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番外編 赤いりんごと紅の夕日3






店の壁に寄りかかっていた赤毛の騎士が、あたしに気づいて近づいてきた。

思わず一歩、後ずさる。

そんなあたしを見て、彼は顔を顰めた。

何を言われるんだろうと思うと、ちょっと怖い。

このまま走って逃げてしまおうかとなんて考えが、頭の隅をチラつく。

すると、近づいてきた彼が顰め面を消して、口を開いた。

「あんたの話を聞いて欲しいって、言われた」

見下ろす表情は、ただ静かだ。

でもさっき、あんなカオしてたんだもの。

こんなの、なんとも思ってない振りをされてるだけだって分かってる。

「ミーナに言われたの?」

つい、口調がきつくなる。

別に緊張してるとか、そんなんじゃない。

これはただの条件反射だ。

彼はあたしの言葉に頷いて、視線をぐるっと辺りに投げかけた。

あたしもその視線を追うように辺りを見て、そして隣の店から出てきた騎士が、あたしたちの方へやってくるのに気づく。

もしかして、巡回中だったのか。

「・・・異常ないようです」

彼の目の前に直立した騎士が、報告らしい台詞を口にしたのを聞いた。

仕事中なら、あたしに構ってる暇はないんじゃないかと思い至って、頬が緩むのを自覚する。

すると、報告にやってきた方の騎士が、そんなあたしに声をかけてきた。

「こんにちは」

「あ、はい。お疲れさまです」

にこやかに挨拶されれば、それなりの笑顔を返してしまうのは、仕方ないと思う。

でも、今のこの状況で笑顔を見せるのは、目の前の赤毛の彼の神経を逆撫でしてしまうことを、あたしはすっかり忘れていた。

はっと我に返って、彼を見上げれば、案の定顔を顰めている。

今までの威勢の良さがどこにいったかなんて、聞かないで欲しい。

そもそも怒りを持続させるのが、どれほど疲れるか。

怒りと自己嫌悪の無限ループに、あたしの精神は相当疲弊しているのだ。

耐え切れなくって、今日ミーナに話したというのに。

「知り合いを王宮近くまで送ってくる。

 悪いんだけど、そのまま本部に戻っても大丈夫か?」

部下か同僚か分からないけど、あたしに話す時とは大違いだ。

「いいですよ、あとこの先の飲食店3軒分ですよね。

 この辺りは治安もだいぶ落ち着いてるし、問題ないと思います」

「助かる。

 こんど埋め合わせするから、頼んだよ」

そんな会話をぼーっと聞き流して、あたしはこっそりため息をついた。

知り合いって、あたしのことなんだろうな。


「それで、」

報告にきた騎士が去っていくのを見届けた赤毛の彼が、あたしを見る。

「俺に何か用?」

分かってたけど、冷たい声がぶつけられて、あたしは内心でうなだれた。

話をして、憂鬱の元を断たなくてもいいや。

関わるのをやめれば、とりあえず心が疲れることはなくなるはずだ。

そう結論づけたあたしは、ゆるゆると首を振って口を開いた。

「なんでもないです。

 あたしのことはお構いなく、仕事の続きをどうぞ。

 ・・・・・それじゃ」

もともとミーナに何かを言われて仕方なくあたしに構っていたに過ぎないのだ。

異論など出るはずもないと思って、あたしは踵を返す。

まだ明るいし、この前入った焼き菓子のお店にでも寄って帰ろうかな。

気分転換にと、そんなことを思いついた時だ。

手首が何かに引っ張られて。


ぐぎ。


足首に激痛が走った。

