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彼の腕に体を預けたまま、まどろむ。

私を包む温もりと、心地良い鼓動の振動を感じて目を閉じていた。

・・・ああ、気持ちいいなぁ・・・。

現と夢の間を行ったり来たりしていると、ふいに頬を軽く抓られた。

痛くはないけれど、突然の刺激に驚いてしまう。

「・・・ふぇっ?」

間抜けな声がついて出た。

眠気が一瞬なりをひそめて、私は目をぱちぱちさせる。

・・・思い切り泣いたから、瞼がぶよぶよしている気がする・・・。

「こら、ここで寝るな」

「え、えぇぇ・・・」

容赦ないひと言に、私は情けない声を上げた。

もう心身共にくたくたなのだ。今まで生きてきて、こんなに疲れるほどの何かをした経験がない私には、眠る以外に回復方法が思いつかない。

「じゃあ、もう戻りますね・・・明日も仕事だし・・・。

 おやすみなさい・・・よ、っ・・・と・・・」

重くなった口を動かして言葉を紡いだ私は、彼の腕から抜け出て足を下ろそうとしたところで、腰をがっしり掴まれた。

「え・・・えぇぇ?」

思わず不満の声を上げれば、彼が低い声で唸るように告げる。

「・・・どこへ」

「部屋」

「誰の」

「え?私の」

もうこんな夜更けなんだから当然だ。

明日も仕事なのだ。同じ時間に出勤して昨日と同じように子守をする。

・・・だから、もう眠らないと明日働けなくなる。

そう思っていたら、思い切り不機嫌スイッチの入ったらしい彼に抱き上げられた。

すごい眉間のしわだ。いっそのこと恐い。

・・・だから何でだ。

「・・・もう大丈夫ですよ?」

いろいろ忘れられない出来事の重なった1日だったけれど、それなりに消化したと思う。

確かに今も、自分もシェウル君のようになるかと思ったら、気が触れてしまいそうになるけれど、その度に彼が何とかしてくれると思えば、その時がきても大丈夫だ・・・と思えるくらいには、落ち着いたつもりでいる。

その証拠に、もう明日のことを考え始めていたのだから。

「さっきのは、比喩でも何でもないぞ」

「え・・・?」

彼が立ち上がった。

もう慣れてしまった高さと浮遊感に、自然と彼の首に手を回す。

この仕草も、今日一日で手馴れたものだ。

「髪を下ろしたミナの隣で眠る、と言っただろう」

彼が歩き出すと、一定のリズムで私の視界も揺れる。

どこへ向かうのか想像がついた私は、慌てて足をばたつかせた。

「い、言ったけど、言ったけど!

