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ソフィエル様の身体は、糸が切れた操り人形のようにぐにゃりと傾いた。
頭を庇う様子もなく、倒れる様子がやけにゆっくりと目に映る。
咄嗟に彼女の手を引き寄せる。引き寄せたのはいいものの、私は自分の力を過信していた。
華奢で小柄な彼女でも、引き寄せ支える私は騎士ではないのだ。
彼女を全力で引き寄せ、そして共に倒れたのだった。
直後に悲鳴を上げたのは、そばにいた侍女たちだった。
重なるように倒れたソフィエル様は、意識が無いのか叫び声も無かった。
ぐったりと私に身体を預ける彼女の様子に、ぞっとする。
彼女は確かに病弱だと言っていた。
リュヒテ様も『また倒れる』と言っていたのだ。
「大丈夫か!?」
「わ、わたくしは平気ですっ、ソフィエル様の意識が……!」
慌てて助けを求めれば、胸の上で小さな声が返ってきた。
「ごめ、なさい。意識はあるのだけれど……」
起こして……という声に、心の底からほっとした。大きく息をついてぐったりと力を抜けば、リュヒテ様が私の上に重なっていたソフィエル様を引き起こした。
その姿を見上げていた視線はすぐに遮られる。
倒れたままだった身体がふわりと浮いた。
「ひゃ……っ」
「大丈夫か。痛いところは?」
私を起こして……持ち上げて? くれたのは、ローマンだ。
ソフィア様ほど華奢でも無い私に加え、たくさん布地を使ったドレスは相当重いというのにローマンは顔色一つ変えずに私を見上げている。
心配してくれているのは伝わるけれど、痛いところなんてわからないぐらい焦っているわ。
「大丈夫だから……っ、ローマン、降ろして」
「本当に? 足を挫いていたりしないか心配だよ。見せてもらう訳にもいかないし……」
「見せるわけないでしょう!」
ローマンがあまりにも心配そうな顔でこちらを覗き込んでくるものだから、恥ずかしいから早く下して! とも強く言えなくなる。かと言って、重いだなんて落とされたら! と、焦りでローマンの上着を力いっぱい握りしめていた。
「……ローマン、そこまでにしておけ」
「あぁ」
ローマンがゆっくりと私を地面に降ろすついでに、『いたんだったね』とごくごく小さな声で呟いたことを私は聞き逃さなかった。
もう! とローマンの肩を小さく叩き、先ほど握りこんでしまった上着がしわにならないように手で撫でつけておく。
「マリエッテ様、ごめんなさい……急に力が抜けちゃって、私、いつもこうで……」
「いえ、ソフィエル様はお怪我はありませんか?」
ソファにもたれかかるソフィエル様の顔色は、先ほどと打って変わって青白い。
オロオロとしているのは私だけのようで、彼女付きの灰色の髪をした侍女が冷静な足取りで前に進み出た。
ローマンが息をのんだ。
「──エブリン嬢?」
「ご無沙汰しております。ソフィエル様の救護を行うため、ご挨拶は控えさせていただきます」
エブリン嬢、と呼ばれた侍女はとても綺麗なカーテシーを見せた。それは高位貴族の令嬢のような、慣れた動作だった。ただ、表情だけは人形のように変わらない。
挨拶もそこそこにエブリン嬢は飴玉のようなものをソフィエル様の口に運ぶ。
飴玉を含んだソフィエル様の顔色はみるみるうちに回復した。
「……ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です。陛下がお呼びなのでしょう? 行きましょう」
ふわりと微笑んだ彼女の頬は、確かに血色が良い。
念のためグレイヴリス公爵家の侍女に視線を流せば、問題ないという風に頭を下げた。
「そうですか……。どうか無理はなさりませんよう」
「もうお薬を飲んだので平気です。でも、陛下の前で何かあったら怖いわ」
ソフィエル様は髪と同色の、濡れたように艶やかな睫毛を震わせた。
その影から覗く蒼い瞳がリュヒテ様を見上げた。
何と言葉にしなくても、何を求めているのか、誰に求めているのかは明白だ。
隣に立っていたローマンを横目で見上げれば、同じく次の展開を察していた森緑の瞳と目が合う。当然のように差し出されたエスコートの手に、ふわりと手を重ねてみれば。
一つ息をついたリュヒテ様がくるりとこちらに向いた。
リュヒテ様の視線は鋭い。
もしかして、睨まれているのかしら……?
怯んだ私を捕まえるかのように、ローマンが手をしっかりと握ったものだから隠れることが出来ない。
逃げも隠れもできない状況でずんずんと近づいてきたリュヒテ様は、ぴたりと私の目の前で足を止めるとローマンとは逆の手をふわりと持ち上げた。
射殺されるのではないかというほど鋭い視線を私に向けながら、リュヒテ様は私の手にキスを落とした。
「なっ、」
グローブの上からキスをされても感覚は鈍い。そのはずなのに、熱を感じたのはなぜだろう。
私を動揺させることに成功したリュヒテ様は、したり顔で最後に小指に巻かれた細いレースリボンをするりと引き抜き、握りこんだままソフィエル様のエスコートに戻って行った。
唖然とその後姿を見送っていると、一部始終を見ていたローマンがぼそりと呟いた。
「……あれは俺がマリエッテにあげたものなんだけど」
ローマンの持ち物にキスをしているリュヒテ様を想像して、笑ってしまう。
それを恨めしげにローマンに見られ、取り繕うようにそのままエスコートを受けた。
「本当に怪我はない?」
「ええ。今回は靴も無事よ」
「今回の靴もマリエッテに似合っているよ。おまじないはいる?」
「今日はこちらがあるから大丈夫」
エスコートをするローマンの手を、指先で三度小さく叩いた。
いつも私の心を守ってくれるお返しに。




