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狂気を孕んだ目が、爛々と光って浮いているように見えた。
「そこの愚図が”魔女の秘薬”を隠し持ってるんだと思ってたのに、飲んだというから。首を落として代わりに血を、と思ってたのだけれど。<怠惰の魔女>が出て来てくれたのだもの。おぞましいことをする手間が省けたわ」
なり損ないの血なんて穢らわしいもの。
魔女は当然だと言う顔で、そう言った。
「エルシー。私にはこれからどうすべきかわかるわ、同じ魔女だもの。お前は今まで通り、先代が遺したこの国にいたいのよね?」
まだ完全には復活していないのか、歪な笑みがエルシー様へと注がれる。
「そのためにお前一人で、この駒たちの記憶を操作することになるわね。でも、お前のような弱い魔女だけでは無理よね。私の力を借りなければ」
耳を貸すなと小さな身体を隠すように前に出るが、なぜだか声が後ろから聞こえる。私たちのすぐそばで囁くのだ。
「それともこのままにしておく?それはおすすめしないわ。記憶を残したら人間は魔女を恐れて、歯向かってくるもの。私は返り討ちに出来るけれど、お前はどうかしらね。地道に魔女への差別を無くそうとしていたのにご愁傷様」
他国ではいまだに魔女という存在は恐怖から始まる差別意識が根強い。それに比べて、我が国では良い魔女として伝わっているのも、エルシー様たちの働きかけによるものだったのか。
私や母や祖母が産まれる前からある、良い魔女のおとぎ話。長い間語り継がれてきた裏には、エルシー様たちがいたのだ。なんて長く、途方もない道だろう。どんな思いで、この国を見てきたのだろうか。
だが、それは一夜にして泡と消えた。
それも、魔女の力によって。
八方塞がりだ。
魔女は殺せない。止められないのだ。
そして、王族の妃が魔女候補となっていたことが知られたら、王の子が代々治めてきた国は荒れる。今までの歴史を、忌むべき存在が統治した全てを破壊せねばと囚われるだろう。
恐れは全てを失う。
一人一人の夢も未来も全て消え、先達たちの足跡も何もかもを失うだろう。
──悔しい。
私の中に浮かんだものは、悔しさだった。
国を、国に住まう人民を守ろうとすれば魔女に頼ることになる。
だが、<傲慢の魔女>は国を守るつもりが無い。<傲慢の魔女>の中では、他の誰もが与え守る存在では無いからだ。
対抗する力が無いことが、たまらなく悔しい。
行き場の無い悔しさから強く握っていた手が、柔らかな手に包まれた。その手を傷つけまいと手を解く。
「……<傲慢の魔女>は魔女の中でも古株だと先代から聞いて、いつか会えたら何を聞こうか楽しみにしていたの」
エルシー様は、怒りを内包した目で真っ直ぐ魔女を射抜いた。
「魔法の知識に貪欲で、魔女であることを誰よりも誇りに思っていて、名に恥じない立派な魔女だったと……。先代はそんなあんたを尊敬してた」
「あら嬉しい。今もなお、誰よりも魔女らしい魔女でしょう?」
「──魔女は黒にのまれたらおしまいだって先代は言ってたけど、こうなるんだね」
黒に、のまれる。
脳裏に覚えのある感覚がちらつく。
私の中にもいた、黒。
魔女の秘薬を飲む直前まで。私の中に、黒は確かにいた。
悪い想像が浮かぶ度にひたりひたりと近づいてくる。
自分を置いて幸せになるなんて許せないと泣いてわめいて、手を振り上げて、自分のいない場所で幸せになんてしてやるものかと呪詛を吐いて暴れる黒。
あれにのまれていたら、私も。
「いいよ。<傲慢の魔女>が、魔女の秘薬を飲んだらどうなるのか見せてもらおう」
エルシー様の手の内で、緑の光が浮かび渦を巻く。
光に目が眩み、瞬いた瞬間にあの瓶が手にあった。
不思議な色をした液体。あの日、王妃様から受け取った”魔女の秘薬”だった。
「エルシー!だめだ!渡してはいけない!」
「いい子で待っていてね、リュヒテ。もう二度と裏切らないように、お仕置きをしてあげなきゃ」
リュヒテ様の唸る声も虚しく、薬はゆらゆらと液体を揺らしながら魔女の元へと浮いていく。
それを、待っていられないとばかりに黒い蔦が素早く引き寄せた。
「回復したら、さっきのお返しをしてあげる。まずはそこの女の顔をぐちゃぐちゃにしてやるわ」
錆びついた手が瓶を傾け、薬がとぷりと飲み込まれていく。
「……確かにこの薬は魔女の力を増幅させる。元々ある魔女としての器を成長させる。でも、魔女の取引は等価交換。得るものがあれば失うものが、ある」
ひたり、と見つめられ身体が強張った。
「マリエッテお姉様も、失ったものがあるよね」
失ったもの。
「あれは恋心を忘れる薬じゃない。一番強い欲を忘れる薬だよ」
「一番強い、欲……?」
「マリエッテお姉様やスカーレットは婚約者への依存心が何よりも強かったんだろうね。<傲慢の魔女>の一番強い欲は何かな。出来れば、悪意を忘れて良い魔女になればいいけれど」




