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小話 今年もお世話になりました





「・・・よし」

ぎゅうぎゅうに詰まった籠を持ち上げて、とんとん、とブーツのつま先で床を叩く。

今日は雪も降っていないし、出かけるにはちょうどいい。

彼を送り出してから支度をした私は、冬の寒さの中にも、穏やかな日差しが降り注いでいる外へと踏み出した。




こちらの世界の暦は、私のいた世界のそれとは少し違う。

ひと月が約25日、1年は14ヶ月で、一応四季はある。

私の体感では、冬が長いのではないかと思っているのだけど・・・。

今年は特に、目まぐるしい環境の変化についていくのが精一杯で、1年の移ろいを感じている余裕もなかったような気がする。

それは彼の方も同じようで、この間の祈りの夜のあとには「そういえば、今年ももう終わるのか」なんて言っていたっけ。

・・・彼の場合は、無頓着加減のなせる業のような・・・言わなかったけれど・・・。

ともかく、こうして今年も無事に過ごせたこと、たくさんの人達にお世話になったことに感謝を表すため、彼は彼の職場へ、私は私の職場へと手土産を持ってご挨拶に行くことになったのだ。

私達の家は、王宮から少し離れた所にある。

といっても、歩いて15分くらいの所だろうか。これも私の体感なのだけど。

ちなみに吹雪になったりして歩けない日は、王宮所有の車が迎えに来てくれる。

実は団長や補佐官になると王宮の車を使っても良いらしいけれど、もともと彼は寮に住んでいたから必要性も感じることなく過ごしていたという。

そして、特に興味も湧かなかったからと、そのまま新居に移り住んでしまったわけだ。

私としては車があった方が何かと便利だと思う。

・・・免許、取っておけば良かったな・・・こっちで有効なのか分からないけど・・・。

凍る一歩手前の道を歩きながら、車があったらいいのにな、なんて、ないものねだりなことを考えていると、ようやく王宮が見えてきて、私は小さく息を吐いた。

歩き始めは耳も鼻も痛かったけれど、歩いているうちに体が暖まってきたようで、コートの中がぽかぽかしている。

手にした籠の中身に目を落としてから、私は王宮の中へと入っていった。

詰めてきたのは、何日かかけて準備した感謝のしるし。





最初に向かったのは、白の騎士団。

初めてここに来た時はジェイドさんも一緒で、働いている人達のほとんどが整った顔立ちをしていたからものすごく緊張して。

手首にコインを貰って、ぴかぴかの1年生になった気分になったものだ。

思い出して、頬が緩んだままドアをノックしてから開けると、そこには年末の忙しさの中仕事に追われる事務官達の姿があった。

もう休暇を取っている人も多いのか、その数はいつもよりも少ない。

今日休んで、年明けに早めに仕事に出てくるシフトの人もいるのかも知れないな。

かくいう私も、レイラさんの実家からご両親が遊びに来るというので、昨日で年内の子守は終わってしまったのだ。

私はペンの走る音や紙のこすれる音を聞きながら部屋の中へ入る。

そして、籠の中から箱を取り出して、事務官たちがお茶を淹れたりする一角に中身が見えるように箱を開けて置いておく。

書いてきたメッセージカードを添えて、ひとつ頷いた。

するとそこへ、1人の男性事務官がやって来る。

「子守さん、何してるの?」

私は普段リオン君と一緒に過ごすことが多いので、本部で働く事務官達とはあまり接する機会がないのだけれど、こうして時々声をかけてくれる人もいるわけだ。

彼もその1人だった。

「あ、お疲れさまです。

 今年はこちらでお世話になったので、感謝のしるしです」

良かったらどうぞ、と付け足すと、彼が温和な笑顔を浮かべる。

「それはご丁寧にどうも。

 ありがたくいただきます」

「はい」

当初を振り返ると、今の私はそれなりに白の中でも認知されて、声をかけてもらえるようになったのだと感慨深いものが湧いてくる。

今の私は、王宮の一員。

毎日一生懸命過ごしていたら、いつの間にかそう思えるようになった。


「お疲れさまです」

「ミーナさん」

団長の執務室をノックして、返事が戻ってきたのを確認してドアを開ける。

部屋の中には、今日も今日とて美しさ全開のディディアさんがいた。

片手に書類を持っているあたり、まだ仕事がたくさん残っているのだろう。