 何も今日からじゃなくても!」

いつかぶつけられた熱を思い出して、体の芯から熱が立ち昇る。

耳たぶまで真っ赤になっているんだろうなんて、沸騰しかけた頭で考えた。

「他の男の匂い、全部消してやる・・・」

・・・なんだろう、壮絶に色気のある台詞なのに壮絶に物騒な響きだ。

流し目と一緒に銃口を突きつけられた気分になって、内心で声なき悲鳴を上げる。

そんな私を、彼は鼻で笑った。

・・・魔王だ。魔王様がいる。

そして、視界に大きなベッドが入って、いよいよ焦りが頂点に達した。

「今日も明日も同じことだ」

お前もここで終わりだ、みたいな言い方しないで下さい。

「やっ、あのっ」

ものすごく物騒な雰囲気を纏っているクセに、壊れ物を扱うように、そっとベッドに下ろされる。

彼が隣に腰を下ろして、獣のように重心を低くして顔を近づけてきた。

何かの危機を感じて思わず仰け反る。

彼は後ろに倒れかけた私の背中を、片手でやすやすと支えると、喉元に鼻先を近づけた。

もう心臓がもたない。破裂する。

目をぎゅっと閉じると、喉元に尖っていて湿った感触が。

「ひ、ぁ・・・っ」

小さな声が口から漏れた。

同じことを2度、3度と続けられて、それが彼の舌だと理解すると、どうしようもなく恥ずかしさがこみ上げてくる。

目を閉じているからか、感覚が尖ってしまっているらしい。

そして、だんだんと背中を這うように突き上げてきた小さな快感に、降参しそうになった、その時だ。

彼が離れる気配に、はっ、と我に返って目を開ける。

追われれば逃げたくなるのに、背を向けられたら、どうしようもなく寂しくなる。

本当に、どうしようもない。

彼が呆けた私を見て、苦笑していた。

「・・・そんなカオをするな。

 しばらくしたら、俺もここで寝る。

 先に休んでろ」

そう言って立ち上がると、クローゼットからシャツを何枚か出して、こちらへ放り投げた。

「今日はお互いゆっくり休もう。

 必要なら、その中から好きなものを着て寝るといい」

放り投げられたシャツの1枚を握り締めていると、彼と目が合う。

「・・・おやすみ、ミナ」

最後にとてつもなく甘い微笑みを投げて、彼は寝室を出ていった。

翻弄されきって何も考えられなくなった私は、もそもそと着替えて毛布に包まる。

すぐにやって来た睡魔に身を任せると、夢の中に堕ちていくのを感じた。

そしてそっと、息を吐き出した。






意識が浮上してきて、でも、もう少しだけ眠っていたい・・・。

寝返りを打ちかけて、何かが邪魔をした。

「・・・むぅ・・・」

・・・ああもう、寝にくいなぁ・・・。

毛布が引っかかっているのだと思って、手探りで邪魔するものを探す。

そして手にぶつかった何かを掴んで、一瞬で目が覚めた。

「・・・っ?!」

声なき声が出て、掴んでしまった何かから、ぱっ、と手を離す。

・・・人の腕だったと理解してすぐに、自分が今どこに居るのか思い至った。

そして次の瞬間には、昨日の出来事が走馬灯のように蘇る。

・・・さっきまで夢を見ていたと思うのに、なんで急に・・・?!

