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薄暗い廊下を、一歩一歩踏みしめて歩く。

所々に照明があるのに、1つも点灯してはいない。

古い石造りの壁との境目、床には赤い絨毯が敷かれている。所々、茶色くなっているのは皆が土足で歩き回るからなのか。

かくいう私も土足で歩きつつ、掃除が大変そうだなぁ、などと無責任な感想を抱いた。



城門で、王宮からもらった日程表と胸元のコインを見せたら、どういうわけか門番の騎士が直立不動で声を震わせながら「どうぞ」と城内に入れてくれて、受け付けで担当者に会いたいことを告げたら、今度は懇切丁寧に道順を教えてくれた。

言われた通りに進んできたけれど、まだ誰にもすれ違わないし、人のいる気配も感じないし・・・ドアが数え切れないくらいあって、目がちかちかしそう・・・。

まるで大きなホテルだ。

それぞれに表札みたいなものが掛けられているから、私の目指す部屋があればすぐ分かるとは思うのだけど・・・。

そんな不安を抱えつつも、もらった日程表に書いてある担当者の名前の表札がないか、ゆっくり歩きながら探していく。

薄暗い廊下では、それすらもひと苦労だ。

そして、もうすぐ突き当たりという辺りまで歩いた所で、

「・・・あ・・・」

見つけた。



コンコンコンっ!

