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床から体を起こしたクラウスは、ソファーに座り直し姿勢を正すと、わたしたちの様子を窺いながら語り出した。
「俺が持っていた……を覚えているか?」
「『……』ってなんだよ。はっきり言え」
「…………うさぎのぬいぐるみを覚えているか?」
「ああ、『ラヴィたん』な。お前、あれがないと眠れなかったよな」
「うっ……! それはここに来たばかりの最初の数日だけだ……」
「嘘言え、いつでもどこへでも持ち歩いていただろ」
「はいはい、ふたりとも。話が進まないでしょう!」
イヴァールとクラウスが言い合いを始めたので、わたしは苦笑しつつ、クラウスを促した。
「そのうさぎのぬいぐるみがどうかしたの?」
「どうしても必要なんだ……。だが、俺はあれを失くしてしまったんだ……」
「え……? 探してくれって、ぬいぐるみを……?」
「お前、今でもあれがないと眠れないのか?」
イヴァールとわたしは顔を引きつらせ、哀れむような視線をクラウスに向けた。
「違う! そうじゃない!! リディア、その目はやめてくれ……。あれは……あれは、立太子するために必要なんだ」
「あれってただのぬいぐるみじゃないの?」
わたしは首を傾げ、幼い頃のクラウスが肌身離さず持っていた、白いうさぎのぬいぐるみを思い出していた。
「いや、ただのぬいぐるみだ……。だが……」
クラウスは膝に組んだ両手に頭を乗せ、考えを整理するように続けた。
「カルナフ王国の立太子の儀では、王太子の証となる宝剣を授かることが必要なんだ。剣を手にした瞬間、その者は正式に王太子として認められる」
「うんうん」
「宝剣は普段、王宮の然るべき場所で厳重に保管されている。そこに入ることが許されているのは、王族と限られた者だけだ」
「なるほど」
「その場所には、大昔に親交のあったジルファリア王国の魔術師によって古代魔術がかけられている。それは、現代の魔術では解除できず、入るには鍵が必要なんだ」
「それで?」
「俺も最近そのことを知ったんだ。それで、その……鍵が……いや、鍵を……母上が、ぬいぐるみに……」
クラウスの言葉が曖昧になったとき、わたしは察した。
「まさか、あのぬいぐるみの中に鍵が入っていたとか言うんじゃ……?」
「……その、まさかだ」
その答えに呆然としつつイヴァールに顔を向けると、彼は落ち着いた様子でクラウスに問いかけた。
「それで? お前が今この国に来たのは、あれを失くしたのがあの頃のこの国だから……ってことか?」
「えぇっ!?」
クラウスは言いにくそうに口をつぐみ、手元をいじりながらぼそぼそと続けた。
「……そんなに大事なものだとは知らなくて、気づいたらどこかに置き忘れていたんだ。それでも気にすることはなかった。だから、そのまま帰国して……。だけど、立太子の準備を始めた頃、母上が『うさぎのぬいぐるみはどこ?』って聞いてきて、そのとき初めて重要なものだったと知ったんだ……」
クラウスは唇を引き結び、わずかに間を置いてからさらに続けた。
「母上は、側妃が俺の暗殺計画を練るのと同時に鍵を手に入れたがっていることを知って、誰にも気付かれないようにとぬいぐるみの中に隠したんだ。それで、俺が出国する際に『このぬいぐるみはお守りだから、絶対になくしては駄目よ』と言ったらしいんだが……俺にはその記憶がない」
応接室にはなんとも言えない沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのはわたしの冷静な——いや、冷静を努めた声だった。
「つまりクラウスは、命運を握る鍵が入ったぬいぐるみを探しにノレアス王国にやってきたってことね?」
「……まぁ、簡単に言うと、そうなる……」
クラウスは気まずそうに目をそらして答えた。
わたしは深呼吸をして席を立つと、クラウスの隣に腰を下ろした。そして肩をがっしり掴み、ガクガクと揺さぶった。努めていた冷静さは完全に吹き飛んだ。
「なんでよ!?なんでそんな大事なものをなくすのよ!?というかなんで鍵がぬいぐるみの中に入ってるの!?しかもそれを今まで気づかなかったってどういうこと!?」
「ままま、待てリディア! おお、落ち着け! 揺らすな揺らすな!」
クラウスが目を回しながら叫ぶも、わたしの勢いは止まらない。
「こんな重大なことを今さら言い出して!!だいたいなんでそんな適当に扱ってたの!?そもそもどこで失くしたのよ!!」
「リディア、息継ぎしろ」
イヴァールは僅かに目を細め、呆れたように言った。
「クラウス、お前、心当たりはあるのか?」
イヴァールの問いに、クラウスは固く目を閉じ、少しの間を置いて口を開いた。
「ああ。たぶん、あそこだと思うんだ……」
「それはどこ!?」
わたしが勢いよく訊ねると、クラウスは小さく息を吐いて答えた。
「……バルじいのとこ」
「バルサザール様の家!?」
確かに幼い頃のわたしたち三人は、バルサザール様の家にしょっちゅう遊びに行っていた。
「ひょっとしてバルサザール様が大事に取ってくれていたりするかしら?」
「いや、クラウスが帰国してから今日まで、師匠がぬいぐるみの話をしたことなんて一度もないぞ」
「既に処分されているかも……」
「ありえるな」
わたしとイヴァールの淡々とした会話にクラウスの顔がみるみる青ざめていき、わたしたちは互いに目を合わせ、同時に肩をすくめた。
「とにかく行ってみればわかるだろ、師匠の家へ行くぞ」
イヴァールはクラウスを励ますように、彼の肩を軽く叩いた。
「そうね、ここで話し合っていても仕方ないし、急いで行きましょう」