邪魔になっても良くないと思った私は、さらりと用件を済ませて退出しようと内心で決意して、そっと口を開いた。

「今、ちょっとだけお邪魔してもいいですか?」

「ええ、問題ありませんよ。

 何か、忘れ物でもしましたか?」

控えめに尋ねた私に、彼女は白百合の微笑を浮かべて対応してくれる。

今思えば、この女性はいつも微笑んでいるような気がする。

私は彼女から返ってきた言葉に、ゆっくりとドアを開けて中へ入った。

「えっと・・・」

籠の中から小さな箱を取り出して、椅子に座ったままの彼女の目の前に差し出す。

彼女の視線が、私の両手に注がれているのを感じて、なんだか恥ずかしくなってしまった。

改めてこういうことをするというのも、なんだか照れるものだ。

「今年はディディアさんにお世話になったので・・・感謝の気持ちです。

 よかったら、お茶の時にでもどうぞ・・・」

ただでさえ美人で目を合わせるとドキっとするのだ。

声も小さくなってしまうというものだ。

彼女は一瞬きょとん、とした後に、ふんわり微笑んだ。

「まあ、思いがけないプレゼントですね。ありがとう」

団長の顔から女性のカオになるのを見てしまった私は、言おうとしていたことが頭の中から綺麗に消えてしまった。

この麗しい女神顔で「頭の悪い男は、私の部下として必要ありません」だとか言い放つ姿なんて、誰が想像出来るだろう。

「じゃあ、私はこれで・・・お疲れさまです」

「ええ、気をつけて。

 蒼鬼殿にもよろしく」

そんな挨拶を交わした私は、席を外しているというヴィエッタさんの分の箱を置いて、白の本部を出たのだった。





次にやって来たのは、ジェイドさんの執務室だ。

ここは、私が王都に出てきて最初に訪れた場所だった。

薄暗い廊下を歩いてやって来た私は、金髪碧眼の彼に子守の仕事についての話を聞いて・・・それから、公務をサボっていた陛下に会って・・・。

それが紆余曲折の始まりだった。

懐かしさすら感じる私は、この環境にもずいぶん慣れたということだろう。

全く望んでもなかった王宮や王族なんてものと関わりを持つなんて、人の縁というものは本当に不思議なもの。

つらつらと蘇ってくる思い出に浸りつつドアをノックしようとして、はっと後ろを振り返る。

「・・・ぁぁ・・・びっくりしたぁ・・・」

ふいに感じた人の気配に振り返ってみれば、そこには無表情の紅侍女さんがいた。

着いた時には誰もいなかったのに・・・。

動揺している私には全く我関せずで、紅侍女さんは眼光鋭く私を見つめている。

「本日より、結びの休暇では?」

「えっと、そうなんですけど・・・あ、」

温度のない声に戸惑いながら答えて小さく声を上げた私は、籠の中から小さな箱を取り出した。

手のひらほどの小さな箱には、私が選んだ焼き菓子がいくつか詰められている。

紅侍女さんが食べるとも思えなかったけれど、たまに顔を合わせることもあるのだし、余分に用意してもあったので、差し上げることにした。

「これ、今年お世話になった方に差し上げてるんです。

 お口に合うか分からないですけれど、よかったらどうぞ・・・」

言って、少し勢いをつけて差し出すと、今度は彼女が驚き戸惑っていた様子で箱を受け取る。

そして手のひらの上に乗せた箱をまじまじと見つめてから、やっとひと言。

「・・・ありがとう、ございます」

小さな声だったけれど、受け取ってもらえた私は頬を緩めて、ひとつ頷く。

「来年も、お世話になります。

 ・・・それじゃ、ジェイドさんに会ってきますね」


「珍しいですね、ここに来るなんて」

「お疲れさまです」

促されて入った執務室では、ジェイドさんがお茶を片手に書類に目を通していたようだった。

私が部屋の中へ一歩踏み出したところで書類から目を離した彼は、何度か瞬きをしてから目頭を抓んでぐりぐりし始める。

きっと、ずっと書類とにらめっこだから、遠くに視線を投げてもぼやけてしまったのだろう。

この人も、本当に働き者なのだ。

書類を机の上に置いた彼が、ぐい、と伸びをしてから立ち上がる。

「ふぅ・・・皆さん休暇で浮かれているのか、なんだか書類が雑で・・・」

困ったものです、なんてため息をつきながらこちらへやって来た。

「大変ですね」

無難に相槌を打てば、彼が恨みがましそうな目で私を見る。

「・・・同情するなら、手を貸して下さい・・・」

ばちっと目が合ったその時に、彼の目の下にクマが出来ているのに気づいた。