「・・・・いっっ、たぁぁ・・・・!!」

立っていられなくて、その場に手をついて、しゃがみこむ。

なんなんだ、一体。

自分に起こったことが理解出来なくて、あたしは混乱していた。

痛いしびっくりしたし、なんか分からないけど立てないし。

「・・・悪い、大丈夫か・・・?!」

気づいたら、赤毛の彼が目の前にいた。

やっぱり顔を顰めているけど、心配そうにあたしを見ている。

急に彼が普通に接してきたことに、あたしは内心で驚いていた。

一瞬だけ、足の痛みを忘れてしまったくらい。

「力加減間違えた。ごめん、悪かった」

早口で謝られたかと思えば、次の瞬間には体が宙に浮いていた。

そして、あたしは近くの植え込みの縁に腰掛けるように下ろされて、彼が膝をついて、あたしの足に彼の手が触れそうになって。

全てがあっという間の出来事で、あたしは彼の手を見て、はっ、と我に返った。

「うわっ、ちょっと!」

思わず声を上げるあたしを一瞥すると、彼は軽く無視して足に触れた。

「・・・痛いし!」

「左足首か。捻っただけみたいだし、湿布貼って固定しとくかな」

痛がるあたしを、やっぱり無視した彼がぶつぶつ呟く。

本当に悪かったと思ってるのかこいつ・・・。

あたしの視線に気づいたのか、足を触っては何か考えていた彼が、顔を上げた。

その表情が情けなくて、う、と変な言葉が出る。

お、大型犬に見えるのは何故なんだろう。

「ほんと、悪かった。

 ・・・・ああもう、なんか、調子狂うんだよね、あんたといると」

謝罪の後に、ぼそりと呟く。

あたしはまさに今この時、とても調子が狂ってるんですけど。

「いやもう、いいけどさ・・・」

これまでにない殊勝な様子を目の当たりにしてしまっては、責めようなんて思いもしない。

落ち着く場所のない、変な気持ちがあたしを支配してしまった。

「とりあえず、仕事に戻ったら?

 あたしはもう少し休んで、ゆっくり帰るから大丈夫だよ」

いつの間にか、普通に話せるようになっている自分に驚いた。

あたしが自分の変化にびっくりしていると、彼はものすごい怖い表情であたしを見上げる。

え、なに、あたし調子にのっちゃった?

背中が寒くなって、腕をさする。

今棘のある言葉をぶつけられたら、ちょっと立ち直れそうにないんだけどな。

「何言ってんの。これで歩いてたら、物盗りに遭うかも知れないだろ」

怖い顔が、あたしを心配する台詞を吐いて、それがまたしてもあたしを混乱させる。

なんなの、じゃあどうしたらいいの。

天を仰ぎたい気持ちになったところで、彼が膝をついたまま、あたしに背を向けた。

え、何?

戸惑っていると、彼が首をめぐらせて言った。

「ほら、早く」

腕をあたしの方へ突き出すのを見て、負ぶされ、と催促していることを知る。

そ、そんなこと出来るわけ・・・!!








初めて男の人に背負われたあたしは、その背中の広さと安定感を堪能してしまっていた。

揺れが、とんでもなく心地良い。

その背中が、昨日まで嫌味や皮肉の応酬をし合っていた相手だということも忘れて。


あれから、何度か「無理」「何言ってんだ」「いやだから無理」「だから・・・」という不毛な言い合いをした結果、堪忍袋の緒が切れた彼が、あたしの腕を強引に掴んだ。

ぐいん、と視界が高いところに上がって驚いたのもつかの間で、すたすた歩く彼の様子に、いつの間にか恥ずかしいとか、重いから遠慮したいとか、そんなことはどこかに吹き飛んでしまった。

