悲劇の妃
結局、あの後は有耶無耶に解散となった。
学園から戻った私の髪に白薔薇がついているのを目ざとく見つけたお兄様は、王宮から帰って来たその足で王宮へとんぼ返りをしようとしていた。
「アシュバルト、落ち着きなさい」
「お父様もおかえりなさいませ」
同時に帰宅した父に止められた兄は口を曲げて不満たっぷりだ。
お兄様の熱視線から逃れるように父の影に入ると、父の視線も私の髪についた白薔薇に注がれる。
「なんだい、その白薔薇は」
「本日は学園では薔薇の日だったのです」
懐かしいね、とお父様は昔を懐かしがるように目を細めて母に帰宅のキスを送った。
どうやらお父様が学生の頃からある歴史ある行事らしい。
「こちらはリュヒテ殿下からいただいたのだけど……お兄様、そういえば白薔薇にはどんな意味があるのかしら?」
壁になってくれていた父が離れてしまったため、ちらりと兄の様子を窺うように話を振ればさらに目を尖らせていくのがはっきり見えた。
「マリエッテは知らなかったんだな。やっぱりちょっと言ってくる!」
「えっ、あの、何を誰に言いにいくつもりなの!? 学生のお遊びなのだから、落ち着いて!」
間違いなくリュヒテ様に何かを言うつもりのお兄様を必死に引き留めると、憤怒の表情から今度は変なものでも食べたような困った顔になった。
「……ならいいか」
「何がいいのか全くわからないわ」
「白薔薇はね、【いつまでも共に】という意味だよ。全く。こんな微妙なときに学園でお遊びをされたらたまったものじゃないね」
「……そうね」
自分で“学生のお遊び”だと言ったはずなのに、なんだか私まで変なものを飲み込んだ後のように胸がもやもやとし始めた。
お兄様はすっかり怒りが消えたようで、眉尻を下げ、こちらを心配そうに見ていた。
その表情が何を心配していたのかを知るのはすぐだった。
父から兄と一緒に執務室に呼ばれ、自身の“微妙な立場”を再確認することになる。
「──マリエッテ、王妃の鍵は見つかったのか?」
心臓を掴まれたかと思った。初めて、確認されたからだ。
使用人たちも下げられた父の執務室には父と兄と私の三人だけだった。母は聞かないことにしたらしい。
存在を隠してきた“王妃の鍵”について。
その“王妃の鍵”を探すように陛下と約束していること。
それらをお父様は知らなかったことにはしないということだ。
からからに乾いて張り付いている喉をごくりと鳴らし、口を開く。
「見つかりました。見つかったけれど、事情があってまだ王家に返却できていません」
「……それはまずいな」
お父様は重いため息を出して、目頭を揉んだ。そのまま何かを考えているのか長い沈黙が流れる。
「早く返却しなければ、王家への干渉で責任をとらなければならなくなるかもしれない」
「そんな」
焦った声を出したのはお兄様だ。
「可能性の話だ。このままマリエッテが正式に婚約者の座に戻ればそんな話にもならないだろうが、グレイブリス家に決まったら……厳しいだろう」
ソフィエル様に決まったら。
私は真剣にその未来について考えていなかった。いや、考えることを避けていたのかもしれない。
ソフィエル様に王妃の鍵──つまり魔女の証を──移すことが出来なかった場合のことについて。
責任をとって処罰を受けるのが私だけならまだいい。だが、これはダリバン家、いや傍流の家まで累が及ぶ可能性だってある。
なぜか思考の裏にちらついたのは、リュヒテ様の隣に並び立つ私の姿形を真似たソフィエル様だ。
頭を振って嫌な想像を追い出す。
「はやく、はやく見つけるわ」
「焦らなくて良い。我々の誠意は王家にも伝わっているだろう」
だから大丈夫だ、とお父様は安心させようと表情を緩めた。
そうは言っても、私は家族を守りたい。大切な人を守りたいのだ。
「そうだ、先日頼まれていた手紙が返ってきた」
執務室に満ちる重苦しい空気をかえようとしたのか、お父様は思い出したように胸をポンと叩いた。
「この手紙は、王家と私たちしか知らない。管理は厳重にするように」
「はい。ありがとうございます、お父様」
差し出された簡素な封筒はところどころ曲がっている。恐らく、他の荷に紛れこませて送られてきたのだろう。
この手紙は隣国の前国王からの知らせだ。
<傲慢の魔女>の荷物がアントリューズ国に残っていないか調べてほしいと依頼したのだ。