緊張でノックが少し強めになってしまう。

この世界に来て初めての面接だ・・・とはいっても、もう採用がほぼ確定した上での面接なので、きっと顔合わせの意味が強いんだろうとは思う。

それでもやはり、初めて自分の上司に会う時は誰だって緊張するだろう。

しかも本来なら、私のような庶民が1人でふらふらしていい場所ではないのだ。鼓動の速さが冷静さを奪いそうになるけれど、ここまで来たら腹を括るしかない。

息を大きく吸って、深呼吸をする。

しばらく返事を待つと、男の人の声が返ってきた。

私はもう一度ゆっくり息を吐いてから、そっとドアを開ける。

部屋の照明の光が少し眩しく感じられて、私は思わず一瞬、強く目を閉じた。

「あなたがマツダさんですね?」

落ち着いた声がして、私は目を開けた。

金髪碧眼の顔立ちの整った男の人が、ペンを握って仕事机に向かったままこちらを見ている。

眩しいと感じた照明に負けないくらい、彼の髪がキラキラしていた。

きっとこの人が、担当事務官だ。

そう気づいた私は、半ば呆けていた意識を叱咤して、慌てて自己紹介をした。

「はい、はじめまして。

 ミナ=マツダといいます。

 ・・・蒼の騎士団団長から、仕事を紹介していただきました」

最後に頭を下げる。

早口になっていなかっただろうか、お辞儀が勢い良すぎたのではないか、などと不安が次々と脳裏を掠めていった。

そんな私を机に向かったまま見ていた事務官は、ふむふむ言っていたけれど、やがて納得したように一度頷いて言った。

「遠いところ、ご苦労様でした」

ペンを置いて、私の目の前までやって来る。

無駄のない動作に見とれてしまうと目が合って、青いビー玉のような綺麗な瞳が、目の前で柔らかく細められた。

「私はジェイド。

 宜しくお願いしますね」

「あ、はい。宜しくお願いします」

言って、差し出された手を握り返せば、一層爽やかに握り返してくれた。

握手した手を離せば、再びばちっと目が合う。

「・・・?」

そして、何か言わないと間がもたないな、と思っていたら、彼が口を開いた。

「その青いコインは・・・蒼鬼殿ですね。

 ・・・黒い石は、どうしたんです・・・?」

コインにはほとんど関心がないようで、リュケル先生の黒い石を見つめている。

何かを疑うというよりは、まじまじと黒い石を見つめて、考えを巡らせているように見えた。

私はそっと口を開いて、緊張も手伝ってか若干震える声で答える。

「えっと、はい・・・。コインは、団長からもらいました。

 黒い石は、リュケル先生っていう・・・」

「リュケル?!」

間近で大きい声を出されて、思わず仰け反ってしまった。

こんなに綺麗な人でも、驚いて大声を出すことがあるのか。

「あなた今リュケルと言いましたよね?」

がっし、と両肩を強く掴んで私の目を覗き込むジェイドさん。

何か必死さを感じ取って、私はただ黙って頷いた。

すると彼はその先を知りたいのだろう、無言で先を促す。

「ええと、私のいた孤児院の、医務室の先生ですけど・・・」

「・・・」

若干の間があってから彼は、はぁ、と息をついた。

その表情を見る限り、私の話はあまり良い内容ではなかったのだと分かる。

「・・・そうですか。

 私の知る人物とは、別人の可能性の方が大きいですね・・・」

ジェイドさんはこめかみに手を当てて、そう結論付けた。

「・・・仕事の話をしましょうか。

 どうぞ、掛けてください」

取り乱していたのが嘘のように、パっと雰囲気を戻した彼が、ソファを勧めてくれる。

私はお言葉に甘えてソファに腰掛ける。ここのソファもふかふかだ。

ジェイドさんも向いに腰掛けて、おもむろに卓上のベルを鳴らした。

すると、数秒でドアがノックされる。

「・・・入れ」

硬い声に、私に向けられたわけではないというのに、体の芯を緊張が走った。

思わず息を飲んで身を固くしてじっとしていると「失礼いたします」と機械的な声と共に、紺色の品のあるワンピースに身を包んだ女性が1人、部屋に入ってきた。

1歩部屋に入ったところで背筋を伸ばして、真っ直ぐにこちらを見ている。

「今から少し話をする。客人にお茶を」

「かしこまりました」

目の前で事務的な会話が交わされるのを、私は息を潜めて見守っていた。

私への態度と、彼女へのそれが違いすぎて戸惑ってしまうのは失礼にあたるのだろうか。

そんなことを考えていると、彼がにこやかに言った。

けれど私はというと、彼の厳しい顔を見てしまって、自分も何か無礼を働いた際にはあの顔で怒られるのか、などと半分うわの空になりながら、彼の爽やかな笑顔に視線を投げる。

