9
わたしたちは馬車に揺られ、王都の端にあるバルサザール様の家を訪れた。
目的の品が無事に保管されていることを祈りつつ馬車を降りると、イヴァールは足早に玄関へ進みベルを押した。
「師匠、俺だ。生きてるか?」
イヴァールがそう声をかけると、中から「ピギィ」という鳴き声が聞こえた。イヴァールは慣れた手つきで扉の取っ手を掴み、そのまま押し開いた。
「ピオニー、元気だったか?」
「ピギー!」
扉が開くと、そこにはピオニーの姿があった。ピオニーは現れたイヴァールを見て、短い尻尾をブンブンと振りながら嬉しそうに鳴いた。しかし……。
「久しぶりねぇ……ピオニー……?」
「ピギィィィィィ!」
イヴァールの後ろから顔を出してピオニーに声をかけると、ピオニーは家の奥へと猛スピードで逃げて行った。
「お前、ピオニーと何かあったのか?」
「お互い相容れないものがあるのよ」
暫くすると、奥からゆっくりとした足音が響き、バルサザール様が姿を現した。
「イヴァールにリディア、突然どうしたんじゃ?」
「ああ、実は——」
イヴァールが答えようとしたとき、クラウスが勢いよく前へ飛び出し、バルサザール様に抱きついた。
「バルじい!」
バルサザール様は驚きつつも、その抱擁をしっかりと受け止め、懐かしそうに目を細めた。
「おお、クラウスや、大きくなったのう。まさかまたお前に会えるとは思わなんだ。長生きはするもんじゃのう。さぁさぁ、中へ入りなさい」
バルサザール様はクラウスの背を叩きながらそう促し、わたしたちは家の中へと足を踏み入れた。
バルサザール様の家の客間はあの日と変わらず、窓辺にはたくさんの本が積まれ、小さなキッチンには数種類の茶葉やジャムの瓶が並んでいた。
わたしたちはイヴァールの提案に従い、バルサザール様に余計な心配をかけないよう、鍵のことは伏せて、クラウスが持っていたぬいぐるみを探していると伝えた。
バルサザール様は椅子に腰を下ろし、長い顎鬚を撫でながら、しばし沈思するように目を閉じた。
「ぬいぐるみのう……。わしの記憶にはないが、地下の物置を探せば何かわかるかもしれん。イヴァールや、手伝うんじゃ」
バルサザール様がゆっくりと立ち上がって部屋の奥へと向かうと、イヴァールは短く頷き、その後を追った。
クラウスはじっとバルサザール様とイヴァールの背中を見つめていた。彼らの姿が見えなくなると、落ち着かないのか、指先をそわそわと動かし、袖口を何度も握り直している。
「お茶を淹れるわね」
彼の気を紛らわせようと、わたしはそう声をかけて小さなキッチンへ向かい、お茶の準備を始めた。
「俺も手伝う」
クラウスは席を立ち、わたしの隣で戸惑いながらも手元を覗き込んだ。
「何をすればいい?」
「そうね、茶葉を選んでくれる?」
ポットに熱湯を注ぐと、茶葉が踊るように広がる。甘く深い香りが立ち上りキッチンにふんわりと漂った。クラウスは琥珀色の液体がカップへ流れ込む様子をじっと見つめ、それをそっと手に取った。
「……いい匂いがする」
そうつぶやきながら、彼の視線はキッチンに並ぶジャムの瓶へと向けられた。
「ねぇ、リディア。この苺ジャムを入れたら美味しいんじゃない?」
わたしはぎょっとして慌ててその瓶を取り上げた。
「駄目よ!! これはジャムじゃないかもしれないわ!!」
「え? でも苺ジャムって書いてあるだろ?」
「書いてあっても、中身がそうとは限らないのよ!! さぁ席に着いて!! 紅茶をいただきましょう!!」
わたしたちはテーブルにつき、それぞれカップを手に取った。クラウスは軽く息を吐いて紅茶を含んだ。
「うん……美味しい」
優しい温もりが喉を滑り落ち、彼の声は、どこか安心したようだった。
「クラウス、バルサザール様の家へ来て何か思い出さない? ここは昔とほとんど変わらないでしょう?」
「うーん、そうだな……」
クラウスはゆっくりと周囲を見回した。幼い頃の記憶を探るように、かすかな思い出に意識を向ける。
わたしは黙って彼の様子を見守った。しばらくするとクラウスの視線がふと止まり、ある一点をじっと見つめた。その瞳に驚きが浮かぶと、彼は静かに立ち上がりその場所へ近づいた。
「確かあの日、ここで遊んでいて……ピオニーが来て……ピオニーを抱っこしようとして、ぬいぐるみをここに置いた……そうだ! あの日は何も持たずに離宮へ戻ったんだ!! つまり、ここで失くしたんだ!!」
クラウスの言葉に驚き、わたしは思わず目を丸くした。
「クラウス……間違いは無いのね? 本当にここに置いたのね?」
「ああ、俺はこの出窓の台座にぬいぐるみを置き忘れたんだ!!」
クラウスはわたしの問いかけに深く頷いた。わたしは深く息を吐き、思考を整理する。
ちょうどそのとき、地下の物置からバルサザール様とイヴァールが戻ってきた。
「クラウスや、隅々まで探してみたが、どうにも見当たらんかったわい」
バルサザール様は少し疲れた様子で肩を揉みながら、椅子に腰を下ろした。イヴァールはわたしの隣に座ると、小さく首を振った。
「バルじい! イヴァール! 俺、思い出したんだ!!」
「落ち着いて、クラウス」
興奮気味のクラウスをなだめ、わたしはバルサザール様とイヴァールのお茶を淹れ、二人の前にそっと置いて言った。
「それなんだけど……わたし、心当たりがあるかもしれないわ」
「心当たり?」
「本当かリディア!」
「ほぉ、それは気になるのう……」
わたしの言葉に、イヴァールは眉を顰め、クラウスは身を乗り出し、バルサザール様は興味深そうに頷いた。
「イヴァール、あの日、魔法の鏡を使って、王城の大広間とわたしがいた場所を繋げたじゃない? あの場所はわかる」
「ああ」
「そこにヒントがあるかもしれないわ」
「なるほど、わかった」
わたしとイヴァールの会話をもどかしげに聞いていたクラウスが、我慢しきれず声を出した。
「イヴァール、リディア、わかるように説明してくれ」
わたしたちは頷き合うと、クラウスを立ち上がらせ、歩き出した。
「詳しい説明はあとでするわ。取り敢えず急ぐわよ」
「師匠、行ってくる」
「ほぉほぉ、気をつけるんじゃぞ」
バルサザール様に見送られながら、わたしたちはあの森へと向かった。