きっと相当無理をしているに違いない。

・・・でも、そんな彼に気づいても、私がするべきことはない。

こうして、ありがちな挨拶代わりの言葉を並べるくらいしか。

私は曖昧に微笑んで、小首を傾げる。

「・・・ごめんなさい」

「・・・ですよねぇ」

彼もその言葉に肩を落として、ため息をついた。

これはかなりお疲れのようだ。いつもの軽やかで柔らかな軽口が全く出てこない。

そんな様子の彼を見て、あまり気を遣わせないように早めにお暇した方がよさそうだ、と私は心の中でひとりごちた。

そして、手にした籠から焼き菓子の入った箱を取り出して、彼に差し出す。

目を留めた彼の反応は、なんとも表現しづらいものだった。

「・・・あの?」

一度取り出してしまったものを再び籠の中に戻すのもおかしい。

私は彼の表情にどう反応していいものか困った私は、その場で固まったまま彼の様子を伺う。

すると、彼が口を開いた。

「もしかして、それ・・・」

「今年お世話になった人達に、感謝の気持ちとして、挨拶も兼ねて配ってるんです。

 それで、ジェイドさんにもお世話にな・・・っ」

がしっ。

突然のことに、ひっ、と息を飲む。

最後まで聞くことなく、ジェイドさんが私の手を取ったのだ。

いや、とても綺麗な男性に手を取られて「ひっ」というのも女性としてどうかとは思う。

けれど、その表情があまりにも必死すぎて、変質者めいた何かを匂わせていたのだから、これは正常な反応だと信じたい。

一応心の中で、失礼な反応について彼に謝っておこう。

「何ですか?何ですか?!」

手を振り払いたくて二度同じ事を言ってしまった。

彼はそんな私を気に留めることもなく、がばり、と抱き込む。

むぎゅ、という擬音語がぴったりだ。

「くっ・・・くるし・・・」

てしてし、と唯一自由になっている片方の手で、彼の腕を叩けば、ふいに解放された体が酸素を吸い込んで、くらくらしてしまった。

思わず額を押さえて立ち尽くしていると、彼が私の手から箱を取り上げる。

「ありがとうミナ!

 あなただけですよ、私にちゃんと感謝してくれるの・・・!」

その言葉と同時に、一歩離れたジェイドさんを見た私は絶句した。

あのなんとも表現出来ない表情は、喜びだったのか。

ため息に似た何かを吐き出した私は、彼の言葉に適当に「ああ」とか「はあ」とか、そんな言葉を返していたような気がする。

ともかく、目的は果たしたのだから長居は無用だ。

彼の目に、もう熱が灯ることはないと分かっているけれど、いかんせんここは密室なのだ。

ドアの向こうの紅の侍女さんが良からぬ噂を広めることは有得ないけれど、どこの誰が見ているかわからない。

しかも今日の私は私用でここに来たのだから、考えればすぐ分かる。

私は早々に退出を切り出して、何かを吸い取られたように重くなった足を動かして階下へと移動することにした。

それにしてもジェイドさん、私が言うのもおかしな話なのだけど、もうちょっと、いろいろ報われてもいいんじゃないかと思う・・・。





次に移動した先は、食堂だ。

この時間ならきっと、アンとノルガが一緒にお茶をしているはずだと目星をつけて。


「あっ、ミーナ!」

私が声をかけるより早く、彼女の方が私に向かって手を振った。

いつでも元気なのだ、彼女は。

その向かいで苦笑しながらカップを傾ける彼は、なんだか会うたびに大人っぽくなっていくような気がして、お姉さん気分の私としては、少しばかり寂しい気持ちになる。

いつの日か、弟だなんて言って軽口を叩けなくなる日がくるような気がして。

私は赤髪の2人を交互に見て手を振ってから、籠から小さな箱を2つ取り出して近づく。

ノルガがカップを持って移動しようと腰を浮かせる。

「あ、いいの、すぐ行くから」

温かい気遣いをしてくれる彼に、犬か弟か、だなんて照れ隠しと苛立ち紛れに言ったのは、今となっては微笑みを呼び起こす思い出でしかない。

けれど、あの夕暮れのベンチで、消えかけた私の両手を掬い上げてくれた彼には、本当に感謝しているのだ。

まあ、その直後の展開には正直参ってしまったのだけど。

いろいろな思いが渦を巻いた心を宥めるように息を吸い込んだ私は、2人に向かって箱を差し出した。

当然のように、2人は小首を傾げる。

「あのね、」

きょとん、としているアンに向かって小さな声で語りかけた。

「もうすぐ新しい年になるでしょ?

