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「子どもって、あれですか・・・・?」



指差した方角には、1人の男の人。

恐る恐る隣に立っているジェイドさんに尋ねると、彼が急に動いた。

ホールの広さと豪華さに半ば呆然としていた私は、その動きに翻弄される。

彼は私と目を合わせたかと思えば、次の瞬間には男の人を指した私の指をぎゅっと握りこんで、そのままぐるりと勢いよく、体を180度回転させたのだ。

急な方向転換に目が回りそうになりつつも、彼が今入ってきたばかりの扉を目指そうと歩き出すのに、必死について行く。

息を飲んで、されるがままにしていたら、ふいに彼が顔を顰めたまま私を見た。

「マツダさん、あなたって人は・・・」

声をひそめて叱咤されて、その苛立ったような声色に戸惑ってしまう。

「えっ?」

「あの人はね、今一番会いたくない人なんです」

「・・・ごっ、ごめんなさ・・・っ!!」

会いたくない人、というのがどういう位置の人なのかは分からないけれど、とりあえずこの場から離れた方が良いと彼が判断したのだ。

私は謝って大人しくついて行くしかない。

「とにかく一度、私の部屋に・・・・」

「おいそこの2人」

私の足が絡まりそうになりながらも、やっとのことで扉の前に辿り着いたところで、やはりと言うべきか、男の人から声がかかった。

ぴた、と動きを止めて、私達はほとんど同時に振り返った。

『・・・はい』

見事に2人の声が重なった。






「とりあえず、こちらへ来い」

大きな声でもないのに、なぜかよく響く声。

少し離れていて、やっと目が合っているのが分かるくらいなのに、視線を逸らすことが出来ないくらいの力のある瞳。

私とジェイドさんは、肩を並べて男の人の所まで歩く。

はぁぁー、と大きなため息が隣で響いて、私は慌てて謝った。

「すみません、私のせいで・・・軽率でした・・・」

「いえ、いいんですよ。

 こういう展開を想定しなかった私も甘かったのです」

優しく微笑んで、彼は私のことを見下ろしていた。

その瞳には、先程のような苛立ちを見つけることは出来ない。

「もっとちゃんと、言い聞かせておくべきでしたね」

胸を撫で下ろしたところで、彼の呟きが聞こえてきた。

私には言葉の意図がよく分からないけれども、どうやら酷い状況ではなさそうだ。

男の人の目の前までやってくると、その体格の良さや、威厳に満ちた風貌や、とてつもない目力に圧倒されて足が竦んでしまった。

私が逆らったり、あまつさえ指差していい相手ではないことが、本能で分かる。

どことなく、野生の獣を思わせるような、そんな雰囲気の人だ。

すると、隣に並んだジェイドさんは腕を組み、一緒に過ごしているこの短い間で見たことのない、不遜な態度で目の前の男の人に対峙した。

小心者の私には、こうして真っ直ぐに向き合っているのが精一杯なのに・・・。

「それで、」

空気がぴりっとする。

「朝っぱらから女を連れ込むとは、隅におけないな、ジェイド」

ジェイドさんに向かって、明け透けに物を言う。

ただ佇んでいるだけで、あれだけのオーラを発していた人だけれど、口を開けば一転して気安い態度と表情に肩透かしを食らった気分だ。

それにしても、連れ込むだなんて、穏やかじゃない・・・。

思いながらも、私はそれを飲み込んだ。否定するだけの勇気はないのだ。

ジェイドさんは、そんな私を横目でちらりと見てから口を開く。

全く臆する様子もなく、ましてや少し上から物を言おうとしているのが分かって、見ているだけの私の方がひやりとさせられた。

「連れ込むだなんて言うのは、一体どの口です?

 私達は業務上必要があって、一緒にここに来ただけですよ」

ジェイドさんの言葉に、彼は口角を上げる。

こちらもこちらで、私は、なんだかその含みのある態度が気になってしまう。

「そんなことより・・・なぜあなたのような方が、このような場所に?」

ジェイドさんの質問に彼が、うっ、と言葉に詰まった。

それをとっかかりにしたのか、ジェイドさんが一歩前へ出る。

すると彼は、ジェイドさんから離れるようにして一歩さがった。

「・・・朝議はどうしました・・・?

