断罪のお茶会
どこか見覚えのある庭だ、というのが第一印象だった。
庭だけではない。邸の家具や壁紙に至るまで、既視感の連続だった。
どこで見たのかと少し悩んだが、答えが見つかるのはすぐだった。
ここは王宮の庭園に似ているのだ。
樹木の種類、配置、季節の花までも。細部まで完璧に。
ここがどこだか錯覚しそうなほど。
伝統的で何世代も守られ愛されてきた、”正しい庭園”の形が保たれている。
──さすが、”伝統と格式を重んじ、血と誇りを守るグレイヴリス”ね。
細部までこだわって仕立てられている庭園を一望できる特等席には、お茶会の準備が完璧に仕上がっていた。
繊細な刺繍が施されたテーブルクロスの上の、王家御用達のティーセットやカップに太陽の光が当たり、きらきらと輝いていた。
「マリエッテ様、急なご連絡にも関わらず来てくださって嬉しいです」
ソフィエル様は私を見つけると、令嬢たちの輪から抜けて跳ねるように駆け寄って来た。
「ソフィエル様。お招きありがとうございます……皆様もいらっしゃるとは思わず、小さなケーキなのですがどうぞ」
「まぁ! ありがとうございます、甘いものが増えるのは大歓迎です!」
今日はソフィエル様にお茶会へ招待され、グレイヴリス公爵家へとやってきたのだ。
可愛らしいお手紙では『先日はお話し出来なかった件について、詳しく話したい』という内容だったはずだが、来てみれば他にも招かれた令嬢達がいたのだ。
居合わせた令嬢たちにも、私が参加することは知らされていなかったらしく大変動揺させてしまったようだった。
「マ、マリエッテ様もソフィエル様にお招きされたのですね。お会いできて嬉しく存じます」
「え、ええ! 私、マリエッテ様といつかお話させていただきたいと思っておりましたの」
「こういった機会をくださり、あ、ありがとうございます。ソフィエル様」
慌てて然るべきだろう。
今回のお茶会に出席した令嬢たちは、以前までミュリア王女を後押しする派閥にいたのだ。どなたが生徒会室の前にワックスを流したり、図書館の鍵をかけたりしたのかは知らないけれど……心の準備もなく私と対面させられて、同情に値する。
「ええ、本当に。学園ではお話する機会もなかなかありませんでしたものね」
本日は招待客同士。ソフィエル様の目的がわからない今、どう返事をしたものか。
無難な返事と共に微笑みを向ければ、彼女たちはあからさまに安堵の息をついた。
その瞬間だった。
私たちの様子をニコニコと何もわかっていない無垢な少女のような表情で眺めていたソフィエル様の表情が、ストンと消えたのがわかった。
顔を見合わせ安心しきっていた令嬢たちも、波紋が広がるように緊張で顔を強張らせていく。
「──あなたたち勘違いなさっては嫌よ?」
蒼い瞳がすらりと流される。
その視線が首元を撫でる剣のように感じたのは、気のせいか。
間違いなく、この茶会の場を制する主は彼女だった。
「あなた達をお招きしたのは、マリエッテ様に謝罪する機会を提供しようと思ったからなのよ。身に覚えはあるでしょう?」
ひッ、と誰かが声を漏らした。
「……いえ、わたくしは覚えがございませんので謝罪は結構ですよ」
「なんてお優しいのでしょう。それなのに、あなたたちは」
重い溜息をついたソフィエル様は、厳しい顔で令嬢たちに向き直る。
「アントリューズ国からのお客様の影に隠れて、小さくはない過ちを犯しましたね。まさか、忘れてしまったかしら」
「い、いえ、私たち……そんな」
「も、申し訳ございませんッ! 命令されてしまって、拒否すれば酷い目に合うと……」
「本心からでは無かったのです! 万が一にも大事に至らぬようにとご命令よりは軽く……」
「言い訳は結構。実行したのは自身の手でしょう」
甘い声は鳴りを潜め、ピシャリとしなる鞭のようだ。
令嬢たちは唇を震わせ、顔色を無くしている。
重い沈黙が落ちた。
