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少しは学習しているだろう? と、リュヒテ様は冗談めかして向かいの席から私の隣へと座り直した。
普段ならば、近いです! と慌てるところだが、今はその方が私にとって都合がよかった。きっと隣ならば今の私の表情を見られないで済むだろう。
「……申し訳ございません。問題を起こして、煩わせてしまって」
本心からの言葉だ。本来なら不要な仕事を増やしてしまったことは私の失態だ。
婚約者候補として引かないとソフィエル様に宣言してしまった手前、私がとるべき行動は彼女の言動を適度に制御することだったはずだ。
反省していることは確かなのに、なぜか私はリュヒテ様に『顔を見ておきたかった』と言われたことに、どうしても落ち着かなくなっている。
心の中に放り投げられた一石が波紋となり、大きく広がっていくみたいに。
普段の私が見る光景は、涼しい顔で先を行くリュヒテ様の背中だ。隣に立ってほしいと望まれたことは覚えているが、置いて行かれないようについて行くのに精一杯で期待に応えられるか常に不安だった。
だから、強く自立心の強い彼にそんなことを言われて、大きく動揺してしまった。
甘えられているような、少し隙を見せられたような。そんなリュヒテ様を可愛らしいと思ってしまった自分がいる。
落ち着かない顔の熱を隠すように顔を伏せた。
だって移動する馬車からは逃げようにも、隠れることも出来ない。
普段とは違って閉鎖された空間だ。触れ合えそうなほど距離が近く、瞬きをするたびに揺れる睫毛や、息遣いだって。仕草の音にまで耳が反応してしまう。考えていることが伝わってしまうんじゃないかと思ってしまうのは私だけなのだろうか。
「いや、咎めるために来たんじゃないんだ」
視線の先にあった自身の手が白い手袋に攫われたことに驚き、顔を上げたことで、私の顔が赤くなってしまっていることも、リュヒテ様の言動にいちいち狼狽えていることも白日の下に晒されてしまった。
その私の赤い顔に驚いたのか、目を見開いて驚いた様子の視線とぶつかった。
それはそうでしょう。反省しているはずの相手が他のことに気を取られていたら、呆れてしまうわ!
リュヒテ様は、やはり呆れてしまったのかフイと窓の方へ顔をそらしてしまった。
「……こんな時にそんな顔」
「ごめんなさいっ、これは、あの」
「──反則だ。今、可愛い顔を見せないでくれ。しばらく会えないのに」
そうぼやくように言ったリュヒテ様の耳は赤くなっていて、私も言葉に詰まり、暫くお互い黙っていた。
「……それで、ソフィが魔女の存在を吹聴し始めたのはなぜだ?」
お互いの顔の熱が落ち着くころ、静かに話を切り出された。あまりリュヒテ様を拘束できる時間はない。騒がしい頭の中を切り替え、ソフィエル様との会話をかいつまんで説明した。
ソフィエル様の望み。グレイヴリス公爵の動き。魔女の適性、そしてローマンのこと。
「ソフィエル様に魔女の証を譲ってほしいと言われたけれど、わたくしは渡すつもりはないの」
そう言い切りリュヒテ様の方に向き直ると、眉を寄せた難しい顔が返ってきた。王家にとって求められる動きとして、グレイヴリス公爵家の動きを止める為に私は婚約者候補の座を守ることだと考えたが、間違いだっただろうか。
「それは求婚に対する答えか?」
「えっ。あっ、違います」
違うのか、とリュヒテ様は顎に拳を当て考える姿勢になった。戻ってきてください。
もちろんそういう意味で宣言したのではないのだけれど、婚約者候補の座を守るということはつまりそういうことで、違っていないのかもしれないけれど。
コホンと一息ついて補足説明を入れる。
「わたくしは魔女として適性はなかったみたいだけれど、欲しいと望む方がいるなら交渉材料になるもの。無償で譲るだなんてもったいないわ」
「……”王妃の鍵”を交渉材料に使おうというのは、聞かなかったことにしよう」
ぽふりと失言してしまった口に手を当てるが遅かったらしい。聞かなかったことにすると言ったそばから「陛下に交渉を持ちかけた時も驚いたが、マリエッテらしくて楽しい」と恐らくお褒めの言葉をいただいた。今すぐ忘れてほしいのだけれど。
「まあ王妃という職務に関しては、今まで魔女としての力は必要としていなかったのだから、適性のあるなしは無関係だ。安心してほしい」
「別にそこは心配はしてないけれど」
つい可愛くないことを言ってしまい、口が尖ってしまう。本当は心のどこかで少し安心している自分もいることにも気付いていた。自分の心をすぐ隠そうとするのは私の悪い癖だ。
「では、なんだ? 他に何か言われたか?」
「他はとくに……」
ソフィエル様から聞き出した重要な部分は共有したし、その他の雑多な相手を傷つけようとする言葉はわざわざ伝えるつもりはなかった。
言葉は贈り物だ。不要な贈り物は受け取らなければ、送り主に返る。そう自分自身に半ば言い聞かせている。
だから本当に何もないのだけれど、リュヒテ様はあれやこれやと追撃の手を緩めない。
少しだけハラハラと私の様子を窺うような仕草を見せるのだ。翡翠色の瞳が私の心の奥を覗き込むようにするから、落ち着かない。
「もう。質問ばかりして。どうしたの?」
「いや、傷ついているんじゃないかと思ったんだ」
落ち着かない。自分でも目を逸らしている傷も見つけられてしまいそうで。
息をのみ込み、誤魔化すように笑ってしまう。
「ふふふ。もしかして慰めようとしてくれているのかしら、なんて」
「──ローマンなら上手く慰めるんだろうが、どうやら私は得意じゃないらしい」
冗談めかして視線から逃げをうった私の頬に、溜息と共に骨ばった指が触れた。
自分の手とは違って少し硬い指だ。そして少しひやりとしたのは、私の頬が熱を持っているからか。ゆっくりと目尻を撫でる感触がビリビリと私の縁を撫でる。
その手に誘われるまま、視線を戻される。逸らすなと言われているようで逆らえない。
ずっと見られていたのだろうか。
私の仕草ひとつひとつを観察されているみたいに、じっと視線が注がれている。
「ローマンの前だったら、素直に泣くのか?」




