪我、喧嘩ではあるまい。どうした?」
「喧嘩だよ。ただ、相手が俺より……強かった……だけだ……」
三十郎はそれ以上追求しようとはしなかった。
「なあ、おっちゃん。おっちゃんは強くなりたいと思ったことはあるのか?」
「そうだな……。昔はそんな時期もあった。お前と同じ年頃のときは喧嘩に明け暮れていわ」
「マジか。だから、おっちゃんは生臭坊主なんだな」
大地の頭に衝撃が走る。
「おう、スマンスマン。つい、反射的に殴ってしまったわい」
「その手癖も昔のままってわけかよ」
「まぁ、そういうことだ」
三十郎の笑みは優しく、大地にとって心が現れるようだった。
「今は強くなりたいと思わないのか?」
「思わんではないさ。だが、それは後悔とともに、煩悩の一つでもある」
「よく分かんねえな……」
「お前が言う強さはただの戦う力であろう?」
「まあ、そうだな……」
「儂も戦う力を欲さない訳では無い。昔はずっとそうであった。儂は素行の悪さから寺に入れられ、そこで同い年のただの小坊主に初めて屈伏した。そやつの強さを知りたくて、修行に明け暮れ、勝負を挑んだ。だが、ついぞそいつには勝てなかった」
「だから、戦う力を求めなくなったのか?」
「違う。今でも其奴に勝ちたかったという思いはある。だが、その思いが友を破戒の道へと追いやったのかもしれないという後悔がある」
「ハカイ? その友達は建物を壊したのか?」
三十郎は笑いながら大地の頭を撫でた。その手は大きく、暖かかった。
「破戒とはな、儂ら、僧侶が守るべき法律を破ったことだ。儂の友は人としての強さに限界を感じ、人ではなくなったのだ」
「人ではなくなった? 何になったんだよ?」
「化け物だ。あれを凡そ呼ぶにはそれが良かろう」
三十郎の悲しい目を見て、大地は息を呑む。
「友はな、力を追い求めるあまり醜き姿へと変え、我が宗派の仲間や宗主を次々へと殺してっていった。だが、あやつは儂だけ殺さなかった。そして、あやつは儂に助けを求める言葉を残していった」
大地は言葉が詰まる。
「俺は人間を超えた。もし、お前にその気概があるのなら殺しに来い……と」
「なんだよ……それ……。助けを求める言葉なんかじゃねえ!」
「大地、なぜそう思う?」
「おっちゃんに殺しに来いなんて、明らかに挑発してるだろ!」
「良いか、大地。言葉は簡単に呪いにもなる。呪いの始まりは嘘だ。あやつは自分に嘘をつき、自身に死を暗示する呪いを掛けた。儂に殺されることを望んでいるのだ。それは友からの助けを求める声だと思わぬか?」
「よく……分かんねえよ」
「あやつが本来の望んでいたことは、人々を苦しみから解放することだ。そのために仏の教えを誰よりも熱心に読み解き、人に広めようとした。だが、それは心の優しすぎるあやつには地獄のような日々だったに違いない」
「なんでだよ……」
「その熱心さは人から嫌われ、妬みとなる。この世の全員があやつのように純粋ではいられない。だから、あやつは孤立し、誰からも理解されなくなっていった」
「そんなのただの独りよがりじゃねえか」
「確かにお前の言う通りだ。だから、儂はあやつに力で対抗するのではなく、心で救おうと思った。儂の力で化け物となったあやつには勝てぬ。儂ができることはあやつの心を救うことだけだ」
「やっぱり分かんねえよ」
「力を求めればその限りはない。限りがないものは悩みが生じる。いつしかそれが苦しみとなる。人、それを煩悩と呼ぶ。煩悩を克服するためには、人生とは自分の思い通りにはいかないものだと理解する必要がある。それからこの世はすべて常に変化し、この世のすべては永遠に存在することはないということを悟ることが重要なのだ」
「なんか、いつものおっちゃんの説教になってきたぞ……。だいたい、おっちゃんだって説教垂れてる癖にできてんのか?」
「いいや。出来ていない。儂もずっと修行中だ」
大地は不満そうな顔する。
「いいか、大地。悟りを開くというのは並大抵ではない。だが、その心を持つことによってこの人生の苦しみを少しは和らげることができる。儂が人々に仏の教えを説くのはそのためだ。今、お前にわかってほしいのは力とは苦しみしかならないということだ」
「だったら、どうすればいいんだよ。力がなければ、典子や母ちゃんやおばさんや、それにおっちゃんも助けられないじゃねえか……」
三十郎は高らかに笑う。
「笑い事じゃねえ!」
「すまんな。大地がそんなふうに考えていたとは、儂もまだまだ未熟だと笑ったのだ」
大地はバツが悪そうにしていた。
「大地よ、力は力だ。思いのない力はだだの暴力にしかならん。儂が一番嫌な相手は大切な者を守ろうと必死に戦う人だ。その者は死のうとも決して勝つことができない。大地、お前が儂らのことを思っているのなら、そうあって欲しいと思っているぞ」
「もし、そう思って、おっちゃんの友達のように力を求めて、俺が化け物になったらどうするんだ?」
「そのときは、力ではなく、心の力で、命に変えても、お前の心を取り戻す。お前は儂の説法には弱いだろう?」
三十郎は立ち上がり、大地の頭をクシャッとして、その場から離れた。しばらくして、御堂の中からいつもの御経の声がする。
大地はその声を聞いていると、一つのことだけを考え始めた。
アイツならどう言葉を返してくれるのかと考えた。その考えが大地を突き動かし、皇国陸軍庁舎前まで足を運ばせていた。
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