 だから、お世話になった人達に配って、挨拶してるとこなの。

 ・・・受け取って、もらえるかな」

こうやって面と向かって、何かを渡したり言葉をかけたりするのは、もしかしたら初めてかも知れないな。

私は心がじんわりしているのを感じて、彼女が静かに頷くのを見ていた。

そして、そっと箱を渡す。

「ノルガにもね、はいどうぞ」

アンが箱に結ばれたリボンを指で弄びつつ、彼が箱を受け取るのを見守る。

他意はないからね、と内心で呟いてから、2人に向かって囁いた。

「ほんとに、ありがとう。来年もよろしくね」

「うん・・・」

「ありがと、ミイナちゃん」

2人がそれぞれ呟くように言ったのを見届けて、私はそういえば、と切り出した。

「・・・春になったら、結婚式を挙げる予定なの。

 招待状はまた渡すけど、ご迷惑じゃなかったら、ぜひ・・・」

・・・その時の2人の表情ったら、可愛いものだった。






最後に向かったのは、蒼の騎士団本部。

表の入り口は、被害届けなどを提出しにやって来る民間人がいるので、一応王宮関係者の私は裏口から入るようにしている。

裏口といっても、事務官達が机を並べている方に繋がったドアから入る、というくらいのものなのだけど。

ちなみにここは、人の出入りが多いのでノックも聞こえていたりいなかったりする。

最初は基本に忠実にノックしていた私も、今では何も言わずに出入りしてしまっていた。本格的な関係者ではないから、本当はいけないような気もするけれど・・・。

ともかく、今日も今日で私はドアを開けて中に入ったのだった。


「お疲れさまです」

誰にでもなく挨拶をして、迷うことなく団長の執務室をノックする。

その間、通り過ぎる私に片手を挙げたり、「おつかれー」と軽い挨拶を投げかけてくる事務官達や騎士たちに、私は笑顔を返して。

それぞれの騎士団で雰囲気が違うけれど、蒼は一番砕けているように感じる。

あのノルガが1等騎士として自分の部下を持っているようなところなのだ。

しかも、変な精油なんかの話で盛り上がるような人達の巣窟でもある。

なんだか悪口のような見解になってしまったけれど、ともかく、肩の力を抜いても良さそうな雰囲気なのが私は好きだ。

・・・皆さんちゃんと仕事してくれているはず、と信じた上で、だけれど。

ノックをしたドアの向こうから、彼の声が返ってきた。

私はそっとドアを開けて顔を覗かせる。

「・・・お疲れさま」

「ああ・・・」

小さな声で言葉をかけた私を見て、彼は頷きながら手招きした。

私の方が配る人数が多かったから、終わったらここで待ち合わせをしていたのだけれど・・・この様子だと、団長候補さん達の仕事を手伝ってあげていたのだろう。

机の上に書類がたくさん積まれているのを見て、思わず苦笑してしまった。

蒼の騎士団は、騎士志望の若者がまず入団するところだ。

そして何から何まで叩き込まれて、数年かけて騎士として必要な資質を磨いて初めて、白と紅への移動申請をすることが許される、いわば登竜門。

かくいう彼も、入団当初はバードさんの元でしごかれたと聞いたことがある。

そのバードさんは今でも彼のことを、年の離れた弟のように大事に思っていて、いつだったか「彼に仇なす人間であれば、遠ざけようと思っていた」というようなことを私に言ったのだった。

きっとそれぞれの騎士団で一番実戦が多くて、訓練も厳しいところだから、上の者が下の者の面倒を見るという空気が出来上がっているのだろう。

そして普段言葉の少ない彼でも、バードさんや前団長譲りの、部下を思いやる気持ちをちゃんと持っているのを私は知っている。


机に向かって書類を手にしたままの彼の後ろに回りこみ、そのまま肩を揉む。

「・・・優しいんだよね」

そう囁いた胸のうちで、皆が知らないだけで、と付け加えた。

揉む・・・というよりは、掴む・・・?

