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キスをしたら、何か変わるのだろうか。
真実の愛に目覚めた二人が唇を重ね、愛を誓うことで呪いが解けて──という童話にありがちなことが起きるはずがない。
リュヒテ様は、なんのために私とキスをしたいのだろうか。
キスをしても、しなくても、状況や私たちの心の距離は変わらないのに。
……したことは無いけれど。
現状、魔女の証の受け渡し方法もわかっていない。
つまり、私は大切な人たちと違う時間を生きることになるのだ。
大切な人たちと共に老い去っていくことが出来ずに、留まり続けることに私は耐えられるだろうか。
「──マリエッテ様っ、それにリュヒテも」
巻き取られていた髪が解放され、跡も付かずにさらりと落ちた。
その髪の行方を見て、息が詰まりそうな空気が霧散したことにホッとしている自分に気づく。
久々に耳にした声色に、来客が誰か気付いたのはリュヒテ様も同じようで小さく溜息をついて振り返った。
リュヒテ様越しに見えたのは想像どおり、ソフィエル様だった。姿は想定外だったが。
癖のない黒髪はゆるいウェーブがついて、既視感のある髪飾りがよく映えていた。私のぼんやりとした水色の髪よりもずっと。
そういえば、今日の髪飾りは幼い頃にリュヒテ様から贈られた髪留めだった。
「ソフィエル様、その髪型と髪飾りは……」
「あっ、どうですか? マリエッテ様とお揃いにしてみました」
似合ってますか? と頬を染めた彼女の表情は、褒められることを待っているように見える。
似合っているかいないかと聞かれれば、もちろん似合っている。
同じような髪型だが、よく見ればソフィエル様に似合うような形にアレンジされている。
だが、髪飾りまで似てくると少し恐ろしく感じてしまうのは、警戒心ゆえだろうか。
少し戸惑ったことが表情に出てしまったのだろう。みるみるうちにソフィエル様の表情は悲しげに染まっていく。
そして、私の視線から隠れるようにリュヒテ様の背に隠れてしまった。その仕草のひとつひとつが私にはない可愛らしさが出ている。
同じ髪型、同じ髪飾りなのに行動が違えばこんなにも可愛らしく映るのか。
「ごめんなさい、勝手に……嫌ですよね。お揃いにしたら、マリエッテ様のようになれるかなと思って……」
「いえ、嫌ではないですよ。とても似合っていて、驚いただけです」
「ほんとですかっ! 嬉しいです。マリエッテ様とそっくりって皆さんに褒められたのですよ」
「そうですか」
とても似合っている。なんだか私のほうが模倣品に見えるほどに。
くるりと振り返ったリュヒテ様は背後に隠れていた小リスに向き直り、髪飾りをトンと指先で突いた。
「ソフィ、この髪飾りはどうしたんだ?」
「きれいでしょう? マリエッテ様と同じ、カトレアをあしらった髪飾りを探していたのだけれど、一目惚れしたの」
「あぁ。まるで図面を写し取ったかのように精巧な出来だ」
そうサラリと言い放ったリュヒテ様の言葉に引っかかりを覚えたのは、私だけではないようだ。
「これは私がマリエッテに贈るために造らせた髪飾りと似すぎているというより、同じものだ」
あぁ、そういうことかと遅れて気づく。
王族が注文するものは基本的に一点ものだ。この世に二つとして同じものは存在しない。
してはならないのだ。
なので、リュヒテ様が私に贈ってくださったものと同じものが、ソフィエル様の手にあるのはありえないのだ。王宮で保管してあるはずの図案か、捕まってしまうことも恐れない腕の良い細工師を抱え込まない限りは。
グレイヴリス公爵家ならどちらも可能だろう。
ソフィエル様の表情が一瞬だけ、温度を失う。
天使のような彼女から表情が抜けると、ひどく冷たく見えた。
それも瞬きのうちにくるりと変わる。
「──つまり、私は騙されたってこと?」
ぷわりと涙が盛り上がり、小さな唇がわななきだした。
その姿を見れば全員が全員、被害者なのだと判断するだろう。
「あぁ、まあ、王家に納めた図案を他家に出すのは見過ごせないな」
「ひどいわ! まさか同じものだなんて……王家とグレイヴリス公爵家に対する侮辱よ。お父様に言って叱ってもらうわ!」
傷ついたソフィエル様は崩れるようにリュヒテ様の胸へ飛び込んだ。
それを困った顔で見下ろし、されるがままの様子の二人はなんだか兄妹のように見える。
悲しんでいる彼女の震える肩を見ていると、私も忘れていたぐらいなので……とは決して言えない空気だ。
むしろリュヒテ様が髪飾りのことを覚えていたことに驚いてしまう。しかもリュヒテ様がデザインを考えたなんて知らなかった。お兄様が同じ年の頃は、ピンクと赤も変わらないだなんて言うありさまだったのに。
「まぁ、図案の出どころの件は後にしよう。ソフィもマリエッテの真似をするのはほどほどにしておけ。すでに見間違える者が多い」
「泣いてばっかりじゃだめね。マリエッテ様のように強くならないと」
涙に濡れた睫毛がきらきらと輝いている。
ソフィエル様の目には私は強く映っているらしい。泣かないことが強いことなのだろうか。
そんなことを考えていると、きらきらと輝く瞳が私の髪を捉えた。
「マリエッテ様、もしかして白い薔薇をつけていらっしゃるの……?」
「白い薔薇、ですか?」
彼女の視線の先を手で辿れば、先ほどリュヒテ様が差した薔薇に触れる。
どうやら薔薇は薔薇でも、先ほど取り上げられた髪飾りの代わりに白薔薇を差したらしい。
薔薇の日に配られるのは深紅の薔薇ばかりだ。リボンだけではなく、薔薇自体の色や種類で意味が変わると聞いていたが、白薔薇はどんな意味があるのだろう。
ちらりとリュヒテ様の方を見れば、いつもの無表情で答えは返ってきそうにない。
かたやソフィエル様は頬を紅潮させ、夢見る少女のように手を握り合わせている。
「どなたからの贈り物ですか? ローマン? どちらの殿方ですか?」
どんどん候補者の名前を挙げられるが、どなたでもないので困ってしまう。どなたからも贈られる謂われはないですし。
オロオロとしている私をよそに、リュヒテ様は当然だという口調で「私だ。私がマリエッテに贈った」と言い切った。
途端、またソフィエル様の表情が固まる。
「えっ……リュヒテが……?」
「そう」と呟いたまま俯いてしまった。
白薔薇の意味もわからなければ、ソフィエル様が俯いてしまった理由も思い当たらない。
後で薔薇の意味を聞けば良いと流してしまったばかりに。
どうしたものかと頭を悩ませていると、彼女の方から何やらボソボソと小声で聞こえてくる。
「いいなぁ」
「私も白薔薇がほしい」
「ずるい」
え? と聞き直そうとした次の瞬間、「夢みたいに素敵」と薔薇色に頬を染めたソフィエル様が上目遣いでこちらを見上げた。
「私もマリエッテ様みたいに素敵な殿方から白薔薇をもらいたいわ」
先ほどの不穏な呟きとは打って変わって、もう夢見る少女のように上気した頬をゆるませていた。