 昨日の夜の打ち合わせは、一体誰のためだったんです・・・?!」

大きくため息を吐いたジェイドさんが、額に手を当てて天を仰いだ。

何か、良くないことが起きたらしい。

「言いましたよね、国境付近に難民が押し寄せてきているって!

 蒼鬼殿が帰還を待って、全員で現状把握しようって言い出したのあんたでしょうが!!」

感情の蓋が外れたのか、ジェイドさんが大きな声で相手を非難する。

しかしそんなジェイドさんの様子を意に介することもなく、彼は胸を張った。

私には、責められて胸を張れるような、鉄の心臓は用意出来そうにない。

「余はお前がいないと不安なのだ!」

・・・こういうやり取りを頻繁にしていたら、胃に穴が開きそうだな。

隣で私の肩に手をついて、打ちひしがれているジェイドさんに心底同情してしまう。

今日が初対面だというのに、なんだか親近感に似た感情を抱いてしまいそうだ。

そして、ジェイドさんがお疲れのようなので、私も勇気を振り絞って、目の前の彼に名乗ってみることにした。

「あのー・・・」

そっと、声を出してみる。

すると、すぐに彼の視線が私に向いた。

何も言わず、ただ私の言葉の続きを待っている姿からは、足の竦むような厳しさを滲ませていた雰囲気は一切感じられなくなっている。

それに気づいて、私は口角を上げた。

「私、ミナ=マツダといいます。

 蒼鬼殿から、子守のお仕事を紹介してもらったので、参りました」

そこまで言うと、彼の視線が私の胸元に注がれたのが分かった。

小さく声が漏れた気配に、この人もコインについて思うところがあるのか、などと一瞬気が逸れてしまう。

私はゆっくり息を吸うと、ほんの少し動揺した心を宥めようと胸元に指先を這わせる。

コツンのぶつかるコインの感触を受け取って、口を開いた。

「さっきはすみませんでした。指差したりして・・・。

 お名前、伺ってもいいですか・・・?

 ジェイドさんの、同僚の方なんですよね・・・?」

顔色を伺いながら尋ねると彼は、ふっと笑う。

鼻で笑っているのとは違う、思わず噴出したというような笑い声に、私は小首を傾げる。

「・・・同僚といえば同僚だが・・・。

 お前、こいつの仕事を知ってるのか?」

彼はジェイドさんにちらりと視線を走らせて、人の悪いニヤリとした笑みを浮かべた。

隣のジェイドさんが、大きくため息を吐く。

私は彼の問いかけに、小さく首を振った。

そういえば、担当事務官だと思い込んでいたけれど、違うのかも知れないなどと今になって気になってしまう。

そわそわと落ち着かなく指先を擦り合わせて、彼が教えてくれるのを待った。

すると、「そうか、知らないのか」と彼が楽しそうに肩を揺らす。

「ジェイドはな、この国で2番目に偉い奴なのだぞ」

「・・・こら陛下」

依然として私の肩を支えにして、ため息をついていたジェイドさんが、瞳に剣呑な光をたたえながら低い声で言った。

「えっ・・・?

