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これも練習と割り切り、馬の動きに合わせてバランスをとってしばらく。
やっと慣れて来た。もしまた次の遠出があれば、私の馬に乗ってみるのもいいかもしれない。今はもうだめだと恐ろしい顔で見張る人はいないのだから。
馬車よりも私とのお散歩を気に入ってくれるといいのだけれど。
「馬車よりもずっと気持ちが良いですね」
「それはよかった」
最初は書庫から離れることに焦りがあり、乗り気ではなかった。
でも、こうして緑の中にいると随分と根を詰めていたことに気づく。
歴史書にはたびたび魔女が登場する。
たびたび名前や姿に関する描写が変わっていることから、魔女は代替わりしていることは確かだ。
***
──エルシー様は、書庫の本たちを見上げながら、記憶をたどるように目を細めた。
『先代であったお母様は、今から見れば数代前の王妃だったわ。でも、魔女の証を引き継いだのは王妃になってしばらく経った頃だと聞いたことがあるの』
ずいぶん昔のことだから、もうおぼろげだけれどと苦笑いで誤魔化すエルシー様の横顔を見下ろし、無性に抱きしめたくなった。
『私も、お母様の一代前の魔女様にお会いしたことがあるわ』
寂しそうな顔を一瞬で消したエルシー様が、跳ねるようにこちらを見上げた。
『だから、“移す”ことは可能だって結果はわかっているってこと。あとは方法だけ調べればいいのだから、簡単よ。ね、マリエッテお姉様』
今度は逆に私を励まそうと明るい表情を見せるエルシー様が、眩しかった。
***
最近は魔女の件だけではなく、リュヒテ様の意味深な言葉。なんだか雰囲気の変わったローマンのこと。それに何を考えているのか掴めないソフィエル様のことまで。
いちいち心を乱されている場合ではない!と、わざと調べ物に集中していたのかもしれない。
……なんだか、意識しているみたいで恥ずかしいわ。
雑念を振り払うように頭を振った。ここが馬上だということを忘れて。
頭を振りよろめいたのか、馬の動きがさらにそれを強くした。
馬とのタイミングがずれ、身体がずるりと傾いていく。
「おっと」
「っっ……あ、ありがとうございます」
少し傾いただけでずるりと落ちそうになる私と違って、リュヒテ様は焦ることなく私の身体を引き戻した。
「危なかったわ。ごめんなさい、フラフラして……リュヒテ様は乗馬が上手なのね」
「慣れだよ」
相変わらず抱きしめられているような距離感に私はペースを乱されているというのに、リュヒテ様の表情は涼し気だ。それがなんだか腹立たしい。
「そう……二人乗りにも慣れているみたい」
口をついて出てきた言葉に、しまったと唇を噛む。
へぇ、とリュヒテ様はクツクツと笑い始めた。絶対に勘違いさせたわ。
「もしかして腹を立てているのか?」
「違います」
「私が他の女を馬に乗せていると思って妬いたのか?」
「違います」
違うと言ったら違うのだ。全然、妬いてなんていない。絶対に。
それなのに、リュヒテ様は私の頭にグリグリと顔を寄せて「可愛いな」とさらにぴったりと寄って来た。節度はどこにいったのだろうか。
押し返すように腕を伸ばしたのに、逆効果になった気もする。
「──最近また浮かない顔をしていたから。今日は色んな顔が見れてよかった」
笑い声が途切れた合間に、小さな声でそう言われてしまえば怒った表情も長く続かない。
リュヒテ様は、進展のない状況に私が鬱々とし始めていたことに気付いていたらしい。
こそばゆいような心地に照れてしまう。
「最近、うまくいかないことばかりで、少し気分が下がっていたみたい。外に連れ出してくれてありがとう」
「マリエッテが遠乗り出来るようになったら、郊外までいくのもいいな」
王太子ともなれば郊外まで行くのは護衛が必要になる。婚約者候補との交流という名の下に気軽に行けるようなものでもないような気もするが。
「王太子殿下についていくのは大変ね。ゆくゆくは王太子妃教育の組み直しがいるんじゃない?」
そうだといいね、という”もしも”の世界線の話だろう。
軽く話に乗って返したのに、リュヒテ様はピタリと動きを止めて身体を固くした。
雰囲気が変わったことに遅れて気づき、後ろを見れば真剣な顔のリュヒテ様と視線がぶつかる。
その翡翠の瞳は、逸らすことを許さない強さが籠っていた。
「──それは、マリエッテのために?」
息が震えているように感じるのは、恐れを感じているからだろうか。
震えが大きくなる前に、唇を引き結んだ。
「……次の方にはもう少し良いやり方が見つかればいいという意味よ」
「……次なんてないよ」
視線から逃げるように前を向けば、掠れるほど小さな返事があった。
「伝わらないとはもどかしいものだな」
「いえ、そんな、伝わっていないわけでは……」
また同じような返事をしそうになり、自己嫌悪に襲われる。
何回、いつまで。同じ場所で怖がっているのだろう。
「では、温度差かな。私はマリエッテを唯一だと思っているよ。今までも、これからも」
リュヒテ様は以前と違って、言葉や行動を尽くしてくださっている。
気持ちを包み隠さず伝えてくれているというのに、それを信じるのが怖いのだ。
──ソフィエル様たちに『赦します』だなんて言い切ったくせに、本当に向き合わなければならない場面では未だに動けないまま。
怖かった、痛かった、悲しかった。
今はすっかり直った傷だというのに、いつまでも転んだことで泣く子どもと同じだ。
情けない。私の望む姿は、こんな情けない姿なのだろうか。
例え靴が折れても立ち上がると決めたのでは無かっただろうか。
「ごめんなさ──」
「謝罪は無しだ。答えを迫っているわけではないのだから、不要だろう」
「そうやってわたくしの狡さを許すから……」
「狡いマリエッテも愛しいのだからしょうがない」
普段なら怒涛の歯の浮く台詞続きに不貞腐れた表情で誤魔化してしまうところだが、なんだか今日はリュヒテ様の優しさに目がいってしまう。
「それに、狡いのは私の方もだ」
お互い無言になってしまったが、沈黙を破ったのはリュヒテ様だ。
「自由に飛ぶマリエッテを見ていたいのに、また鳥籠にいれてしまいたいと思ってしまう」
リュヒテ様の目には私は鳥のように見えていたのか。
「……鳥籠にいれて、また待たせるのでしょう」
「逆だよ。私もその鳥籠にいれてほしいんだ」
冷たく硬い鳥籠に片足を入れる姿を想像してみたが、思わず笑ってしまった。
あぁ、でも良いかもしれない。
昔のつらい記憶に、今の姿のリュヒテ様が入って来るならば心強いだろう。
リュヒテ様の大きさに耐えられず歪んだ鳥籠を想像して、心が軽くなる。
「……ゆくゆくは一国の王になるのに鳥籠に入りたいって、なんだか後ろ向きね」
「大きい鳥籠だから、まあいいんじゃないか?」
「鳥籠って国のことだったの?」
「そういえば昔は、『エールデン国は思ったより中規模だったのですね』と言っていたね。マリエッテから見たら手狭かもしれないな」
「それは世間知らずの小娘の戯言ですので!」
眩しそうに思い出を語るリュヒテ様は遠くを見ていた。
私はここにいるというのに。
そこまで考えて、やっと私は自分の頬が熱をもっていることに気付いた。
初めて”思い出したい”と頭に過って、動揺したのかもしれない。