あたしは自分がどう扱われるかということについて、割と諦めが早い。

そうじゃなきゃ、孤児院で健全に育つなんて、すごく難しいとあたしは思う。

だから今のこの状況も、半分諦めて受け入れていた。


西日が赤い日差しを放って、あたし達の影を伸ばす。

頬をかすめる風が冷たいけれど、彼に触れている部分は温もりに満ちていた。

「あの・・・」

今なら聞けるかも知れない。

顔も見なくて済むし。

あたしは小さな声で話しかけた。

「なに?」

特別冷たくもない声が、返事をする。

どんな表情をしているのか気になるところではあるけど、この際いいや。

「どうしていつも、あたしに突っかかってくるの?」

「・・・・・・」

売り言葉にならないように、なるべくそっと問いかけた。

なんでだろう、昨日までは食堂で向かい合うだけで不快だったのにな。

言葉の応酬がないだけで、こんなに違うものなのか。

「・・・俺、食堂で皿を夢中で洗ってるあんたを見たんだよね」

「うん」

いつの話なんだろう。

想像しながら、彼の話を聞く。

「すごいカオしてさ、真剣そのものだったから、目を引いた」

「・・・それは、お昼時の厨房は、すっごく忙しいから・・・」

「うん、知ってる」

きっと鬼気迫る表情を見られてたんだと気づいて、言い訳がましいことを呟いたあたしに、彼はそっと呟きを返した。

なんか、普通に会話してることが可笑しい。

無意識に頬が緩んでしまうけど、いいんだ。

どうせ顔、見えないし。

そのことがあたしを勇気付けて、言葉を紡ぐ。

「だから、へらへら笑ってるのが嫌だったの・・・?」

半ば確認するように問えば、彼は首を傾げた。

まさか、あたしを傷つけた言葉を忘れてるんじゃ・・・。

ほわっと温まった心が、一気に冷える。

「・・・へらへら・・・?

 ああ、あれか・・・。

 言ったけど、そのあと、ちゃんと言ったじゃん」

彼が視線だけを後ろに投げて言う。

「・・・そのあと?」

今度首を傾げたのは、あたしの方だった。

あの時言われたのは、あの台詞だけだったんじゃないの?

記憶を辿っても見当たらず、あたしはひたすら首を捻る。

「え、覚えてないの?」

少しだけ責めるような口調になった彼が、もう一度視線を投げてきた。

背中の揺れが、ゆっくりになる。

疲れてきたのか、足の進みもゆっくりになったような気がする。

「・・・なんだよ、もぉ・・・」

ため息まじりに呟く声が聞こえて、なんだか申し訳ない気持ちになる。

あの時傷ついたのは、あたしの方だと思うんだけど。

「言ったじゃん、そのあと・・・・。

 笑顔の安売りすると、余計な奴が寄ってくるから、やめとけって・・・」

「えぇ?!」

思わず大きな声が出てしまって、あたしは慌てて謝る。

「ごめ・・・・。

 そんなこと、言ってた?」

「言ってた」

確認に、彼がこくん、と頷いた。

あの時はショックすぎて耳に入らなかったのか・・・。

じゃあ、あの現場で理解してたら、こんなに絡まって解けなくなるくらいにイライラする日々は、やって来なかったってこと?

・・・・・なんなの・・・・・。

言葉に出来ない気持ちが湧き上がって、どうしようもなくて彼の頭を見つめる。

・・・若干萎れた犬耳が見えるのは、幻覚じゃないと思う。

夕日に照らされて、彼の髪も夕日色に染まっているのを、ただじっと見て。

「一生懸命働いてるとこ、すごいな、って思ってた。

 ・・・俺、今まで同じくらいの年のコに目がいくことって、なかったんだよね」

彼が淡々と話すのを聞く。

相槌を打つなんて、初めてかも知れない。

「だから、なんか調子狂う」

「・・・うん、と・・・ごめん・・・?」

「いや、そうじゃないんだけどさ。

 ごめんな、俺、ちょっとあんたのこと、好きかも知れない」

告白されたのか、謝られたのかよく分からない台詞に、絶句する。

しかも断定じゃないんだ。可能性。ちょっとだし。

それ、友達の域だよね。

あまりに曖昧で微妙だったから、赤面するでも動悸がするでもなく、あたしは言葉を失って黙って揺られていた。

「あのー・・・もしかしてあたし、からかわれてる?」

思わず尋ねると、彼の耳がほんのり赤いのに気づいた。

これは、夕日のせい?

