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「譲るだなんて。そもそも私たちが婚約者候補に据えられたのは──」
政治的な含みがあってのことですよね? という言葉は遮られた。
またソフィエル様の蒼い瞳から涙がぽろりと溢れたからだ。
「嫌なのですか? ひどい。やっぱりマリエッテ様は私のことが嫌いなのだわ」
そう言ってまた泣き落としが始まった。
いつから会話が成り立たなくなってしまったのだろうか。
「嫌いだなんてことありませんよ」
「だって、マリエッテ様はリュヒテのことが好きですよね? 一人だけ抜け駆けして、ひどいです」
「いったいいつから私たちは寵を競うことになったのでしょう」
つい呆れたような声が出てしまった。
それが逆鱗に触れてしまったのか、ぶるぶると震えだしたソフィエル様は怒りの表情で立ち上がった。
「マリエッテ様はたくさん持っているのですから、いいじゃないですかッ。慕ってくれるお友達も、周囲から認められる立場も、なんでも出来る健康な身体も!」
そう激昂したソフィエル様を見て、ああやっと彼女の本心に触れることが出来たと感じた。ずいぶんと遠回りをしたが、やっとだ。
興奮がおさまらないのか、ソフィエル様は私と揃いの髪をぐしゃりと握りつぶした。
「だいたいリュヒテだって本当は私のものだったのに、あとから奪ったのはマリエッテ様ではないですか。ずるいです、ずるいずるいずるいッッ!!」
歯を食いしばって肩で息をする彼女の頬には赤みが差していて、まだ急に倒れるということはなさそうだ。そう判断して、私も立ち上がる。
立ち上がると私は自然とソフィエル様を見下ろすことになる。
じっと彼女の瞳を見下ろし、ゆっくりと言葉を重ねる。
「──ソフィエル様。いい加減、本心でお話しませんか」
対立するつもりはない、穏便にこのままお役御免になる時まで距離を保つことが一番最良かと思っていたが、それは日和見の選択だったのかもしれない。
「腹の探り合いは時間の無駄です。お互い、目的を先に開示しましょう」
「そんな、ひどいですっ! 私は本当に悲しくてッ」
「感情の共有ではなく、目的を開示し合い、議論を前に進めましょう。もううんざりです」
一度口にしてしまった言葉は戻せない。
そう言い切れば、すとんと肩の荷が降りた。
また瞳に揺れる膜を貼り付けたソフィエル様を見据え、にこりと突き放すように微笑めば意味は通じたようだ。
「……それが本性? がっかり。もっと賢く優しい方だと思っていたのに、期待した私が愚かだった。益々リュヒテに相応しくない!」
がっかり、と言われてしまったが不思議と心は凪いでいる。
ソフィエル様を理解しようと右往左往していた時の方が、疲弊して敏感になっていたような気もする。
ソフィエル様はたびたび相手に罪悪感を抱かせるような言葉選びをするが、期待に応えようとしがちな私の癖が今回は良くない方向に進んでいたのかもしれない。
今まで有効だった操作法の効果が薄れたことに不快感を覚えているのか、ソフィエル様の眼が血走ってきている。
「話を要約するとソフィエル様は王太子妃になりたい。そしてわたくしに辞退を要求しているのでしょうか」
「なぜそんなことを言うの? まるで私が悪者みたいではないの!」
掻き混ぜるように髪をぐしゃぐしゃと乱す彼女は狂気に満ちている。
「どうして私のことをわかってくれないの? そうやって私を悪者にして、あなたの方が意地悪じゃない。辞退を要求されている気がすると察しているのに居座り続けるなんて、無神経だわ。それなのに私のせいにしてひどいわ!」
話を聞くに、ソフィエル様は私の立場をそのまま手に入れたいのだと感じている。
居心地の良い友人関係、学園での立場と実績、婚約者時代の人脈まで。次はリュヒテ様。
今のソフィエル様は既存の関係値まで欲しいと駄々をこねる子どものように見えていた。
一度、姉のエブリン様の立場に代わったものだから、誤学習してしまったのだろうか。
だが、根本的に私たちは違うのだ。
私はソフィエル様のように庇護欲を誘うような小柄で可愛らしい雰囲気ではない。つい手を差し伸べたくなるような愛嬌も持ち合わせていない。涙を見せて相手の怒りを折るような可愛げもない。
私を敵視していたミュリア王女のように視線を集める華やかな質でもなく、周囲の圧を押し退けて我を通す風格もない。
剣が扱えるわけでも、馬に乗れるわけでも、魔法が扱えるようになったわけでもない。
私の手の内にあるものはちっぽけだ。
あるのは、夢物語のような理想と培った経験と覚悟だ。
「──お可哀想なソフィエル様。何も知らないのですね」
同情をにじませた声色に、彼女の表情が明るくなる。
きっと、また折れてソフィエル様の要望を受け入れると思っているのだろう。
「私たちがこうして争っても、婚約者候補から進むことも辞退することも叶いませんよ。全てを決めるのは王室です。私たちの私情など、考慮されることはありません」
<傲慢の魔女>が引き起こした騒動で揺れた国内の安定を図る王家と、外国との繋がりを絶ち鎖国を望む過激な一派の勢いをこの機に乗じて削ぎ落としたいグレイヴリス公爵家。そして、権力の中立を望むダリバン侯爵家、という図式だ。
きっとお父様は、私が不利益を被らないように協力という形で立場を守ろうと踏み切ったのだと思う。
婚約が白紙になったばかりの立場の弱さはまだ忘れるには早すぎた。
現状、ただの候補だというのに周囲の私への扱いは丁寧になったし、軽んじられることや、無益な嫌がらせも止んだ。
私が日和見的な態度をしていられたのも、守られていたからだ。
きっと娘がグレイヴリス公爵令嬢と協力どころか、喧嘩を売るだなんて想定外だっただろう。申し訳なさはやや感じるが、でもこの道を選んだ自分のことは好き。




