3
ダンスを踊る輪を見下ろす一角、談話用のソファーに腰を掛ける。
準備を終えたメイドが下がると同時にドレープが下された。
壁際にはソフィエル様の連れの侍女と、私の連れの侍女が控えるように並んだが、少し離れたところに座ってもらう。
お兄様の指示で出された温かい紅茶に口をつければ、おずおずと私の顔色を窺うように忙しなく視線を動かすソフィエル様と視線がぶつかった。
表情を緩め、用件を促せば安心したように頬を染める仕草が愛らしい。
その様子が我が家の犬のロジーを想起させ、どうにも可愛らしく見えてくる。
「お呼び立てして申し訳ございません。私、身体が弱くあまり学園に通えていないものですからタイミングが無くて……」
そう言って、ソフィエル様は悲しそうに眉尻を下げた。
学園であまり見かけないのはそういった事情だったのかと理解した。
「ソフィエル様とは討論会ぶりですね」
「ええ。勝手なことですが、あの日からマリエッテ様とは仲良くなれそうだと思っていましたの」
はにかむように微笑むソフィエル様は大変可愛らしい。
「……マリエッテ様の首飾り、素敵ですね。贈り物ですか?想い人からの」
「まぁ。ふふ。ソフィエル様のお目に止まって嬉しい限りです。こちらは母の首飾りなのです」
「マリエッテ様のお母様というと、ラディオン国の……」
「はい。ラディオン国では首飾りの留め具にリボンを使うそうで──」
ラディオン国の話に耳を傾けるソフィエル様の瞳の中には、心配していた色は無い。
グレイヴリス公爵家はエールデン国の保守派筆頭という位置付けの家門だ。
『伝統と格式を重んじ、血と誇りを守るのがグレイヴリス』というのは有名な話だ。
その保守派の中でも、外交は最低限で交易も必要最低限を理想とする過激な一派と、外交交易を担うダリバン侯爵家は相性も良くない。
ダリバン侯爵家は権力の均衡を重視する中立派である。
父は隣国ラディオン国出身の母を妻に迎えたこともあり、過激な一派を従える保守派筆頭のグレイヴリス公爵家とはお互いつかず離れずといった間柄だった。
ソフィエル様自身は過激な他国排斥主義では無い様子で一安心だ。
派閥が異なるとお茶会でもテーブルが離れるため、交流する機会も無い。
個人的な諍いはもちろん無いが、お互い距離を保ったお付き合いを子どもの世代である私たちも守っていたはずだった。
だから、ソフィエル様が病弱なことや、学園にあまり通えていないことなど知る由も無かった。そして、彼女がこれから何を話すのかも見当がつかない。
アイスブレイクも一段落し、そろそろ本題へ入っても良いだろう。
飲み物に口をつける間の沈黙が、そうさせた。
言葉を選んでいるのか、彼女は顔を俯かせてしまった。
さらりと黒髪が肩の上を滑り落ちた。
あまり見つめすぎては負担をかけてしまうだろうか。わざと視線を外し、もう一度紅茶を口に含む。ゆっくりと、時間をかけてカップを置いた頃にソフィエル様は意を決したように顔を上げた。
「──あの、リュヒテから私のこと、何か聞いてらっしゃいますか?」
準備していなかった名に驚き、言葉に詰まる。
驚いて紅茶を吹き出してしまったり、カップをソーサーにぶつけてしまうだなんて失態は起こらなかったが、内心では大変驚いている。
現実に流れている時間は一瞬だろうけれど、私の頭の中では様々なことが流れた。
リュヒテ様の名を呼び捨てにする間柄、ということ?
それをわざわざ私に伝えに来た?
リュヒテ様からソフィエル様のことで何かお話があった?
先ほどの意味深な雰囲気はこの件だった?
彼女は、何が目的で。私から何の情報を得ようとしているのだろう。
デビュタントの高揚感で浮ついていた頭が、すっと冷めていく。
庇護欲をかきたてられる彼女も、貴族令嬢だ。しかも公爵家ともなれば王家に次ぐ高位の家門であれば尚のこと、ただ怯えるだけの令嬢であるはずがない。
動揺を飲み下し、わざと大きくパチリと瞬いた。
そして出来るだけおっとりと見えるように、頬に手を当て頭を傾げて見せた。
「まぁ。何か、とはどのようなことでしょう?申し訳ございません。よくわからなくて」
「私のこと何か言ってなかったですか?もぅ。リュヒテにはちゃんと言っておいてって言ったのですけれど」
ぷくりと柔らかそうな頬を膨らませる様子は、幼子のように愛らしい。
だが、これも演技なのだろうか。彼女が何をしたいのか掴めない。
少々会話も遠回りしているが、それすらも何か意図があるのだろうかと疑ってしまう。
今度は本心から頭を捻りそうになった頃合いで、少し離れていたはずの灰色髪の侍女が素早くソフィエル様の横に膝をついた。
「──ソフィエル様、殿下に対しお言葉が過ぎますよ。それに、誤解が生まれる言葉選びをなさっています」
一見、20代半ばのような落ち着きを見せた灰色髪の侍女は、少し低めで誠実な声色に、きっぱりとした物言いをする方だった。よく見ればまだ若い令嬢の様子だったことに気付く。
未亡人のような暗い色をまとい、首から手首までを覆うデザインのドレスが彼女の年齢を増して見せている。
「え?でも、私頼んだのよ」
「ソフィエル様がダリバン嬢にお伝えせねばならないのは、リュヒテ殿下と親し気なご様子なのでしょうか」
「あ……っ、いえ、も~~~~」
灰色の髪の侍女は家庭教師のように、優しくきっぱりと諭した。
その言葉は素直なソフィエル様にも正しく届いたようで、顔を赤らめ恥じるように顔を両手で覆い隠してしまった。
「……すみません。私、口下手で……。これでは何か意味深に聞こえますよね。先日、お父様から言われたことで気が動転してしまって……」
赤い顔を冷ますようにパタパタと手を振る彼女の仕草は、いといけない少女だ。
なんだか裏を疑うことが馬鹿らしくなってくるほどに。
「その、マリエッテ様はリュヒテとの婚約を白紙にされたのですよね。ですから、もう一度私と再婚約するべきだとお父様が……」
小さく震える彼女は、困ったように眉尻を下げた。
助けを求めるように私を見る彼女が言った『もう一度』を口の中で転がしてみたが、先ほどの紅茶の味がするばかり。
声になっていないはずの私の呟きを拾ったのか、ソフィエル様は一つ頷き言葉を重ねた。
「──私、幼い頃にリュヒテと婚約を交わしていたものですから」




