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結果から言えば、問題なく会合は終了した。
プエルデ国の使者とは次回の取引に繋がる新たな約束も出来た。王太子妃教育で習得した語学力が生きた知識だったことも知れて、とても刺激と実りのある時間だったと言えるだろう。結果だけ見れば万々歳だと言える。経緯はさておき。
「ずるいっ、マリエッテ様はずるいわ!」
プエルデ国の使者を見送り、文官たちと今回の会合で引き出せた内容をまとめようとソフィエル様に別れの挨拶をしようと振り返ったところで。ポロポロと涙を次から次へと溢すソフィエル様が身も世もなく泣き出してしまったというわけだ。
彼女の叫び声に何事かと近くを歩いていた者たちは立ち止まり、様子を窺っている。
これはある意味、前回のミュリア王女よりもタチが悪い。
公爵令嬢の嘆きに固まる文官たちには、今回の会合の議事録とともに報告書の作成を依頼し、私はソフィエル様を中庭に連れ出す。
どこかの客室を借りても良いが、現在進行形で『ずるい』と非難されている私が、嘆く彼女を個室に軟禁したと憶測されることも避けたい。中庭であれば落ち着いて会話をしている様子が遠くからでも見えるだろう。
”していない”ことを証明することは、これぐらい面倒なことなのだ。
そんな意図から、ここ最近では「またか」という頻度で発生するようになった、ソフィエル様を慰めるという時間になったというわけだ。
「……ソフィエル様、”ずるい”とは何を指すのでしょうか。心当たりがないものですから」
「わからないということが答えです。文官たちと一緒になって他国の使者と外国語でお話して仲間外れにしたり、自分が王太子妃だと騙ったり、私を馬鹿にして!」
「……誤解ですわ」
溜め息を吐きそうになり、ぐっと飲み込んだ。
これ以上、何か隙でも見せれば全て非難材料にされるだろうから。
話をまとめる。今回、ソフィエル様が不満に感じたのは以下の点だ。
一つ、自分のわからない言葉で話してはならない。
ソフィエル様の言う”わからない言葉”というのはプエルデ語で、これは王太子妃教育の中に含まれていた。ソフィエル様も履修済みかと思っていたが、未修と後で知った。「なんのために通訳がいるのですか?」と丸い目で聞かれてしまった。
一つ、自分が王太子妃だと騙ってはならない。
正しくは、王太子殿下の婚約者だった頃の私が、王宮の廊下で困っているプエルデ国の使者を助けたことがあるらしい。今回はそのお礼を伝えたいと、呼び出されることになったわけだ。
ソフィエル様を素通りして後ろにいた私に声がかかり、外国語で会話が始まったことが無作法であるとのことだった。
結果的にあの部屋の中でプエルデ語に明るくないのはソフィエル様だけとなってしまったので、それは気分が良くなかっただろう。
しっかりプエルデ語では『現在は婚約者候補となった』と説明していたのだが。
一つ、ソフィエル様を馬鹿にすることはあってはならない。
プエルデ語が未修なのは身体が弱かったからであるし、私がプエルデ国の使者を助けるに至る偶然も、私と文官たちとの交流も健康で体力も時間もあり”ずるい”のだということだった。
とにかく狡いのに、不運なソフィエル様を見下すなんて……ということらしい。
ソフィエル様はたびたびこういった思考回路で感情を高ぶらせることがある。
それとなく『思い違いですよ』と諭すものの、興奮状態では聞く耳を持たない。
こういった状態のソフィエル様と一緒にいると、なんだか疲れてしまう自分に気付いたのはいつ頃からか。
最初は新しい友人は刺激的で、ソフィエル様は助けたくなるような魅力を持っている方だと感じていた。
懐かれていたし、憧れていると言われて素直に嬉しかった。
ソフィエル様もだんだんと私に気を許して、甘えているのだろうと思っていたのだが。
それらが徐々に負担だと感じるのは私の心が狭いからか。
……はたまた、嫉妬だろうか。
開けてはいけない部分を触りそうになり、また目をそらす。
「──とにかく。ソフィエル様が今悲しいのは、きっと成長の証ですわ。涙を流すほど手に入れたいと望む心が成長の鍵と聞きますもの」
だから泣き止んでほしい、と語りかけたところ。
ピタリとソフィエル様のすすり泣く声が止まる。
「手に入れたい、?」
「ええ。プエルデ語がわからないと涙を流すのも、理解したい、深く会話をしたいという心の声だと思いますよ」
興奮状態のソフィエル様を慰めるよりは、プエルデ国の学習の方がよっぽど上手く出来そうな気がする。そんな余計なことを考えていたのが伝わってしまっただろうか。
顔を覆って泣き伏していたソフィエル様は、何かを思いついたのかパッと顔を上げた。
その頬はもう薔薇色に染まっていて、涙のあとは見えなくなっていた。
「──マリエッテ様は、恋をしたことがございますか?」
突然の話題変換に、何を聞かれているのか追いつかない。
もう慰めなくて良い、のだろうか?
プエルデ国の学習の前に、どうやら学園の薔薇の日に仲睦まじい恋人たちを見かけて、随分と羨ましくなってしまったことを思い出したのだと頬に手をあてて悩まし気に教えてくれる。
高位貴族のほとんどは幼い頃に家門同士で婚約を取り決める。
しかし、領地を持たない家や長子以下は婚約などを決めていない場合が多い。そういった者たちは学園で未来の伴侶を見つける場合が多いのだ。
中には婚約者がいても学生時代の青い思い出だと割り切って楽しむ者もいるらしいが、私の周囲にはいないので噂でしか知らない。
ソフィエル様はそういった話に大変興味があるようで、無邪気な笑顔で私にも聞いてくる。
そして私は答えに困り『どうでしょう』と答えを濁した。
ソフィエル様は私の答えには興味がなかったようで、すぐ『私は』と続けた。それにほっと安堵する。私には共有出来る恋の話など無い。魔女の秘薬を飲んだ私には。
そんな後ろめたい気持ちも吹き飛ぶ言葉が聞こえたのだ。
ソフィエル様は、何を『譲ってほしい』と言ったのだろうか。
「──だって、どうしても欲しくなったのですもの。リュヒテのことが」




