小話 ララノにて2
ララノは海が綺麗で有名だけど、街の中心には屋台がたくさん並ぶ、賑やかな場所がある。
バルコニーでじゃれ合っている間にお腹がすいてしまった私達は、海に出かける前に昼食をと、この屋台街にやってきたのだ。
香ばしい匂いや、甘い匂い。
空腹の私達には、あまりに誘惑が多すぎた。
手当たり次第といっていいくらい、シュウが気になった屋台で買っては食べるを繰り返す。
幸いというか、そのためなのか、通りが広くて車は進入禁止になっていて、人とぶつかる心配もないように思えた。
それに、開放的な雰囲気が漂うこの地では、食べ歩くことは特に他人の目を引く行為ではないらしく、私も彼の買ったものを、少しずつ貰って楽しんでいた。
買い食いが5つ目あたりを越えた頃には、もうレストランに入らなくてもいいよね、なんて言いながら歩いていたのだ。
でもこの楽しいひと時も、前方で女性の叫び声が上がったことで打ち砕かれた。
「え?」
思わず声が出る。
それもそうだ。
ざざーっと人の波が綺麗に二分されて、前方から男が数人走ってきたのだから。
シュウが隣で何かを投げ捨てる。
さっと視線を走らせると、それがさっき買ったばかりの串焼きだったことに気づいた。
なんてもったいない。
そう言おうとして彼を見たら、ものすごく真剣なカオをしていたのでやめておいた。
「え?!」
もう一度声が出た。
今度は、前方から走ってくる男たちが、手に刃物を持っていたと気づいたからだ。
見間違いかと思ってシュウを見上げると、彼は素早い動作で私を抱き上げる。
条件反射とでも言うべきか、私は咄嗟に彼の首に両手を回した。
そうこうしているうちに、彼が他の人達と同じように通りの端に寄った。
そのすぐ後に、男たちが走り去っていく後ろ姿が見えて、私は止めていた息を吐き出す。
「・・・びっくりした・・・」
呆然と呟くと、頭上でため息が。
「ララノも物騒になったものだな・・・」
長年この土地に訪れているだけあって、彼の呟きには重みがあった。
私は降ろされる気配に、自分の両足の感触を確かめるようにして立った。
彼も、私が自分で立ったのを見届けてから、背中に回した手をそっと離す。
「ありがと」
「ああ」
なんとなく彼の腕に掴まったまま、私は緑の瞳を見つめた。
街中で刃物を見てしまった不安もあったけれど、彼が男達を追ってしまうんじゃないかと思って。
それがカオに出ていたのか、彼は私を見てふっと微笑んだ。
目が細められて、頬を指先でひと撫でされる。
「大丈夫だ。
ララノ駐在の、蒼の騎士達がいる」
「・・・うん・・・」
人の波が、再び通りの真ん中へ集まって、それぞれの思う方向へ歩き出す。
行き交う人達には、さっきの騒ぎなんて、何でもなかったということなのか。
刃物を持っていたけど怪我人はいないのか、なんて、気になる私の方が変わっているのか。
私がひとつ頷いて手を離すと、彼はさっき投げ捨てた串焼きを拾う。
そして手近にあった屋台のゴミ箱にそれを捨てると、私の手をとって歩き出した。
屋台街の賑わいはさっきと同じなのに、どこか寒々しく感じて、私はうわの空で歩く。
楽しくないわけではないけれど・・・。
どこかぼんやりした気持ちだ。
「・・・海に行くか」
ふと、彼が言う。
仰ぎ見れば、深い緑の瞳が細められていた。
私はすぐに、頷いて笑顔を浮かべた。
海は、広かった。
当然といえば当然なのだけど、なんというか、見渡す限りの海原に、言葉を失う。
「すごい・・・」
簡単な言葉でしか表現出来ない自分が、とても残念だ。
「東と西にも、港はあるんだが・・・ここは、開けているからな」
透き通る、綺麗な青がずっと広がっていて、あそこに飛び込んだらどんな味がするんだろう、とか想像してしまった。
口に含んで、シュワっと爽やかだったらいいな。
・・・実際にやったら溺れてしまうから、想像だけ。
でも、夢を見ても許されそうな、綺麗な青だ。
ララノが恋人達に大人気なのが、なんだか納得出来てしまった。
「ここで見て、帰るつもりか?」
いつまでも動かない私を面白がって、彼が手を引く。
ほら、と強めに引っ張られて、私はやっとその場から砂浜へと下りた。
太陽の照りつける砂浜は、裸足で歩くと下手したら軽い火傷をしてしまうらしい。
歩きながら彼が説明してくれた。
そういえば、あそこでもカップルが熱いって言いながらはしゃいでいる。
若いから、地元の子達かも知れない。