「からかっては、ないと思う。たぶん・・・」

「・・・・・?」

またしても曖昧な受け答えをされて、あたしは内心唸った。

なんだろう、ハッキリしなくてイライラしてきた。

すると、背中越しに何かを感じたのか、彼が慌てた様子で言葉を並べ始める。

「ああもう、ダメだな。ほんと調子狂うんだ。

 ・・・今まではさ、年上のお姉さん達にチヤホヤされて、世話焼いてもらって、

 愛想振りまいてればあとは楽だったからさ・・・って、これ、好きかもって言ってる

 相手に話しちゃダメじゃない?」

「ダメだね、ダメ男」

呆れかえって言葉を返せば、彼がうなだれた。

あ、また犬耳が見える。

「だからさ、ほんとに調子狂うの。

 言わなくていいこと言っちゃうし、手加減間違えて捻挫させちゃうし。

 いらんこと暴露して軽蔑されちゃったし」

「・・・ぷっ」

全然色恋の話をしているとは思えない会話に、あたしは可笑しくなって噴出してしまった。

「えー・・・」

彼が不満そうにしているけど、もう怖くはなかった。



「名前、教えてよ」

ひとしきり笑ったあたしに、彼が言う。

「俺、あんたのこと知りたい」

どきん、と心臓が跳ねた。

その声が、真剣だったからかな。

知りたいって言われたからかな。

「・・・アン。孤児院育ちだから、ほんとのファミリーネームは分からないんだ」

誰かの養子になったわけでもないから、あたしはただのアン。

それ以外に持っていたものは、何もない。

「そっか・・・・アン、」

彼が静かにあたしを呼んだ。

背中の揺れは、相変わらず心地良い。

そのうち彼の声まで気持ちよくなって、眠ってしまいそう。

「ん・・・?」

「俺は、ノルガ・エスタビア」

「ノルガ・・・」

「うん」

一ヶ月近く、言葉の応酬をしてきた相手に、初めて自己紹介をして。

それがまた可笑しくて、頬が緩む。

「俺さ、」

「うん?」

「アンの髪、りんごみたいで好き」

言われた瞬間、頭からつま先まで何かが走り抜けた感覚に、あたしは戸惑ってしまった。

こんなの、今までなかったから。

ただ、髪を褒められただけなのに。

しかも、昨日まで嫌いで仕方なかった相手にだ。

なんだろう、どこで何が変わったの。

「・・・り、りんごが好きなの?」

かろうじて会話のボールを返す。

「どうかな、りんごは、普通かも」

投げ返されたボールは、どうにも受け取りづらかった。

そして気づいた時には、思った事がすらすらと口から出てしまって。

「あたしも、ノルガの髪、夕日みたいで好きかも」

ぴしり、と音がしたんじゃないかと思うくらい急に、彼が立ち止まる。

前に進んでいるつもりでいたあたしは、バランスを崩して両手が滑ってしまった。

ぽす、と音がして、彼の背中に胸がぶつかった。

慌てた手が虚空をかいて、彼の片手がそれを掴む。

「よいしょ、と」

そして、彼にしがみつくように手を引っ張られて、彼は満足そうに頷いた。

「うん、悪くないかも」

「・・・?」

首を捻ったあたしをよそに、彼は再び歩き出す。

そっと後ろを振り返ったら、夕日が綺麗で。

いつも見ているのに、今日のは特別なんだろうな、なんて思う。

そして視線を戻して目に入った、綺麗な紅の髪に、そっと頬を寄せた。

彼の肩口に顎を乗せて、ほぅ、と息をつく。

彼が頬を緩めた気配がして、あたしもつられて微笑んだ。






それからは、蒼の本部で湿布を貼ってもらって。


翌日からは、今までみたいに食堂に同じ時間にきて、あたしと一緒にごはんを食べたり、お茶をしたりして過ごしてる。

言葉の応酬は、普通の会話になって、2人でよく笑うようになった。

そうしているうちに、たまに、外でも食事をするようになって。

帰り道で、あたしの髪に鼻先を寄せてみたりして。

・・・・誰も触れてないから、誰の匂いもしないと思うんだけどな。

聞いてみたら、「確認しないと落ち着かない」んだってさ。

まだあやふやで、曖昧で、形のはっきりしない気持ちだけど。





大事にしてみようかな、なんて。


夕日の照らすリビングの果物籠に、真っ赤なりんごを置いて思いを馳せる。

もうすぐ彼が、あたしの大好きなデザートを持ってやってくる。

たぶんきっと、夕日が沈む前に。






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