「彼女はこの部屋付きの侍女です。常時部屋の外に控えています」

「・・・でもさっきの方、私が来た時には外にいませんでしたよね・・・?」

思い出すと、とても不思議に感じた。そう、廊下には誰もいなかったのだ。

小首を傾げて、半ば独り言のように尋ねた私に、彼は少し肩を揺らして教えてくれた。

「あぁ、それはきっと、今日の予定についての打ち合わせがあったのでしょうね。

 あの時間帯は、王宮内のどの部署でも、打ち合わせがあるのですよ。

 ・・・紅の騎士団は王宮警護が業務の一環ですから、警備が手薄にならないように

 時間をずらしているとは思いますけど・・・」

「そうだったんですか・・・。

 この部屋に来るまで誰ともすれ違わなくて・・・少し不気味でした」

正直な感想を述べた私に頷きを返してくれた彼は、なんだか穏やかで、普通の人のようだ。

非日常に迷い込んだ気分の私にとっては、その穏やかさがありがたい。

ここ最近は掴みどころのない濃い個性を持つ男性に出会うことが多くて、ジェイドさんのような普通の人と話していると、なんだかほっとする・・・。

そう感じるのは私が普通の人間だからか、と腑に落ちたところで、お茶が運ばれてきた。

機械的にお茶を並べ、お茶菓子を置いて、侍女さんが出て行くのを眺めていると、向かいに腰掛けた彼と目が合って微笑まれる。

私の「ありがとう」と囁いた声は、彼女に届いていたのだろうか。

上下関係がはっきりしていることを実感した私は、お茶の味もよく分からないままカップに口を付けてみる。

「それでは、仕事の話をしましょうか」

ちゃんとやっていけるのだろうか、と不安を抱えてお茶を流し込んでいると、彼の声が私の意識を呼び起こす。

視線を上げると、彼はカップを置いて穏やかに話を始めた。

私も居住まいを正して頷く。

「まず、あなたの身分について確認します。

 聞き取った内容を、私の方で書面に起こしますね。

 そして、最後に確認してもらってから、サインをいただけますか?」

「あ、はいっ」

若干前のめりになって返事をすれば、彼の目が柔らかく細められた。



「ええと・・・、

 しらゆり孤児院の院長の推薦状には、2年前に別の世界から渡ってきたとあります。

 ・・・間違いないですか?」

「はい、間違いないです」

質疑応答を繰り返し、その都度彼が書類にペンを走らせる。

「それでは、今の年齢を」

「今年で24です」

「・・・」

テンポよく進められていた会話が止まり、彼は書類から目を上げた。

「・・・分かりました」

何も言わず、何も訊かないのは彼の気遣いなのだろうか。

気になるところではあるけれど、実年齢と見た目の差に悩まされてきた私にとっては、彼の無理のない流し方はありがたかった。

そして彼は、ペンを走らせた。

「書物の読み書きは出来ますね?」

「はい、今まで苦労したことはないです」

さらさらさら、と彼が続けて何かを書きとめる。

「こちらに渡ってくる以前は、子どもの教育に関する仕事を・・・?」

「はい、保護者から子どもを預かって面倒を見る施設で働いていました」

「それは、孤児院とは違うのですか・・・?」

彼が書類から視線を上げて、訝しげに問いかけた。

確かに、孤児院にも似ていると言えば、似ている。

けれど、私はゆっくりと首を振って、なるべく理解しやすいように言葉を選んだ。

「ええと、一時的に預かって面倒を見るんです。

 例えば、朝保護者が施設に子どもを連れてきて、夕方迎えに来るというような・・・」

「あぁ、なるほど。

 ・・・幼児の学校のようなところですね」



そんなやり取りを続けながらも事務的に聞き取りを行って、最後に書類の内容を確認してサインをして、一番最後にはインクを指につけてペタンと押した。

書類を封筒に入れて、蝋で封をする。

「これで、聞き取りは一通り終わりました」

初めて見る物が多かった私は、視線が釘付けになってしまっていたようで、彼の言葉で我に返る。

ジェイドさんはキリっとしていた顔を緩めて、お茶をひと口啜った。

そんな彼の様子に私もほっとして、肩の力を抜く。

「それで、子守をお願いする子どもと、その両親に会ってもらいますが・・・」

「はい」

カップを置いて背筋を伸ばした私に、彼はしばらく考えるそぶりを見せた。

「マツダさんは、礼儀作法については何か勉強してきましたか?」

「え?」

当然といえば当然の質問だった。

・・・そういえば院長に確認しなかった。すっかり頭から抜け落ちてしまっていたようだ。

そして、半ば無意識に首を横に振っていた。

「すみません、全く・・・。

 目上の方に失礼がないように、振舞えるとは思うんですけど・・・」

「そうですか・・・」

やはり問題があるのか。

ここまできて、不採用なんてこともあるのかも知れないな・・・と不安になっていたら、何かを思案しているような表情の彼が、やがて表情を引き締めて切り出した。

「いえ、ここで会話をしている限り大丈夫だとは思うのですが・・・。

 実は・・・不愉快にさせてしまうのは承知でお話しますね。