やっと波がかぶる辺りまでやってきて、彼が靴を脱ぎ始めた。
ちょっと恥ずかしいけれど、旅の恥は掻き捨てだ。
見ていて不快に思う人もいるかも知れないけど・・・と心の中で前置きしてから、私も靴を脱ぐ。
それを待っていたかのように、波が足にかかる。
この陽気なのに、思いのほか水が冷たくて少し驚いた。
そして、だから海水浴が存在しないのか、なんて納得もする。
まあ、肌を露にするなんて、きっとこの世界の人達は了解しないだろうし。
「冷たいけど、気持ちいいね」
頭上を照り付けられて、足元が冷たいくらいで丁度いいみたいだ。
一度は消えうせてしまった気分の高揚が戻ってきて、私は自然と笑顔になった。
それを見ていた彼も、満足そうに微笑んでいる。
楽しい旅行になるように、いろいろ考えてくれていただろう、ということは容易く想像出来た。
彼も、今日の日を楽しみに待っていたみたいだから。
もう一度手を差し出されて、私は自分の手をそれに重ね合わせる。
「少し歩いてみるか」
バリトンの声が上から降ってきた。
どこか楽しそうに聞こえるのは、私の気のせいじゃないと思う。
頷いた私の手をそっと引いて、歩き出した。
海風が、時折強く吹き付ける波打ち際。
しばらくゆっくりと無言で歩いていると、ふいに彼が口を開いた。
「他の国へも、行ってみたいと思うか?」
「・・・?」
唐突に他国の話をされて、首を傾げる。
言ってる意味がよく分からない、というジェスチャーだ。
最近よく使う。
こちらを見ていた彼は目が合うと、柔らかな口調でもう一度言った。
「そのままの意味だ。
他の国を見てみたいと思うことは、あるか?」
「うーん・・・ないこともないけど・・・。
今まであんまり興味がなかったなぁ・・・」
正直、この国のことですら、まだ知らないことだらけだ。
行ったことがあるのは、孤児院の周辺と、王都の一部だけ。
基本的に行動的ではない私は、外にそれほどの興味を抱かない。
「そうか・・・」
返ってきた答えが想定外だったのか、彼が視線を落として考える素振りを見せた。
「・・・どうして?」
旅行に来て、旅行の話をするつもりなのか。
「いや・・・」
私の問いかけに、歩きながら彼が言葉を濁した。
そしてゆっくりと視線を上げると、こちらを見る。
「次の旅行は、どこにしようかと思っていた」
「つぎ・・・」
「ああ」
なんて気の早い人なんだ。
まだララノにいるっていうのに・・・。
呆れて何も言えずにいると、普段は言葉の少ない彼が話し出した。
ちゃぷちゃぷと、波が足先で遊んでいる。
「巡回で国内はほとんど行きつくしたんだが、旅行で来るとなると、目先が変わって面白い」
「そっか、そうだよね」
何かを楽しいと感じることが、彼にもあるんだな、なんて感心してしまった。
失礼だと分かっているけど、普段あまり感情を分かりやすく表現しないから、意外だ。
この際だから、旅行を趣味にしてしまえばいい。
そう思いついて、私は何度も頷いた。
「じゃあ、今度は国内のいろんな場所を私に見せて。
どこでもいいよ、美味しいものを教えて欲しいし、綺麗な景色も見せて欲しい」
「・・・そうか」
嬉しそうに聞こえる相槌は、きっと気のせいじゃないはずだ。
私を見下ろす彼を見つめて、目を細めた。
「うん。楽しみにしてる」
「ああ」
それは、これからの約束。
そう、私達はこれからの約束をするために、ララノにやって来た。
「少し足が冷えてきただろう」
会話が途切れたタイミングで、彼が私の足先に触れた。
ちゃぷちゃぷと、波が纏わりつく。
確かに、ちょっと冷たいから痛いかも、に変わり始めたところだった。
本当に、察しがいい。
彼は少し眉にしわを寄せると、足先から手を離して、私に靴を預けた。
大きいし、ちょっと重い。
「シュウ?」
小首を傾げて彼を見れば、「行くぞ」と短く告げられて、唐突に膝を掬われた。
またしても、横抱きだ。
今度は、両手に靴を持っていて、首に手を回すことが出来ない。
なんだか心許なくて、「きゃっ」なんて女の子みたいな声が出た。
この歳でそれはない、と思ったら顔に熱が集まりだして。
あわあわしている間に、私は砂浜から少し高くなっている歩道まで戻ってきていた。
どれだけ歩幅が広いんだろう。
私を横抱きにしたまま、彼が腰を下ろす。
「よっ・・・え?」
じゃあ、と彼の膝から下りようとしたところで、がっしり腰が掴まれていることに気づいた。
びくともしない。
