小話 彼の隣に並んだら1
「またか・・・」
「す、すんません・・・」
玄関先で、彼が宅配業者さんと会話をしているのが聞こえた私は、ソファから首を伸ばして様子を窺っていた。
とうとう明日に結婚式が迫っている私達は、今日は昼頃に仕事を切り上げて帰宅していた。衣装や結婚指輪の準備、式の後にあるお披露目の夜会についての確認もしたい。それに何より、ゆっくり過ごしておけ、と補佐官様からのお気遣いをいただいたのだ。
帰りに王宮の食堂で出来合いのものを買い込んできた私達は、昼食を済ませて、ミエルさんの焼き菓子と一緒にお茶を飲もうとして・・・来客を告げるベルが鳴ったというわけだ。
「ほんと、すんません・・・」
「ああ、悪い・・・君は悪くない、気にするな」
彼のため息混じりの声が聞こえた後、ドアの閉まる音が響いた。
この家には音楽を奏でるものがないから、1日中ずっと静かだ。あんまり静かだから、そのうち犬でも飼ってみようかな、という気持ちになったりする。
・・・大反対される気がして、まだ彼には言えていないけれど・・・。
そんなことを考えていると、彼が何かを抱えて戻ってきた。
「うわぁ・・・」
彼の抱えているものを目にした私は、思わず声を上げてしまう。
「まただ」
不機嫌が歩いているような表情をした彼が、私の膝の上に持ってきたものを放り投げた。ぱさり、と着地したそれから、ふんわりといい香りが漂ってくる。
それを思い切り吸い込んだ私が、受け取った花束を持ち上げて付いていたメッセージカードを開かずなんとなく眺めて息を吐いていると、それをさっと掠め取る手が。
「これは必要ない」
私が抗議するより早く、彼の言葉が降ってきた。
彼の手に渡ったメッセージカードは開かれることも、その役目を果たすことなくゴミ箱へと放り込まれる。けれど私は、この花束が誰からの贈り物なのかを知っていた。
・・・もちろん彼も。
「いい度胸だな。
・・・大佐」
そうなのだ。あの誘拐紛いのご招待以来、連日大佐から花束が送られてくるのだ。
確か北の大国へ、大使・・・もう元大使になるのか・・・を送り届けたはずなのだけれど、どういうわけか毎日欠かさず花束がやって来る。
必ず付いてくるメッセージカードは、一度も私の手に渡ることなく毎回ゴミ箱へ一直線。それも、不機嫌なのを隠そうともしない彼が、ぽいっと捨てるわけだ。
念のために、誰宛の贈り物なのかを尋ねてみたけれど、やはりシュウに宛てたものではなかったらしい。物凄く気持ち悪い、とでも言いたそうな表情でため息を吐かれてしまった。
・・・花束を贈って、一番良い思いをしているのはお花屋さんかも知れない。
そんなことを思いながら連日繰り返しているやり取りに、内心でため息をついた私は呟く。
「さすがにもう飾るところが・・・どうしよう?」
「レイラの部屋にでも飾ってもらえばいい。
それが駄目ならチェルニーもいるだろ」
言い放つようにして言葉を紡いだ彼が、花束を抱えたままどうしようか考えあぐねている私の隣に腰掛けた。そのまま花束に手を触れて、おもむろに茎の部分から、ぽきりと摘み取る。あっという間の動作だったから、きちんと目に留めることは出来なかったけれど、手にしていたのは白い花だったような気がする。
そして声を漏らす間も与えずに、彼の手が私の耳の上の辺りに摘み取った花を挿した。
「・・・やっぱり白だな」
満足そうに頷いた彼が、そのままこめかみの辺りに口付けをくれる。目が合って微笑んだ表情からは、花束を受け取った時の不機嫌さは綺麗に消え去っていた。
それに気づいて頬を緩めた私に、彼が耳元で囁く。
「後で、もう一度ドレスを着てみろ」
・・・その溢れんばかりの色気は一体どうやって製造しているのか。
もう季節をいくつか超えて一緒に暮らしているけれど、未だに魔王様と化した彼には慣れることが出来ないでいる。
「え?
でも、昨日確認したよ?