 ・・・えっ?!」

人を指差して謝ったばかりの私だったけれど、そんなこともすっかり忘れてしまうほどの驚愕の事実を受け止められずにジェイドさんと彼のことを交互に指差す。

・・・そんなことって、ありますか神様・・・。

半ばパニックになりながらも、一度も本気で祈ったことのない神様に向けて内心で呟いた。

そんな私を見て、彼・・・ジェイドさん曰く「陛下」だそうだ・・・は、豪快かつ、いかにも楽しそうに大声で笑ってくれる。

ジェイドさんはと言うと、1人で楽しそうにしている陛下を見ながら、握りこんだ拳をふるふると震わせていた。

私には出来ないけれど、いっそのこと鉄拳制裁をしてくれてもいいと思う。

そう思えてしまうくらいに、私はこの衝撃を持て余していた。

いや、混乱していたと言ってもいい。






しかし、おかしい。私の何がこんなにロイヤルな面々に繋がるというのか。

どうしようもなく、やるせない気持ちになる。

私は普通に働いて、普通に自立して、もといた世界で出来るはずだったことを、この世界で取り返すつもりで・・・それだけなのだけれど・・・。

「マツダさん?」

「マツダ?」

2人が私の顔を覗き込んだ。

陛下とジェイドさんの地位も理解してから、すぐに現実逃避をしていた私は、額に手を当てて大きなため息をついた。

一歩後ろへさがる。

「取り乱してすみませんでした。

 何も知らなかったとはいえ、無礼が過ぎました・・・」

言い馴れない言い回しをしている自分を、どこか冷静に見ていると、それまで静かに私を見つめていた陛下が、どういうわけか踏ん反り返って言った。

「別に、無礼ではないぞ」

ジェイドさんはそんな陛下の背中をグイっと押し戻す。

「いいんですよ、こんな給料泥棒に謝罪など不要ですから」

「ふん」

ずいぶんな言い様だけれど、陛下が気にした様子はなかった。

自覚があるのか、耳にタコなのか・・・どちらにして、彼が不敬だと感じているのでなければ、私に罰が与えられるわけでもなさそうだ。

胸の内で、よかったと呟いた私は、きゅっと引き結んでいた唇から力を抜いた。

「・・・不敬でなかったのなら、安心しました。ありがとうございます。

 それでは、私はこのへんで・・・あの、お世話になりました。

 ・・・私のような馬の骨では務まらないと思いますし、孤児院に戻りますね・・・」

私は2人を交互に見てから、短く言って頭を下げる。

そしてすぐに踵を返して、元来た方へ歩き出した。

・・・団長は、王宮の中で子守を必要としている人がいる、と言ったのだ。私はそれがまさか、国で2番めに権力のある方が絡む求人だったなど、予想もしていなかった。

ただの気楽なベビーシッターかと思っていたのだ。

けれど、この様子ではそうではなさそうだ。

それならば、この話はなかったことにしてもらうのが一番良い気がする。今ならまだ、院長と団長にかかる迷惑も少なくて済むだろう。

その時だ。

「そうはいかん」

陛下の声が耳元で響いて、驚いて肩をそびやかしたところで突然視界が反転して、足が浮いたと思えば浮遊感に眩暈がする。

自分の体がどこにあるのか、すぐには分からなくて思わず手で触れたものにしがみついてしまった。

「・・・お前には、余の息子の子守をしてもらわなくてはならんのだ」

また耳元で陛下の声が響いて、驚いて私は仰け反った。

こともあろうに陛下にお姫様抱っこされている。

それが理解出来た瞬間に、私はなりふり構わず足をばたつかせた。

・・・この際相手が陛下であっても構わないと思った。

人権が優先される、渡り人に優しい国のはずなのだから。

「おっ、下ろして下さい!今すぐっ!」

「・・・はっはっはっは!」

陛下が全く聞く耳を持たないので、肩越しに見えるジェイドさんに助けを求める。

もはや、これだけ体格の良い彼に捕まってしまっては、私がもがいたところで引掻き傷を作るくらいが関の山だろう。

「・・・ジェイドさん助けて下さい・・・!」

すると、私の悲鳴に近い言葉にジェイドさんはにっこり笑ってくれた。

その笑顔がどこか黒い気がすることには、いっそのこと気づかなかったと目を瞑ろう。

「ええ、任せて下さい」

言うなり、ジェイドさんが陛下の腰のあたりを、バシン!、と一蹴した。

文字通り、蹴ったのだ。

「ぐぁっ!!!」

まるで悪役のように、陛下が呻いて膝をつく。

私はその隙に陛下の腕を抜け出して、ジェイドさんの背中に隠れた。

「ありがとうございます・・・!」

小声で背中に向かって囁けば、ジェイドさんは振り返って爽やかに笑う。

どうやら私には、黒い笑顔は封印してくれているようだ。

そんなことを考えつつも、私は鼓動が全力疾走した後のようになっているのを、深呼吸をして整えていた。

そして、ジェイドさんはやっと立ち上がった陛下に言う。

「リオン君に、マツダさんに会ってもらいますが・・・またサボられても困るので、

 この際ですから陛下も一緒に来ますか?」

ジェイドさん、背中に「不本意」って書いてありますよ。





本当は陛下に出くわしたホールで、私が子守をする子どもとその母親・・・この場合、皇子様とお妃様ということになる・・・に会う予定だったけれど、母親の体調があまり良くないというので、私室での対面に変更になったそうだ。