 渡り人の、この国での歴史はご存知ですか?」

こちらを気遣ってくれた言い方に感謝しつつ、私はリュケル先生が列車の中で、気をつけるようにと話してくれた内容を思い出していた。

「はい・・・リュケル先生が教えてくれました」

先生の名前が出た途端に、片方の眉がぴくん、と跳ね上がる。

口元も、若干ひきつりましたよね。

そんなに、彼の知っているリュケルさんのことが嫌いなのか・・・。

「・・・そうですか。

 ちなみに、どんな内容だったのか教えてもらえますか?」

「はい。ええと・・・。

 昔は渡り人の人権がほとんどなかったことと・・・。

 今も古い考えの人達の間では、渡り人に偏見を持っている人がいる、って・・・。

 大体そんな話だったとは思うんですけど・・・合ってますか?」

実はあの時リュケル先生の距離が近すぎて、あまり内容が耳に入らなかった。

本当に大体の内容しか頭に残っていないけれど、それでも大丈夫なのだろうか。

反応を伺うように話せば、彼は難しいカオをしたまま頷く。

「そうですね、概ね合っていると思いますよ。

 付け加えるとするなら、そうですねぇ・・・」

そこまで言って、彼がとても爽やかに微笑んだ。

「能なしなのに偉そうにしている国のゴミがいたら、なるべく関わらないこと・・・。

 それくらいでしょうかね」

とっても爽やかに黒い事を言い切ってくれる。

彼が普段何の仕事をしているのかは知らないけれど、きっと相当ストレスが溜まるようなことをさせられているのだろう、と少しだけ同情してしまった。

「・・・ええと、分かりやすいアドバイス、ありがとうございます」

そんな反応しかできない私に、彼は満足そうに微笑んで言う。

「あぁ、そうでした。

 礼儀作法の件は、ひとまず大丈夫だとは思います。

 目上の人間には敬語を遣ってもらうことと、廊下ですれ違う時は、中央を空けて、

 頭を下げて通り過ぎるのを待ってから歩き出すこと・・・くらいですね」

「はい」

言われたことを心の中で繰り返す。

きっと目上の人間ばかりだろうから、数メートル進むのに時間がかかりそうだ・・・。

そんな想像を働かせていた私を見ていた彼が、「それじゃ」と言った。

「あなたに世話をお願いする子どもに、会いに行きましょうか」




廊下に出ると、ジェイドさんは部屋の外に待機していた侍女さんに一言何か断って、歩き出した。

私も慌てて、侍女さんに会釈をして小走りに後を追う。

背中に、「いってらっしゃいませ」と無機質な声が掛けられたけれど、彼がそうしないのに振り返るのはおかしいかも知れない、と思うと躊躇われて、私はそのまま彼の隣に並んだ。

「あ、隣に並んでても問題ないですか?」

聞いた話の内容だと、目上の人に道を譲るのだから、目上である彼と並んで歩くのはマナー違反ということになる気がした。

隣で見上げた私を見て、彼は今日何度目になるか分からない微笑みを向けてくれる。

その笑顔は穏やかで、見ていてほっとした。

「・・・大丈夫ですよ。

 私はそこまで偉い人間でもないですから」

その一言に、やっぱり普通の人と一緒だと安心するなぁ、なんて、よく分からない感想を抱きながら、私は彼と並んで歩いたのだった。




そうして、階段を上がって廊下をさらに進んでいくと、赤かった絨毯があるところから青いものに変わっているのが分かった。

よく見たら、今まで照明がついてなかったけれど、青い絨毯の一帯だけは照明が点灯していて、とても厳かな雰囲気がある。

しかも、このフロアに上がってきてから、赤いコインを手首に巻いた騎士が、巡回しているのが目に入ってきた。

・・・なんだか、物々しい・・・。

ふと、ジェイドさんが足を止める。

私も同じように足を止めると、そこは大きな扉の前だった。

「・・・え?ここですか・・・?」

こんな所に子どもがいるとは思えない・・・。

そんな不安を抱えた私の小さな声にも、彼はニコリと笑って扉をノックする。

その笑顔を見たことがある私は、なんだか嫌な予感がして一歩下がってしまった。

「心の準備はいいですか?・・・開けますよ」

言いながら重そうな扉をさらっと開ける彼。

・・・この場合、私の返事はどちらでも構わないのだろうな。

ぎぎぎ・・・と硬い音がして、扉がゆっくりと開いていく。

そして、煌びやかなホールのような場所が目に入ってきた。

「・・・マツダさん?」

ジェイドさんが私を呼んでいる。

当の私はと言えば、ホールに1歩踏み出して固まっていた。

・・・確か、子どもと会うためにここへやって来たはずなのだけれど・・・。

背後でぎぎぎっ、と開けた時と同じ音がしている。

「マツダさん・・・?」

私は、真っ直ぐ前を指差して、彼を見上げた。

自分でも口がだらしなく、ぽかん、と開いているのが分かる。

「まさか子どもって、あれですか・・・?」



他に何と訪ねたら良かったのか分からない私の視線の先には、1人の男性が立っていた。








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