【救済】
夜半のことだった。
王都の中心街にある、エスピオン侯爵邸は静まり返っていた。
当主家族や使用人たちも深く眠る夜は月だけが周囲をほのかに照らしていた。
月明かりしかない庭先に二つの人影があった。
「──マリエッテとリュヒテが?」
ローマンは月明かりも届かない門の影に立つ人物の言葉を繰り返した。
たった今、知らされた情報を咀嚼するように小さく繰り返し、飲み込んだ。
影の人物はその様子に、一瞬だけ身じろぎした。
「驚かないのかって? それは……わかっていたことじゃないか」
そう流したローマンの横顔には、喪失の痛みや後悔などは浮かんでいない。
まるでやるべきことは終わったといわんばかりの表情だ。
「<魔女の秘薬>を飲んで忘れようとしたぐらいだ。また再燃することぐらい想定内だ」
ローマンは随分と長い間、想い人を自身の妹かのように慈しもうと心を偽っていた。
だから愛し方を間違えていることに気付いていない。
「一度だけ夢を見れて満足だよ。元に戻るだけさ」
この愚か者は元に戻ると思い込んでいる。
失って気付くのだ。何もかもを。
影の人物はそれを正しく知っていた。痛いほど。
「そうだろう?」
影の人物に向けられた視線は『そうだと言ってくれ』と願っているものだとわかっていた。
わかった上で、現実を教えてやった。
「わかったような口ぶりだな」
不愉快だと眉をひそめたが、ローマンが本気で怒りを覚えているわけではないことも知っている。何事も一歩引いたところからつまらなそうに観察するのが、この男の悪い部分だ。
彼女はこの男の短所を長所だと捉えていたようだが、それで自分の本当の望みに気付かないのだから救えない。
いや、影の人物は”救い”に来たのだ。
この愚か者を。
「──は? 手に入れる方法だと?」
ローマンは薄く笑って流そうとして、表情を削ぎ落とした。
「……だから、俺の前に現れたのか」
王族と血が近い彼は、王太子殿下よりも数段深い緑の瞳を持っていた。
「そうか」
その瞳が闇夜に怪しく浮かんで見える。
「まだ出来ることがあったのか」




