鳥籠の内側
ソフィエル様とリュヒテ様のお茶会があったということは、私とも時間をとらなければならないということで。
婚約者候補には公平に時間をとっているという体裁だけのために、今日は魔女についての調査の手を止めリュヒテ様の待つサロンへ行かなければならない。
王宮の書庫に入室するのだから、日々少しずつ顔を合わせているのだけれど公式に交流の時間をとったという建前が必要なのだ。面倒なことに。
そろそろ時間かと剝がすように本から顔を上げれば、いつからそこいたのかリュヒテ様が私の方をじっと見ていた。
……私は驚いた時に叫ぶより、黙り込んでしまう質らしい。息が止まるかと思いました。
先ほどまで近くにいたはずのランドルフ王子はどこかに消え、代わりにリュヒテ様が気だるげな雰囲気で座っていた。
「……ごきげんよう。お約束の時間はまだだと思っていたのですが」
「マリエッテ、今日の茶会だが」
驚いてバクバクと騒がしかった心臓も、徐々に通常の動きを取り戻していく。
なぜ突然ここに顔を出したのかと思ったら”いつもの”予定変更の連絡らしい。
婚約者であった頃から当日に急用が入って会う約束が流れたりしたので、慣れたものだ。酷い時は約束を忘れられていて、ひたすら控えの間で待ちぼうけになったことだってある。
「日時の変更でしょうか。わたくしも用事がございましたので、丁度良いです。どうかお気になさらず」
王太子ともなれば多忙なのだから、仕方ない。そういうものだ。
今回は私もやりたいことがあり、落胆だとか、期待を裏切られた怒りなども湧かない。
いつもならば従僕が伝言を持ってくることが多かったが、今日は直接伝えに足を運んだということは公平を保つために誠意を見せるつもりらしい。王太子殿下も大変ですね。
気にしていませんよ、と同情心を込めて……は不敬なので、労わりを込めて微笑みを返したというのに、リュヒテ様はやれやれと溜息をついた。
「随分と、私は”信用がない”んだな」
強調するような単語に、つくり笑顔がとたんに剥がれ落ちる。
「……どなたから聞いたのですか」
「風の噂でな。これからも、期待と信用をもって貰えるように努力せねば」
風の噂の出所はソフィエル様に違いない。
あのお茶会にいた者でリュヒテ様に話を持っていけるのは、彼女しか思いつかない。
まさかの伏兵に頭を抱えたい気分である。
「ソフィはマリエッテの信奉者にでもなったのかな。私の知らないマリエッテの話が聞けておもしろいよ」
「もうやめてくださいませ!」
二人の話題に私が出ていたと知って、なんだか変な気分だ。
恥ずかしさで顔を隠せば、リュヒテ様はご機嫌な様子でクツクツと笑っていた。
「今日は、茶会じゃなく、少し離れたところまでいかないかと誘いに来たんだ。馬の準備や支度もあるだろうから」
「馬ですか!? で、ですがわたくし馬には……」
「なんだ、乗れないのか?」
「の、のれますとも!」
「そうこなくては。馬も乗りこなせないものが海賊とは渡り合えまい」
「いつの話をなさっているのですか!」
どうやら今日のお茶会は中止では無く、変更らしい。
それはそれで当日に教えられても困るのですけれど?
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書庫から外に出れば、まさに少し遠くまで行ってみようと思える乗馬日和だった。
過ごしやすい気温に柔らかな日差し。
普段は全く馬に乗らないが、さぞ気持ち良いだろうと思える陽気だった。
だというのに、馬上の私は恥ずかしさと居たたまれなさで消えてしまいたいと赤い顔を伏せていたので陽気どころではない。
「リュヒテ様……! ち、近いです……もう少し距離を……」
「近くには私たちしかいないのだから、普段通りの口調にしてくれたら考えよう」
私の背を支えるように寄り添うリュヒテ様がいるおかげで、慣れない馬から落ちずに済んでいる。だけれど、あまりにも近いのだ。
馬に乗れると言い張ったのに、幼少期以来の馬はあまりにも大きかった。結局、一人で乗ることが出来なかったことも恥ずかしければ、相乗りでリュヒテ様と背が触れあうことに動揺しているところを見られるのも恥ずかしい。
そんな私の様子をおもしろがっているのが、ありありと伝わってくるのだ。……私の背をリュヒテ様が包み込むように支えているから。
おかげで、まだ馬上の疾走感や爽快感にはまだ気付けていない。
「……今まで全く馬に乗らなかったのか」
リュヒテ様の声が耳のすぐ後ろから聞こえ、くすぐったいと感じ身を捩りそうになる。落ちてしまったら怖いので動けないのだけれど。
からかうような声色が憎らしい。
彼は無表情が常だけれど、なんだか今日の声色からは感情がわかりやすいような気がした。
馬に乗れなかった私に呆れているわけではないと思えたからなのか、強張っていた肩からゆっくりと力が抜けていき景色を見る余裕が出てきた。
護衛達も少し距離をとっている様子や、整備された木々の様子から察するに王家が所有している森沿いに馬を走らせているようだ。
……赤い顔を護衛たちに見られていないなら、まだよかった。
リュヒテ様も今は私の表情など見えないだろう。
「身体を傷つけてはならないと、王太子妃教育が始まってからは乗馬は禁止されたので」
火照っていた顔を風が撫でる。
木漏れ日の中を走るというより歩く馬は、私の自由の象徴のようだった。
「九歳の誕生日の贈り物は仔馬だったのよ。お世話をして、乳離れが済み、人を乗せる訓練が終われば私の馬になる予定で……」
私の馬とは比べ物にならない立派な体格の馬の首を撫でれば、馬の耳がピルルと動いた。
「こうして撫でると温かくて……」
「マリエッテ、その馬は……」
リュヒテ様は気遣うように声を落とした。
こうしていると表情が見えない分、声に乗る感情は伝わりやすくなるのかもしれない。
口を一度閉じ、言葉を選ぶように俯けば。リュヒテ様は馬の動きを止めた。
なぜ止めたのかと顔を上げるのと、リュヒテ様の片腕が私を引き寄せたのが同時だった。
先ほどより強く感じる振動は、リュヒテ様の心音だろうか。
慰めようとしているのか、労わるように手を握られた。
「……やっぱりダメ」
思わず震えてしまうのは、悲しさからではない。
やっぱり恥ずかしさからである。
「その馬は、今日も元気に我が家の馬車を牽いてきたわ。からかってごめんなさい! もう手を離して!」
「わざと意味深な言い方をしたな?」
「お返ししようと思っただけなの!」
やはり馬上では分が悪い。
これは急いで乗馬の練習をしなければと決意した。




