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執務机に片肘をつきながら、イヴァールは先ほど届けられた手紙を眺め、面倒くさそうにその名を口にした。
「リディア、クラウスを覚えているか?」
「クラウスって、カルナフ王国の?」
「ああ」
文書作成の手を止めイヴァールに問い返すと同時に、幼い彼の顔が脳裏に浮かんだ。
「ええ、もちろん。クラウスがどうしたの?」
「近いうちに来るらしい。しばらく滞在するようだ」
「本当!? 懐かしいわ! あれ? でも彼、わたしたちと同い年でしょう? 今頃は何かと忙しいはずよね?」
「さぁな……だが、正直いい予感はしない」
イヴァールは手紙を鳥のような形に折ると、席を立ち、それを窓から放り投げた。折られた紙は風に乗り、軽やかに舞いながら庭先へと消えていった。
謁見の間には、国王陛下をはじめとする王族、そして重臣たちが揃っていた。カルナフ王国からの賓客であるクラウスを迎えるための場だが、先方の希望により、あくまで簡素で控えめな形式に留められていた。
やがて扉が開かれ、クラウスが現れた。燃えるような赤髪と深い碧眼はあの頃のまま。面影を感じさせる彼の整った顔立ちに、遠い記憶が呼び覚まされるような錯覚を覚える。落ち着いた雰囲気を纏い堂々と歩みを進める姿が、彼の持つ品格と風格を自然と周囲に伝えていた。
彼は玉座の前にゆっくりと跪き、静かに頭を垂れた。
「クラウス、こうして再びこの場に立つお前の姿を見ることができ、本当に感慨深い。お前の幼い頃を思い出す一方で、立派な人物に成長したことを心から嬉しく思う。ここはお前にとっても第二の故郷だ。気を張らず過ごすがよい」
「陛下、そのようなお言葉を賜り、心から感謝申し上げます。ノレアス王国で過ごした日々は、私にとってかけがえのないものであり、今もなお私の道を照らしております。この場に再び立つことができたのは、陛下のご厚意と導きのおかげです」
陛下の歓迎の言葉に続きクラウスが謝意を述べると、謁見の間には大きな拍手が鳴り響き、その場の全員が彼を温かく迎え入れた。
クラウスが貴族たちと挨拶を交わしている間、わたしはイヴァールと共に、隣室で彼がやってくるのをそわそわしながら待っていた。
「当たり前だけど、クラウス、凄く成長したわね!」
「中身はどうだか」
「さっき、なかなか凛々しかったじゃない」
「大方馬車の中で必死に練習したんだろ」
わたしたちが彼の話をしていると、挨拶を終えたクラウスが姿を現した。彼は扉を開けるなり、懐かしさと喜びを顔に浮かべ、目を輝かせながら勢いよく駆け寄ってきた。
「リディアーーー! 会いたかっ……ぐっ……!」
「触るな」
クラウスが両手を広げてわたしを抱きしめようとしたとき、イヴァールの重く低い声が響き、彼はクラウスの頭を掴んでその動きを制止した。
クラウスは不満げにイヴァールを睨み返したが、直後、大きく目を見開いた。
「…………お前、イヴァールか!?「違う。通りすがりの第三王子だ」
「そうか、それは失礼した。第三王子……ってイヴァールじゃねぇか!!」
クラウスの問いかけに食い気味に答えたイヴァールは、平然とした表情を保ちながら、クラウスの反応を鼻で笑った。
「まぁまぁ、ふたりともその辺で」
わたしはそう声をかけ、クラウスに向き直った。
「クラウス……いえ、クラウス王子殿下、お久しぶりでございます。この再会を心から嬉しく思います」
礼を取ると、クラウスは満面の笑みを浮かべながらわたしに抱き着いた。
「ああ、本物のリディアだ! 本当に会いたかった!! あと、その他人行儀はやめてくれ」
「他人だからな」
クラウスはイヴァールの声を無視し、わたしを抱きしめたまま続けた。
「リディアは昔から可愛かったけど、凄く綺麗になった」
「ふふ。クラウスも本当に立派になったわ」
「……成長も著しいようだし……ぎゃぁ!! 痛ぇな! なにすんだよ!!」
「その成長を確かめるのは俺なんだよ。もういいだろ、リディアから離れろ」
彼らの遠慮のないやり取りは、まるで昔のままの二人を目にしているようだった。時を経ても変わらない彼らの姿に、懐かしい記憶が蘇った。
私たちが七歳の頃、ノレアス王国の北に位置するカルナフ王国では、水面下で王位継承権を巡る争いが繰り広げられていた。
正妃を母に持つ第一王子のクラウスと、側妃のもとに生まれた第一王女のエスメラルダ。
彼らは表向きでは平穏を装いながらも、その間には深い溝が存在していた。
カルナフ王国では原則として長子が王位を継ぐという古くからの慣習がある。従って、何も問題がなければクラウスが次期王となるのは確実だった。しかし、側妃はこれを良しとせず、エスメラルダを王位につけるべく、密かにクラウスの暗殺計画を練り、行動を始めた。
正妃は側妃の脅威を前に決断を迫られた。我が子クラウスを守るため、彼女は信頼の厚いノレアス王国の王妃に助けを求めた。こうしてクラウスは幼くして祖国を離れ、ノレアス王国へと預けられることになった。
クラウスは幼いながらも自分が置かれた状況を理解していた。母との別れ際、泣き言一つ言わず、渡されたぬいぐるみをしっかりと抱き締め、静かに頷いた。
「イヴァールたちと同じ歳だもの。離宮で一緒に暮らせば、寂しさも少しは和らぐわ」
王妃殿下の提案で、私たちは離宮で共に暮らすことになった。
私たちはすぐに打ち解け、離宮での暮らしは毎日が冒険そのものだった。朝は庭園で遊び、昼は教師の授業を受け、夜は離宮の奥深くで秘密の部屋を探し回ったものだ。
側妃が幽閉されるまでの三年間、クラウスは寂しさをあまり感じることなく、穏やかで楽しい日々を過ごしていた。
「うん、知ってるけど。それで?」
思い出に浸りながら、離宮の応接室で昔語りを始めたクラウスに、わたしは淡々と口を挟んだ。
テーブルのカップに手を伸ばし、お茶をひと口飲み、続ける。
「だって、カルナフ王国では、十七歳を迎えた長子が立太子するでしょう? 現在十六歳であるクラウスは、その準備に追われているはずよね。そんな忙しい時期に、どうしてここに来たの?」
わたしがそう訊ねると、対面に座るクラウスは、居心地悪そうに言葉を詰まらせながら答えた。
「いや、その……ちょっとした息抜きっていうか、あれだよ……外交の一環ってやつ……」
額にうっすらと冷や汗を浮かべ目を泳がせるクラウスに、イヴァールは腕を組み冷ややかな視線を投げかけた。
「外交の一環、ね。随分と軽い言葉だな、クラウス。目的は何だ? お前にしては珍しく口が重いな」
イヴァールがそう言うと、クラウスはしばらく言葉を探すように黙り込んだ。そして勢いよく立ち上がったかと思うと、その場に膝をつき、深く頭を下げた。
「イヴァール、リディア、頼む! 一緒にあれを探してくれ!!」
クラウスの行動に驚いてイヴァールに視線を向けると、彼は呆れたような表情を浮かべ、クラウスの焦りを見透かすように言った。
「話してみろ。それが何であれ、理由が必要だ」




