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ジェイドさんのノックに女性の声が返ってきて、ゆっくりとドアが開いた。

今までの人生に何度あっただろう、私は緊張で若干手を震わせながら、必死に指先で口角を上げる。鼓動が速くなっているのを感じながらも、頭の片隅で、卒園式のピアノ伴奏の時などによくやったのを思い出す。

・・・いよいよ親子との対面が始まる。



まず、陛下が躊躇うことなく部屋に入った。

それはそうだ。自分の妻と子どもの部屋なのだから、自分の家も同然だろう。

「いらっしゃいませ陛下」

「うむ」

ドアを開けてくれた侍女さんが、恭しく頭を下げて言った。

お辞儀をする姿が、とても綺麗で見とれてしまう。

見とれながらも、ジェイドさんが尋ねていた行儀作法云々とは、こういうことなのか、と1人で納得してしまった。

陛下はそれに仰々しく頷いたかと思えば、そのまま奥の方へ歩いていってしまった。

「おーいレイラー、調子はどうだー?」

その背中の消えた先から、暢気とも言える声が聞こえてきて、私は思わず噴出してしまう。

・・・いや、これはきっと緊張で笑いのポイントがおかしくなったせいだ。

シュレイラ様の部屋は廊下が伸びていて、部屋に入っただけでは居間が見えないようになっているようだ。奥の方からは、陛下の声が聞こえてくる。

「いらっしゃいませ補佐官様」

ジェイドさんも、頭を下げている侍女さんに短くただ「ああ」とだけ言って、さりげなく私の背中に手を添えて奥の声のする方へ行こうとする。

私はそれに身を任せることにしつつも、

「こんにちは、お邪魔します」

小声で頭を下げ続けている侍女さんに声をかけて、中へ入った。



奥の居間にはシンプルな応接セットがあり、そこにはすでに陛下が腰掛けていた。

壁紙やカーテンの色、家具のデザイン、この部屋全体がとても穏やかな落ち着いた雰囲気で、陛下がソファに体を沈み込ませて寛ぎたい気持ちがよく分かる。

王族というと、豪華な物を好んでいるのかと、私は勝手に思っていた。

歴史の教科書に登場した、パンがなければお菓子をどうぞ、という王族や王城をイメージしていたから、価値観を見直さなくてはいけないな。

部屋を見渡し、ほぅ、と息をついて陛下の横に座って談笑している女性に目を向けた。

体格の華奢な、どこか儚げな雰囲気の人だ。結い上げた髪に、小さな宝石が散りばめられたカチューシャのような飾りを身につけている。

「・・・失礼しますね。

 レイラさん、子守の候補をお連れしましたよ」

ジェイドさんが、私の背中に手を添えたままシュレイラ様に告げた。

するとシュレイラ様の瞳が、私を捉える。

一瞬大きく見開かれたと思ったら、鈴の音のような声が飛び出した。

「・・・わぁっ、こんな妹が欲しかったの!」

それはそれは嬉しそうに指を組んで喜びを表現している彼女を見て、私は口が開いてしまうのを止められなかった。

「よかったなぁ。

 レイラはひとりっ子だからなぁ」

陛下が何度も頷いて同意する。

初めて2人のことを目にする私だけれど、すぐに陛下が彼女を溺愛しているのが分かった。

いや、問題はそこではない。

・・・いもうと?

陛下と姉妹について話している彼女を見てみると、お肌はぷるっとしているし、子どもを1人産んだとは思えないくらい、若々しい。

・・・私はその彼女から見て、自分よりも幼いと判断されたようだ。

「レイラさん、彼女は・・・」

「すみません、今年で24になります・・・」

ジェイドさんが私の年について話そうとしているのを察知して、自分の口から伝えようと言葉を紡ぐと、彼女は大きく目を見開いた。

瞳が零れ落ちそうだ。

「まぁ、24歳なの?

