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ミュリア王女を中心とした彼女たちの行動は把握しているというのに、当然のように許しを得られると信じている様子が奇妙で理解が難しい。
「マリエッテ様、私、申し訳ございませんでした!」
「すみませんでした、わたし、なんてことを……」
「謝って許されることではありませんが、本当に、わたしたち」
ソフィエル様に次いで、令嬢たちは立ち上がると膝をついて頭を下げた。
「皆さん。なんて良い方たちなのでしょう。ね、マリエッテ様」
「……ええ」
ソフィエル様は何を考えているのか読めない表情で微笑んでいる。
「いつまでも憎しみ合うのはつらいことです。罪を許し合い、皆で仲良く楽しい時間を過ごした方が良いと思うのです」
「今後一切、マリエッテ様に敵対するような行いはいたしません!」
「お約束します」
「どうかお慈悲を……ッ」
「マリエッテ様……お許しいただけますか……?」
令嬢たちが涙を堪えた表情で私の答えを待っていた。
断罪の場に震えている令嬢たちを満足そうに見るソフィエル様が、私へ耳打ちするように顔を寄せた。
「──リュヒテも、きっと同じことを望んでいます。婚約者候補として、判断をお任せします」
きっと私だけに言ったつもりだったのだろうけれど、令嬢たちの顔色が更に悪くなったところを見るとしっかりと聞こえていたらしい。
きっと私の顔色も少し青くなっているかもしれない。
ここで王族であるリュヒテ様も絡んでいるかもしれないと匂わすことや、婚約者候補だのという情報を出してしまえば、周囲に及ぶ影響がどこまで広がるか判断がつかなくなる。
今回の話は、あくまで交友関係に留まる程度の話だった。
そもそも私は謝罪を要求していなければ、今後のお付き合いも考えていなかったのだ。視界に入っていなかった、という表現の方が近い。
ソフィエル様が何を考え、この場を設けたのか。どこへ着地させようと想定していたのか。リュヒテ様の名を出したのは、何のためなのか。
せめて事前の相談があれば……と、今更な考えが頭を占め、冷静さを欠いていく。
──マリエッテ、外側から見ている自分を想像してみなさい。
王妃様は生前、目の前のことで手一杯になっている私にそう教えてくださった。
目の前にある問題は難解でそびえ立っているように感じるかもしれないが、一歩外に立つと意外と簡単に糸口が見つかるのだと。
すっかり冷めてしまった紅茶を飲むふりをして、出来るだけ俯瞰して状況を確認する。
私は今、不安になっている。
なぜなら他人の軸で考え、動いているからに他ならない。
状況やソフィエル様の望む通り、許さなければならないと自然と思い込んでいたけれど。それしか道がないわけではない。それに、私は自由を満喫すると決めたじゃない。
小さく息をつき、期待の籠った目で見る令嬢たちへ向き直る。
「──皆さんの気持ちは理解しました。赦しましょう」
王妃様直伝の微笑みを向ければ、令嬢たちは涙を流し喜んだ。
「ありがとうございます!」
「なんて慈悲深い方でしょう」
「素晴らしい方だわ! さすが王太子妃になられる方でしょう」
それはソフィエル様も。
「マリエッテ様ならわかってくださると思っていたわ」
その笑顔を受け、私はさらに微笑みを深くした。
「──ええ。過去の罪は赦しましょう。ですが、今後のお付き合いは考えさせていただくわ」
緩んだ空気が、一瞬にして固まった。
「え、ですが、お許しくださると……」
「ええ。過去のことについて憎しみや罰したいという感情を捨て、赦すことを選びました」
元々持っていなかったのですけれどね。
「お許しくださったのに、今後のお付き合いに影響が出るなんて! つまりお許しくださらないということではないですか!」
「そんな、ひどい!」
「せっかくソフィエル様がこのような場を設けてくださったのに!」
令嬢たちは風向きが悪いと察したのか、聖女のようなソフィエル様の庇護下に入ろうとしているようだ。
「あら……わたくし、信用されていませんね」
思わずクスクスと笑ってしまえば、令嬢たちの勢いがピタリと止まる。
「わたくし、お付き合いは期待と信用から始まるものだと考えております。今後の皆さんのご様子を見て、お互いに期待と信用が生まれた時はぜひ仲良くしましょうね」
王太子妃教育で培った仮面を装備して言い切った。
震えてしまいそうな足を叱咤して、席を立つ。
「ソフィエル様。本日はお茶会にご招待いただき、ありがとうございました。おかげで自分には赦すことが必要だと気付きました。……わたくしがいてはお茶が渋くなってしまいますから、今回はこれで失礼いたしますね」
背中に刺さるような視線を受けながら、初めてのグレイヴリス公爵邸を後にするつもりだった。
このままソフィエル様とも距離を置いて、穏やかな日常に戻ろうとそう思っていたのだ。
「──マ、マリエッテ様!」
ソフィエル様は、中座した私を追って走って来たようで息を乱している。
「私……、ごめ、ごめんなさい! こんなつもりじゃなかったんです!」
私は歩いてきた距離だが、急いだソフィエル様には厳しかったようで今にも倒れそうな顔色になってしまっている。思わずソフィエル様を支えようと戻ってしまうほどに。
後から追いついた前回と同じ侍女──エブリン嬢、とローマンは呼んでいた──がソフィエル様を支え、背を撫でている。
「……私、マリエッテ様を応援しようと思っているんです。病弱であまり社交に慣れていない私には出来ることが少なくて。なので、まず令嬢たちをまとめようと思って今回のお茶会を開いてみたのですが……」
「そうだったのですね」
視界の端で、エブリン嬢が沈痛な表情で目礼したのが見えた。
エブリン嬢──ソフィエル様の姉であり、リュヒテ様の婚約者候補だった方。
れっきとした公爵令嬢であるはずなのに、彼女の今日の装いは使用人と同じ揃いの服に見えた。
他家の事情はわからないが、私の目にはエブリン嬢の所作はソフィエル様より堂に入ったものに感じる。
グレイブリス家でどのような事情があったかはわからないが、どうやら彼女の方が状況を冷静に理解しているようだ。
ソフィエル様が主催したこのお茶会に、色々と裏があるのではと勘ぐってしまったが、事前の根回しが足りないことや諸々、慣れない中で頑張った結果なのかもしれない。
もう少しだけ周囲の方々から手助けがあればと思わないでもないが、それは私が指摘することではないだろう。
エブリン嬢に小さくうなずき返せば、その腕の中でぐったりとしていたソフィエル様が瞳を爛々と輝かせ私の手を握った。
「今日のマリエッテ様はとても素敵でした……! 私の理想そのものです」
「え、あ、そうですか……」
「マリエッテ様のような、凛とした、全てを手に入れるような強い女性になりたいのです」
彼女の目に見えているのは、本当に私だろうか。いや、きっと別人だ。
ソフィエル様は興奮しすぎたのかそのまま気を失い、お詫びのお手紙を出すと侍女に頭を下げられた。
このまま予定通りソフィエル様とも距離を開けたお付き合いをする予定だったのだが。
最後のやりとりがあれでは……と、お見舞いの手紙を送れば、入れ違いでお詫びの手紙が来る。それに返事を出せば、向こうからはお見舞いの手紙の返事が……と、なし崩し的にお付き合いが始まってしまったのだった。