もちろん、魔女について公的なやり取りが出来るはずもなく、外交を行うお父様に秘密裏に手紙のやりとりが出来ないかお願いしたのだ。
先ほどまでの話題が尾を引いているのか、もどかしいほど手紙が開封出来ない。
ペーパーナイフすらうまく使えない私にじれたのか、お兄様が馬鹿にしたようなため息をついて開封した。
だって、自分で手紙を開封することも初めてだったのよ。そんな言い訳は飲み込んだ。
しかし、手紙は良い知らせではなかった。
そこには、魔女の荷を保管していた場所が燃やされ、大部分が消失したこと。
犯人は見つかっていないことなどが書かれていた。
希望が絶たれてから数日後。
以前から申請していた、第三書庫の鍵を受け取っていた。
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魔女の証に関する調べ物は、行き止まりばかりだった。
いや、進まないことがおかしいのだ。
事務官が調べもので訪れることがほぼない、旧時代の記録を保管しているだけの倉庫。
私が入ることが知らされ急遽置かれたソファから離れ、時代をどんどんと遡る。
メイドたちは埃っぽい空気のままでは、菓子やお茶を配膳できないと掃除を始めるようだ。
私は一度準備が整うまで別室にいるように促されたが、とりあえず読める本を選ぶと奥へ足を踏み入れた。
家系図を上へ上へと辿るように、奥へ奥へと足を進める。
本の種類も手に取りやすい大きさの植物から出来た紙から、膨らみやすい羊皮紙へと変わっていく。
王族史や歴史書など、劣化を防ぐために王宮司書がその時代の言葉で書き直しを行う。
私たちが古語と呼んでいる文字も、元になる王族史を当時の現代語に書き起こしたものだろう。
時の王族や権力者に都合よく改編された部分があるかもしれない。それを破棄せず王宮に置いておくとは考えにくいけれど。
同じ時代の歴史を綴った書物を並べ、文字を見比べていく。
省略された表現や、書き損じ、腐食が進み欠損した情報。そういうものを虱潰しに探していく作業だ。
私はこういう無心で熱中出来る作業が大好きなので、急用なんて入らなければいいと願うばかりだけど。ランドルフ王子なら顔色をなくし、急用が出来てしまえばいいと願うかもしれない地味な作業だ。そんなことを想像して、クスリと笑ってしまった。
感触の異なる書物を並べ、同じ王の名前を探した。
──約二百年前。時の国王、モンヴィエルには王妃と、第二妃、第三妃がいた。
それぞれ王妃や第二妃の系譜は後の公爵位や伯爵位を賜った家系図へと続くが、第三妃の系譜は娘の記録のみで止まっている。そして、その上から斜線を引かれていたのだった。
斜線の下には、子は女児であること、また病没であることが書き記されている。
私たちが調べていた書物では第三妃の名前は消されている部分だ。
かすれたインクは“エルシー”と読める。
その母もまた魔女であったはずだ。
書庫の埃っぽい空気が揺らめいて、手元を照らしていた明かりが揺れた。
「──黙っててごめんなさい」
小さく囁かれた声の主に振り向き、安心させるように微笑みを返した。
「いいえ。私は何も悪いことなど見つけておりませんよ」
「でも、黙ってたから……言うのが怖くて」
エルシー様は隠し事が見つかってしまった幼子のように俯いてしまった。
小さな手をもじもじとさせながらドレスを握りこむものだから、しわになってしまう。
小さなお姫様付きの侍女長に怒られる前に、ドレスを握りこむ手をほどき視線を合わせた。
エルシー様が誕生した二百年前は、魔女が迫害される時代だった。
魔女の人数は保たなければならないのに、誰もが魔女を恐れていた。
魔女となった第三妃やエルシー様の名を王族の系譜から消すことも、当時の情勢からは仕方ない事だったのかもしれない。
だが、斜線で名を消されるというのは除籍よりも厳しい処遇だ。
エルシー様は名を消されたことを知られたくなかったのだろう。
「わたくしは、エルシー様の名前を見つけられて、嬉しかったですよ」
エルシー様の陽だまりのような瞳がこちらをやっと見た。
「まるで隠れんぼのようですね」
「……見つけてくれて、ありがとう」
そう言って目を細めたエルシー様の頬に、また一筋だけ涙の跡が増えた。
書庫には私と、小さな影が揺れていた。
エルシー様の小さな指が斜線で消された第三妃の名をなぞっている。
「──お母様は、王族に魔女の証を戻すために第三妃になったの」