 ・・・そうなの・・・じゃあ、お姉さまね!」



「わたくしの名前は、シュレイラといいます。レイラって呼んで下さいね」

にっこり微笑む表情が眩しくて、一瞬見とれてしまった私も、自己紹介をする。

「ミナ=マツダです。

 呼びやすいように、呼んで下さい」

頭を下げた私と、ジェイドさんも応接セットに座らせてもらって、ゆっくり話をすることになった。

本当なら、陛下とレイラ様のお子さんに会う予定だったけれど、私達がここに来るのが遅くなったために、お子さんがお昼寝をしてしまったとのだそうだ。

昨日の夜から興奮気味で、なかなか寝付けなかったらしい。なんてかわいいのだろう。

「じゃあ、ミーナさん、って呼ばせてもらいますね」

本当はお姉さまって呼びたいのだけど・・・と少し残念そうに話すレイラ様。

レイラ様の年を聞いてビックリしたけれど、よく見るとお似合いの2人だ。

夫婦なんて、段々といろいろなところが似ていって、最後には顔まで似てくるものなのよ・・・なんて、お母さんが話していたっけ。

思わぬところで故郷を思い出してしまった私は、ほんの少し切ない気持ちになりながら陛下と彼女が顔を見合わせているのを見つめる。

そして、彼女とお互いの呼び方について話をしていたのだと思い出した。

「・・・じゃあ、私はレイラ様と・・・」

「いいえ、やめて下さい。

 様付けされるのは、あんまり得意じゃないんです。

 それにミーナさんはわたくしの侍女ではないし、これからは家族同然なのに・・・。

 ・・・もう、ジェイドさんだけずるいわ」

形の良い眉が段々とハの字になって、最後にはジェイドさんを軽く睨んだレイラ様が言う。

私はその言葉の意味がよく分からず、思わずジェイドさんを振り返った。

すると、彼は半ば困ったような顔をして私を見つめる。

「・・・お伝えするのを忘れていました。

 マツダさん、今ここに座っている時点で、あなたは王族関係者になったんですよ。

 本来なら、最初にサインをもらう前に、お伝えするべきでしたね・・・」

すみません、と呟く彼の表情を目にした途端に、頭の中が真っ白になってしまった。

「それはどういう・・・?」

半ば放心状態で尋ねた私に、彼はゆっくりと話し始める。

「王族の子育てについては、もうご存知ですね」

無言でうなづいた私に、彼はさらに続けて言った。

「子守は王族の私生活に出入りすることになります。

 ということは、臣下や騎士団で働く者達や、王宮に出入りする者達にとっては、

 王族に関する情報源となるわけです」

彼の言葉に、団長の話を聞いてあっさり引き受けてしまった自分を悔やむ。

もう話も聞いてしまったし、この部屋にも入ってしまった。

院長の言っていた通り、もう引き返せる場所はとっくに過ぎてしまっていたのだと、今さら身を持って知ることになるなんて・・・。

絶句してしまった私を見て、ジェイドさんが苦笑しながら言う。

「ちょっと意地悪な言い方をしてしまいましたね。

 ・・・あまり難しく考えなくても大丈夫ですよ。

 自分も王族の一員だという自覚を持って、仕事をして下されば良いのです。

 命を投げ出せという意味ではありませんよ、家族を守るつもりでいて欲しいんです」

「かぞく・・・」

言葉の響き自体は、これ以上ないくらい今の私には魅力的だった。

家族だなんて、こちらの世界でいつ縁があるのか分からないものだから。

ちなみに私の母は、陛下の子守だったんですよ、と前置きをした彼が、柔らかく微笑んで私に言葉を向ける。

「もちろん、雇用者と被雇用者の関係でもありますから、お給料はしっかり出します。

 そのへんのことは、マツダさんの要望を聞きながらでも調整できます」

「・・・そうですか・・・。

 お金のことは、貰えたら嬉しいですけど・・・でも・・・」

頭のどこかがぼんやりしたまま、私はうわ言のように呟いた。

もう引けないと分かっているのに、優しくしてくれる彼を困らせたいわけではないのに、どうしても覚悟が決まらない。

孤児院を出ると決めた時の、あの決意がこんなにも軽く頼りないものだったなんて、自分にがっかりしてしまう。

団長にも、がっかりされてしまうのだろうか・・・。

目を伏せた私にダメ押し、とばかりにジェイドさんが囁いた。

「大丈夫、ここの家族は何があってもあなたを守りますよ」

言われて思考の海から現実に戻った私が、同じテーブルについた陛下やレイラ様に目をやれば、2人が優しい顔をしているのに気がついた。

こうして眺めると2人はとてもお似合いだし、部屋の何もかもがシンプルで、新婚さんの新築祝いにでも来たような気分だ。