「何して・・・?」
「早く靴を履け」
「このまま?」
間髪入れずに問えば、彼は私の手から自分の靴だけを取り上げて、地面に置いた。
無言の肯定だと受け取った私は、仕方なくその体勢のまま、ポシェットからタオルを取り出して、足を拭く。
彼が抱き上げて運んでくれたおかげで、砂がほとんど足についていなかったから、すぐに靴下も靴も履き終わる。
「ありがと、下りるね」
礼を言ったところで、腰から手が離れた。
やっぱり、素直に従うまでああしてるつもりだったか。
甘やかしすぎだよ、と真剣に言うほど、彼の甘やかしは酷くなるばかりなので、最近はもう何も言わずに気の済むようにしてもらっている。
波風立てずに済むなら、多少の恥ずかしさには目を瞑ろうと思って。
立ち上がった私は、同じタオルで申し訳ないけど・・・と、手にしたそれを差し出した。
彼は気にした風もなく、「ありがとう」と言ってそれを受け取って、自分も靴を履く。
そして使い終わったタオルを、私は広げて風に晒した。
たいして濡れてもいないから、歩いているうちに乾くだろう。
そうやってなんとなく、海辺を歩いているところへ、向こうから男が2人、走ってきた。
片方は何故か、子どもを抱っこしている。
子どもを抱っこしたままあの速さで走るなんて、どう考えても危ない。
それに変な取り合わせだなぁ、なんて思っていたら、私達の前で立ち止まった。
よく見たら、手首に青いコインが。
騎士だ。
私が気づいた時には、シュウが話しかけられていた。
「お疲れさまです!」
「ああ」
とても面倒くさそうに対応するから、見ているこっちがハラハラしてしまう。
確かに勤務時間外だから、そうなるのも分かる気がするけれど・・・。
騎士の方は、そんな彼には慣れっこなのか、ハキハキと話し出した。
もうそろそろ、日が傾き始めようとしている頃だ。
私はちらりと海の方へ視線を投げて、そんなことを思う。
「本当に申し訳ありません。休暇中だということは、重々承知しております!」
「いいから、要件を言え」
視線を戻した私の目に飛び込んできたのは、眉間にしわを寄せた彼だった。
子どもを抱いていない方の彼が、直立したまま答える。
「大変申し訳ありませんが、この子どもを支部まで連れていって頂けませんでしょうか!」
何もそんなに声を張り上げることはないだろうに。
まだ若い騎士は、若干声が震えていた。
その態度を見ているうちに、彼に慣れているからハキハキしているのではなくて、彼がただ単に怖いのだと想像できた。
私は、彼の眉間のしわが深くなるかも知れないことを懸念しつつも、目の前の若い騎士を助けてあげたい気持ちになってしまう。
というか、子どもが抱かれ心地が悪そうにしているのではと、それも気になってしまって。
「いいですよ、ね?」
小首を傾げて彼を仰ぎ見れば、案の定、渋々頷いた。
「感謝致します」
抱っこ係りの騎士が、私に子どもを預けるのに合わせて、子ども方も私へ手を伸ばす。
少なくとも、私の抱っこでも良いと思ってもらえて、ほっとして胸を撫で下ろした。
抱っこしてみて分かったけれど、たぶんこの子は1歳から2歳の間くらいなんだろう。
人見知りの時期は終わったようだけど、一生懸命保護者を探しているような気がする。
泣かないでいてくれているのが、本当に有り難い。
よくよく事情を聞けば、巡回中に保護した迷子を支部へ連れていこうとしていたところで、屋台街で起きた引ったくりの犯行グループを追っている騎士達に、応援を頼まれたのだそうだ。
その犯行グループが、どうやら最近のララノの治安悪化の大きな原因になっていて。
やっと主要人物の捕縛に手が届きそうだということで、騎士達がほぼ総出で追っているらしい。
そちらにシュウが呼ばれるよりは、この赤ちゃんを送り届ける方がよっぽど良い。
「ほら、ホテルも支部の近くにあるみたいだし、ね?」
私の両手は赤ちゃんで塞がっているので、彼と少し距離が空いている。
事情を聞いて眉間のしわは取れたものの、やはり何かが不満そうだ。
そういえば、子どもはしばらくいいって、言ってたな。
私がそっちに構いきりになるのが、嫌みたいだったけど・・・。
「・・・こうしてると、あれだよね」
思い切って、仕掛けてみる。
彼がこちらを見るまで、少し待って・・・。
「私とシュウの、赤ちゃん・・・みたいな?」
・・・・・耳まで真っ赤って、どういうことなのシュウ・・・・・。




