魔女の承継
王太子妃教育を受けていた頃は通い詰めていた、王宮の書庫。
普段ならば紙を捲る音のみが耳をくすぐり、書物の劣化を防ぐために絞った日の光がきらきらと瞬く静謐な空間……だったはずだ。
「マリエッテはこんな古語も読めるの? もしかして貴族子女の常識なの?」
「常識かどうかはさておき、自国の歴史書は読めた方が良いですね」
書庫に足を踏み入れるのは数える程度だという第二王子のランドルフは、苦い顔を隠さず「うへぇ」と呟いた。その内の何回かは教育係から隠れるためだったのだろう。古語は苦手らしい。
王子は諦めたように次のページを捲るが、もちろんどのページも古語で書かれている。多少、年代によって文字の形が変化するが読めないことはない。言い回しが特殊なだけで。
黙々と読み進める私とローマンを見て、その次に大人しく座っている妹姫に視線を投げた。
「もしかしてエルシーも読めるの!?」
「わたしは絵を見ているわ」
「なんだ、安心した」
明らかに手を緩める気だったランドルフ王子を軽く睨んだエルシー様は、悪いことでも思いついたのかニヤリと口端を上げた。
「ふふん。わたしが先に読めるようになったら、ランドルフお兄様に教えてあげるわ」
「なっ、妹に教えてもらうのはまずいな!」
さすがに妹に先を越されるわけにはいかない意地があるのか、今までよりは真剣な目つきで居並ぶ古語に向き直った。
そんなランドルフ王子を横目に、本をパタンと閉じたエルシー様はこちらをチラリと見て顔を横に振った。
どうやらエルシー様の持つあの本にも、魔女の継承に関する記録は無かったようだ。
────デビュタントの夜会の中での謁見にて。
会場近くの一室にはすでに陛下や宰相様、それにグレイヴリス公爵、お父様が集まっていた。
型通りの挨拶に加え、陛下からはあくまでも内々の話としてソフィエル様と私が婚約者候補となっていると知らされた。
その場はあくまでも、そのつもりでいるようにという認識を擦り合わせる時間だった。
内心ではなぜ二家からしか候補者が出ないのか等、聞きたいことがたくさんあったのだが。
ソフィエル様は私が婚約者に戻るべきだとおっしゃっていたが、どうも素直に頷けない。
だいたい、王妃の鍵のありかを見つければ”特権”を得られるという約束はどうなったのか。内々の話で”候補”だから例外ということだろうか。まあ確かに公的な記録には残らない場ではあった。宰相様も同席されていたけれど。
なんてことだろうか。大人は悪どい。お父様と一緒に打診を受けるというのは、ダリバン家としてお話を受けるのと同義ではないのか。
不満はそれだけではない。
……いつの間にか、私の気持ちが二の次になっているのが不満なのだ。
また恋をしてくれないか、と頼まれた時の方がまだマシである。
それもこれも、王妃の鍵──魔女の証、を他の候補者に移す方法がわかってからの話だ。
私がしぶとく婚約者候補にいれられるのは、魔女の証が私にあるからに違いない。
この問題を解決できれば。
本当の自由を手に入れられる。
そんな気がするのだ。本当の自由が何かはわからないけれど。
視界の端で再び集中力が途切れたランドルフ王子が、大きく伸びをしたのが目に入る。
いつの間にか私まで別のことを考えていたようだ。先ほどから一行も進んでいない。
「はぁーあ。兄さんは新しい婚約者候補殿とお茶会だっていうのに、ぼくたちはここで勉強だなんておかしいと思わない?」
「役割分担ですよ」
本日、王宮のどこかでリュヒテ様とソフィエル様は、お茶会という名の交流を行っているらしい。婚約者候補との交流が終わり次第、こちらに合流すると聞いているがいつになるやら。
「勉強時間だという自覚はあるんだな、ランドルフ」
「あー、ローマン。きっと、ぼくに構っている場合じゃないよ。チャンスだよ! さぁ、マリエッテの隣に座って。ぼくとエルシーはあっちに行ってるからさ」
お目付け役のローマンの気を逸らして、気分転換をしたいらしい。
ランドルフ王子がローマンをからかうのはいつものことなのだが、なんだか今日は流せない。心の池があるとしたら、モヤモヤと濁っている水をさらにかき混ぜられた気分なのだ。
読んでいた本をパタンと閉じて、ソファに一旦置く。ちらり、とランドルフ王子に視線を向けた。
「マリエッテ、怒った?」
顔色を察したのか殿下は叱られた子犬のような顔になった。
……私がその顔に弱いと知っているのだからタチが悪い。そんな顔で見られたら、なんだか私が八つ当たりをしているみたいではないの。八つ当たりだったかしら?
ムムムと無言の攻防をしていると、ローマンが私の座るソファに腰かけたのは同時だった。
ローマンの影になった私の手に、昔よりも大きくなった手が重なっている。
当たってしまったかと驚いて引こうとしたのに、握られたということはわざとらしい。
身体の影になっているので二人やそばに控える使用人には見えないかもしれないが、こんな時に何をしているの!?
「ランドルフは俺の味方なんだ?」
「いいや、おもしろい方の味方」
「だと思った」
ローマンは普通の顔で、なんでもない軽口を交わしている。動揺から戻ってこれない私が変みたいではないか。
そうこうしている内に、すっかり黙り込んでしまった私と、私を静かに観察するローマンだけが取り残されてしまった。
私からのお説教が有耶無耶になった今だと判断したのか、ランドルフ王子はエルシー様を連れて書庫の奥へと行ってしまったのだ。晴れやかな笑顔で。叱られた子犬の毛皮はどうした。
二人に置いて行かないで! と叫びたかったが、こんなところで手を握り合っていただなんてからかわれるのも困る。
「あの……」
手を放して、とチラチラと視線で伝えれば、膝に肘をついたローマンがふわりと笑んだ。
……察してはいただけないらしい。
「……リュヒテが気になる?」
「いいえ?」
私の返事の速度に驚いた様子のローマンの表情がおもしろい。
急にリュヒテ様の名前が出て驚いているのはこちらである。今気になっているのは、こんな隠れて手を握られている状況の方だ。こんな、逢引きみたいではないか。
……逢引きみたいだと思っていると伝える方が恥ずかしいので、とてもではないが言えそうにないけれど。