そこまで考えて、ああそうか・・・、と心の中で呟く。

胸の奥のほうに堕ちてきた何かを掴んで、私は口を開いた。

「・・・至らないところも、たくさんあると思いますが、頑張ります。

 宜しくお願いします」

そして、一礼してから目の前の2人を改めて見つめると、微笑んで頷いてくれた。

難しいことを考えるのは、しばらくやめておいた方が良さそうだ。

理屈ではなくて、この人達のこと好きになれそうだと感じた自分の心を信じてみよう。

怖気づいてしまいそうだった自分はどこにいってしまったのか、一度言葉にして頭を下げたら、迷う気持ちはすっかり消えてしまった。

どうせ働くのなら、好ましいと思える人達と一緒に、誰かの役に立てる仕事をしたいと思うのは、私の性分なのかも知れない。

仕方ない。これも両親から受け継いだ血の中に組み込まれたものなのだろう。





「それでね・・・」

レイラさんがお腹を擦りながら言う。

・・・結局、様付けはお許しが出なかったので、さん付けで勘弁してもらったのだ。

彼女は、私が子守の仕事を引き受けてから、とても生き生きと子どもの話をしてくれていた。

今何歳なのか、何が好きで何が嫌いなのか、どんな性格なのか・・・。

話しぶりからすると、この人は本当に愛情深い女性だということが分かる。

しかし、生き生きした声に反して、少しずつ顔色に翳りが見え始めていた。

もしかして、気分が優れないのかな・・・と心配になる。

もともと今日は体調が良くないために、私室で面会したいという話だったのを思い出す。

・・・休んでもらった方がいいのかな。

そう言おうとして、口を開いた時だ。

「・・・レイラ、少し横になるか?

 顔色があまりよくないぞ」

隣にいた陛下が、彼女の背に手を添えて顔を覗き込む。

最初は少し残念な人かと思ったけれど、彼女のことを大事にする愛情深い一面がある人なのだと、内心感嘆してしまう。

・・・周りの大人達が、たくさん手をかけ心をかけて育てたからかも知れないな。

「そう・・・?

 ・・・でも、うん・・・ちょっと疲れたかも・・・」

小首を傾げながらも軽く息をついて、彼女は額に手を当てた。

そんな様子を見た陛下は、気が気ではなくなったのか、彼女を横抱きにして立ち上がった。

「横になって休んだ方がいい。

 もう一度、夕方になったらミーナに来てもらえばいいだろ。

 その頃にはリオンも起きているだろうし、な?」

陛下の首に腕を巻きつけて、くたり、と力を抜いた彼女を心配して見上げていた私とジェイドさんに、陛下が言う。

「隣の寝室に寝かせてくる。

 ・・・少し待っててくれ」





陛下がレイラさんを連れて行くと、部屋がしんと静まり返った。

シンプルで素敵な部屋だと思っていたけれど、住んでいる人の温かさがあったから、居心地がよかったのだと実感する。

「・・・どうですか、あの夫婦は」

ジェイドさんが、静かに尋ねた。

私は感じたままを口にすることにする。

もう、緊張して手が震えてしまっていた私は、どこかに消えてなくなっていた。

「とてもお似合いで、お互いに大事にしているのが伝わってきますね。

 そんな両親がいて、皇子様は幸せでしょうね」

「・・・目の前でいちゃつかれると、さすがに迷惑なんですけどねぇ」

苦笑して話していた彼が、言葉を切った途端に声を低くする。

「・・・大事なことを後回しにして、すみませんでした」

私はその言葉に、ゆるゆると首を振った。

「大丈夫です。

 というか・・・全部聞いてからだったら、私、怖気づいて逃げていたと思います。

 だから、先にお2人に会えて良かったんです・・・」

そう言いながら隣に座る彼を仰ぎ見ると、彼は思いのほか優しく目を細めて、しかしからかうような声で言った。

「・・・そうですか?

 私は、あなたは最初からこの話を引き受けてくれると思ってましたよ」

「・・・それは、ちょっと買いかぶり過ぎです・・・」

「ま、何はともあれ、これで一安心です」

彼の穏やかな声に、そっと息を吐いた。

今日はずっと緊張していて、やっと今、落ち着いて息をしている気がする。

そんなふうに、心地良い空気に少しぼーっとしていた時、ふいに思い出したことがあって、私は口を開いた。

「・・・やっぱり補佐官様って呼んだほうがいいですか?

 私、ジェイドさんは採用担当の事務官なんだとばかり思ってて・・・すみません」

上目遣いに尋ねれば、彼は苦笑しながら首を横に振った。

「・・・いいえ、私は肩書きには拘らない方なので、このままで。

 正直なところ、私のことを正しく呼ぶ人間が増えて、嬉しく思っているんです」

「そう、ですか・・・?