あの機械のような侍女さんに連絡したということだけれど、その時にはもう私達はこのホールへ向かってしまった後だったという。

そういうわけで、陛下はそれを伝えるために、ホールに待っていたそうなのだ。

たまたま廊下をぶらぶらしていたら、侍女に呼び止められて伝言をお願いされたのだと、ご本人は主張していたが、まず間違いなく「サボってふらふらしていたら、困っている侍女がいたから自分から申し出た」ということなのだろう。

ジェイドさんが、盛大にため息をつきながら解説してくれたのに頷いて、私は陛下を見る。

何食わぬ顔で歩いている様子を見る限り、どうやらこういった事態は、今回が初めてではなさそうだ。

それから、道すがら仕事に関してジェイドさんと話をしながら歩いた。



私がこれから世話をするのは、陛下の2人目の奥様であるシュレイラ様の1人目のお子様で、名前をリオルレイド様というらしい。まだ4歳の男の子だ。

シュレイラ様は20歳ということだけれど・・・その辺りの事情は、気にしないようにしよう、と私は歩きながら固く決意する。

その奥様は、現在第2子を妊娠していて、身体が辛いから子守をお願いしよう、ということになったらしい。この国の人達は、やんごとない方々であっても、基本的に自分で子育てをすることになっているのだという。

それは、もう何代も前に遡るが、それはもう酷く血で血を洗うような、お家騒動があったのだそうだ。親が子を犠牲にして、子が親を罠にはめて・・・。

結果、その時代に君臨した王は、自分の身内が1人もいなくなってしまった状況を嘆いて、今後は家庭不和にならないように、工夫をしたわけだ。

つまり、自分の子どもを愛情持って育てて、親子愛のある関係を築くこと。

お互いに思いやり、譲り合い、信頼し合う関係を望んだのだ。

当初は、お家騒動に絡めて甘い蜜を吸ってきた権力者達の邪魔が入って四苦八苦したようだけれど、最近では奥様同士も協力関係を結び、子ども達も誰の子であっても、何番目であっても、将来を協力して担う意識を持つ傾向にあるという。

最初の王の大革命は、とても良い方向へと転がったわけだ。

・・・というわけで、子守は乳母ではない。

あくまで親の目の届くところで、母親の代わりに遊んだり、生活の世話をするという、ベビーシッターのような役割だと、話を聞いて理解した。

・・・結局、私は仕事を引き受けることになったのか、という根本的なところは、この際なので飲み込むことにした。

きっと今さら首を横に振ろうとしても、ジェイドさんか陛下の両手でがっしりと頭を固定されるに決まっているのだから。

それに・・・と思いを馳せる。

せっかく団長が私のためにコインを外してくれたのだ。

後見をするということは、責任を持つということに他ならない。

万が一悲惨な職場であったとしても、ほとんど初対面の渡り人の後見人を申し出てくれた彼に申し訳ないので、頑張って2年は働いてみようと思う。

・・・彼自身が、実はロクでもない人間だという方向に考えを持っていくつもりはさらさらなかった。彼は良い人に違いない。

これはもはや直感だから、これ以上の説明のしようもないのだけれど、とにかく、私は彼に信じてもらった分の働きをしよう、と思って王都に出てきたのだ。


そんなことを考えているうちに、私はシュレイラ様のお部屋の前まで来てしまっていた。

もうここまで来たら引き下がれない。そういえば院長も言っていた。

「さ、開けますよ」

ジェイドさんは目だけで私に確認して、ゆっくりノックをした・・・。



私はゆっくり深呼吸する。

自分の心臓の音が、またしても全力疾走した後のように、煩く耳に響いていた。








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