さすが騎士というか、剣を振り回すだけの腕力を支える肩だ。硬いし、私の手で揉み解せるようなものでもないらしい。

彼が小さく噴出すのを、耳の片隅で捉えた。

反応がいまいちなので、私は肩揉みを諦めて、肩叩きに変更する。

とんとん、と少し強めに叩けば、彼が首を左右に傾けた。

「・・・どう?弱すぎる?」

「ああ、ちょうどいい」

「あのね、シュウ」

気持ち良いのか、あまり肩から下の力が抜けたように見える彼に、そっと呼びかける。

「・・・ん・・・」

彼の鈍い返事など、あまり見られるものでもないので、つい頬が緩んでしまった。

頬が緩んだら、言葉もするすると出てきてしまいそうだ。

「今年1年、お世話になりました」

「ん、ああ・・・」

「もう・・・、聞いてるの?」

ぽふ、と肩を強めに叩くと、またしても彼の失笑が聞こえてくる。

「・・・聞いてる」

いつものバリトンの声のはずなのに鼓動が揺さぶられて、一瞬言葉に詰まった。

私は呼吸を整えて、続きを口にする。

「・・・王宮に連れてきてくれて、ありがとう。

 毎日忙しくて大変だけど、楽しくて、すごく充実してるんだ・・・。

 私でもこの世界で誰かの役に立てるんだって、思えるようになったの・・・。

 だから、シュウ・・・ありがとう」

感謝の気持ちを配り歩くことが出来たのは、彼が私の後見をすると声をかけてくれたところから始まったことの結果なのだと、気づいたのだ。

一番最初に感謝を伝えなくてはいけない人なのに、一番近くにいたから見逃してしまっていたのかも知れない。

彼は、平々凡々と過ごすことだけを考えていた私を、広い世界に連れ出してくれた。

一歩踏み出したら転がるようにして、抗う暇もなくここまでたどり着いたけれど・・・。

あの日、孤児院で青いコインを私に預けてくれた時のこと、今思い出してもドキドキしてしまうなんて言ったら、この人はどんなカオをするのだろう。

そんなふうに、これまでのことを思い出していたら、彼が規則正しくリズムを刻んでいた私の両手を捕まえる。

彼はドアの方を一瞥したかと思えば、首を後ろに伸ばして私を見上げた。

下から見上げられることなど、あまりなかったからか鼓動が跳ねる。

深い緑色の瞳が、柔らかく細められたのを見て、今度は心がすっと凪いでいった。

「・・・ミナに優しく、出来ているか・・・?」

「ん・・・?」

唐突に飛び出した内容に、私は小首を傾げる。

そして少し記憶を辿って、ああ、と腑に落ちた。

私が肩を揉む時に囁いたことに遡ったのか。

ふ、と笑みが浮かぶのを押さえられない私は、気持ちに素直に、彼の背中に抱きついた。

冷静なもう1人の自分が、ここは執務室だぞ、と囁きかける。

「うん、シュウは優しいよ。

 当たり前に優しくするから、自分じゃ分からなくなっちゃうんだよね、きっと」

彼の胸元まで腕を回して抱きしめれば、その腕に彼の大きな手が重ねられた。

じんわり温かい彼の腕が、剣を振るうことだけに使われるなんて、もったいないな。だからといって、誰かに貸してあげたりなんか、絶対に出来ないけれど。

意味もなく抱いた気持ちも一緒に、ぎゅっと抱きしめる。

「そういうものか・・・?」

ふわふわと浮いているような言葉に、思わずくすくす笑いを漏らしてしまった。

きっと納得はしていないのだろう。

「・・・そういうもの。

 シュウの優しさは、私が分かってれば、それで十分でしょ」

笑ってごめんね、と小さく呟いて、私は彼の後頭部に自分の額をくっつけて口を開く。

そっと息を吸って、たくさんの気持ちと一緒に言葉を紡いだ。

「・・・早く帰ろ。

 今日の夕飯、何食べたい?

 仕事納め用に、ちょっと高いワイン買ってあるの」





新しい年も仲良く過ごそうね、と眠りに落ちる間際に呟いた私の頬を、彼の指先がゆっくりなぞって下りていった。

その時に囁かれた言葉は、残念ながら覚えていないけれど、きっと、甘くて優しい、耳にしたらほろほろと溶けてしまうようなものだったのだろう。







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