・・・ほつれもなかったし、サイズもぴったりだったし・・・」
どこか色気のあるお願いに、私は何も気づかない振りで小首を傾げた。結婚式の前日に、体がぎっしぎしになるなんて、絶対に嫌なのだ。
彼はすっ呆けた私に眉根を寄せて、渋い顔をした。そんな彼に私は囁く。
「明日まで、もうすぐでしょ」
「ああ、そういえば」
バスルームで花束を水に挿して戻ると、彼がお茶を淹れ直してくれていた。
「なあに?」
私は先を促しながら彼の隣に並んで、お茶の入ったカップをトレーに載せる。まだ日が高いから、彼はワインに手を出すつもりはないらしく、トレーを持ってソファに向かう私の後を手ぶらでついて来た。
「母が、明後日の朝に孤児院に帰ると言っていた」
歩きだした私の背中に、彼が言葉をかける。
「そうなの?」
「ああ」
テーブルにカップを並べた私は、彼が頷きながら隣に座る気配に振り返った。
目が合うと、深い緑の瞳が細められる。一瞬それに見とれかけた私は、はっと我に返って尋ねた。
「でも、明後日うちに泊まるかも、って・・・」
院長はもう王都に到着していて、私達の気が休まらないだろうから、と今日と明日は王宮の客室に宿泊しているのだ。そして、明後日この家で一緒に夕食を摂って、翌日の朝の列車で孤児院に・・・という話をしていたはず。
・・・1日予定が早まったということなのか。何かあったのだろうか。
「何かあったの?」
思ったことを口にして小首を傾げた私に、彼が苦笑して言う。
「あったというよりは、ただ孤児院を空けておきたくないんだろ」
「そっか・・・残念」
院長がしらゆり孤児院をとても大切にしていることは、私も分かっている。王都にやって来るまでは私も孤児院で暮らしていたし、そんな彼女を間近で見ていたのだ。
だから、残念ではあるけれど納得も出来る。
カップの中身に息を吹きかけて呟いた私の頭を、彼の大きな手がぽふ、とひと撫で。
「こちらから出向けばいい。
最近慌しかったからな・・・結婚したついでに長めの休暇をもらってもいいだろ」
「ん、そうだね」
彼の言葉に頷いた私は、最近の慌しさを思い出していた。
最初の波紋は、やはりあの誘拐紛いのご招待だった。
その翌日に私の手首に残る傷跡を見た陛下とジェイドさんが激昂し、それを煽った院長が焚き付けて、北の大国へ抗議文を送ることに。
本当は「大使を国に移送する前に、王宮に来させて本人に謝罪させろ。もちろん陛下の目の前で」と殺気立っていたのだけれど、さすがにそこまでやる必要はない、とシュウが口を挟んでくれたおかげで難を逃れることが出来た。大国との関係どうこうよりも、もう関わりたくない気持ちの方が強い私を、彼は察してくれたのだと思う。
大使に関わることは、院長も執拗なお誘いに辟易していたそうなので、そちらも別の抗議文を送ることになって・・・。
そして大使の件への対応が決まったその場で、院長が爆弾発言をしてくれた。
なんと院長が私を保護して渡り人として登録した後すぐに、実子として戸籍に入れたというのだ。つまり、私とシュウが戸籍上の兄と妹になっていることになる。
これには心の底から驚いたし、一瞬絶望しかけた。兄妹ということは、結婚出来ないということになるからだ。
院長は私よりも先に彼に話をしていたようで、絶句した私の肩に何も言わずに手を置いた。そっと見上げたら深い緑の瞳が柔らかい眼差しで私を見下ろしていて、少し落ち着いたのを覚えている。
よくよく考えたら、私も自分のことなのに今の今まで戸籍のことなど気にかけなかった。それも悪いのだ。
ともかく戸籍の件は白の管轄なので、白の団長であるディディアさんが何とかしてくれることになった。養子扱いに今から変更してもらえば、婚姻届を出しても受理されるだろう。
婚姻届は結婚式で2人が署名して、証人として院長とジェイドさんが署名してくれることになっている。そうしてそれぞれの署名が確実に本人によって書かれたことを、その場に人達が確認した上で、白の管轄する役所のような所へと婚姻届を提出するらしい。
それが、いよいよ明日に迫っているのだ。
「・・・院長と家族になるのかぁ・・・」
思わず呟いた言葉に、私の手からカップを取り上げた彼が息を吐いた。カップをテーブルに戻して、私の目をひた、と見据える。
「その前に、俺と家族になるんじゃなかったのか」
「シュウとは・・・」
そっと、言葉を紡ぐ。見据えられた目が、彼の目以外に視線を向けることを許してくれそうになかった。
「まだ結婚してないのに、もう家族の気分なの。
・・・寮で一緒に暮らし始めた頃から、かな」
小首を傾げながら、その頃の自分の気持ちを思い出す。
一人ぼっちで目覚めるのとは、1日の始まりが全然違うんだな、と感じて嬉しかった。いつも隣に彼の気配がしていることが、私の気持ちを穏やかにしてくれた。
「好き、だよ。もちろん。
結婚するくらいなんだから・・・」
思い切った言葉を口にして、なんだか恥ずかしくなって俯く。普段言わないから、たまに言おうと思った時にどうしたらいいか分からないくらい、背中がむず痒くなる。
「あ、愛してるし」
朝起きて彼が隣にいることが嬉しい。夜眠る前、もぐりこんだベッドが彼の体温で暖かいことに、安心して目を閉じることが出来る。
大佐に首を絞められた時は、シュウに会いたいと思った。
夜会で消滅しかけた時は、素直にならなかった自分のつまらない意地を呪った。
彼がこの世界に繋ぎとめてくれたと分かった時、子どもみたいに泣きじゃくって、嬉しくて胸が潰れるかと思った。
彼が強いだけの人じゃないと分かった時には、寄り添っていたいと思った。
愛するということが、どうすれば正解なのか私には分からないけれど・・・たぶん私は、彼のことを愛していると思うのだ。
「・・・珍しいな」
彼の手が、私の髪を解く。大佐から送られてきた花は、ぽいっとゴミ箱めがけて投げられて、青いコインの髪留めがそっとテーブルに置かれる。
コト、という音が静かな部屋に響いて、私はそっと目を閉じた。自分の髪が頬を掠めて肩へと落ちていって、ほのかにシャンプーの匂いが漂った。
「だって、ほんとだもん」
見えていないと素直になれるから不思議だ。
耳元に彼の鼻先が埋められるのを感じ取って、私はそっと息を吐いた。
「ああ・・・嬉しい」
私は彼の口付けが降ってくる直前まで、向こうの世界にいるはずの家族へと、思いを馳せていた。
両親と兄。それに祖父母、従姉妹。
祝福してもらえたら嬉しいけれど、このことを伝える手段もないのだ。
これまでの感謝を伝えることも出来ずに結婚することだけが、私に残る憂い。
今までありがとう、とただひと言で構わないのに・・・。
そんな後悔とも懺悔ともつかない気持ちは、彼の大きな手が、私の頭の中からかき消してくれる日が来るんだろうか。