うららかな陽気に、穏やかな風にそよぐ木の葉が触れあう音まで聞こえてくる。
そこに、微かなパタタと水滴が落ちた音が聞こえた。
ソフィエル様の蒼い瞳から溢れ落ちる涙が、ソフィエル様の強く握られた手を濡らしていた。
「マリエッテ様はとてもつらかったでしょう。国のために色々と我慢してきたというのに、なんて仕打ちでしょうか。私は同じ国の民として恥ずかしいです」
震える喉から出る、細く絞られるような声は令嬢たちの罪悪感を刺激するには充分だった。
先ほどまで自身の進退で思考が止まっていた様子の彼女たちは、ソフィエル様の涙を見てやっと罪を犯したことを自覚した。痛まし気な表情で心を痛める公爵令嬢を見て、反省したように項垂れた。
「マリエッテ様が罰を与えないからといって許されたわけじゃないの。自分の行いは、自分で責任をとらないと」
「ソフィエル様、」
もう大丈夫ですから。
自分のことのように心を痛め、涙を流すソフィエル様を見ていると私も悲しくなってくる。
本音を言えば、彼女たちが本心から反省をしようがしまいが、私はどちらでもよかった。
これは善と悪の問題では無いからで、自国の王太子殿下に見初められた隣国の王女に取り入る必要も理解出来るからだ。
彼女たちのように中小貴族たちは、どの派閥に与すれば家門が守られるのか風を読む必要がある。未来の王妃は、貴族女性の頂点に君臨する。その下にいれば利になると考えるのは当然だろう。
私も王太子であるリュヒテ様の婚約者であった頃は、若い世代の貴族令嬢たちをまとめるための社交を求められていた。それぞれ思惑は多分にあるだろうが、応援すると言ってくれた方々をまとめ、利を運ぶことが使命だった。
時代が時代ならば、世論という声の大きい者の敵に与した派閥は一掃される危険もある。
残るのは、生き残った善と消えた悪だ。
そういった諸々を含め、王太子殿下の婚約者では無くなった私は、社交はほどほどにしておきたいというのが本音だ。
彼女たちの過去の行動を非難し、己の傘下に入るなら慈悲を。入らなければ無慈悲を。そういう価値観からは一歩引いて、利害関係ではない友人とお付き合いをしていきたいのだ。
だから、ここで彼女たちを責めることになんの意味があるのかと戸惑いの方が強い。
しかし、気付けば私の心は別の感情が覆いつくしていた。
『利害関係ではない友人と付き合っていきたい』これはただ問題を放置しているに過ぎなかったのではと、自分を疑う心で自信が小さくなっていく。
私が問題事から逃げたせいで、彼女は心を痛めているのではないか。
彼女は私の代わりに痛みを受けているのではないか。
ソフィエル様の涙はそれほど清廉で、まばゆく感じるものだった。
「──でも、あなたたちの立場も理解できます」
顔を上げたソフィエル様の頬を濡らす涙は、宝石のように煌めいている。
「きっと私も命令されれば逆らえません。今回は、誰もが被害者だったといえるでしょう」
「ソフィエル様……」
「マリエッテ様も寛大な心でお許しいただけると思うわ」
ね? と、潤んだ蒼い瞳がこちらを見た。
まるで許しを乞う聖女のように手を握りしめる姿を、私は目を丸くして見返した。
いつの間にか、私が彼女たちを断罪し強く謝罪を要求した立場になっていることに戸惑いを隠せない。
そして、ソフィエル様の瞳の中には当然『許し』があると期待があった。
……ここで『許しません』と言えば、心が狭い者になり、『許す』と言えば今後一切不問にすることとなる。
不問にするということは、婚約が白紙になった後も私を信じ味方をしてくれた方々と扱いを同じにするという意味が含まれるだろう。
私の感覚で言えば、それはあり得ない采配だ。
そんなことをすれば、逆境になってもなお味方をする意味が無くなり、味方をした方々の心や信念を汚すことに等しい。
──ソフィエル様はそこまで理解して、この場を用意したのだろうか。