寝起きの無防備なタイミングでぶり返した脳裏の光景の理不尽さに、腹が立つ。

しかしそんな事を考える間にも、指先が小刻みに震え始めていた。

焼き付けられた昨日の光景、その残像が音もなく私を飲み込もうとしているのが分かる。

・・・あの子の手、先生の歪んだ笑顔、シェイナさんの叫び声、彼の腕、引き千切られそうな痛み・・・。

記憶が駆け巡って、カチカチと歯の根が合わなくなったところで、背後の気配が動いた。

「ミナ」

短く自分の名を呼ばれて、返事をしなくちゃと思うのに、声が出ない。

喉の出口が閉まっていて、ひゅー、とおかしな息が漏れる。

「大丈夫だから、呼吸を・・・ゆっくり息をしろ」

後頭部に彼の吐息がかかって、震えを押さえこむように彼の腕に力が込められた。

「大丈夫だ」

繰り返し繰り返し、囁くように、唱えるように言い聞かせるのを聞かせられるうちに、震えが小さくなってゆくのを感じて、私はゆっくり息をついた。

そして、自分の手を確認する。

そこにはちゃんと、彼の腕を掴む私の手があった。

・・・大丈夫、透けていない・・・。

彼もそれを確認したのだろうか。後頭部に、ほっとしたような息がかかった。

「・・・部屋に帰さなくて正解だったな・・・」

その言葉に、私は力なく頷いたのだった。


目覚めこそ疲労感でいっぱいになったけれど、今日も仕事だ。

世の中は、私の苦しみや悲しみとは無関係に毎日を刻む。

もう一度眠ってしまいたい気持ちをなんとか切り替えて、シャワーで心も一緒にさっぱりさせる。

その後は、昨日と今朝でずいぶん心配をかけたらしく、過剰なほどに構われながら朝食を摂った。

思い返せば、あれは介護の授業か何かだったのかと笑えるくらいの徹底ぶり。

髪も、団長が結ってくれた。

・・・どこで覚えてきたのか、今度聞かせていただきます。

そして支度を終えた団長が私の部屋の外で待っている、という状況の中、私は急いで着替える。

待たせては悪い、と鏡の前でのチェックもそこそこに部屋を出ようとした時だ。

まだジェイドさんからの手紙を読んでいなかったことに気づいて、封筒を手に取った。

「もうちょっと待ってて下さいねー」

ドアの外にいるであろう彼に声をかけてから、急いで封を切る。

便箋を広げれば、綺麗な字が整列していた


~ミナへ~

王宮内で囁かれている、心無い噂を耳にして、心を痛めています。

しかし、ここで私が出て行けば、さらにあなたを苦しめることになると分かっているので、バードさんに手紙を託すことにしました。


蒼鬼殿と、何があったのかを聞くつもりはありません。

しかし、あなたが傷ついているのなら、私は何を捨て置いても駆けつける用意があります。

抱きしめて盾になり、全ての悪意からあなたを守る覚悟もあります。

あなたが私を必要としてくれることを、心から願っています。


どうか、この手紙が無事にあなたの手に渡りますように。

~ジェイド~


「ジェイドさん・・・」

ここ数日、私のことを案じてくれていたと分かって、胸が温かくなる。

けれどそれは、団長が私を抱きしめてくれた時に感じた温かさとは、きっと別のものだ。

温かさと同時に、何と言葉にしていいのか分からない気持ちが胃の下の方にぶら下がって、目を伏せた。

その時だ。

「どうした」

部屋の外にいるはずの彼が、少しドアを開けてこちらを伺っていた。

「あ、えと・・・」

咄嗟には何とも説明出来ず口ごもると、彼がつかつかと部屋に入ってくる。

「急に部屋の中が静かになったから、また・・・いや、」

言いかけてやめる。

私も彼の言いたいことが分かって、安心させようと微笑んだ。

「うん・・・だいじょぶです」

「ああ。

 ・・・で、それは何だ」

まだ手の中にあった便箋に視線が移ったのが分かって、私は居心地が悪くなる。

いや、別に隠すようなことでも、やましいことでもないとは思うのだ。

だけれど、ああ、自惚れていいのなら、彼の不機嫌スイッチは入るかも知れない・・・。

何と答えていいものか躊躇している隙に、彼が便箋を取り上げた。

「あっ・・・!」

慌てて手を出すも、彼は一瞬のうちに内容を理解したようで、ぽいっ、と便箋を放り投げた。

ぽいっ、とだ。

「えぇっ?!」

狼狽する私を尻目に、彼が一言。

「気に入らん」

憮然とした表情を隠しもせず。

「どいつもこいつも・・・。

 最初に匂いをつけたのは俺だ」

また匂いの話か。

なんなんだ、この世界の男は獣か何かか。

「この場合、早い者勝ちルールは適用されないと思うけど・・・」

呆れてぼそりと呟けば、彼が眉を跳ね上げた。



予想通り不機嫌スイッチの入った彼と、歩きながら話をする。

・・・朝から疲れる・・・。

けれど、今までいろんなことから目を逸らしてきた私がいけないのだ。面倒も心配もかけてきたのだから、この際思い切って正面から向き合うことにした。

一度消えかけて、何だか気持ちがさっぱりしたみたいだ。

心なしか、何かに対して開き直る勇気が湧いたような。


「ええと、昨日の夜言ってたことは、本気なんですよね?」

「・・・やはり夜のうちに、解らせた方が良かったか」

「も、もう十分解ってるので大丈夫です!」

「そうか」

「はい・・・えっと、じゃあ、一応確認しておきますけど」

「確認・・・?」

「だん・・・や、シュウの言う、他の匂いっていうのは・・・?」

「ジェイドとノルガ、それから、もう1人、最近誰か触れただろう」

「・・・誰か・・・?」

「どうした」

「いや、最後の1人が、誰なのか・・・」

「・・・思い当たらないなら、いい」

「はぁ・・・じゃあ、ジェイドさんと、ノルガとは、話をしてきます」

「・・・何故」

「え、だって、匂いがついてるの嫌なんでしょ?」

「それは嫌だが」

「だから、ちゃんと話してきます。

 きっと、2人とも一時の気の迷いだと思いますし」

「・・・やめておけ」

「え・・・?」

「俺の匂いを消そうと、またちょっかいをかけられるのがオチだ」

「匂いを消す・・・?」

「ああそうか、もしかしてお前、男が匂いに敏感なのを知らないのか?」

「・・・はぁ・・・知らないですけど・・・」

「・・・男はな、気に入った女に触れて自分の匂いをつけるんだ。

 いや、触れていれば自然と匂いが移るというのか・・・。

 だから、気に入った女に他の男の匂いがついていたら、何とか自分を見てもらおうと、

 匂いを塗り替えようとするものなんだよ」

「し、知らなかった・・・!」

「何故ほいほいと男の側に寄るのか理解に苦しんだが、そういうことか」

「な・・・?!」

「ああ、それにお前、今まで俺の寝具で毎日寝てただろう。買い換えずに。

 ・・・染み付いてるんだよ、俺の匂いが。

 ああ、まぁ側に寄ったとしても、犯罪紛いのことは起きないとは思うが。

 ・・・奴らにも、理性はあるだろうしな」

「・・・」

「ん?どうした?」


「・・・シュウの、ばかーっ!!」

「え・・・?

 ・・・悪い」




異世界、奥が深すぎてついていけません。








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