 じゃあお言葉に甘えて・・・ジェイドさん、のままで・・・」

彼の気分を害していたわけではないと分かって、思わず緩んだ頬を押さえる。

すると、彼が柔らかく目を細めた。

「蒼鬼殿は、そういうあなただから、そのコインを預けたのでしょうね」

「・・・え?」

突然降って湧い言葉に、思わず胸元のコインに触れた。

つるり、と浮かび上がる紋章が指先を押し返す感触に、速くなりそうだった鼓動が大人しくなってゆくのを感じる。

「私は、あなたは今回の子守役に最適だと思っています。

 ・・・期待してますよ」

「は、はい」

言われたことを深く考える時間もなく、彼の言葉に頷いた。

会話が終わり、再び部屋の中が静かになる。

「もうそろそろ昼食になるころですね」

ぽつり、と彼がつぶやいて、それに反応するように私のお腹がきゅるっ、と鳴った。

「・・・っ!」

声にならない悲鳴を上げて、自分のお腹を押さえる。

今朝は早かった上に、列車の中ではセクハラ大王に脅され、身体も心も栄養が欲しいと主張しているのだろう。

聞こえたよね?という意味を込めて隣の彼を見上げたら、しっかり目が合って、ふふ、と小さな声で笑われた。

「お腹が空きましたよね。

 陛下に挨拶をしたら、一緒に食堂に行きましょうか。

 なかなか美味しいんですよ」

そう言って、彼は片目を瞑った。





食器がぶつかる音やたくさんの人の話し声、厨房を飛び交う声、そして空間全体に漂っている、美味しそうな匂い。

早く何か食べろと言わんばかりに、お腹がきゅるる、と鳴く。

食堂はとても賑やかで、いろいろな職の人が入り乱れていた。

侍女らしき制服、騎士団の制服、事務官だろうか、黒い制服を着た人達も結構な人数いるように見える。

ちょうどお昼休憩の時間に重なったのか、空席はあと少しのようだ。

学食のような、懐かしさと、わくわく感が入り混じる空間に、私はどこか浮かれていた。

私とジェイドさんが食堂に入っても、賑やかに食事をしていた人達は、目が合えば軽く会釈をする程度で、特に気にする風でもないようだ。

補佐官とはいえ、恐れ多くて近寄れないという感じでもないらしい。

しかし全体の中の何人かは、私と目が合って鼻で笑う様子を見せたけれど、その後すぐにジェイドさんを見つけて、スプーンやフォークを取り落としていた。

黒い制服に身を包んでいるけれど、なんだか感じ悪い人達だ。

隣にいた彼が、小さな声で耳打ちする。

「あの黒い制服の感じ悪い連中が、お話した、能無しの給料泥棒ですよ」

「・・・分かる気がします」

「私と一緒に食事をしているところを見せれば、近寄りませんよ。大丈夫です」

はい、と返事をして、私は彼の背中に続いて食事を注文しに行った。

食堂には、いくつか屋台のようなカウンターがあって、そこで自分の食べたい物を注文するのだそうだ。

カウンターごとに扱う料理の系統が違うらしいけれど、私は初めてなのでジェイドさんと同じものを食べることにした。

ちなみに彼がこの場所を利用することは、あまりないらしい。聞けば、普段は忙しくて執務室から出る時間もないのだそうだ。

どこの世界でも、激務に追われる人がいるものだ、と変に感心してしまった。

今回はジェイドさんがご馳走してくれるというので、お言葉に甘えることにする。

私の好みを聞きながら、上手に注文をしてくれて、出来上がった食事も2人分上手に運んでくれて。極めつけには、席についてからお水まで持ってきてくれた。

そこまでされて、はっと我に返った。

「ジェイドさん、ありがとうございます。

 でも、そこまでしなくても、あの人達も分かると思いますよ?」

私が変に絡まれないように、補佐官が気にかける人間として連中の意識に残るように、いろいろ動いてくれているのだと気づいたのだ。

しかし彼はというと、首をわずかに傾げただけだった。

「・・・何のことです?」

「無意識ですか・・・?」

私の言葉に、眉間にしわを寄せる。

・・・そんな顔をしていたら、団長みたいになっちゃいますよ。

「ジェイドさん、モテますね?」

「そんなことはないですよ。お嫁さん募集中です」

私の失礼な軽口にも、にこりと笑顔で言ってくれる。

「さ、食べましょう」

何か腑に落ちないものを感じつつ、ジェイドさんに言われるまま食事に手をつけた。

団長といいジェイドさんといい、無意識の美形男子だなんて、王宮は危険がいっぱいだ。

でも・・・遠くから眺めて心を癒すくらいは、許されるだろうか。








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