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ソフィエル様は瞳を潤ませ、こちらを伺い見ている。
どんな反応を期待されているやら。
私はあえて驚いた顔をつくるでも無く、そうなのですねと一つ頷き続きを促した。
その反応が正解だったのか、彼女はほっと安堵の息をついた。
「……ですが、それは幼い頃の話です。何よりこの虚弱さから厳しい王太子妃教育も継続できませんでした。ましてや王族の妃なんて務まるはずがありません」
「そんなこと、」
それに、とソフィエル様に手を握られる。
「今はマリエッテ様がいらっしゃいますもの!」
そう募る彼女の蒼い瞳からはらりと涙が零れ落ちた。
ソフィエル様の頬を伝う涙は綺麗過ぎて、まるで歌劇に巻き込まれたような心地だ。
「私、マリエッテ様を応援しているのです。恋敵だったミュリア王女の横暴にもひるまず、一喝する姿を見たあの日から」
なぜ彼女は泣いているのか、置いて行かれた気分でハンカチを差し出す。
しかし彼女はハンカチを受け取らず、頬を差し出した。その無防備な仕草に反応が一拍遅れる。
……私に涙を拭いてほしい、ということかしら。
おずおずと濡れた頬にハンカチを当てれば、気を許した者にだけ見せるような、気の抜けた笑顔が返って来た。
妹がいたならば、こんな感じなのかしら。
甘え上手なソフィエル様の仕草に、知らず知らずのうちに動かされているような気がするのは考えすぎだろうか。
心の準備も整わない内に懐に潜られてしまったような心地に、どうしたものかと困っていると。我が家から連れてきた侍女がそっと耳打ちをした。
「──殿下がこちらにお見えになられています」
「お通しして」
普段ならば、もういらっしゃったの? と一つ文句でも口にしそうなものだが、今回ばかりは助かった。
このまま二人でいたら、ソフィエル様のペースに巻き込まれそうで、脱出のきっかけが欲しかった。
彼女は、ほぼ初対面の私にどうしてここまで気を許すのだろう。理由がわからず、戸惑いの方が強くなっていた。
この場にやってきた救世主は、リュヒテ様とローマンだった。
揃ってやってきた二人は、泣いているソフィエル様に気付くと目を軽く見開いて私に視線を流した。
『何があった?』と流された視線に、視線を伏せることで『何も』と返答する。
それで通じたのか、肩を竦めるだけで話は終わった。と、思ったが涙を拭っていたソフィエル様は慌てたように立ち上がった。
「あの、違うのです! これはマリエッテ様にいじめられたわけではないのですよ!」
「わかっている。落ち着け」
リュヒテ様はいつもの無表情で、だけれど慣れたように慌てるソフィエル様に座るように促した。そのやりとりが、やけに親密に見える。
リュヒテ様とグレイヴリス公爵家のソフィエル様は幼い頃に婚約を交わしていた──、という話を聞いたり記録を確認したことが無いので、話半分で受け取っていたが。親交は確かにあったようだ。
だって、二人の間の空気が昔からの友人というか兄妹のようでもあり。
昔の私との間にあったものとも、今の私の間にあるものとも違うように見えるのだ。
「──二人とも、面識があったんだね」
そんなことを考えながらぼんやりとしていたのか、ローマンの声で現状に立ち返る。というより強制的に引き戻された。わざとかと思うほど近くで話しかけるのだもの。
猫の尾で耳を撫でられた時のような悲鳴が出そうになり、つい耳を庇う。
近いわ! と非難する目で振り返れば、やはりわざとだったのかローマンはしてやったりという顔で小さく微笑んだ。
「私からお声がけして、仲良くなったのです。ね、マリエッテ様」
「ええ」
ソフィエル様は涙を流したことをもう忘れたのか、天真爛漫な笑顔で私の腕を抱きこんだ。
「意外な組み合わせで驚いたよ」
「私たち、リュヒテの婚約者候補なんですから。同志として親交を深めていたのです」
得意気に胸を張るソフィエル様の横で、『これは同志として親交を深めるためだったのか』と小さく驚いた。少なくとも驚いたのは私だけではないようで、ローマンは片眉を上げて少し呆れた表情だった。
「リュヒテからもちゃんとおっしゃってください。このままでは私と再婚約させられてしまいますよ。マリエッテ様も、いいんですか?」
「私の婚約については、お父様が決めることですので……」
残念ながら、私はソフィエル様の同志にはなれそうにもない。
現状、リュヒテ様と再婚約する話は断ったので、ソフィエル様が候補者となるならばそのまま決定になるのではないだろうか。
そうしたならば、魔女の証もソフィエル様に引き継ぐことになるのだろうか。
「そんな、マリエッテ様らしくないわ!」
「わたくしらしいと言われても……」
ソフィエル様の予測不能な言動に、私はすっかり押され気味だった。
着地点のわからない会話に内心頭を抱えてしまう。
助けてほしい、とソフィエル様の手綱を握れそうなリュヒテ様に視線を流せば、一瞬だけ口をへの字に曲げたリュヒテ様がやれやれと前に進み出た。
「ソフィ、あまり興奮するとまた倒れてしまうぞ」
ソフィエル様を愛称で呼ぶほど、親しかったらしい。一応、私も幼馴染だと思っていたのだが、リュヒテ様の交友関係を全て知っていたわけではなかったらしい。
新しい発見に目を丸くしていると、リュヒテ様が私の方へ手を差し出した。
「この話はここまでにして、陛下が呼んでいる。行こう」
私の前に差し出された手と、ソフィエル様に向けていた顔より無に近い表情を見比べる。
この手をとっていいものか一瞬逡巡して、おずおずと手をのばす。
……もしかしたら、何か政治的な裏事情や意味があって私をエスコートするのかもしれないし。
誰に向けたものでもない独り言を心の中で呟き、先ほどのデビュタントのダンスのように手を重ねる直前。
私の隣に立っていた、ソフィエルの身体がぐらりと傾いた。




