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「なに笑っているの!? 馬鹿にしないで!」
「いえ。私も何も気付いていなかったな、と自分に笑ってしまったのです」
何が自由を満喫したい、だ。
この数カ月の自由な時間は誰に守られてきたのか能天気にも気付かず。
私は自分の能天気さに笑ってしまっただけなのだが、ソフィエル様は馬鹿にされたと感じたのか悔しそうに唸っている。
「グレイヴリス公爵様が、ソフィエル様にどのような説明をなさったのかは存じ上げませんが」
清々しい気持ちで、ソフィエル様の正面に立つ。
守られるばかりでは居心地が悪い。やはり私は誰かを守る人間でいたいらしい。
「──わたくしは、わたくしのために。この立場を守ります」
幼い頃からお父様が語る冒険譚に魅入られたり、ローマンのような頼りがいのある兄になりたいと憧れたり、今は亡きスカーレット王妃のように堂々とした大人の女性になりたいと夢見たり。
そんな夢見がちで理想ばかり高くなる娘を守ってくださるお父様のことも、娘の立場で守れることがあるだろう。
どのみち、婚約者として築かれた人間関係を崩すには遅すぎたのだ。
ソフィエル様は私を後押しする友人や派閥ごと吸収すれば良いと考えているかもしれないが、我が家は中立派。いわばバランサーだ。
保守派から未来の王妃が出れば、私たち中立派は変革派と絆を深くするだろう。
変革派は貴族たちの利権を削る施策を今か今かと時を刻々と待っている。
この流れを王家は受け入れるわけにはいかない。
だから、私はここで一歩も引いてはいけないのだ。
ここまで思考を巡らせてやっと気づく。全て陛下の思惑通りだった、と。
悔しいが、目の前にぶら下がったモラトリアムに飛びついて、周囲を固められていることに気付くのが遅れた。
もしかしたら、陛下との取引で『覚悟を見せてもらおう』と言われた時には、ここまで絵を描いていたのかもしれない。
海千山千な陛下にはまだ対抗するには足りないようだ。
「つまり、ソフィエル様の目的には力を貸すことができませんので、方法を変えることをおすすめいたします」
「……ひどい、結局、邪魔をするってことじゃない」
嘘つき! とソフィエル様は腕を振り上げ全身で怒りを表現している。
ここまで激しく怒り出す女性を見るのは初めてで、どこか観劇をするような他人事のような気分になってしまう。
普段ならば落ち着いてと周囲が気を揉み、宥めるのだろうか。ソフィエル様はチラチラとこちらの反応を窺っている。
もしかして、ここまで派手なパフォーマンスをするのは周囲の関心を引きたいという理由からなのだろうか。
これが彼女の生存戦略だとしたら、少し気の毒に感じる。刷り込まれた癖や習慣を矯正することには時間がかかる。だから王家に嫁ぐ令嬢は物心つく前から習慣づけるのだろう。
ソフィエル様も、これから王太子妃教育を本格的に始めるとしたら、なかなか厳しい期間が続くことだろう。
私は女教師のように背をシャンと伸ばして、ソフィエル様が話を聞ける様子になるまでじっと微笑み待った。
すると望んだ反応が返ってこないことが不気味だったのか、彼女は素直に声を止め、こちらを警戒するように視線を合わせた。
そうしてやっと口を開く。
「──これは個人的な考えですが、王室に迎えられるということは王家を支援することと考えます。一貴族が有する財力、兵力、影響力等、何を提供できるか。何を王家が望んでいるのかで決まると思っています。その点、グレイヴリス公爵家は要件を満たしているでしょう。それなのに現状、候補で留まっている理由に目を向けてはいかがでしょうか」
「理由……?」
彼女は困惑したように眉を寄せた。
髪は嵐にでも巻き込まれたかのように乱れているし、顔は涙でお化粧がまだらになっている。それなのに表情はどこかあどけない。
理由を察しているのか思いつかないのか、今の表情だけでは掴めない。
「余計なお世話でしたね。ソフィエル様は魅力的なお人柄ですから、わたくしを構うよりご自身のためになることに注力された方がよいと感じましたの。正式な婚約者、その次は王太子妃、王妃となった後のことを想像するのも楽しいですものね」
「あなたも想像しているの?」
「想像、というか理想はございます。ですが、目標は遠いので、わたくしは今まで行ってきたことを積み重ねるのみです」
そう話を結んで、口を閉じた。
意味が伝わっているかはわからないが、言いたいことを言えてすっきりした。
もうソフィエル様を慰める役は私でなくてよいだろう。
離れて待機しているはずの侍女を呼ぼうと視線を逸らすと同時に「私、知ってるんですよ」と声が掛かる。
先ほどまでの取り乱した様子とはまた違う。普段通りの愛嬌を込めた笑顔とも違う。
蒼い瞳には光が届かないのか、普段よりも数段暗く見えた。
彼女は声を低く小さくし、距離を詰めた。内緒話でもするかのように。
「──マリエッテ様は魔女なのでしょう?」




